触手!? 粘液!? 女騎士大ピンチいいいいいいいッ!?
ニコラが直前の記憶と引き換えに、膝枕にトラウマを抱えることとなった日。
その昼下がり。
秘境の奥地。
周囲を砂漠で覆われた、広大なオアシスの森の中に、邪竜ゲヘナの姿があった。
邪竜でありながら、ニコラたちへ無邪気さ全開の姿を見せ、惑わせる彼女。
しかして現在、紫色なシースルーのサリーに包まれた幼顔には似つかわしくない、いいや、これでこそ邪竜というような、邪悪な笑みが浮かんでいた。
「どのような気分だ? 身動きならず、助けも呼べず、贄となることしかできぬ境遇というものは……?」
視線の先の者どもへ、ゲヘナは傲岸不遜な物言いで投げかける。
しかし、愚かにも彼らは返事をよこさない。
成す術のない彼らなりの、せめてもの反逆だとでも言うのだろうか。
しかし、ゲヘナは激昂することもなく、涼しげな顔でそれらの心中を推察する。
「悔しいだろう? 歯がゆいだろう? 捕食者を前に、ただ死を待つことしかできぬのだ。怨嗟に沈むのも無理からぬことよ。もっとも、仮に刃を向けることができたとて、キサマら如きが敵うとも思えぬがな?」
この世とは所詮弱肉強食。
強き者が弱き者を蹂躙する、残酷な世界だ。
「さて。では、キサマの命から奪うとしようか?」
見定めた一つへと近づきながら、ゲヘナは悠々と片腕を伸ばす。
「一瞬後に追わるその命、すべてを込めてこの俺を存分に呪え、恨め。それは強者が背負うべき業。故に、俺は真っ向から受け止める」
そして、それを背伸びして、むんずとつかみ、
「では、さよならだ」
一思いに、くびり殺した。
「……」
滴る体液で塗れた手は、命を刈り取った罪の証。
掌中にあるのは、その瞬間まで、確かに生きていた、命の重み。
それを確かに受け止め、感ずるものを覚えつつも、ゲヘナは決して振り返らない。
それは、散らせた者への何よりの侮辱。尊厳を踏みにじる行為。
だから彼女は堂々と、凛然と、罪の道を歩み続けるのだ。
そうして手にした新たな証左を、ゲヘナは天へとかざす。
「……うむ。見事なものだ……!」
それは――瑞々しい木の実であった。
「いや意味が分からないヨッ!?」
「うむ?」
突如響く盛大なツッコみ。
ゲヘナが振り返る先には、目をまん丸にした真紅のチャイナドレス幼女、クォンがいた。
「前触れのない、全身全霊を賭すが如き大音声。一体どうしたのだ?」
「やっかましいネ! 前触れの塊がなにほざくヨ!?」
「? ほざくもなにも、俺はただ食材調達をしていただけだが? 巣を発つ前に説明しただろう?」
吠え立てるクォンの様子に首を傾げながら、ゲヘナは反論した。
昨晩、祝いの宴にて、ゲヘナは嬉しさに任せて馳走をこしらえ続けた。
結果、巣に貯蔵してあった食材をほとんど使い果たしてしまったのだ。
そのため昼食後、調達へ向かおうとするゲヘナだったのだが、自分たちのせいでもあるからと同行を望んだクォンとニコラを伴い、食材豊富なオアシスへ至っているというわけであった。
だが、争点はそこではない。
クォンは火の勢いを弱めることなく続ける。
「そうヨ! 説明は受けたネ! 受けたけど! こんな感じなのはなんなのヨ!?」
「糧となる者らへの弔いだ。人間どもも、『いただきます』と手を合わせるだろう?」
ゲヘナは神妙な様子で続ける。
「もっとも、生前に行動で示してやるほうが、なによりの供養になると俺は思うが。世を移した者らへ、ただの人間の言葉が届くかどうかなど、定かではないのだ。希望に縋るのは悪くはないと思うがな……?」
「弔いはいいと思うけど、一個一個採集のたびにその長ったらしい言い回し! 日が暮れるヨ!?」
「これが俺の流儀よッ! 何人でさえ矯正はさせぬッ!」
「うん、分かってたけどネッ!?」
ツッコむクォンを落胆させた後、ゲヘナは小首を傾げる。
「しかし、それほど不満か……? かつて邂逅した者は、この口上に心打たれたと、落涙さえしていたぞ?」
封じられる以前に出会った彼女は、
「迷惑でなかったら、その口調、言い回し、真似してもいいー!? とってもかっこよかったからー!」
と、瞳をキラキラ輝かし、「完コピするぞー!」 と、燃えていた。
「しばし付き従い、片っ端から真似をして。俺の元を去るころには自分流のアレンジだと、ケガもしていないのに包帯で片腕をグルグル巻きにしたり、熱帯夜だというのに漆黒のロングコートを纏ったり、さらに小難しい言葉を好むようになったりな?」
正直ゲヘナには理解が及ばぬところに行ってしまっていたが、とても嬉しそうなのが伝わってきて、こちらも嬉しくなった。だからこそなにも言及することなく、させるがままとして、元気いっぱいに見送ってあげたのだった。
「そ、それはその、なんというか……狂気の所業ネ……」
「う、うん。間違いなく黒歴史化決定だよね……」
クォンが戦慄を覚え、その隣では漆黒のヘタレ騎士、ニコラが口元を引きつらせる。
と、ニコラは突然真っ青になり、ゲヘナに向き直った。
