あなたのすべて、わたしにください!
「うむっ! 今、俺はとっても愉快だぞっ! とっても嬉しいぞっ!」
とある秘境の奥地。
そこにある石造りの洞の中で、邪竜ゲヘナは、現在とってもご機嫌だった。
「料理を振舞い、喜んでもらえると言うのは、これほど気持ちのよいものなのだなっ!」
今しがた客人へと振舞い、空となった皿を見て、喜びを露わとする。
エプロン姿で幼女姿な彼女は、感情のままに、まぶしい笑顔でぴょんぴょんとジャンピン・ナウだった。
そんな元気いっぱい、嬉しさたくさんなゲヘナに対し、
「……あはは……。ダメネ……。もう、ダメヨ……」
絶望いっぱい、暗鬱たくさんな者もいた。
「クォンちゃん!? しっかりして!? クォンちゃーん!?」
縛を解かれ、しかして光を失った瞳を虚空に向けるのは、真紅のチャイナドレスの幼女、クォン。
彼女は、同じく自由の身となり、その肩を揺する騎士ニコラの声に反応することなく、床へ転がって涙していた。
先ほど、ニコラの策謀により、ゲヘナの作った料理の毒見をする羽目となったクォン。
事前のゲヘナの言葉のとおり、料理に毒など入ってはいなかった。
どころか、味付けも最高で、とっても美味しかった。
だが、重要なのはそこではなく。
特別な思いを抱く者の前で、その他の者と(強制的ではあるが)特別な行為に及んでしまったという――スプーンにてゲヘナと間接キスしてしまったという事実。
その場面を当のニコラに目撃されてしまったというダメ押しが、彼女の精神に深刻なダメージを与えてしまったのだった。
結果、絶望幼女のできあがりという流れなのだが、ゲヘナはその涙を喜びゆえと解釈したらしい。
彼女は嬉しそうに先の場面を回想する。
「うむっ! あーんした瞬間、顔色を失い、涙が零れ! かと思えば、ヤケになるように食らいつき! 拘束を解いてやれば、泣き、むせびながらも、あっという間に完食しおってっ! 歓喜の涙まで流されるなどとは思わなかったが、まさに嬉しい誤算というやつだっ!」
「ふふ、ふふふ……。クォン、汚されちゃったヨ? 穢れちゃったヨ? いえーい、ニコラ見てるぅー?」
「クォンちゃんが!? クォンちゃんがおかしくなっちゃった!? ごめんね! 本当にごめんね!? わたしがさせたばっかりに! 後悔はしてないけど!」
ぶっ壊れ気味のクォンの姿に、さしもの外道も多少は罪悪感を覚えたらしい。
ニコラはクォンに謝り続けていた。
その最中、ゲヘナは気になる言葉を耳にする。
「穢れたなどとはどういう意味だ? なにも入ってはいなかっただろう?」
それはクォンが口にした言葉。
しかし、先ほど宣言したように、料理には妙なものなど混ぜていなかった。
材料は、この秘境に点在する森林やオアシスで採れた、新鮮な木の実、果実などの自然の恵みだけである。
よって、穢れたなどという言葉を発せられること自体おかしいのだ。
「もしや、付着した唾液で……? だが、それにはそのような効力など……」
「もう、許せません!」
思案していたゲヘナだったが、聞こえた声に現実に引き戻される。
顔を向ければ、そこには、立ち上がり、凛々しさを滲ませるニコラがいた。
「邪竜め! いたいけな幼子を手にかけるとはなんて卑劣な!」
「うふふ……。原因の癖して、よく言えましたネー……?」
「な、なんて卑劣なぁ!」
不自然に大きな声で、ニコラは重ねて宣言した。
ニコラは振り返ると、未だ倒れたままのクォンに何食わぬ顔で話しかける。
「クォンちゃん、見てて! あなたの犠牲、絶対無駄になんてしないからッ!」
「……あ。う、うん」
