それじゃあ、レッツ人柱ッ!
騎士。
その身を剣とし、矢面に立つ前衛職。
どのような猛攻に晒されても決して怯まず、背を向けず、誇りをもって立ち向かい、身を呈して仲間たちを、民たちを守り切る、勇気の体現。
仮に膝をつこうとも、心が屈することは決してない。
囚われでもしようものなら、屈辱に甘んじることを良しとせず、潔くするだろう。
謹厳実直、清廉潔白なそのクラス。
適正を持つ者は多くなく、騎士となった者は国に召し抱えられることが多い。
いうなればエリートと呼んでも差し支えないような存在でもあるのだ。
……で、間違いないはずなのだが。
「いやあああ! 誰か! 誰か助けてええ!」
ここに、気高さを携えたはずの騎士の、無様すぎる嘆願が、響き渡っていた……。
どこかの洞穴の中で、石柱に縛り付けられた騎士ニコラは、大粒の涙を流しながら絶叫していた。
「いるんだよ!? ここにいるんだよ!? 片翼どころか両翼もがれた小鳥ちゃんが! 哀れ地べたをのたうち回っているんだよおおぉ!?」
必死にもがくニコラだが、逃走は叶わない。
その身を縛る縄のようなものは、炎のように煌々と燃え煌いてはいるが、熱など帯びてはいない。
しかし、まかり間違っても逃さないと示すように、胸から腰にかけて、これでもかというほどにぐるぐる巻きにされており、どれだけ暴れ回ろうとも、身にまとった漆黒の鎧がガチャガチャと空しく音を立てるだけであった。
それでもニコラは助かりたいと、唯一自由になっている足をバタバタと動かし、必死で叫び続ける。
「ヘルプッ! ミーッ! 誰ぞッ! 助けッ! 給うッ! だよおおおおおッ!」
「やっかましいネッ!」
「ひぃッ!?」
響いた怒号に、萎縮するニコラ。
その傍らには、同じような形で囚われている真紅のチャイナドレスの幼女、クォンがいた。
彼女が縛り付けられている石柱は、ニコラがそうされているものと同一であり、身を封じられていなければ、簡単に手が触れ合うほどの至近であった。
しかしニコラは絶望的な状況にパニックに陥っていたせいで、今の今まで彼女の存在に気付かなかったのだ。
「あ、あれ? クォンちゃんいたんだ?」
「いたネ! ここ、結構音が反響するネ! そのうえ真隣りから悲鳴なんて聞かされてみろヨ!? やっかましくてやってられないヨ!?」
「ご、ごめんなさい! でも仕方ないでしょ……!?」
そこでニコラは、あることに気付く。
「? クォンちゃん、そこどうしたの?」
ニコラが指摘した箇所。
クォンの額には薬草がぺったりと張り付けられていたのだ。
「それ、薬草だよね? なんでそんなところに引っ付いているの?」
「! な、なんでもないネ! 気にしなくていいヨー」
誤魔化すように言った後、クォンは小声でつぶやく。
「……なにかヒンヤリすると思ったらそうだったカ。でも、一体どういう……?」
「うん? まあいっか。言いたくないなら聞かないよ」
「そ、そうしてもらえると嬉しいネ」
ほっとするクォンに、ニコラは微笑みかける。
「それじゃあわたし、絶叫再開するね?」
「えっ」
そしてクォンが驚く間もなく、表情一転、ニコラは助命の叫びを再開する。
「助けて! 誰か助けて! 囚われの女騎士にくっ殺言わせないで!? 死にたくないから言わないけど! 全力で媚びて命乞うけどおおぉぉ!?」
「だからやっかましいネ!? 少しでいいから落ち着けヨ!?」
「そんなの無理だよ! だってわたしたち、あのドラゴンに攫われたんでしょ!?」
クォンが怒鳴るもニコラは応じようとせず、滂沱しながら絶望的な現状を口にした。
「ここはドラゴンの巣なんでしょ!? よく見たらヴィンテージ品っぽい家具や調度品がおかれてて、石造りの洞の中でいい雰囲気を醸し出してるけど! 素敵だなあって見惚れちゃうけど! でも、ここで殺されちゃうんでしょ!? こんな素敵空間で、ピリオド打たれて仕舞いなんでしょ!? 冥府の旅、二名様、ご案内〜♪ なんでしょ!?」