「ご、ごめんなさい! その、今のはゲヘナちゃんを糾弾したワケじゃないんだよ!? その人、ゲヘナちゃんとは完全にジャンル違いになってるし! 振り返れば悶え死に確定のこっ恥ずかしさだし! とにかく悪意は一切なくて!? だから、えっと……ああもう! お願いだから食べないでええッ!?」
背で二つ縛りにした黒髪を振り乱しながら、ニコラは躊躇なく土下座した。
言葉尻の懇願から察するに、ゲヘナにパックンされたのが余程トラウマになっているらしい。
ここへ至る際にも、ゲヘナは落下リスク回避のため、暴れそうなニコラは口に含んで運ぼうとした。
しかしニコラは、それだけは絶対にイヤ、暴れないし落ちないから、クォンちゃんと一緒に背中に乗せてと、号泣しながら懇願してきたのだ。
その愛らしさに萌え殺され、仕方なく聞き届けてやったのだが、案の定というべきか、期待通りというべきか、天高く駆け、風を鳴らして神速となるゲヘナの背にて、ニコラはパニックに陥り、暴れ回り、クォンの制止も受け付けず、見事に落下した。
その無様さにときめき、三度感情のままにお口でキャッチするゲヘナの口腔内で、パニック極まり気を失うニコラを、そのまま、ここまで運搬したという流れだった。
結果、直近にそんなことがあったせいか、現在ニコラの命乞いは全力を超えた無様さである。
その奇跡の小物っぽさに、ゲヘナはときめきを抑えきれない。
「ああもうっ! 相も変わらずめちゃカワすぎるっ!」
「ひいっ!?」
堪えられなくなったゲヘナが思いのままに飛びつけば、それが予想外だったのかニコラはビクッと震えた。
その反応にさらに心を弾ませながら、ゲヘナは抱きついたまま安心を与える。
「安堵せよっ。キサマにこの俺を扱き下ろす胆力など……いいやっ! そもそも毛ほども持ち合わせていないこと、理解しているからなっ?」
途端、神の啓示に感涙する修道女のように、ニコラは感極まったと口元を押さえた。
「ああ……ッ! さすがゲヘナちゃんっ! そうだよ! わたし、臆病さには自信があるもの! だからゲヘナちゃんこそ安堵して!?」
「ほんと、トンデモな騎士もいたものよネェ……」
無様が過ぎる宣言をしながら抱きつき返す姿に、クォンは嫉妬を覚えるよりもなによりも呆れかえった。
だが、ゲヘナだけはときめきを覚え続ける。
「うむっ! そんなキサマはめちゃカワよっ!」
ゲヘナは瞳を輝かせ、抱きつくニコラの頬へほおずりした。
「ちょ、ちょっとゲヘナちゃん!?」
「遠慮は許さぬっ。逃走も許さぬっ。されるがままに、なすがままに、溢れんばかりの愛しさを受け止め続けるがいいっ。すりすりっ♪」
照れるニコラへ、ゲヘナは見た目通りの幼子のように甘え続けた。
だがその行為は、クォンの呆れを動揺へと変遷させる。
「ちょ、ちょっと待つネ!? それは触れ合いが過ぎるのヨッ!?」
「抗議も許さぬっ。断固許さぬっ。この俺を止めることができるのは、この俺だけだと知るがいいっ♪」
真っ赤な顔で引き剥がしにかかるクォンだが、甘えモード・カンスト邪竜はとても手強く、梃子でも動かない。
気が気じゃなくなったクォンは、ゲヘナを引っ張りながら、思わず叫ぶ。
「ふっざけんじゃないネッ!? 離れろッ! 離れるネッ! そーいうことは、こ、恋人とか、ふ、ふーふとか!? そーいう関係じゃないとやっちゃダメネ!?」
「……うむ?」
「……ハッ!?」
慌てて口を押えるクォンだが、時すでに遅し。
放った言葉は消去できない。
ゲヘナは不思議そうな顔をする。
「一体なにを言っている? 俺は既にニコラとそういった関係で……」
「え、ええ!? ゲ、ゲヘナちゃんこそなに言って!? あなたとわたしは、所有者と所有ぶ――」
「ほあっちゃああああッ!?」
「――ぶっ飛ばされるのここでなんでえええッ!?」
浮かんだ疑問符を理不尽な暴力に対するものへと昇華させたニコラが、吹き飛ばされ、大木へ激突する。
「り、理不尽な暴力が、まかり通る世の中……ぐふっ」
「ニ、ニコラああああッ!?」
木の幹で全身を強打し、沈黙するニコラに、悲鳴をあげるゲヘナ。
加害者のチャイナ幼女は、冷や汗たらたらで、目撃者たる邪竜に釈明する。
「む、虫ヨッ! 虫がいたネッ!」
「いやいやッ!? だとてこれはやりすぎなのではッ!? 武闘家もかくやというほどの一撃だったぞッ!? グーだぞ!? グーでいったぞ!?」
「クォ、クォンは常に全力全開ッ! 一寸の虫を狩るのにも、死力を尽くす熱血さんヨッ!」
「結果、虫は虫でも虫の息だがなッ!?」
青い顔でニコラの元へ駆けだすゲヘナを見送り、ほ、ほあちゃーっと、クォンはそれっぽいポーズをキメた。
クォンが拳を奮ったのには、もちろん訳がある。
それは、惨劇を回避するためだ。
要点だけを説明すると、ニコラの誤解甚だしい言葉によって、ゲヘナは告白されたと勘違いし、完全に心を奪われている。
しかしニコラは、目的を果たすためにゲヘナを所有したいと告白したのであって、彼女がそれに応えてくれたと思っている。