一歩遅れ、正気を取り戻したクォンは、その頬に朱を宿す。
「……過程はどうあれ、一皮剥けたその姿。……ちょっとだけ、かっこいいヨ?」
ぽつりと零された思いには気付かず、ニコラは言う。
「邪竜よ。わたしは、ここに誓います!」
「うむっ! なにをだっ?」
どうしてこうなっているのか理解できず、しかし、なんだか楽しさしか感じなかったゲヘナは、ノリノリで対峙する。
彼女に対し、ニコラは叫ぶ。
「あなたから、絶対に逃げ切って見せるとッ!」
マイナスに振り切った宣言を……。
「ほうッ!?」
「あいやッ!?」
ゲヘナが目を輝かし、クォンが唖然とした刹那、ニコラは出口の扉へ向かい、全力で駆け出した。
「クォンちゃんッ! あなたの屍を踏み越えて、わたしは命を永らえるッ! 尊い犠牲、ありがとうッ!」
「――って!? お、おい! ダメだ! 待てッ!?」
「そうネ! 待ちやがれこの外道ッ! クォンは死んでないネ! クォンのドキドキを返すネッ!? ふっざけんじゃねえぞゴラアアアァッ!」
「ま、待てと言われて待つ人はいませんッ!」
制止の声に耳を貸すこともなく、若干びくびくしつつも、ニコラは開け放った扉の向こう側へと消えていく。
「ああ! お天道様の眩しさよッ! 娑婆の空気の美味しさよッ! いえええい! わたしは今、自由の女神いぃぃ!」
そして興奮気味な叫びが聞こえた――直後、
「え!? ちょ、待ッ!? おっととと!?」
焦った声が聞こえ、
「……うんっ、これ無理っ☆」
諦めきった声が響き、
「いやああああぁあぁ!?」
恐怖を通り越したような絶叫が耳朶を打った。
「まずいッ!?」
「ニコラッ!?」
尋常でない叫びに、ゲヘナとクォンは外に出た。
ゲヘナが巣としている、この洞穴。
それは、秘境の奥地に存在する広大な砂漠、そこに屹立するように存在する長大な高山、その切り立った崖の中ほどに存在していた。
そしてこの洞穴、扉の外にあるのは、わずかばかりの足場のみ。
つまりは、勢い任せに飛び出しでもすれば、遥か眼下に広がる砂地へ叩きつけられてしまうことを意味していたのだ。
「誰かッ!? ホントにッ!? 助けてよおおおぉぉッ!?」
巣の外に出たゲヘナたちの眼下、ニコラはどんどん小さくなっていく。
「ニコラッ!? ニコラアアァッ!」
「うろたえるなッ!」
彼女を追って飛び降りかけるクォンを、ゲヘナが必死に押しとどめる。
「砂地とは言え、この高さだぞ!? キサマ死ぬつもりかッ!?」
「そうネ、死んじゃうヨ! このままじゃニコラが死んじゃうヨッ!? だから放せ! 放せヨ!?」
振りほどこうと暴れまわるクォン。
泣き喚く彼女の肩を強く掴み、自身に向き直らせ、ゲヘナは力強く叫ぶ。
「心配はいらんッ! ヤツはこの俺が必ず救うッ!」
「……ほ、ほんとカ?」
涙ぐむクォンに、ゲヘナは自信に満ちた笑みを零す。
「客人と招いたのだ、かすり傷すら負わせはせぬわッ!」
「……」
威風堂々宣言する姿に、クォンは目を見張り、そして、多少落ち着きを取り戻す。
クォンはえづきそうになりながら、それをどうにか抑え、ゲヘナの瞳を見つめた。
「……お願い、できるカ?」
「任せよッ!」
期待に応えると頷き返し、ゲヘナは落下していくニコラを見下ろした。
「……だが、アレだな?」
「え?」
「恐怖にむせび泣くあの表情。あれは、なかなかにアレだ。いとめちゃカワでおかしというか――」
「んなこと言ってる場合カッ!? 歓喜の暇があらば助けるヨッ!?」
「ふははッ! 分かっているッ!」
クォンの激昂に背を押され、ニコラの恐怖に胸焦がされ、ゲヘナは昂ぶる思いのままにエプロンを投げ捨てる。
