同じニコラの妻ではないか?
「お、おお〜!」
「これはビックリ仰天ネ……!」
夜の砂漠の一角に、少女たちの驚愕が響く。
ニコラたちの前に広がるのは、思いもよらぬ癒し空間。
豊かなお湯を湛えて湯煙に包まれる立派な露天風呂だった。
砂漠の一か所、本物の岩石で縁取られた露天風呂は、かつてゲヘナが作成していたのを、封印が解けてから補修したとのことだ。
大衆浴場ほどの広さがありながら、場所が秘境ということもあり、ニコラたち以外に姿はない。
闇夜の虐殺劇の後、無事と健闘を称えたゲヘナにより、ニコラたちはここへ連れて来られたのだ。
風呂ならばゲヘナの自宅にも据えられていたが、それは家庭用のを模した物。
豪快さと風流さが同居した物珍しい形態のそれに目を輝かせるニコラたちへ、ゲヘナは得意げな様子で笑みを浮かべた。
「ふははっ! どうだ、見事なものだろう! なんせこの俺の自信作だからな!」
「うんうん凄いよゲヘナちゃん! これウチのお風呂より凄いかも!?」
「お前、よくこんなの作ったヨ」
感嘆する二人に対し、ゲヘナは嬉しそうに答える。
「うむっ! 俺も風呂というやつを堪能してみたくてなっ!? どうせならば凄いものもと意気込んだ結果、気付けばこうなっていた! 星を見ながら湯に浸かるのも、なかなかのものだぞ?」
「これホントに入っていいのっ!? ホントにいいのっ!?」
「もちろんだ! 激戦の疲れ、塗れた粘液と怨念ともども、存分に取るがいいっ!」
「わーいっ!」
「あ、あの。今なにか聞き逃せない言葉があったような……」
青ざめるクォンに気付かず、喜び勇んだニコラは無邪気に飛び跳ねる。
そして彼女はすぐさま鎧を脱ぎ捨てようとした。
「ほ、ほあちゃっ!?」
クォンは反射的に顔を背け、しかして、うっすらと開いた横目で様子をうかがう。
直前の恐怖など、さらけ出される絶景への期待で既に遥か彼方。
案外というか、見た目通りというか、クォンも大概な子ではあった。
そんな、ドキドキ全開なクォンであったが、ニコラは鎧に手をかけたまま、それ以上つまびらかとしなかった。
お預けをくらい、もじもじしそうになる彼女に代わり、ゲヘナが疑問を口にする。
「む? どうしたニコラ? 急に手を止めて?」
「もしかして恥ずかしいカ? だ、大丈夫ヨ! 女同士なんだから恥ずかしがることないネ! 女同士なんだからッ! ほらッ! 恥ずかしければッ! まずはクォンから惜しげもなく……ッ!」
「? お前はどうして力説しているのだ?」
興奮気味に服を脱ぎ始めるクォンに、ゲヘナが疑問を覚えていると、ニコラはおずおずと口にする。
「いや、その……。恥ずかしいとかはないんだけどね? いつ何に襲われるか分からないところで、一糸まとわぬ姿っていうのは、リスク大だといいますか……。やっぱりゲヘナちゃん家のお家風呂の方が……」
「……」
「……」
「え? ど、どうしたの? わたしおかしなこと言ってないよね?」
臆病がすぎるニコラではあるが、今の懸念は当然のことである。
夜行性の凶悪モンスターが活発に動き出す秘境の空の下、武装を脱ぎ捨て、丸腰となるのはいかがなものかと。
そんな、今回のは割と常識的な臆病だと自負していたというのに、二人そろって言葉を失われ、ニコラは戸惑わずにはいられなかった。
そんな彼女の前で、幼女二名はひそひそ話を始める。
「ねえねえ。素手でアダマンタイトをブチ砕く化け物が、なにか言ってるヨ?」
「うむうむ。その臆病さはめちゃカワだが、いらぬ心配だと思うのだがな?」
「ちょ、ちょっと!? なにヒソヒソ話してるの!? なんだか居心地悪いんだけど!?」
叫ぶニコラに、ゲヘナたちは瀟洒な笑みで応える。
「大丈夫だぞっ、バーサー――ニコラよ。お前はこの俺が守るのだからっ!」
「そうネっ、ベルセル――ニコラは心配いらないヨっ!」
「誤魔化せてないからね!? 二人とも狂戦士がこんにちはしてるからね!?」
ちなみにだが、先の激戦でニコラが受けたダメージは、ゲヘナが丁度持ち合わせていたエリクサーによって全回復していた。そのため勝手の違うツッコみ側に回っても大丈夫なのだ。