ニコラは経緯を思い返し、まくし立てる。
「ドラゴンが急に人型になって、なぜだか瞳をキラキラさせて! よく分からないけどチャンス到来! 全身全霊離脱あるのみって、臆病風に乗りに乗って逃走を試みたけど! 再び変じたあの子に追われ! 大きなお口でパックン囚われ! パニックになって気を失い! 気付いたときには縛られ芋虫! こんな状況で落ち着けと!? 素数を数えて落ち着けと!? 無理でしょ、そんなのできっこないよ!?」
「い、いや、別に素数云々は言ってないけどネ……?」
臆病者のパニック、悲哀、絶望その他もろもろ負の感情すべてをぶっ込んだ渾身の叫びに、クォンは押され気味で弱弱しいツッコみしか返せない。
対して、ニコラは自分の世界に入り込み、遠い目になって微笑んだ。
「うん、そーだよねー。慣れないところで外食するより、お家でゆっくりご飯食べたほうが美味しいもんねー。ゆったり落ち着いて食べられるもんねー? 今夜はお刺身かなぁ? 踊り食いかなぁ? わーいわーい」
「え、えーっと……」
「ってそんなのやだよおおぉ!? 残酷だよおぉぉ! せめて気を失ってた時に完食しててよおぉぉ!?」
微笑んでいたかと思えば、ニコラは突如狂乱し、現実を受け入れたくないと泣き叫んだ。
そんな様子が流石に不憫で、クォンは優しく声をかけた。
「だ、だいじょうぶネ! きっと、どうにか助かるヨ!」
「そんなわけないよぉ、もうおしまいなんだよぉ……。ここは滅多と足を踏み入れる人のいない、秘境中の秘境なんだよ? 人里離れた高山の奥地なんだよ? 助けなんて来るわけないよぉ……」
慰めの言葉も所詮は気休めと受け取らず、ニコラは悲哀に染まり続けていく。
「グッバイわたし。来世は絶対、石ころに生まれ変わっちゃうぞっ☆」
ウフフと、ぶっ壊れ気味な微笑を浮かべるニコラ。
励ましたところで効果などないようだし、そっとしておいてあげるべきなのだろうか。
この手が自由なら、せめて優しく頭を撫でてあげるのに。
そんな風にクォンが思案していると、ニコラは急にクォンを見た。
その表情は、一転して真剣そのものである。
「な、なんネ? どうしたヨ?」
「そのね? クォンちゃんには、本当に申し訳ないこと、したと思って……」
「ほあちゃ!?」
わが身可愛さMAX、保身ぶっちぎりな彼女の口から飛び出したのは、誠実さが込められた謝罪の言葉だった。
「ど、どうしゃちゃったネ!? お前がそんな、騎士然とした姿、見せるなんて!?」
ニコラからの謝罪の言葉など聞き飽きているクォンだったが、これは普段のそれとは違う。
真摯に頭を垂れる姿に、クォンは動揺を隠せない。
「あ! もしかしてあれネ!? あまりの恐怖から魂が一足先に昇天して、空っぽになった体に、辺りを漂っていた誠実な浮遊霊が入り込んだ的な!?」
「そんなオカルトチックな話じゃないって。わたしは、本当に申し訳ないと思っているの」
クォンの仮説を否定し、ニコラは謝罪を続ける。
「こんな結末を迎えてしまって、ごめんなさい。謝って許してもらえる問題ではないこと、分かってる。だけど、今わたしにできるのは、これだけだから……。本当にごめんなさい」
だからと、ニコラは頭を下げ続けた。
彼女の変わり様に、クォンは圧倒されるばかりだ。
「そ、そんな……! いいヨ! クォン、気にしてないヨ!?」
「いいえ、気にしてほしい。そうする権利が、あなたにはあるから」
「いいって! だ、だってクォンは、お前のおかげで……!」
思わず飛び出そうになる思いをなんとか抑え込み、クォンは顔を赤らめた。