そうしてエプロンの下――肌色面積の多い、薄紫色でシースルーなサリー姿となった彼女は、躊躇なく崖から飛び降りた。
「んな!? お、お前、その破廉恥ルックは……!?」
「お前が言うのか? しかし、めちゃカワだろう? 褒めてもいいぞっ!?」
ぎょっとするクォンの声を上空に、風鳴る音を至近に、ゲヘナは力を籠める。
すると、その体は光に包まれた。
小さきシルエットが、他を寄せ付けぬ王者へと変わる。
毒々しい黒色をした巨大なドラゴンに変貌したゲヘナは、ぐんぐんと速度を上げ、落下するニコラの元へと近づいていく。
「ひゃああああああ!? 来ないで助けて来ないで助けて来ないで助けてええええ!」
怯えつつも助命を望むニコラ。
「安堵せよッ! キサマの命、この俺が救うッ!」
その至近へと迫った時、ゲヘナは、迷うことなく大口を開け、
「あ。これデジャヴ……?」
表情を無くすニコラを、パックリと口腔へ含んだ。
背に乗せるという方法もあったが、パニックに陥っているニコラが落下するリスクが大きいため、安全策を取ったのだ。
先に彼女を巣へ連れ帰った際にそうしたのもそれが理由で、まかり間違って岩山から転がり落ちないようにするためだったのだ――が、
「ひゃあああ!? 出して出さないで出して出さないでどっちもやだよおおおぉッ!?」
(ああっ! 至近も至近で響き渡る矮小な人の声! なんと、なんと甘美なのか……! ああもうめちゃカワっ! めちゃカワだぞ……!)
その際、付随して発生するニコラの悲鳴を間近で感じ、ゲヘナは得も言われぬ高揚感に包まれてしまうのだった。
「……いっそ落ちろヨ」
上空、巣の入口からは、表情を一転させたクォンが、唾でも吐かんほどの冷ややかな顔で、見下げ果てていた。
***
そうして、珍妙にすぎる落下事件の後、ゲヘナの巣にて。
「えっぐ……た、助けていただいて、ありがとぉ……ござい、ましたあぁ……」
救出されたニコラは、嗚咽を漏らしながら感謝を述べていた。
「礼などいらぬ。先の一件に至った原因、その一端が俺にもあるのだからな」
ニコラが逃走を謀った原因は、ゲヘナに対する怯えにあるのだ。
それで礼を言われるのは筋違いだと彼女は思っていた。
「そ、それでも、助けてもらったので……」
「そうネ。ニコラのこと、助けてくれて、ありがとヨ」
隣に立つクォンも感謝を述べた。
「いらぬと言っているだろう。それより、警戒は解いてくれたか?」
ゲヘナの問いかけに、クォンはコクリとうなずいた。
「経緯はどうあれ、ニコラのこと、助けてもらったネ。そのくらいしないとバチが当たるヨ」
「そうかっ! 嬉しいことを言ってくれるっ!」
「な、なんで抱きつくヨ!? 離れるネ! 離れるヨ!」
「はははッ! 何人たりとも、この俺に命令できぬと知るがいい!」
「や、やっかましいネこの邪竜が!?」
あたふたとして押しのけようとするクォンに抱き着きながら、ゲヘナはニコラへ問いかける。
「ニコラよ、キサマはどうだ? 俺のこと、信用に足ると思ったか?」
「助けていただいたのは、本当に感謝です。でも、それとこれとは話が別。あなたは邪竜。この展開すら、歪んだ思惑の内かもしれませんから……」
「うん、まあ、お前ならそう言うと思ってたヨ?」
「まったく手厳しい。だが、そこがいいッ!」
「お前も以下同文ヨ?」
呆れかえるクォンの視線を気にも留めず、クォンから離れたゲヘナは、ニコラへと指摘する。
「しかし、信用できぬとて、逃走は不可能だろう? 奇跡がカタチでも成さぬ限り、人間は空を飛ぶことなぞ出来ぬからな」
「そ、それは……」