両者誤解する中、ゲヘナは思いを違えたなら、ニコラの命は露と果てるだけと語ったのだ。
そんな中、ただ一人だけ誤解に気付いていたクォンは、名案を思い付くまで現状を維持し、血みどろ展開を避けようと頑張っていたのだ。
……が、口を滑らせ、このザマ。
血みどろではないにしろ、暴力展開である。
「ああうう……。今朝に引き続き、ホントにゴメンヨ?」
不手際を詫びるクォン。
視線の先では、ぐったりしたニコラをゲヘナが介抱していた。
「おいニコラ!? 大丈夫か!? 大丈夫なのか!?」
「……はれれー? 大きな川の向こう、お花畑でお祖母ちゃんが日向ぼっこしてるよー? 平和そうで素敵ー」
「お、大きな川、だと……? も、もしやそれは……」
「……あれ、でもお祖母ちゃん亡くなってたような? ……まあいっか! わたしの平穏は、なにを置いても優先されるー♪ 待っててねお祖母ちゃん? 可愛い孫が今いくよー?」
「やはりか!? ダメだぞニコラッ!? それはホントにダメなのだぞッ!? 後家とするには、いささかばかり早急だぞ!? なによりこんな別離の仕方、誰が認めてやるものかあああッ!?」
不穏な言葉に焦りが増した様子のゲヘナは、ニコラの肩を必死に揺さぶっていた。
だが、彼女は突如手を止め、思案する。
「……いや、しかし待て。渡り切った後に気付き、慌てふためく無様な様は、きっとめちゃカワ……。うむっ、それはそれで……!」
良からぬ欲望を抱いたゲヘナは、介抱一転、嬉しそうな様子で声援を送り始める。
「頑張れ頑張れニコラっ♪ ふれっ、ふれっニコラっ♪ わあああっ♪」
「うふふ、お祖母ちゃんどうして帰れって泣き叫ぶのー? ほら、誰かが可愛く応援してくれてるのに、独り占めはダメだよー?」
「ああもうどいつもこいつもクォンもだけど!? 馬鹿のバーゲンセールかヨ!? ふっざけんじゃねえぞゴラアアアアッ!?」
うっとり顔のバカ二人に、クォンは激昂しながら駆け出すのだった。
***
「ふう……。結構たくさん集まったネー」
クォンは額に浮かんだ汗をぬぐった。
時刻は夕暮れ時。
ひと悶着ありはしたが、たくさんの森の幸を集めることが出来た。
背負った籠は、とりどりの瑞々しさで一杯だ。
充足感を覚える彼女を、同じく籠を満たしたゲヘナが称賛する。
「ほほうっ! この俺を上回っているか? やるではないかっ!」
「実りと運のお陰ネ。というか、毎回長ったらしい口上述べてたのに、どうしてお前はそれだけ集めることができたのカ?」
「実りと実力の結果だ! さておき、この俺を上回った褒美だ。頭を撫でてやろうっ」
「ほあちゃっ!? や、やめるヨっ!?」
「うろたえるなうろたえるなっ! ふははっ!」
照れるクォンに構わず頭を撫でた後、ゲヘナはふむと頷いた。
「それにしてもあれだな、クォンよ。キサマは本当にとてつもないな」
「ほあちゃ?」
「怨念、怨嗟にまみれながらも、一切躊躇せぬとは」
「…………ほあちゃ?」
物騒な言葉に固まるクォンに、ゲヘナは真剣な顔で語る。
「弔われることなく、ただただ無慈悲にむしり取られた植物たち。その無念が、小さな肩へわんさかわんさかのしかかってるというに、びくともせぬとは。もっとも、邪竜たる俺と共にいるのだ、今さらではあるが……」
「ちょ、ちょっと待つネ!? アレか!? 邪竜だからこそ、声なき者の怨嗟が聞こえるとか、そういうスキルが――」
「クォンちゃん! ゲヘナちゃん! 見てみて!」
なんだか急に肩が重たくなった気がするクォンの前に、喜色満面なニコラが近くの茂みから現れた。
「すごいでしょ!? すっごく大きいよコレ!?」
彼女は両腕に抱えたものを嬉しそうに見せつける。
「ほら、おっきなまんまるキノコ!」
その手には、拳大を優に超える大きさの、ふかふかした丸いキノコらしきものが、いくつも抱えられていた。
「すっごくいい匂いがするんだよ!? まだ焼いていないのにとっても香ばしくて! これきっとおいしいよ!?」
「!? い、いや、ニコラよ! それは……!」
「どうしたのゲヘナちゃん? あ! もしかしてこれ、すっごく珍しかったりするの!?」
ニコラはくすぐったそうに微笑んだ。
「ふっふっふっ! ゲヘナちゃんさえ動揺させるほどの大手柄! ヘタレなわたし、珍しく大手柄ッ!」
「ううん、大失態ヨ?」
「え? どうして?」
「だってそれ、モザイクものヨ?」
「ふへ?」
思わぬ言葉に首を傾げるニコラ。
対してクォンは、顔を引きつらせ、視線をそらし、指し示す。
不思議に思いつつ、ニコラは指差された先――手にしていたキノコらしきものに目を向ける。
すると……
「ギュギュギュギュ?」
粘液まみれのウネウネしたナニカが、中から幾十も這い出ていた。
「うっぎゃあああああああッ!?」
絶叫し放り出すニコラへ、クォンが説明する。
「それは、触手型モンスター、ローパーの卵ヨ。食欲そそるかぐわしい香りで捕食者を誘い、胃袋の中で外敵から守られ、孵化するネ……」