「ああもう、大体なんの話していたか分かったよ……。さっきのことだよね?」
ニコラは観念したかのように鎧を脱ぐと、このまま立ち話もアレだからということで、特殊能力にて完全再生した抜身の槍を手に、二人を連れだって温泉へ向かった。
そして体を綺麗に洗った後、先にクォンたちをお湯に浸からせて地味に危険がないか確認してからお湯へ浸かった。
「ふはあ、気持ちい……。それで、さっきの話なんだけど、あの時のわたしは、わたしであってわたしでなかったといいますか……」
「それはアレか? 二重人格というヤツか?」
「ほあちゃ。そういえば、初めて会った時も、あんな感じだったような……」
月光に晒されるきめ細やかな柔肌をチラチラ見つめるクォンに気付かず、ニコラは応える。
「あれも同じだったけど、二重人格なんかじゃなくて。出来る限りお見せしたくない、口外してほしくない、忌避すべき姿だと言う意味で……」
「どういう意味だ? 常軌を逸した狂気の振舞い、あれはあれでめちゃカワだったと思ったが」
「おいマジカ」
本心からの感想に、クォンは白目を剥きそうになる。
さておき、ゲヘナの言葉にニコラはブンブンと手を振る。
「だ、だって、あんな力持ってるなんて知られたら、他の人にどう思われるか!? 普通を優に超えてることくらい、わたしにだって分かるし!」
ニコラは青い顔で震える。
「そしたらきっと非難されるよ!? それだけのものを持ちながら、まともにクエストをこなそうともしないとは、力を持ちながら傲慢だって激怒されたり、嫉妬されたりして、平凡な一生が遅れなくなるかもしれないでしょ!? もしかしたら牢にぶち込まれるかも……!?」
「確かに揶揄するヤツもいるかもしれないけど、それは心配しすぎじゃないカ?」
「そ、そんなことないよッ! いるかもしれない。つまりはゼロじゃないッ! 不安要素があるということッ! それがわたしは怖くて怖くて……ッ!」
震えあがるニコラの姿に、クォンは思う。
確かに、彼女の言い分は分かる。
秀でた力、強すぎる力とは、どうしても目立ちやすく、反感を買いやすく、そして、利用されやすいもの。
だが、どうあったとしても、生きていればなにかしらの不安要素には出会うものだ。
それを気にしすぎていては、雁字搦めとなり、何もできなくなってしまうだろう。
「ニコラ、大丈夫ネ。クォンがそばに――」
励まそうとするクォンだったが、どうしてかそこから言葉がでない。
(あ、あれ……?)
硬直する自分に疑問を覚える彼女。
その間にゲヘナがニコラを応援した。
「クォンだけではない! この俺もついているのだ! よって安堵せよ!」
「そ、そうヨ! ニコラは一人じゃないネ!」
違和感を拭えないままだったが、クォンもニコラに声援を送る。
「二人とも……」
「だいたい、槍の力には代償があるのだろう? 行使の最中に命を狙ってくる魔槍など、今の時代の人間たちは羨ましがるのか? 折り砕かれても、しばらくすれば再生する破格性能とはいえ」
「えっと、大きな戦もないし、街にいれば危険なモンスターに遭遇することもないし。命を懸けてでも手にしたがる人は、ほとんどいないと思うけど……」
ニコラの言うように、今、この時代には大きな戦などない。
数百年前には血で血を洗う地獄のような時代があったらしいが、それも今は昔。
ニコラに同行しながら、クォンも見聞きしたことだ。
「? というか、槍の説明、わたししたっけ?」
「見ていれば分かることだ。そんなことよりもここからが大事なのだが。素手でのあの破壊力。あれはお前自身の力だろう?」
「う、うん」
「騎士とは言え、クラスで言えば修道女などと同じ下級クラスだ。で、ありながら、上級クラスをも凌ぐその力。それをどうやって手に入れたのだ……?」
それについてはクォンも気になっていた。
あんな力、常人が手にできるとは思えない。
ギルドで聞いた話だが、人間には個性があり、適性がある。
性格、もって生まれた才能、どのような思いを抱くか。
それによって、向き不向きなクラスがあり、同じクラスになったとしても、能力の伸び幅が全く違うのである。
たとえば、仲間を守りたいと強く願う者は、防御力が伸びやすかったり、補助クラスに向いていたりする。