そうして彼女が言い淀んでいると、ニコラは瞳に強い決意を浮かべる。
「わたしたちの生は、ここで終わる。その事実は変えられない」
「う、うん……」
「だけど! だけどせめて、あの世ではあなたを幸せにする! クォンちゃんのこと、誰よりも幸せにしてみせる!」
「ほあちゃ!?」
思いの籠った告白。
その力強さに、クォンの顔は更に真っ赤になる。
「そ、その、それっていわゆるアレ的な!? ぷ、ぷろぽ――」
「だから! だからお願い! わたしのお願い、聞いてくれる!?」
「は、はいヨ! クォン、なんでもするヨ!?」
あたふたしながらも即答するクォンへ、ニコラは思いの丈を叫ぶ。
「ドラゴンが来たら申し出て! わたしから食べてくださいって申し出てッ!?」
予想外も予想外。
いや、ある意味予想通りな言葉を。
「……え?」
急速に熱が冷めていくのを実感するクォンへ、ニコラは普段通りの無様さを発揮しながらのたまい続ける。
「あなたが食べ終えられるその瞬間まで、ダメもとで逃走手段を模索するから! 生きることを諦めないッ! たとえいたいけな幼女を犠牲にしてもッ! そうッ! それは絶対に絶対だッ!」
「ざっけんじゃねえヨオオォ!」
「ぎいやああぁ!? なんでもするっていったのにいぃぃ!?」
いっそ清々しいとさえ思えるほどの外道っぷりを発揮するニコラのすねを、クォンは全力で蹴り上げた。
急所への容赦ない攻撃に悲鳴をあげるニコラの横で、クォンは怒りのせいで真っ赤になった。
「瞳を輝かせてなんつーことのたまいやがるネこの外道! お前正気カ!?」
「も、もちろんだよ! わたしは正気であなたを犠牲にしようとしているの!」
急所攻撃の余波にて涙目になりながらも、ニコラは一切の迷いを見せずに即答した。
「だって! だってやっぱり! どうやったって助かりたいんだもの! あなたの命を踏み台に、のうのうと生きて生き抜きたいんだもの! 分かった!? 分かったかな!? はい! それじゃあ、レッツ人柱ッ!」
「お前がネえぇッ!」
「ぎゃああぁ!? めり込む! わたしめり込む!? 文字通りの人柱にクラスチェンジしちゃううぅ!?」
抑えきれない怒りを力へ変え、外道を石柱に同化させんと試みながら、クォンは自身の甘さに肩を落とす。
「ああもう! 分かってたネ! 分かってたヨ! 話が上手すぎるって! 夢見すぎだって! お前なんかがそういうこと、言うはずないのにネ!?」
「そ、そういうこと? 一体何の話なの!?」
「お前がッ! 外道ッ! 以外のッ! 何者でもッ! ないってッ! 話ッ! ネェッ!」
「よ、容赦のない泣き所への連撃に加え、ここにきて威力があがるだとッ!? 小さな体の一体どこにそんな力があぁッ!?」
「誰かのためになら、人は強くなれるのヨッ!」
「いいですから! 折檻に限界突破なんて丁重にお断りしますからあぁッ!?」
泣き喚く外道へクォンは優しく微笑みかける。
「大丈夫。お前のためならクォンは、きっとどこまでも羽ばたけるッ!」
「もうやだカッコイイ! でもその言葉、別の場面で聞きたかったあああぁ!?」
羽ばたかないでええぇッ!? と、外道は必死で懇願する。
そんな時だった。
「ふははっ! やけに楽しそうではないか?」
突如、声が聞こえたのは。
「ひッ!?」
「ほあちゃ!?」
思わず身を竦ませるニコラたち。
その間にも、声は続く。
「虜囚と堕ちてよくもまあ、きゃんきゃんきゃんきゃん楽しげに。感心するぞ?」
洞の奥から響いてくる、楽しげな声。
それは、ニコラとクォンを、ここへ拉致してきた輩のものだった。
「あ、あ、あ、あ……!」
「ニ、ニコラ!? しっかり! しっかりするヨ!?」
対峙した恐怖を、連れ去られた絶望を思い出し、ニコラは激しく震え始めた。
そんな彼女を、クォンは必死で落ち着かせようとする。