「そうして粘液に守られたソヤツらは、胃酸で溶かされることなく、排泄されて世に生まれ落ちるのだ。どうやら人肌で温められたことで、勘違いにて孵化したのではないかと推察できるな」
説明の後、ゲヘナはあごに手を当てる。
「うむ。しかし、どうして――」
そこでゲヘナの肩がちょんちょんとつつかれる。
「うむ?」
「無駄ヨ。もう聞いてないネ」
「触手!? 粘液!? 女騎士大ピンチいいいいいいいッ!?」
鳥肌を立てるクォンが指し示す先では、ニコラが絶叫しながら、森深くへと消えていくところだった。
「まあ、気持ちは分からんでもないけどネ……。気色悪いし……」
「ギュギュギュー♪」
生まれ落ちることのできた喜びに、はしゃぎ蠢くローパーの赤ちゃんたちを、クォンは引きつった顔で眺める。
「ともかく追うぞ! 既に姿が見えなくなった!」
「わ、分かってるネ!」
そしてゲヘナとクォンは駆け出そうとする。
が、ゲヘナは直前で足を止めた。
「どうしたヨ?」
疑問を覚えるクォンの前で、ゲヘナはローパーたちの元へ行き、屈みこむ。
「ギュギュギュ?」
同じく不思議そうな様子のローパーたち。
ゲヘナは目を逸らすことなくしかと見つめ、微笑みを浮かべる。
「生誕に祝福を。よくぞこの世に生まれ落ちた」
「ギュギュギュ!」
「しかして、この世は残酷でままならぬ。連鎖の下層で生まれしキサマらにとっては、より一層だろう」
「ギュギュギュ……」
「だとしても、決して嘆くなッ! 呻くなッ! 諦めるなッ! 泥に塗れても、膝をついても、心が光を求めれば、きっと幸せは掴み取れるッ! この俺にだってできたのだからッ!」
「ギュギュギュ……!」
「だからな? 決して諦めず、生を謳歌するがいいッ!」
「ギュギュギュー♪」
「ふははっ! 良い返事だっ! キサマら、なかなか見込みがあるぞっ?」
喜んだ様子を見せるローパーたちを、ゲヘナは一本一本撫でてあげた。
「お、お前は、一体……」
感動するべきなのか、ドン引きするべきなのか。
それともその言動からなにか感じ取るべきなのか。
感情の整理がつかず、戸惑うクォン。
「では、壮健でなっ!」
「ギュッギュギュギュー♪」
その視線の先では、手を振るゲヘナに対し、ローパーたちがスタンディングオベーションが如く、精一杯身を起こし、粘液をまき散らしながらミョンミョン揺れていた。
そして、あまりに振り乱すため、粘液の一滴が、クォンのほっぺたに付着した。
「……!」
それを拭い取り、無表情で見つめるクォン。
「待たせたな。む? どうしたか?」
「……うん。クォンも、ニコラみたいに逃げてたら良かったネって思ったヨ?」
「うむ?」
「……きゅう」
「ど、どうした!?」
気が遠くなり、倒れかけるクォンを、ゲヘナが思わず支えようとする。
「! 待つネ!」
「お、おう!?」
と、クォンは突如目を見開き、しかと地面を踏みしめた。
「介抱するなら、先にその手を洗ってからにしてほしいネ! ほら、さっき近くに沢があったネ!」
「わ、わかったぞ!」
「では、よろしくヨ? ……きゅう」
「お、おい!?」
そうして今度こそ、クォンは意識を失ったのだった。
***
キラリ輝いていた太陽に、背を押された満月が、夜を優しく照らし出す。
日没後の森の中で、クォンは大きく肩を落とした。
「ああもう。一体、どこをほっつき歩いてやがるのカ……」
逃走したニコラを捜してずいぶん経つというのに、影すら掴むことができない。
数分間意識を失いはしたが、その後、全力で捜し回ったというのに、だ。
「さすがは臆病に胸を張るだけはあるっ! なんという逃げ足よっ!」
「喜んでる場合じゃないネ! もっと緊張感持つがいいヨ!」
苛立つクォンに対し、ゲヘナはどこ吹く風。
いつもどおりな様子で言う。
「まあそうカリカリするな。心配は無用……とまでは言えないが。この俺を唸らせるほどの逃げ足なのだ。苛立ち、手掛かりを見落とすことの方が愚かだろうよ」
「それは、そうだけど……」
「……にしても、アレだな」
「! なにか気付いたカ!?」
神妙な物言いに、クォンは即座に反応する。
「アヤツは本当にめちゃカワだなっ!?」
「……あー」
だがゲヘナは、頬に手を当て、身をくねらせた。
期待外れと肩空かしをくらったクォンが呆れるのも構わず、ゲヘナは陶然とする。
「得物を持ちながらも一切抜き放たず、命乞いに全力を注ぐ姿! それが騎士で着飾っていると来た! まさしく奇跡の体現ではないか!? ほんとにもお、どうしてあのような仕上がりに……。あのヘタレ……可愛いすぎッ!」
「あーはいはい。ノロケたけりゃあアイツを見つけて、存分にしあうがいいネ」
「そうして、真っ赤な顔したお前が、躍起になって飛び掛かってくるわけだ?」
「ほあちゃっ!?」
含み笑うゲヘナの言葉に、クォンは真っ赤になって抗議する。
「だ、誰が躍起になんてなってるカ!? 人様の、こ、恋人に手ぇ出すほど、クォンは淫乱じゃないネ!?」