逆に、ニコラのように自分だけは助かりたいと願う者は、素早さが上がりやすく、かく乱するクラスに向いていたりする。
その話からすれば、保身に重きを置き、自分だけはたとえ相手を虐殺してでも助かりたいと異常に願うニコラは、攻撃、防御、素早さなど、あらゆる値が伸びてもおかしくはない。
代々騎士に向く家系だったりすれば、例外的に適性があって、騎士になれたりもするし、ボーナス的な伸びしろもつくだろう。
そうだとしても、普通、下級クラスであれだけ強さを手にできるとは思えない。
なにかイカサマをしていると考えるのが妥当なのだ。
むしろ手段を選ばない外道なら、そうしていないとおかしい。
いや、きっとそうだ。間違いない。
マイナスの信頼を全幅で寄せ、クォンはニコラの二の句を待った。
しかし、彼女の口から出たのは意外な言葉だった。
「それはその……頑張って」
「ほう?」
「ほあちゃ?」
驚く二人へ、ニコラは言う。
「その、実はわたし、最近までお家に引きこもってたんだ」
「そうなのか?」
「外に出れば、出遭わなくていい不幸に晒されるかもしれないでしょ? それが恐ろしくて、ずっと……」
保身に全力を注ぐ彼女なら考えそうなことである。
なんとなく納得するクォンへ、ニコラは語り続ける。
「今は割と平和な世の中。それでも、いつ何が起こるか分からないし、お家にいても、突然強盗とか、テロリストとかが押し入ってくるとか、あるかもしれないし……。考えすぎかもしれないけど、そういうので死にたくなかったから、ずっと訓練は絶やさなかったんだ。モンスター図鑑とか、サバイバル術とか、蔵書で知識を得る以外の時間は、ほとんど戦闘訓練してたから……」
「な、なかなかアクティブな引きこもりネ……」
「ふむ。……訓練だけか? 実戦は?」
「ないないないッ! そんな恨みを買いそうなことッ!? できないってッ!?」
ぶるぶる震えるニコラ。
「頑張って頑張って、レベルがカンストしても、それ以上頑張って。厳しい鍛錬を続ければ能力が上がることが稀にあるって本に書いてあったから、死にたくないから頑張って。そうしてずっと頑張ってたの。クラスチェンジは、限界まで強くなってからって思って」
ゲヘナに出会ったばかりの頃、彼女は努力が報われるとは限らないと語っていた。
それでも、可能性があるのならと、彼女は懸命に特訓し続けていたのだ。
理由がどうであれ、それは称えられるべき行為だろう。
クォンの見る目が少し変わる。
「訓練で手に入る経験値は、実戦に遥かに劣る。で、ありながら、カンストし、聖騎士を凌ぐほどの実力を持っている。つまりニコラは、言葉の通り、本当に尋常ならざる精進をし続けたということだ」
「うん。そうネ……」
ニコラは飽くなき鍛錬を積み続け結果、鬼神の如き力を手に入れたということなのだ。
感心しつつ、ゲヘナは言う。
「ニコラよ。お前のその力は、努力の結果手にした正当な物。鍛錬の賜物だ。それについてとやかく言うような不届きな輩がおれば、この俺がタダでは済まさぬとここに誓おうッ!」
「ゲヘナちゃん……」
「今までがどうであったかは知らぬ。だが、今ここには俺がいるッ! クォンもいるッ! だからキサマは、今までよりももう少し、胸を張って生きてもいいのだッ! いいや、生きるがいいッ!」
力いっぱい命令した後、ゲヘナは意地悪な笑みを浮かべる。
「まさか矮小な人間風情が、邪竜の命を違えようとは言うまいな?」
「……ッ!」
ニコラは嬉し涙を流し、槍を手放すと、二人を抱き寄せた。
「ありがとうゲヘナちゃんッ! ありがとうクォンちゃんッ!」
「うむうむっ! 怯えるキサマもめちゃカワだが、笑顔のキサマもめちゃカワだぞっ!」
「そ、そうネっ! そして、ありがとうございますヨッ!」
「? どうしてお前が礼を言っているのだ?」
柔肌の感触にオーバーヒート寸前のクォンに、ゲヘナが小首を傾げる。
「はあ、本当に嬉しい。わたしのことを守ってくれる子たちが、二人に増えて――」
「!」
その言葉に、クォンがビクリと震える。
先に言葉を止めてしまった理由に気付いた彼女は、おそるおそる口を開いた。