「うろたえるな、うろたえるな。……いや、やっぱりうろたえてもいいなっ。めちゃカワだからっ」
「どっちヨ……」
クォンがジト目で呆れる横で、ゲヘナは説明する。
「何度も言うが、心配は不要だ。キサマらは俺の客人、しばしのもてなしの後、少なくとも数日の後には、野に放ってやるからなっ?」
安心させるようにニコラへとほほ笑むゲヘナ。
「……嫌でもそうせずにはいられぬしな」
「え?」
一瞬、その顔に影が差したように見えたが、ニコラが疑問符を浮かべた時には、明るい調子に戻っていた。
気を取り直すように、ゲヘナはパチンと両の手を合わせる。
「ところで! 残念ながら料理は冷めてしまったわけだが、それを単なるしょんぼりで終わらせるほど俺は甘くないぞっ? 温め直す前に、馳走前の余興、キサマらに披露しようではないかっ!」
「余興ネ?」
クォンが尋ね返せば、ゲヘナは大きくうなずいた。
「うむ! 客人たるキサマらに特別なプレゼントというやつよ! この俺が、なんでもひとつだけ言うことを聞いてやるぞっ? ふははっ! これほどのもてなしもあるまいてっ!」
「ならばッ! 今すぐ――」
「ただし逃走させよという望みは聞き入れぬッ!」
「な、ならばッ! い――」
「命乞いも以下略ッ! 必要ないッ!」
「読まれている、だとッ!? これも邪竜の力だというの……ッ!?」
「いや、誰だって分かるヨ……」
提案を先んじてブロックされ戦慄を覚えるニコラに、今日何度目かの落胆を覚えるクォン。
そんな様を楽しそうに見つめながら、ゲヘナはワクワクな様子で促した。
「さあさっ! それ以外ならなんでもいいぞっ? 遠慮は無用だっ! 言ってみよっ!」
「あ、あのネ……?」
「む!? なんだクォンよ? 早速思いついたのか!?」
もじもじとした様子で手を挙げたクォンは、ゲヘナの元へと近づき、耳元で指摘する。
「そう簡単に、なんでもなんて言うものじゃないヨ? もっと制限かけるべきだと思うヨ?」
「む? どうしてだ?」
「な、なぜって……! それは、その……と、とんでもないこと言われたらどうするつもりネ!? 女の子的に!」
「とんでもないこと、だと?」
「そ、そうネ! とんでもないことネ!」
恥ずかしさを押さえきれず、それでも真っ赤な顔で指摘するクォンだが、ゲヘナはとんと思い当たらないようだ。
彼女はきょとんとした顔で問い返す。
「むう? 要領を得ぬな? 具体的に言ってみるがいい」
「ほあちゃ!? そ、それは、その……! お、女の子の、大切な……。――って!?言、言えるわけないヨ!? 乙女的に!?」
「ふむ? まあ、たとえどのようなことだったとて、この俺に恐れるものなどなにもない!」
ゲヘナは胸を張り、クォンへと命じる。
「よしクォンよッ! そのとんでもないこととやら、この俺にやって見せるがいいッ!」
「ほ、ほあちゃああああッ!?」
絶叫するクォンを前に、ゲヘナは自信満々といった体だ。
「ふっふっふ! 安堵せよ! これは願いとしてはカウントせぬ! さあ! この俺に思う存分、とんでもないことをして見せろ! なにをされたとて、この俺は絶対に屈さぬぞっ!?」
「ふ、ふっざけんじゃないネッ!? なして邪竜が『くっころ』フラグ立ててるヨ!? ていうかそんなこと、お前なんかに望んじゃいねえヨッ!?」
「お前なんかに? ならば、誰に望んでいるというのだ?」
「ほ、ほあちゃッ!? そ、それは、その……」
言いよどむクォンの様子に、ゲヘナはひらめいたとばかりに手を叩く。
「OKッ! ニコラだなッ!? 相手どりたいのはあやつだなッ!?」
「ほあちゃあああッ!?」