「インラン? よく分からぬが、遠慮は無用だぞ? この俺は逃げも隠れもせぬ! 真正面からぶつかってくるがいい! キサマならば大歓迎だぞっ?」
一切の思惑が感じ取れない、堂々たる宣言。
クォンは思わず目を逸らす。
「……ふんっ。ヤンデレの癖して、よく言うネ」
「む?」
「なんでもないネ! ほら、さっさとニコラを捜すヨ!?」
ぶっきらぼうに言って、クォンは捜索へと戻った。
「……ふふっ。それでこそお前らしい」
「何か言ったネ!?」
「なんでもないぞっ? さあ、草の根かき分けてでも、ヘタレ騎士様を見つけてやるとしようではないかっ!」
***
そうして、夜の森の中を、クォンたちは探し回った。
しかし、努力の甲斐なく、ニコラは一向に見つからない。
「ああもう! どこネ!? あのクズ女、一体どこへ雲隠れしやがったカ!?」
「その形相でそのセリフ。幼子だというのを差し引いても、借金取りにしか思えぬなっ」
「やっかましいネ! 悪態もつきたくなるってものヨ!」
軽口を叩くゲヘナをたしなめ、クォンは転がっていた小石を蹴り上げる。
「路傍の石を蹴り上げるか。そうなりたいと望む者を捜しているというに、縁起が悪いぞ?」
「邪竜に縁起なんて語ってもらいたくないネっ!」
「うむっ。それはまったくだなっ」
「……ッ!」
涼しげな様子で応じるゲヘナの様に、クォンは思わず唇を噛んだ。
クォンはニコラのように鈍くはない。
ゲヘナが軽口で自身の気分転換を図ろうとしてくれていることに気付かないわけではなかった。
先にそうされていたことにも後で気付き、内心、彼女には感謝していた。
だが、どうしても今は冷静になれなかった。
ニコラのことが心配で、どうしようもなくなっていたのだ。
だからこそ、冷静なゲヘナのことが、鼻につく。
たとえそれが、不安を押し隠した、偽りの表情であったとしても。
「さて、それにしてもどうするか……。これだけ捜し回っていなかったのだとすると。並大抵の探し方では――」
「……そうネ。並大抵なんかじゃないネ」
「うむ? なにがだ?」
抑えようのない不安から、ダメだと分かっていつつ、クォンは噛みつくように叫ぶ。
「並大抵なんかじゃ収まらないッ! この秘境、夜になったらトンデモな魔物どもが出没するネッ! このままじゃ、ニコラが……!」
「トンデモだと? 一体、どの輩を示している?」
その言葉に、ゲヘナの顔に初めて明確な焦りが浮かんだ。
それが腹立たしくて――焦りを押し隠していた彼女を尻目に、自身だけが取り乱しているのが腹立たしくて――クォンは涙交じりに叫びをあげる。
「『アダマンタイト・ジャイアント』ネッ!」
「なッ!?」
予想外の言葉に、邪竜たるゲヘナが、目を丸くした。
アダマンタイト・ジャイアント。
それは、体全体がアダマンタイトで形成された人型モンスターのことである。
ジャイアントの名が示す通り、ドラゴンであるゲヘナほどとはいかないまでも、巨体をしており、その重量もあって歩くだけで木々を揺らすほどである。
日中は地中に潜ったり、洞窟の中に隠れたりしてじっと過ごしており、夜になると獲物を求め、活動を開始する。
最上級な防具の材料としてよく知られる希少石、アダマンタイトで形成されているため、素材目当ての冒険者たちに狙われることも多いが、よほどの防御力をもった者でないと、繰り出される拳の一撃で、即戦闘不能になるほどの怪力を持っている。
その上、高い防御力により、物理攻撃はほぼ無効化され、魔法を扱えないものが相対してしまえば勝ち目など無いに等しいのだ。
その名を口にし、感情に歯止めが効かなくなったクォンは、涙を流して不安を叫ぶ。
「ニコラは騎士! 騎士は物理攻撃、物理防御ともに高いけど、聖騎士にクラスチェンジでもしなければ、魔法攻撃はからっきしといっていいクラスヨ!? そんなアイツが出遭ってしまえバッ!?」
「チィッ! そのようなモノが!? 事前に知ってさえいれば夕暮れ時まで採集は……!」
先にローパーが出現した際、覚えていた違和感。
その真実に今さら思い当たったことに、ゲヘナは悔しさを滲ませる。
「許せとは言わんッ! どうやら封印されている間に、生態系が変化していたらしいッ!」
責任を感じる彼女の姿に、クォンは罪悪感で一杯になる。
「や、やめるネッ! お前に非があるわけじゃないヨッ!? ……悪いのは、クォンネ。クォンが、油断してたから……」
罪の意識に、己のふがいなさに、消え入りたくなるクォン。
だが、それは許されない。
「ッ!?」
小さくて、だけど、大きな手が、立ち上がれと手をとったから。
「そうッ! 後で悔いたくなくば、行動だッ!」
宣言と同時、ゲヘナの全身は光に包まれ、木々をなぎ倒しながら、巨大な邪竜へと変貌する。
その姿、毒々しい暴虐の化身でしかないというのに、クォンには絶望を吹き飛ばす希望の顕現にしか見えなかった。
思わず見惚れるクォンに気付かず、ゲヘナは思案する。
「これだけ捜していないのなら、既に森の外に出ている可能性もある。もっとも、空を飛ぶ分、生い茂った森の中の捜索は難しくなるが。さて――」