「……でも、クォンは――」
「――ううんッ! 人じゃなくて柱ッ! 人柱が増えて、ホント嬉しいッ!」
「……は?」
満面の笑みで喜びを表現するニコラの言葉に、クォンは耳を疑った。
だが、語った言葉は真実だと、ニコラは小躍りしそうな様子で続ける。
「ホントにありがと二人ともッ! わたしなんかの側近に志願してくれてッ! いざというときはコンマゼロ秒の躊躇なく盾にするからねッ! そのつもりで、日々生きて逝って――」
「ほあっちゃああああッ!」
「乙女の素肌にめり込む肘鉄ッ!?」
水中でありながら一切の抵抗を感じさせない達人の如き肘鉄で、クォンはニコラを轟沈させる。
温泉の藻屑と消えかけるニコラを、それでは生ぬるいと引き揚げながら、クォンは怒り心頭で叫ぶ。
「お前ふざけんじゃないネッ!? 人が罪悪感覚えていれば、空気をぶち壊すようなことをッ!?」
「あ、あの、本来罪悪感を覚えるべきなのは、幼子を身代わり扱いしようとしているわたしだろうし、犠牲者予定のクォンちゃんには何の落ち度もないから、その空気は壊れて正解だったんじゃ……?」
「! う、うるさいネッ! 頭からお湯にざぶざぶエンドレスヨッ!?」
「人間しゃぶしゃぶッ!? クォンちゃんそれ拷問ッ! リアルに拷問ッ!? R指定ついちゃうよッ!?」
外道が素材の天誅しゃぶしゃぶパーティーを開催させようと尽力しながら、主催者クォンはゲヘナに叫ぶ。
「おい、お前からも言ってやるネッ! その腹の内をぶちまけてやるネッ!」
「うむっ! 邪竜たるこの俺を肉壁扱いとはッ! その身の程知らずさ、とってもめちゃカワだぞっ!」
「お前は相変わらずブレないネほんとにッ!?」
「そしてクォンちゃんもブレないよね!? 水辺で騒いだら危ないって習わなかった!? ホントに非常識ッ!」
「おいなに常識人面してるカッ!? 元を正せばお前のせいネッ! この非常識の塊があああッ!」
「ご、ごめんなさいいいッ! たまには優しいお姉さんっぽくしてみたかったのおおッ!?」
優しいお姉さんが幼子に「キミ、わたしの人柱だよっ♪」などと声高に叫ぶものか。
更なる折檻を加えようと、クォンはニコラへ躍りかかる。
だがその時、魔槍がクォンを射抜こうと跳んだ。
「! クォンちゃん危ないッ!」
「ほあちゃッ!?」
ニコラがクォンを抱きしめ、お湯の中へと沈み込む。
間一髪で槍の一撃を回避する二人。
突然の展開、さらに再びの素肌の感触に、クォンは一瞬で怒りを忘れる。
ドギマギする彼女を抱きかかえたまま、ニコラは水面へ浮かび上がる。
「クォンちゃん大丈夫ッ!? 怪我してないッ!?」
「う、うん……」
「そっか。よかったぁ……」
無事を知り、心の底からの安堵する姿。
気になる相手に案じてもらえて、救ってもらえて、クォンの胸の内はあったかいもので満たされる。
「ねえ、なにするの!?」
珍しく怒り心頭なニコラが、宙に浮かんだ魔槍をジト目で見た。
ニコラが庇ってくれなければ、どうなっていたことか。
熱い気持ちを覚えながら、クォンはお礼を言おうとする。
「あ、あの。本当に、感謝御礼――」
「あのままじゃわたし諸共串刺しだったよッ!? というか、クォンちゃんはわたしの人柱なんだから、こんなところでグッサリしちゃダメでしょッ!? とっておかなきゃ!」
「……」
「ホントにもうッ! そこのところさ、もうちょっとちゃんとしてくれないかなー? 魔槍ミルクトゥースさん!」
ニコラは不満たらったらの顔で呆れかえる。
「我が家に封じられていた禁じられた魔槍。お母さまの目を盗んで持ち出した、防御を無視する威力絶大チートな槍。使用者の命を狙うことが多いけど、気まぐれに助けてくれたりもする、使いどころが難しいあなた」
ニコラは大きくため息をつく。
「それは知ってるけど、今のは流石にどうかと思うよ? 隙だらけの幼女に背後からバックリ襲い掛かるなんて、外道中の外道じゃないですかやだー――」
「どの口が言うネエエェッ!?」
「ごもっともおぉッ!?」
クォンの全力のツッコミが、掌底と共にニコラの腹を殴打する。
さらに、怯んだニコラへ向けて、魔槍は神速の一撃を放つッ!