「大丈夫! 大丈夫ヨ!? クォンが、クォンがいるからッ!」
「あああ!? ああああぁぁ!?」
「やれやれ。無様に泣き叫びおって。ふふふっ!」
声ととともに、響く足音。
それは段々と大きくなり、近づいてくる。
比例するように、ニコラの震えは増していく。
「い、いやだあああぁッ! 死にたくッ! 死にたくないよおぉぉッ! 誰かッ! 誰か助けてよおおおッ!?」
「大丈夫ッ! 大丈夫だからッ! ニコラは絶対に助かるからッ! クォンが、クォンが絶対助けるからッ!」
我を忘れて狂乱するニコラを、クォンは必死で宥め続ける。
彼女自身、感じる恐怖に心が押しつぶされそうになっていた。
だが、決して負けるものかと、傍らの少女を守るのだと、クォンは近づく人影へと決意を浴びせる。
「来るなら来いヨッ! 来てみろヨッ! だけど、ニコラには触れさせないッ! 絶対にお前をブチ殺すッ! たとえ、クォンは殺されたってッ!」
「ふふっ。なんとも威勢のいい奴だ。まあ落ち着くがいい」
「落ち着いてなどいられるものカッ! お前、そんな余裕ぶった口叩いてられるのも今のうちネッ! その喉笛、絶対に噛み千切って――」
怒りのままに、昂ぶりのままに、クォンは息巻いていたが、
「……ほあ?」
やがて姿を現した者を見て、彼女は言葉を失う。
「……え?」
怯え、震えていたニコラさえ、ソレを前に恐怖を忘れる。
二人の前に、姿を現したのは――
頭に生えた一対の角。
背中に生えた鋭い翼。
ぴょこぴょこと楽しげに揺れる、鱗の生えたしっぽ。
それらをフリル付きのふりっふりなエプロンで包み込み、
「たった今、この俺ゲヘナ特性の、馳走たちが完成したのだっ! 想像を超える絶品さに、笑顔になること、決定だぞっ!?」
小さな体で大きなお膳を抱え、愛らしい顔に目一杯の喜びを浮かべた、幼い女の子だったのだ。
***
ニコラたちの前に現れたドラゴンの少女、ゲヘナ。
困惑するニコラたちの前で、彼女は御馳走がこれでもかと乗せられたお膳を、古ぼけた大テーブルの上に置いた。
「うむ、まずは謝罪が先だろうなっ! その身を封じたこと、許すがいいっ!」
そうしてゲヘナは、ニコラたちへと弁解する。
「なんせ自由にしておけば、ニコラ……だったな? キサマは間違いなく逃走を望んだだろう? もっとも場所が場所ゆえ、そのようにする必要もないとは思ったのだが、念のためだ。どうしても我が手料理を振舞いたくてな?」
「は、はあ……」
「すぐに配膳を済ませよう。もうしばし待つがいいっ」
笑顔で告げた後、ゲヘナはクォンの額をしげしげと眺める。
「な、なんネ?」
「いや、薬草を張り付けた効果が出ているようだなと思ってな?」
「え?」
疑問符を浮かべるニコラに、ゲヘナはうなずく。
「うむ、キサマが囚われの身となった際にな? コヤツ、後先考えずに飛び掛かってきおったのだ。尋常ならざる雰囲気に振り返ったとき、尾で打ち据えてしまって。そのまま気を失ったというワケだ。許せ、あれは不幸な事故だ」
「そ、そんなことがあったんだ……」
自身が気絶していた間の健闘に、ニコラは目を丸くした。
そして感動した様子でクォンへ話しかける。
「それにクォンちゃん、さっきだってわたしのこと、助けようとしてくれて……」
「ふ、ふんっ! お前があんまりにもあんまりだから、出張らずにはいられなかったってだけヨ!」
照れた様子でそっぽをむいた後、クォンは肩を落とす。
「もっとも、意味なんてなかったんだけどネ……」
そう言ってしゅんとするクォンに、ニコラは首を振る。
「ううん。その頑張りが、わたしは嬉しいよ。ありがとう、クォンちゃんっ!」
「ほ、ほあちゃ……」
笑顔の感謝に、クォンは思わず頬を染めた。
「うむっ。よくは分からぬが、いい話だなっ」