彼女は、泣き喚くだけのクォンとは違い、前を見続けていた。
その姿が、とてもまぶしくて――
「後で悔いたくなくば、行動ネッ!」
思案するゲヘナの背へ、クォンは飛び乗った。
「むっ!?」
「今自分で言っただろうガッ! 外にいなけりゃ、森の木々全部ぶっ倒して、探し出してやるまでネッ! だから迷うなッ! 羽ばたけヨッ!」
目を見張るゲヘナの尻を叩くように、涙を拭いたクォンは叫んだ。
「……ふッ!」
ゲヘナは思わず笑みを零す。
「頼もしい幼女だ! だが、それでこそお前らしいッ!」
「ふ、ふんっ! さあ行くネ! 限界突破でお願いヨッ!」
「分かっているッ! 振り落とされるなよッ!?」
「了解ネッ!」
そうして飛び立った彼女らは、夜空を駆ける。
思い人たる、少女を求めて。
***
夜空に飛び出したゲヘナとクォンは、眼下に広がるオアシス地帯、そして、その周囲に広がる砂漠地帯を見渡した。
「どこだ……どこにいるッ!?」
血眼となって、ゲヘナは痕跡を捜す。
「!? アレなんネ!?」
「なに!?」
クォンの指示した先に目を向ける。
莫大と広がる砂漠、その一か所。
現在地から遥か離れた場所、地面に黒色の半球があったのだ。
それは砂の広がる砂漠にあって、明らかな異物であった。
遠目で良くは分からないが、相当の大きさであることがうかがえる。
「……あれはッ!?」
目にした途端、ゲヘナが驚きを漏らす。
「? どうしたネ?」
「飛ばすぞッ!」
「お、おう!?」
クォンの戸惑いも置き去りに、ゲヘナは神速の飛翔にて現場へ直行する。
そして時間にして十秒足らず、クォンたちは目的地近くの上空へ辿りついた。
至近にて確認したことで、その異質さが顕著となる。
砂漠の一部分、砂地のある地点を中心として、広がる半球。
砂地にあって大きさを比較するものが他になく、表現するのは難しいが、巨竜たるゲヘナでさえ、数十体優に内包できるほどだ。
中を覗き見ることのできない、漆黒の檻。
知りたければ、その身を賭して飛び込んで来いと言っているようだった。
「これはやはり……! だが、だとすれば……」
ゲヘナは一人驚き、声をあげていた。
「どうしたネ?」
「ニコラがこの中にいる可能性、あるやもしれん!」
「本当カ!? でも、その……」
言葉に瞳を輝かせたクォンだったが、すぐさま、不安を顔に浮かばせる。
「なんというか……すごくイヤな感じヨ」
半球を見て思わず漏らす。
すべてを拒絶するような、呑みこみ、すり潰すような。
彼女の遺伝子が、これは嫌悪すべき邪悪であると警鐘を鳴らしていた。
(でも……なんだかこの感覚。覚えがあるような……?)
不思議な感覚に小首を傾げるクォン。
彼女に同意するように、ゲヘナはなぜか自嘲気味に漏らす。
「まったくだ……。だからこそ……!」
言うや否や、ゲヘナは口元から炎を覗かせると、鎌首をもたげるように体勢をのけ反らせた。
そうして、力を溜めた彼女は、引き絞られた弓の如く、体をしならせ、口腔から漆黒の炎弾を弾け飛ばせた。
「打ち砕くッ!」
二発、三発と連続で発射される炎弾が、半球へ激突し、爆発する。
「くうぅ!?」
凄まじい熱量と、衝突の余波。
それは数の暴力でありながら、一つ一つが一騎当千。
伝説と語られし、邪竜と呼ばれた片鱗を垣間見ながら、クォンは吹き飛ばされないように、必死でその背にしがみ付いた。
(これは……!? いや、それよりも!)
疑問を氷解させんとしつつも、クォンはなによりニコラの安否が気になった。
「ちょっと!? やりすぎじゃないカ!? 中にいれば、ニコラまで……!?」
「心配は無用だ」
慌てるクォンに、ゲヘナが応える。
その視線の先、煙やら爆風で舞い飛んだ砂粒やらで霞んだ視界。
露わになったとき、傷一つ付いていない半球が、そこにはあった。
「そ、そんな……!?」
「まったく。これほどとはな」
ゲヘナは悔しさを滲ませるように吐き捨てた。
「目覚めはしたが、本調子には程遠い。まったく、よりにもよって……」
そう零すと、ゲヘナは半球に背を向けて飛び立ち始める。
彼女はあれよと言う間に、半球からどんどん離れて行ってしまう。
「お、おい!? どうするつもりネ!? まさかこのままニコラを――」
「むせぶな。たとえすべてが見放そうと、俺はアヤツに尽くし続けるッ!」
不安に駆られるクォンに宣言すると、ゲヘナは急速旋回。
半球目掛けて、一直線に飛翔し始めた。
風を超える速度、一筋の流星と化しながら、ゲヘナは叫ぶ。
「打ち破れぬと言うのなら……威力をあげて、ぶつかればいいだけの話ッ!」
「……!」
凶悪に笑う邪竜の言葉に、クォンは浮かんだ涙を喜びに溶かす。
「つまりは……?」
「当然ッ! ぶち壊すッ!」
「分かりやすくて最高ネッ!」
喝采を叫ぶクォンを背に、ゲヘナは半球へと迫っていく。
遠方から勢いを乗せた、最短距離の飛翔。
減速はしない。
勢いのままに、最大の威力をブチ当てるッ!