「ひいッ!?」
ニコラ、命からがらの防御ッ!
間一髪、心臓スレスレで受け止めるッ!
「ボディーがガラ空きネエエッ!」
しかし、そこへ再びチャイナ幼女ッ!
とび膝蹴りが、スレンダーなボディーへクリティカルヒットッ!
「ぐえええッ!?」
轟沈するニコラ。
しかし、魔槍から手は離さないッ!
身を穿とうとする魔槍をどうにか押しとどめながら、ニコラは冷や汗だらだらでクォンに指摘する。
「ちょ、ちょっとクォンちゃん……? 今のはちょっと、外道が過ぎるのでは……」
「お前にだけは言われたくないネッ! 上げて下げなきゃ会話ができないのカッ!? ぬか喜びさせるのがそんなにお好きカアアァッ!?」
「ご、ごめんなさいッ! お仕置きは後で必ず受けますからッ! だから今はやめてくれないッ!? ホントに命がかかってるからッ!」
「おい魔槍ッ! お前の力はそんなもんかヨッ!? 限界を自分で決めるんじゃねえヨッ!? 本気の本気、見せてみろヨッ!?」
「殺りにきていらっしゃるッ!?」
愕然とするニコラ。
使用者を害することのある魔槍ではあるが、権限自体は使用者にあるため、使用者自身を魔力で焼き尽くすことはない。
クォンの発破を受け、魔槍は仕切り直すとばかり手中からすり抜け、中空にてニコラへ狙いを定める。
「ふっ。いい構えヨ。クォンも負けてられないネ……」
「この風格、達人級ッ!? 小さな体の一体どこに、そんな力がッ!?」
「言ったはずネ……。お前のためなら、このくらいの奇跡、安いものとッ!」
「奇跡の殺戮者ッ!?」
そしてクォンと魔槍は思いを一つに、外道を誅すると躍りかかる。
「ちょ、待ッ!? ホント、やめてくれますかッ!?」
「そうネッ! 死角ヨッ! 死角に入るネッ! お前なかなかスジがいいネッ!」
「幼女と魔槍の連携が、わたしの命を脅かすッ!? ゲ、ゲヘナちゃんッ! ゲヘナちゃん助けてッ!?」
「戯れだというに、命からがらの泣き叫び……。やはりキサマはめちゃカワよっ!」
「違うのッ! 戯れじゃないのッ!? よく見てゲヘナちゃんッ! 小さなお目目から溢るる殺気をッ! 幼女にあるまじき破壊衝動をッ!」
「バーサーカーだろうが、ベルセルクだろうが、かかってくるといいネ……。今のクォン、止められるなどと思うなヨオオオオォオッ!」
「ひいいぃッ!? 誰かッ! 誰か助けててええええッ!?」
***
その後。
戯れなどではなく、これは割とマジにやばいのでは? と気付いたゲヘナの仲裁により、ニコラは辛くも生き延びた。
ニコラはクォンに土下座し、魔槍にも土下座して謝った。
クォンもやりすぎだったと謝り、魔槍もなんとなくしゅんとしている雰囲気だった。
ニコラは、魔槍を封印の施された革袋の中へ戻し、背負い直すと、「お、お花、摘みに行ってくるね……」と、温泉を跡にした。
そして現在、温泉には、ゲヘナとクォンの二人が残っていた。
「ニコラ、一人で大丈夫かヨ……?」
「なに。立て続けに死闘を二度も生き延びたのだ、心配は無用だろう」
「うっ!?」
「それにだ。周囲には、この俺の存在を知らしめる波動を発してある」
ゲヘナが視線を向ける先。
侘び寂を感じさせる露天風呂のそこかしこに設置されてある篝火が、それであるらしい。
「恐れおののき、モンスターどもも寄ってこないはずだ。さらには寒気もな」
「寒気?」
「うむ。俺には、自身が望むモノのみを焼き尽くす力があってな? あの炎らは、砂漠の寒気を焼き尽くせと設定してある」
「ああ、どおりで……」
夜の砂漠は冷え込むはずなのに、巣が不思議と寒くなかったこと。
そして、湯につかる前、体を洗っているときにも、寒さを覚えなかったこと。
合点がいって、クォンは頷いた。
「望まねば熱を発さず、日中の熱気を焼き尽くすこともできるのでな、夏季にも涼やかに過ごせるのだぞっ?」
「ああ、巣の中がムシムシしてなかったのもそのせいカ。ありがとネ?」