ゲヘナもそのやり取りをみて、感慨深げにうなずいていた。
だが、
「そう、この感謝は嘘じゃない。嘘じゃないんだ。……だけどね?」
「……ん?」
何やら違和感を覚え、クォンが注視していると、ニコラは泣きそうな表情で叫んだ。
「欲を言えばさ!? もうちょっと頑張ってほしかったな!? わが身を犠牲にわたしを助けるくらいしてくれても、よかったと思うんだよ!?」
「…………ん?」
「うん、そうだよ! むしろそれこそ当然だよ! クォンちゃん、今からでも遅くはないよ!? さあ! わたしをここから救い出す、起死回生の一手を全力で考えるんだ! 頑張れ頑張れー!」
「やっかましいネぇぇぇ!」
「ぎゃあああぁ!? 泣きっ面に折檻!? 求めてるの真逆なんですがそれはあああ!?」
クォンは硬直から復帰するや否や、怒りに任せてニコラへの折檻を開始する。
「なぜに上から目線ヨ!? いつからお前そんな偉くなったヨ!? つーか素直に感謝で終わっとけヨォォォ!?」
「ごめんなさい調子に乗ってました! わたしが調子に乗ってました! 謝るから! 謝るから足の親指と人差し指で、太ももの肉を削ごうと懸命に努力するのやめてええぇ!?」
「うむっ! よくは分からぬが、その様子なら大事ないようだなっ! 楽しげで重畳っ!」
嬉しそうに笑った後、ゲヘナはテーブルに向き直り、お盆に乗った料理の数々を見て大きくうなずいた。
「うむうむっ! 我ながらなかなか頑張ったなっ! これだけの馳走、こしらえたのは初めてではないか?」
嬉しそうにつぶやきながら、ゲヘナは配膳を始める。
「この大皿はここに置くのがいいだろうか? ……いや待て。それよりはこの皿を置いたほうが見栄えがいいか? むうぅ。これだけの配膳、慣れぬことで、よく分からぬっ!」
ゲヘナは眉根を寄せ、ニコラたちへ問いかける。
「おい! キサマらはどうするべきだと思うか? その意見、聞いてやろう!」
「え、ええ?」
「え、えっーと、大皿の料理の方が彩り豊かだから、それをメインとして中心に据えるべきじゃないかな……?」
「おおうっ! それは名案だっ!」
ポンと手を打つと、ゲヘナは早速配置に反映させていく。
「確かにこうしたほうが、なんともいい感じだ! キサマ、いい感性をしているなっ!」
「そうネ。ニコラ、意外な特技を発揮したヨ」
「そ、そんな……。まあその、昔よくパーティに出てたから、その経験が生きたのかな?」
「パーティだと!? その話、詳しく聞かせるがいいっ! 俺は興味深々だぞっ!?」
キラキラと瞳を輝かせるゲヘナに、ニコラは遠慮がちに説明する。
「いえ。立場上、仕方なく出席していたものばかりなので。堅苦しいばかりで、面白さなんて微塵もありませんでしたよ?」
「それでもいいのだっ! すぐ縛めより解き放とうっ! 絶品に舌鼓を打ちながら、よおく聞かせてくれるがいいっ!」
「わ、わかりました。ですが、言っておきますけど本当に面白くなんて――って」
「「そんな場合じゃなくない(ネ)!?」」
「うむ?」
小首を傾げるゲヘナの前で、ニコラとクォンはようやく我に返った。
「どどどどうしよう!? どうしようクォンちゃん!? 幼女姿なエプロン姿で喜色満面な配膳姿に長々と飲まれちゃってたけど、これ絶対罠だよね!? それ以外のなにものでもないよね!?」
「そ、そうネ! 今さらだけどそのとおりネ! 口にした瞬間、混入させた薬でグッスリあんどパックリヨ! 本当のご馳走はクォンたち自身ってことなのヨ!」
遅まきながら不信感マックスとなった二人を前に、ゲヘナはふむと腕を組む。
「たしかに、さきほどまで敵対していた相手が、料理を振舞おうなどとほざくのだ。その不信は当然だろう。攫ってきたのも加えればな」
「そうヨ! よく分かってるネ!」