赤面するクォンをおいて、ゲヘナは大声で叫ぶ。
「おいニコラよッ!」
「う、うん? なんですか、ゲヘナ様?」
願いについて思案していたニコラへと、ゲヘナは得意げな様子で言う。
「クォンがな? キサマにとんでもないことをしたいと――」
「その口閉じるネエエエッ!」
「むぐぐぐッ!?」
言いかけるゲヘナの口を、クォンが必死に塞ぐ。
その顔は真っ赤を通り越し、火を噴きそうな勢いだった。
「クォ、クォンちゃんッ!?」
騎士が慌てる前で、幼女は邪竜にチキンロックをキメた。
「ふっざけんじゃッ! ホンットッ! ふっざけんじゃねえヨッ!? 何をッ!? 何を口走ろうとしてるカッ!? してるカァアアッ!?」
「むぐむぐむぐッ!?」
気道を塞がれ、青い顔をするゲヘナ。
ギブアップとバシバシ腕を叩く彼女の耳元に、クォンは叫ぶ。
「いいネッ!? いいカッ!? 二度とッ! 二度とそんなこと言うんじゃないネッ! 分かったカッ!?」
「~~~!」
ゲヘナがコクコクと頷いたのを見て、クォンは彼女を解放した。
「ハァ、ハァ……。まったく……ほんと、ニ……」
「ゲホゲホッ! こ、この俺を、ああまで追い詰めるとは……。邪竜を、恐れぬとは……」
ゲヘナは呼吸を整えつつ、クォンを称賛する。
「先に立ち向かってきたことといい、今といい……。その勇気、認めぬわけにはいくまいて……。キサマほどの勇者が、いまだ生き残っていたとはな……」
「うるっさいネ……。乙女的に……引けなかっただけの話しヨ……」
ジト目を向けてくるクォンへ尊敬のまなざしを向けた後、ゲヘナはニコラを見る。
「ま、待たせたな。それで、願いは思いついたか?」
「は、はい。思いつくには、思いついたんですけど……」
ニコラは言い淀み、小声で自分自身に問いかける。
「……どうせ外には逃げられない。後で逃がしてくれるなんて言っているけど、謀ろうとしている可能性は捨て置けない。クォンちゃんは篭絡されてしまったし。この命、遅かれ早かれ散るのも同じか……。あーあ、ずっとお家にいたかったなぁ……」
「どうした? なにを言い淀む?」
「ああもうッ! こうなりゃ捨て鉢だッ! たとえ叶わぬ願いだとして、言うだけタダだッ! 言ってやるッ!」
自棄になりながら、ニコラは涙目でゲヘナへと叫ぶ。
「ゲヘナ様! あなたのすべて、わたしにください!」
「……え?」
ゲヘナは、目を丸くして固まった。
そんな彼女に、ニコラは涙ながらに詰め寄った。
「ずっと! ずっとあなたのことを捜していました! あなたをわたしのものにしたくて! たまらなくて! どうしようもなくて! この胸を焦がしていたんです!」
「……!?」
そこで硬直が解けたゲヘナは、顔を真っ赤にする。
「な、なな!? なにを!? キサマ、何を言っているのか分かっているのかッ!?」
「分かっています! ええ、いますとも!」
ニコラは、涙を零して叫ぶ。
「叶わぬ願いであることッ! わたしには不相応であること、知っていますともッ! それでも、それでもわたしは、あなたに逢いまみえたい、その一心で、旅を続けてきたのですッ! それこそが、わたしの大願でしたからッ!」
「だ、黙れッ! 黙るがいいッ!」
あたふたした様子で、信じられぬと、ゲヘナは牙をむく。
「そのようなッ! そのようなことを口走るッ! 口走る人間がいるものかッ!? キサマがッ! キサマこそッ! 俺を謀ろうとしているではないかッ!? その愚かさ、まあ、めちゃカワではあるが! しかし、だとしても許せぬことで――」
「いいえッ!」
負けじと、ニコラは思いのままにゲヘナの両肩に手をやった。
「ひゃうっ!?」