「うむうむっ。どういたしましてだ。この力、なかなかに重宝もするのだ。先にキサマらを拘束したのもそうだし、手っ取り早くヌルヌルを焼けつくしたのもそうだし」
「ちょっと待つネ」
「うむ?」
冷や汗を浮かべ、クォンが詰め寄る。
「ヌルヌルって、もしかしてあれか? ニコラがお前の唾液まみれになったとき。気付いたらキレイになってたけど……」
「うむっ! 風呂に入れたり洗濯してやっても良かっただが、あれのが手っ取り早くてな? 気絶している間や気を抜いた瞬間に、目を疑う間もなく刹那でこんがりジューシーよ!」
「……それ、ニコラには秘密ヨ?」
「ふははっ! 分かっているっ! あやつの事だ、業火に包まれたと知り、めちゃカワを通り越して息絶えるやもしれないしな!」
青ざめるクォンを尻目にゲヘナは楽しそうに笑う。
「それにしても、近頃は本当に心が弾む! キサマらが家族となってくれて、俺は本当に嬉しいぞっ?」
「……!」
思わぬ言葉に、クォンは目を丸くする。
その様子を不思議に思ったのか、ゲヘナが声をかけてくる。
「なんだ? えらく不思議そうな顔だな?」
「いやその。ニコラはそうなんだろうけど。クォンもなのカ?」
誤解の結果ではあるが、ゲヘナはニコラの事を恋人かなにかだと思っている。
だが、クォンはただニコラに付き従っているだけ。なんの誤解も生じていないから、せいぜい、いいところで友達止まりだと思っていたのだが。
不思議がるクォンに、ゲヘナはその不思議さこそ不思議だと小首を傾げた。
「当たり前だろう? 同じニコラの妻ではないか?」
「……」
「うむ? どうした?」
「……きゅう」
「お、おい!?」
突如顔を真っ赤にし、湯船に沈みそうになるクォンを、ゲヘナは慌てて抱きかかえる。
「大丈夫か!? ああ、もしや長湯は苦手だったか!? 許せ、付き合わせてしまったな!?」
「ち、違うネ。そうじゃなくて。突然のパワーワードに、血沸き肉躍って……」
「う、うむ?」
礼を言ってゲヘナの腕から離れた後、クォンは説明する。
「あのネ? 言っておくけど、クォンとニコラは、なんにもないからネ?」
「なんにも?」
「ほあちゃ。つまりその、こ、恋人とか! ふ、ふ、ふーふとか!? そういうのじゃ一切ないネ!」
「そうなのか?」
意外そうな顔をするゲヘナへ、現状の関係に胸を痛めながらも、クォンは断じる。
「そうネ。一切ヨ」
「そうか。そういえば先に言っていたな。とんでもないことをしたいと。つまりは未だ達していないと――」
ハッとした顔になり、ゲヘナが突如頭を下げる。
「ゆ、許せッ! 今のは口をついて出ただけで、悪意は一切なくッ! いや、悪意のあるなしは問題でない場合もあるが!? ああもう、とにかく許すがいいッ!?」
「だ、大丈夫ネ。クォン、怒ってないヨ?」
「ほ、本当か?」
「う、うん。だから安心するヨ?」
「良かったあ……」
ほっと胸を撫でおろすゲヘナ。
あの時の自分は、傲慢な邪竜をなっさけない騎士のように変貌させるほどの怒りようだったのか。クォンはショックを受け、反省した。
「それにしても。どうしてそんな思い違いを?」
「違いもなにも。キサマ、ニコラに恋慕しているだろう?」
「ほあちゃっ!?」
ダイレクトに言われ、クォンは素っ頓狂な声をあげる。
「そ、そそそんなわけないネ!? あんな外道騎士崩れ、誰が好き好んでやるものかヨ!? あんなヤツの遺伝子なんて、末永く続かせてなるものカ!? 誰が身を捧げたいなどと思うものカ!?」
「言葉とは裏腹、だんだんと口元が緩んで来ているのは気のせいか?」
「!? そ、そんなわけ……」
「というか、あの顔になってはいまいか? なんだったか? 確か、めすのか――」
「そこまで緩んでないネッ!」
赤面したまま叫ぶクォン。
そこでゲヘナの表情に気付く。
「ふははっ!」
「た、謀ったのカッ!?」
悪戯っぽい笑みに、クォンは騙されたことに気付く。
(ま、マズいネッ! コイツには、コイツにだけは、この思いを知られること、避けなければならなかったのに……!?)