「だがな、俺には謀るつもりなど毛頭ないのだ。純粋に料理を振舞いたい、その一心でな?」
そもそもとゲヘナは続ける。
「俺は菜食主義だ。よって捕食の心配はないと知れ」
意外な言葉に、ニコラたちは目を丸くする。
「な!? つくならもっとマシな嘘つくネ!?」
「そうですよ! そのナリで……ああいや、今は可愛らしい幼女姿ですけど! 邪竜がベジタリアンだなんて、信じられると思いますか!?」
「この姿のほうが小さな分、燃費が良いのだ。そして嘘などついてはいない。肉なぞ、血生臭くてたまらぬだろう? 保存するにも手間を取るし、腐り落ちるのも早いし、なにもいいことなどありはしないっ」
ほほを膨らませて主張した後、ゲヘナは一転表情を輝かせる。
「それに比べ、野菜、果実、木の実などのなんと素晴らしいことかっ! 摘み立てはフレッシュで、そのまま噛り付くも良し、火を通すも良し、保存方法も多種多様! 砂糖漬けなどにでもすれば、蕩けるほどに美味ではないかっ!?」
その素晴らしさを嬉々として語ったゲヘナだったが、急にしゅんとなる。
「だが、先の料理の合間、保管していたのを思い出し、嬉々として壺の蓋をとったのだが、得体のしれぬナニカと変じていたよ……。とっておきたいとっておきだったのが、流石に数百年はやりすぎだったらしい……」
「え、えっと。それはそれは……」
「ご、ご愁傷様ネ……」
「うむ。とっても残念だ……」
悲しそうにうなずいた後、気をとりなおすようにゲヘナは顔をあげた。
「話がそれたな。さておき、言って聞かせた嗜好だ。身の危険などないと理解できただろう? 第一な? 仮に血肉と変えるつもりであったのなら、キサマらは既に口を利くことなどできてはおらぬ。俺は、下ごしらえは手早く行う主義でな?」
「ひいッ!?」
「はははっ! 仮の話と言っただろう? まあそういうわけで、その五体が満足であるのが一番の証拠というやつなのだ。俺の言葉、おとなしく信じるがいいっ」
怯え震えるニコラを見て楽しそうに笑った後、ゲヘナは信用を強要する。
だが、邪竜にそのようなことを言われ、はいそうですかと首を縦に振るほど、ニコラたちは愚かではない。
「そ、そんなことできません! 簡単にほだされるなどと、思わないでください!」
「そうヨ! 常識でもの言うネ! 誰が邪竜の言葉なんか!」
なおも頑として拒絶する二人を見て、ゲヘナはやれやれと首を振る。
「まったく。嫌われたものだな」
だが、突如、
「――しかし、この俺に歯向かうとは何事だ?」
邪竜は、凶悪な雰囲気を漂わせ始める。
「分かっていような? 塵芥の分際で、たかだか人間の分際で、今、キサマはこの俺へと歯向かったのだ。傲慢にも、信用できぬと拒絶したのだ。一体どのような了見をしている?」
「ひ、ひぃッ!?」
睨みつけただけで殺せそうな鋭い視線に、ニコラは震えあがる。
「く!? 本性を現したネ!?」
歯を食いしばり、クォンはどうにかニコラを庇おうとするが、身を封じられているため叶わない。
そんな彼女を尻目に、ゲヘナは視線でニコラを射抜き続ける。
「選択の余地など、与えた覚えはない。黙って首肯せよ。さもなくば――」
「ご、ごめんなさいッ! 命だけはッ! 命だけはああぁ!?」
そうして、命乞うことしかできないニコラへ、
「――さもなくばっ! あーんして、食べさせてやるぞっ!?」
邪竜は、嬉しそうな様子で主張した。
「「……は?」」
予想外も予想外。
アヴァンギャルドがすぎる発言に、呆然とするニコラたち。
彼女らを前に、暴虐の化身(?)は今後の甘々な展開を楽しそうに語り始める。
「そうっ! この俺が手ずから食べさせてやるのだっ! 特にニコラとやらっ! その卑劣で愚昧で矮小な言葉しか吐くことのできぬ口の中へ、この俺が、たくさん、たっくさーんっ、あーんしてやるぞっ?」