「謀るつもりなど、ありませんッ!」
魂のこもった叫びに、ゲヘナの怒りは組み伏せられてしまう。
言葉を失うゲヘナへ、ニコラは思いを乗せて語り掛ける。
「わたしは心の底から、あなたのことを求めているのです」
優しい声音に、ゲヘナの瞳に戸惑いの色が浮かぶ。
「あ……えっと……」
「騎士の風上にも、いいえ、人間の風上にも置けない軟弱者ではありますが……。この思いには、一点の曇りもありません」
「……あ、うう……」
何事か口ごもり、言いかけてはやめ、言いかけてはやめ。
それを何度か繰り返した後、ゲヘナはおそるおそる口にした。
「……俺のことを、知っているのか? 理解しているのか? 俺は邪竜で……。封じられて――」
「知っています。そのうえで、求めています」
「……」
「ですが、あなたはきっと、この思いには応えてくれない。だから力尽くでと思いました。けれど、わたしにはできなくて。臆病なわたしには、できなくて……。でも、それでもあきらめられないから、こうして、無様に懇願しているんです」
「無様とか言うなッ! そのような、そのようなことは……」
やがて、ゲヘナはうつむいてしまった。
そして、ぽつりと。
雨粒のように、零れる言葉。
「……本当に、いいのか?」
「はい」
「……嘘は、ないのか?」
「ええ」
「……邪竜たる俺で、いいというのか?」
「あなただから、いいんです」
「……そうか」
そして、やがて顔をあげた。
その顔に浮かぶのは――虹のような、笑顔と、涙。
「……嬉しいぞっ」
「! じゃあ……!」
顔を輝かすニコラへ、それが答えだと言うように、ゲヘナは飛びついた。
「まったく! 臆病かと思いきや、ここぞというときの大胆さっ! そんなところもめちゃカワだぞっ!」
「え、えっと……?」
「その短い命では受け止めきれぬほど、たくさん、たーっくさん! 尽くしてやるからなっ! せいぜい震えるがいいぞっ?」
「あ、ありがとうございます?」
「ふははっ! さあ、なれば今日は宴だ! 宴を開くぞー!」
「わ、わーい? わーい?」
ルンルン気分のゲヘナに手を取られ、小躍りさせられるニコラ。
そんな楽しげな二人を前に、一人、茫然とする者がいた。
「……なん、ネ?」
冷や汗を流すクォン。
彼女は、ゲヘナが一人クルクルと嬉しそうに小躍りし始めたのを見計らい、ニコラを呼ぶ。
「ちっちちっ、こっちヨー。ニコラ、こっちくるヨー」
「ん? なあに?」
トテトテと近寄ってきたニコラへ、クォンは小声で尋ねる。
「お前、今、何したネ? こ、告白カ?」
「え!? そ、そんなわけないでしょ!? なんで!?」
「よネー……」
分かっていつつも、内心ちょっとだけホッとするクォンへ、ニコラは言う。
「わたしたちの――ううん、わたしの目的覚えてる?」
「『竜の逆鱗』、よネ?」
「うん、そう」
竜の逆鱗。
それは、ドラゴンの喉元に一枚だけ生えているといわれる、逆さ鱗のことだ。
しかし、現代、それを入手したことのある人間などいないとされていた。
触れてしまえばドラゴンは猛り狂い、辺り一帯を焦土と化すなどといわれる、危険な代物であったのだ。
だが、それは理由の一つでしかない。
それよりも根本的な理由があった。
「でも、ドラゴンは伝説上の生き物。遥か昔には存在していたのかもしれないけど、現代、絵姿でしかその姿を確認できない。だけど願いのために、わたしは絶対に手に入れないといけなかった」
実在すら疑わしい、したとして入手のためには命の危険が伴う素材の獲得。
それをこの臆病なニコラが決死で追い求め、叶えたいほどの願いとは如何ほどのものなのか?