ゲヘナはニコラに惚れている。
その実態はヤンデレのはず。
このままでは湯けむり血桜殺人事件が!?
「お、お願いネッ! クォンはッ! クォンはどうなってもいいネッ! 何をしても、させてもいいネッ! だけど、だけどニコラはッ! この先なにがあったとしても、ニコラのことだけは……!」
「? 泣いて縋る道理が、一体どこにある?」
「え?」
決死の懇願をするクォンに対し、ゲヘナは涼しい顔で疑問を浮かべた。
それが信じられなくて、クォンは心証を吐露する。
「だ、だって、お前はニコラのことが好きで。でも、実態はヤンデレで。思いの邪魔する障害は、有無を言わさず正義も悪も討ち滅ぼすトンデモで。場合によっては愛する者すら……」
「な、なんだその化け物は……。確かに俺は邪竜だし、他者に非難されようが思いを貫くが、そこまで外道では……」
ドン引きした後、ゲヘナはふんわりと笑う。
「まあ、外道は好きだがな? ニコラとか、ニコラとかっ、ニコラとかっ♪」
「あ、あれ? でも……え?」
思わぬ反応に、クォンは頭を抱える。
ゲヘナの言葉は嘘だと思えない。
というか、共に過ごしてみて、そうではないという実感を抱いていた。
だが、そう思ってはいけないと――彼女だけは容認してはならないと、自身の奥底が拒絶していたのだ。
そもそも、一体どうしてゲヘナのことをヤンデレだなんて思ったのだったろうか?
悪だなんて思ったのだろうか?
いや、分かっている。
そもそもは、ニコラが誤解を生じさせた後、ゲヘナが意味深なセリフを吐いたからだ。
だが、今考えてみれば、あれはただの邪竜っぽい悪辣風ゼリフだっただけで、特に意味はなかったのではないのだろうか?
なんだかそう思えてくる。
だがしかし、そうだとして。
どうしてゲヘナは、邪竜として封印されていた?
しっちゃかめっちゃかになるクォン。
混線する疑問と思考に、もうぐるんぐるんだ。
「そんな難しい顔をするな。俺はニコラが大好きで、お前のことも気に入っている。たとえ妻ではないだとて、家族の一人だと思っているのだ」
「そ、そうなのカ?」
「そうだとも。同じく決死を抱いた者を、誰が排そうなどと思おうか?」
「え?」
クォンが違和感を覚える中で、ゲヘナはしみじみと語る。
「こんな俺に家族ができるなどと、思いもよらなかったが。この幸せを、夢見心地を、ずっとずっと忘れぬよう、強く噛み締めているのだ……」
そう語る彼女の表情は、嬉しそうで。
そして、なぜか儚げだった。
どうしてそんな顔をしているのだろう。
疑問を覚えるクォンだったが、彼女はとある言葉に感じ入ってしまう。
「家族、カ……」
あったかいその言葉。
その一員となれたことが、なぜだかむず痒い。
「ところでっ!」
「ほあちゃっ!?」
急に表情を変え、パチンと手を合わせるゲヘナに、クォンはビクッとしてしまった。
「俺には気になることがあるっ!」
「な、なんネ!?」
「お前とニコラの馴れ初めだッ!」
「ほあちゃッ!?」
ゲヘナは容姿に順ずる子供の瞳を輝かせ、クォンに近寄る。
「お前だけ俺のを知っているっ! そういうのはなんだかズルいっ! 家族たるもの隠し事はいけないっ!」
「か、家族だって、隠し事はあるものヨッ!? ほら、お兄ちゃんのベッドの下とか、昼下がりの奥さんのほにゃららとか!?」
「うむ?」
「というか馴れ初めってなんネッ!? さっきも言ったけど、クォンはニコラのそういうのじゃ!?」
「そんなの分からぬだろう!? ニコラが応えるならッ! 相手がお前ならッ! 俺は重婚だって構わぬぞッ!?」
「そ、そうなのカ……?」
言質を取り、クォンは嬉しさが花開きそうになる。
もちろん、本当はただ一人だけで独占したいが、この子となら、別に……。