「うおおおおおおッ!」
飛翔の最中、ゲヘナの体は漆黒の炎に包まれ、弾丸となる。
「ほあちゃッ!?」
驚くクォン。
しかし、炎は彼女の体を一部たりとも焦がさない。
「熱さも害もキサマにはないッ! 胸に宿した思いを信じ、声をあげろッ!」
「……!」
クォンはうなずき、ゲヘナは見据える。
目標は、思いを阻む漆黒のドーム。
「この俺を止めることは……この俺にすらできぬと知るがいいッ!」
「ニコラが助けを待ってるネ。だからッ! 砕けろおおおおッ!」
叫び声と共に衝突する。
「クウウウッ!?」
火花が散る。
感じる衝撃に、負けそうになる。
と、そこで感じる鼻孔をくすぐる匂い。
それは、肉を焦がすような独特のもので……。
「……!?」
クォンが目を見張る先では、ゲヘナの皮膚が焼けただれ始めていた。
衝突する先から、いいや、炎を纏った箇所からも、焼けていく。
(クォンは大丈夫でも、コイツは……!)
思わずやめろと、制止を叫ぼうとした時、
「なんだとて……俺は絶対に引けぬのだッ!」
ゲヘナは言った。
自身を鼓舞するように。
彼女を救いたいと。
その身すら犠牲としても、彼女は彼女のために……!
(……クォンだって。クォンだって……!)
なにもできないもどかしさ。
力のない自分。
だからこそ、気持ちだけは誰よりもと。
吹き飛ばされそうになりながら、歯を食いしばり、クォンは必死で前を向く。
眼前の闇。
これをぶち抜けば、彼女と……!
「……だから、砕けろ」
小声で漏らし、
「砕け散れえええええええッ!」
邪魔をするなと、吠え猛る。
「おおおおおおおおおおおおおッ!」
そして、邪竜と幼子の気持ちが一つとなり――漆黒の闇を打ち砕く。
半球は、穿ち貫いた瞬間、砕け、ひび割れ、霞のように掻き消えた。
それを尻目に、ゲヘナたちは、勢いそのまま砂地へと激突する。
「くああッ!?」
激しい衝撃に、クォンは砂漠の上へ投げ出された。
舞い飛ぶ砂の塊が、豪雨のように降りしきる中、ただただ砂の上を小石のように転がされる。
「あうう……」
やがて止まった体。
激突の衝撃に、頭がガンガンするが、幸いなことに、どこも怪我をしていなかった。
むち打ちにならなかったのが奇跡のようだ。
それでも、全身は痛んでいたが、鞭打って、クォンは立ち上がった。
「ニコラ……!」
舞い飛ぶ砂煙のなか、視界が晴れるのも待てず、クォンは駆け出す。
「……ニコラ。……ニコラッ!」
考えるより先に飛び出す、彼女の名前。
追い求め、繰り返しながら走り続ける。
「……クォンはッ! クォンはお前のことが――」
やがて、砂煙が晴れると同時、抑えきれない思いを叫びそうになり、
「……ッ!?」
そこに広がった光景に――小さな体は、絶望で満たされる。
***
ゲヘナとクォンが突撃を駆ける、数十分前。
「……」
暮れなずむオアシスの森、生い茂る木々。
その茂みの中で、ニコラは息を殺してじっとしていた。
意気揚々と見せつけたキノコがローパーの卵であり、素手の中で孵化させた衝撃から逃げ出した後、我に返った時、ニコラは見知らぬ場所にいた。
保身、助命に命を懸ける彼女だ。その逃げ足には自身がある。
クォンとゲヘナはニコラを追いかけ、捜してくれていると思うが、ニコラはその追随を許さない速度で森の中を駆けまわった。近くに彼女らの気配がないのがその証拠だ。
遭難してしまった際、要救助者は無暗にやたらに歩き回ってはならない。
一点にとどまり、助けを待つのが取るべき行動である。
命大事な臆病者であるニコラは、もちろんそのことを知っていた。
よって現在、モンスターに発見されるリスク回避のため茂みに隠れ、ゲヘナたちが通りかかってくれるのを待っているのだった。
(ああもう。ガラにもなく、はしゃぎすぎたよう……)
臆病ゆえ、本来なら慎重に慎重を重ねるニコラ。
ローパーの卵だって、何十、何百回も目を通したモンスター図鑑に載っていたのを確認したことがあったのだ。
モンスターは生息地によって色が違うなんてザラで、あの卵も色違いであったが姿形は図鑑で見たものそのままだったのに。
森で仲間と食料調達、なんて、慣れぬサバイバルっぽい経験が割と楽しくて、鉄壁の警戒心に隙が生じてしまったようだ。
(ほんと、わたしのバカ……)
膝を抱える手に力が籠る。
たった一人、夕暮れに染まった森の中に取り残される。
寂しくて、恐ろしくて、一刻も早く見つけて欲しい。
ここは秘境中の秘境。
高レベルモンスターがわんさか生息する、危険地帯なのだ。
そんな中で、ただ一人じっとしていることなど、恐ろしくて気が狂いそうになる。
なにか行動を起こしたくなる。
だが、それは危険へ一直線の愚行。
夜になれば、さらに危険なモンスターたちが行動を開始するのだ。
(クォンちゃーん。お願いだから見つけてよおぉ……。人柱にしようとしたこと、謝るからぁ……。またお願いするかも、しれないけどぉ……)
再認する彼女がいたことの心強さ。
戦闘力はないにしても、傍にいてくれるだけで、安らげたとたしかに思う。
彼女を囮に、何度モンスターの魔の手から逃げ出すことができたことか。
その度に修羅と化した彼女に捕まり、何度折檻を受けたことか。
だが、それすらも今は懐かしく思えてくる。
(ゲヘナちゃんもお願いだよぉ。わたしまだ、目的果たせてないよぉ。逆鱗の証明、できてないよぉ……。所有者たるわたしを助けてよぉ……)
涙ながらに、もう一人を思う。
邪竜なのに、人間の愚かさが好きだとのたまい、もてなしてくれたドラゴン幼女。
彼女を連れ帰るまでは、死んでも死にきれない。
思わず泣き声が零れそうになり、どうにか服の袖を強く噛んで声を押さえる。
そうして涙していた、その時、
ピョコピョコ。
「!」
視線の先にある木の陰から、なにかが一瞬飛び出した気がした。
すぐに消えてしまったが、なんだか見覚えがあるような気がしなくもない。
細く、しなやかに揺れたソレ。
(も、もしかして、ゲヘナちゃんの尻尾かな!?)