ニコラの冒険に助力を申し出たクォンではあったが、なんとなくはばかられ、その内容は聞いてはいなかった。しかし、一世一代の何かには間違いないだろう。
だが、今重要なのはそこではない。
プロポーズもあわやなセリフ、その真意こそクォンが知りたいことなのだ。
「それは知ってるネ。それがどうしてああなるネ? 意味わからんヨ?」
「それは思いのすべてを込めたからだよ! ゲヘナ様、なんでも叶えてやるって言ったでしょ? 力で勝てる自信はないし、だからもう、ここしかないって思って!」
ニコラは首尾よく事が運んだと、ほっと胸を撫でおろす。
「たとえ逆鱗を手にできても、魚かなにかの鱗かな? って相手にされないのがオチだよね。きっと、依頼主もそれが狙いなんだろうけど。だから誤魔化されないためには、ドラゴンそのまま、原寸大で連れて行かないと。そう思って、所有物になってってお願いしたんだ。まさか、OKしてくれるなんて思わなかったけど、あの様子はとても演技には見えないし……。うん、言ってみるものだね!」
ニコラは顔を輝かせクォンに言う。
「どうどうクォンちゃん!? わたし頑張ったでしょ!? なけなしの勇気を振り絞って、見事目的を果たせたでしょ!? これは褒めてもらってもいい感じだよ!?」
「うん、そうネ……」
クォンは深呼吸をし、腰を深く落とし、
「ふえ?」
「ほあちゃあああッ!」
油断しきった腹部へ見事な正拳突きを打ち放った。
「ぐえふッ!?」
崩れ落ちるニコラ。
「あ、あの、クォンちゃん? 今さらながら、わたし、鎧着こんでるんだけど? なぜに幼女の拳で、騎士が膝をついているのでせうか……?」
「お前への有り余った怒りの前に、このくらいの奇跡、安いものネッ!」
「またそういう根性論ッ!? お願いですからやめてくださいッ!」
「そんなことより分かってるネ!? お前とんでもない誤解を生んだのヨ!? ほら見るがいいヨ!」
「ぱーてぃーだー♪ ばぁーんっ♪ ぱーてぃーよー♪ ばぁーんっ♪ きょーうはみんなで、れっつぱーりぃー♪ りんごん、りんごん、かっねがなるーっ♪」
「見るヨッ! 邪竜がルンルン気分で歌うたいヨッ!? 夢見心地な幼女の顔ヨッ!?」
「う、うん。あれがどうしぎゃあああッ!?」
「分からないネ!? ああ分かるわけないネ! お前とんでもないニブチンだからネ! ネエェッ!」
「な、なんか私怨がこもってないッ!?」
「いいからなにを置いても謝るネッ! お前の特技の見せどころヨ! 今なら! 今なら間に合うかも――」
「なあ、ニコラよ?」
言いかけた時、ゲヘナは小躍りを止め、ニコラたちの近くへ寄ってきた。
「は、はい! なんでしょうゲヘナ様!?」
「敬称なぞ不要だ。この身は既にお前のなのだ、もっと親しくしてみせろ。そのほうが俺は嬉しいぞ?」
「う、うん。じゃあ、その……ゲヘナちゃん?」
「うむっ!」
ゲヘナは嬉しそうに笑った後、不安を浮かべる。
「俺を欲した言葉、アレに偽りはないだろうな?」
「もちろんだよ! わたしは絶対にゲヘナちゃんのこと、手に入れたかったんだから!」
「そ、そうか……。うむ、そうならばよいのだ……」
顔を朱色に染め、ゲヘナは背を向ける。
そして、ぽつりと、
「……違えたならば、キサマの命、露と果てるだけだからな?」
言葉を残し、ゲヘナは馳走をお膳へと乗せ、洞の奥へと消えていった。
そして、「温め直し、開始ー♪」と嬉しそうな声が続いた。
「え? なんだって? クォンちゃん、聞こえた?」
「う、うん。ごちそう、楽しみに待っててよ、だってヨ?」
「そっかぁー。あ、で、でもですね? その、さっきの手前、あれなんだけど……。念のためといいますか……」
「任せるヨ。率先して、自分で、自分の匙で、毒見してやるヨ」
「あ、ありがとう!」
ほくほく顔のニコラを置いて、クォンは顔を青くする。
(ああもう訳わからんネ!? なぜ!? どうして!? こうなるヨー!?)
それこそ、とんでもないことが起きてしまう予感に、クォンは一人、頭を抱えるのだった。