「うむっ! まあ、アヤツの一番は譲らぬがなっ!」
「! クォ、クォンだって負けないネッ!」
思わず力説するクォンを見て、ゲヘナは楽しそうに笑う。
「ふふっ。やはり、馴れ初めとする気はあるのではないか?」
「あ!? お前またそういうことを!? また謀るようなことを!?」
「ふははっ! ともかく、言って聞かせるがいいっ! 俺は興味津々だぞっ!」
「そ、そんなこと言われたって、クォンは絶対屈さないネッ!」
「おう? これがキサマらがよく言っていた、『くっころ』シチュというやつか?」
意味も分からずつぶやいた後、ゲヘナは悪辣に笑う。
「ふははっ! いいだろう! どこまでその虚勢が続くか、見ものだな?」
「!? な、ななナニするつもりネ!? そ、そんな、にたにた笑って!?」
「蹂躙するのだ。この俺に従わぬ愚か者の心を、折り砕くまでなッ!?」
「ほ、ほあちゃ!? や、やややめるネ!? クォ、クォンは! 初めてはニコラに、やさしくふかふかにされたいって、ベッドで!?」
真っ赤になりながら混乱し、言葉遣いが怪しくなるクォン。
彼女へにじり寄り、そして、邪竜は。
「ふえぇ……」
泣き始めた。
「……は?」
唖然とするクォンの前で、号泣し始めたのだ。
大粒の涙を流してべそをかき、手の甲で目元を拭い、めそめそと。
見た目通りの幼い女の子の仕草にて、えんえんと。
「えっぐ……。ひどいよぉ……! くぉんちゃんひどいよぉ! しんゆーだと、おもってたのに……!」
「!」
「わたしはぜんぶみせたのに! おしげもなく、あますことなく……!」
「!?」
一体何が起きているのか分からない。
どうしていきなり泣き出すのかとか、どうして知能指数が低下しているのかとか。
いや、分かっている。
これはゲヘナの作戦。ニコラとクォンの出会いについて聞き出すためのトリックだ。
しかし、
「くぉんちゃんだから……! くぉんちゃんだけは、とくべつだからっ! だから、はずかしかったけど、ぜーんぶ、おっぴろげて……!」
そう分かっていたとしても、自身に過失がないと分かっていたとしても。
こんなふうに、自身を親友と語る幼女が、目の前でわんわん泣きわめいているこの状況。
常人に耐えることなど、できようがないッ!
「ひどい……。ひどいよぉ……! こんなの……こんなのぜったい、ユルサナ――」
「わ、分かったネ! 話す! 話すヨ! だから泣き止むネ!?」
心を蹂躙され、罪悪感で一杯になったクォンは思惑通りと分かっていても折れてしまう。
観念し、わたわたとするクォンの言葉に、ゲヘナは演技を続けながら返答する。
「ほ、ほんとぉ……?」
「ほ、本当ネッ! だ、だから、もうそれは止めるネッ!? これ以上は、心が死ぬッ!?」
上目遣いの涙目ゲヘナに、クォンはもう、どうにかなってしまいそうだった。
心の中でニコラに謝罪しかけていると、ゲヘナはいつもの調子に戻る。
「ふははっ! 言質はとったぞ!」
「と、とんでもないネ……。さすがは邪竜ヨ……」
「俺だって、やられているだけでは終わらぬということだっ!」
ぐったりするクォンの様子に嬉しそうに笑うゲヘナ。
「さあそれでは語るがいいっ! 甘々なラブストーリーを! メロリンズッキュンな恋の始まりをっ! はーやくっ♪ はいっ! はーやくっ♪」
「ああもう、音頭をとるな音頭を!?」
テンション爆上げな邪竜を一喝してから、クォンは口を開く。
「……初めに断っておくけど、同情はいらないヨ? クォンは今、とっても幸せだから」
「? それはどういう意味だ?」
「クォンには、ニコラと出会うまでの記憶がないネ」
***
そして、闇夜は運んでくる。
「……やっと見つけたこの気配。絶対、逃がしてなるものか……ッ!」
絶対的な、夜の王を。