「ちょ、ちょっと待つネ! どうしてそうなるヨ!? どうしてそんな、嬉しそうにしているネ!?」
「気に入った相手を客人と招いたのだ、これが嬉しくなくてなんというかっ!」
クォンからの当然の指摘に、ゲヘナはこの流れこそ当然だろうと瞳を輝かした。
「俺はな? 人間の矮小愚昧な生き様を眺めることをたまらなく好むのだ! 弱者ゆえの怯え、震え、命乞いなど心地良い! 長らく封印され、楽しむこともできなかったが、その矢先にキサマらが……ニコラが現れた!」
「わ、わたしですか?」
目元に涙を浮かばせたままのニコラに、ゲヘナは嬉しそうに返答する。
「そうだっ! 本来であれば、俺に弓引く愚か者共には、まあその愚かさも愛らしくはあるのだがっ! その身の程を知らしめてやるのが常であるのだ! しかしな!? そうできなくなるほど、どうしようもなくなってしまってなっ!?」
ゲヘナは興奮気味に身を乗り出す。
「だって、だってそうだろう!? 騎士でありながら命乞う矮小さっ! 自身が助かるためならば平気で他者を犠牲にしようとする下劣さっ! ドラゴンたるこの俺をないがしろにする横暴さっ! 今まで目にしてきたどの人間よりも臆病で、最低で、目も当てられないほどの外道さが、実に甘美で、美麗で、俺の心に響いたのだからっ!」
先のベジタリアン云々が霞み、吹き飛ぶほどのとんでもない嗜好を暴露したゲヘナは、奇跡に直面したかのような様子を見せる。
「どうしてお前は、この俺をここまでときめかせるのだ!? 喜ばせるのだ!? 魅了するのだ!? ほんとにもう……もおっ! めちゃカワだぞっ!?」
「そ、そんなこと言われたって騙されませんよ!? そんな、わたしみたいなのを気に入るなんて……も、もー、やだなぁー?」
その内容は内容だが、突如褒めちぎられた形となり、照れたのだろう。
ニコラは嬉しそうな様子を見せながら、隣のクォンに話しかける。
「ねー、クォンちゃんっ? そんなわけないよねーっ? きっとこの子、演技してるんだよねーっ? わたしを油断させようと、あんな演技してるだけなんだよねーっ? ああもう困ったなー? うふふっ」
「あったり前ネッ! お前みたいなドグサレ外道騎士崩れ、気に入るようなヤツなんて、世界中探してもいる者カッ! ノロケたけりゃあいっぺん死んで、マトモな人間に生まれ変われヨッ! ぺッ!」
「ちょいと浮かれ気分で尋ねてみたら、とんでもない罵詈雑言。うん、来るとは分かってたけど、流石に今のは効いたなぁ……」
酷い人格攻撃に涙目になるニコラへ、クォンは言い聞かせる。
「ともかくニコラ! あんなの嘘に決まってるネ! お前の鉄壁の疑心暗鬼、いまこそ全力発揮するべきヨ! 絶対にッ! なんとしてもッ! アイツにだけは心なんて許すんじゃないヨッ!?」
「な、なんだかクォンちゃんムキになってない? うん、ムキというかヤケというか。なんて言うか、それこそ恋敵が現れた的な様子というか……」
「う、うるさいネ!? 黙らないと折檻コースヨ!?」
「イエスッ、マムッ! 仰せのままにッ!」
「はははっ! 保身のため、刹那で意志を折る様も愛らしい!」
瞬時に口をつぐんだニコラの様子に、ゲヘナは満足そうに笑い、宣言する。
「誰になんと言われようと知ったことかッ! 俺が気に入ったッ! それが事実だッ! 批判も不満も受け入れぬッ! この俺に意見していいのは、この俺だけなのだからッ!」
「な、なんて生意気な……!」
「う、うん……」
クォンは眉根を寄せ、ニコラは目を丸くする。
それを意に介した様子など微塵も見せず、ゲヘナは気を取り直すように、スープの入った皿を一つ手にした。
「と、言うわけでだ。ニコラよ、今からあーんしてやるぞっ? 心するがいいっ! ……そうだ、毒を心配しているのだったな?」