彼女の立派な尻尾は、先に行くほど細く鋭く、そしてしなやかに揺れていたのを思い出す。
(……よし)
意を決したニコラは、茂みから出ると、足音を殺し、ゆっくり、ゆっくりとなにかが見えた木へと近づいた。
(だ、大丈夫。こそっと覗き見て、モンスターだったなら、すぐにその場を離れればいいだけの話。悲鳴をあげさえしなければ、気付かれないと信じようッ!)
そう決意しながら、木の近くへと到着する。
その木を背に、すーはーと深呼吸。
(大丈夫。悲鳴さえ……悲鳴さえ、あげなければ……)
生唾を嚥下し、そして全身に力を漲らせ、ニコラは、こっそり覗き見た。
大人の背丈ほどある、ぬっちょりした粘液まみれの触手玉が、蠢いていた。
「ひっぎゃああああああああッ!」
「ギュオオオオオッ!?」
絶叫するニコラ。
対して触手玉も不意を突かれ驚いたらしく、くぐもった悲鳴を漏らした。
見覚えがあると思ったのも当然。
それは、彼女が遭難することとなった、その原因だったからだ。
ローパー。
幾十、幾百もの触手が寄り集まったような、植物系のモンスターである。
戦闘能力的には、下の下の部類に入るようなモンスターであり、それほど恐ろしい相手ではないのだが、いかんせんその見た目から、特に女性の冒険者に忌み嫌われる宿命を背負っていた。
「こんなのッ!? こんなの悲鳴出ちゃうってえええええッ!?」
全身に怖気が走るのを感じながら、ニコラは限界を優に超える全力疾走で逃走する。
「なんなのなんなのなんなのアレッ!? あんなのッ!? あんなのってなんなのッ!?」
あまりの気持ち悪さから、語彙を失う。
赤ちゃんレベルで気持ち悪かったのが、今度は人の背ほどの大きさときた。
もう、気絶しなかったのが奇跡だとしか思えない。
「アハハわたしよく頑張ったああああッ! みんなああ! ニコラちゃんはすっごいですよおおお!?」
正気を削られて叫ぶニコラ。
本当に意味が分からない。
薄暗い森の中、たった一人佇んで、心細さに沈みそうなこの状況。
そこでよりにもよってあんな精神的にクリティカルを食らわせてくるようなのと、しかも遭難の原因たるものの成長したのに出会うとか、一体なんの冗談だ!?
「もうやだ!? あんなのに会うくらいなら、マンティコアとかのがマシだってええぇ!?」
危険さは比べるべくもない凶悪モンスターではあるが、まだ精神衛生上マシである。
触手の塊なんぞと比べれば、獣っぽさを残したマンティコアなんて猫だ、可愛い子猫。
ごろにゃんだ。
今なら萌えられるかもしれない。喉を撫でたらゴロゴロ言うだろうか試してみても――
「って無理ッ! やっぱ無理ッ! だってどっちも化け物だものおおおッ!」
とぼけた考えを振るい落としながら、ニコラは必死で逃げ続けた。
「助けてッ! 誰か助けてッ!? クォンちゃん、ゲヘナちゃん、お姉ちゃああああんッ!?」
***
そうして、どれだけ走っただろうか。
やたらめったら逃走したため、帰り道など分からない。
「……で、でも。これだけ逃げれば……大丈夫、だよね?」
膝に手を置き、息を切らしながらも、ニコラは逃げ切れたと確信する。
「ははは……もう、イヤ……もう、ヤダ……」
あんなのに出会うなんて、二度と御免だ。
早く合流したい。
疲労は溜まっていたが、ここが踏ん張りどころだろう。
何をおいても自分だけは助かる事。
それこそが、ニコラのジャスティス。
だから、必ずこの状況から脱してやる。
頑張ろう。
自身を鼓舞し、決意を新たにするニコラ。
その視線の先、木々の隙間から、広大な砂漠が覗いていた。
「そうだ! ここ、大きな森だけど、その実態は砂漠のオアシスだったよね!? 森の外に出て、砂に大きくSOSって書いたら、ゲヘナちゃんたち見つけてくれるかも!?」
これだけの時間、見つからなかったのだ。
陸での捜索から、空からの捜索に移っているかもしれない。
「よーし! そうと決まればもうひと頑張りッ! 砂漠へ向かってここからまっすぐ一直線に――」
そして、ニコラは顔をあげ、
「ギュルルルル……」
木にぶら下がり、てらてらした粘液を垂らすローパーに、再会した。
「一直線に……逃走開始いいいいいいやああああああッ!?」
かくして、女騎士の悲鳴は、再び秘境に木霊する。