ゲヘナはスープをスプーンで一匙すくい、口へと含む。
「……んくっ。うむ、いい味だ」
そうして見せつけるように嚥下し、微笑んだ。
「ほら、なんともないだろう? ただの優しい味付けだぞ?」
そうしてゲヘナは、ニコラの口元へスープを運ぶ。
自身が使ったスプーンで。
「ほあちゃ!?」
「どうしたクォンとやら? なにを驚くことがある?」
「だ、だってそれ!? か、間接……! 間接キ……!」
それ以上は言葉にできず、真っ赤な顔でパクパクと口を開けるだけのクォンに、ゲヘナの疑問は深まった。
「なんだというのだ? まあ、今はいい。冷めてしまってはもったいないからな。あとで聞かせるがいい」
ゲヘナは気を取り直すと、ニコラへとスープを運ぶ。
「さあニコラよ、絶品を楽しむがいいぞっ? はいっ、あーんっ?」
「! だ、ダメネ! ニコラ、そんなのいけないヨッ!?」
その蛮行を阻止したいクォンだが、身を封じられた彼女には、焦った声をあげることしかできない。
結果、涙目のクォンをあざ笑うかのように、スプーンはニコラの唇へと――
「い、いやですっ!」
――触れる直前で、ニコラは顔を逸らした。
「……はあぁ」
安堵に胸を撫でおろすクォン。
一方ゲヘナは、ニコラの行動を不思議がった。
「どうした? 毒見はしただろう? なにが不満だ?」
「そ、そんなの決まってるネ! そ、そんな、え、えええっちなの! こ、恋人とかじゃないとできな――」
「毒見なんて嘘っぱちです! きっと竜には効かない薬を入れているんでしょう!? 人間には効果バッチリなんでしょう!?」
「ああそっちだったネ!?」
震えながら言及したニコラは、ツッコんだクォンへ目を見開いて抗議する。
「そっちもどっちもないよクォンちゃん! 信用するなってクォンちゃんも言ったでしょ!? 邪竜に抵抗するのは怖いけど、わたし死にたくないから必死なんだからね!?」
「確かに命のかかったこの状況では、普通はそっちを気にするものよネ!? クォンが間違ってたヨ! ごめんネ!」
二人のやりとりを前に、ゲヘナはきょとんとしていたが、やがて満足げに笑い始めた。
「なるほどそういう解釈も確かにあるな! キサマのその疑り深さ、めちゃカワだぞっ?」
うむうむと喜びを噛み締めるようにうなずいたゲヘナだったが、その後、ふむと考え込む。
「しかし、どうしたものか。どうすれば口にさせることができるのか……」
「そんなの簡単です!」
「む?」
「クォンちゃんに毒見してもらえばいいんですよ!」
「ほあちゃ!?」
とんでもない提案に驚嘆するクォン。
対してゲヘナは妙案だと瞳を輝かせた。
「その手があったか! いとけない幼子での毒見とは、外道が過ぎるゆえ、邪竜たる俺でさえ思いつかなかった! そのえげつなさ、右に出るものはおるまいて! キサマ、やはりめちゃカワだなっ!?」
「お褒めに預かり光栄です!」
ゲヘナは、恐悦至極と頭を垂れるニコラから視線を外し、傍らのクォンへ狙いを定めた。
その手に、先のスプーンを握って。
「ちょっ!? ま、待つネ! ちょっと待つヨ!?」
「心配はいらん。誓ってこのスープは健全だ。妙なものなど混ぜてはいない」
「確かに毒物も気にはなるけど、やっぱりダメヨ!? 乙女的に、今重要なのはそこではなくてネ!?」
焦りを露わとするクォンに対し、ゲヘナは小首を傾げた。
「乙女的……? よく分からぬが、それは後で聞かせるがいい。毒見の体をとっているとはいえ、スープは温かなうちに飲むのが一番だからなっ。はいっ、あーんっ?」
「待って待ってちょっと待つヨー!?」
迫るスプーンを前に、刹那、クォンは思考する。
このゲヘナという邪竜の恋愛観や貞操観念については、察するに、その見た目通りのお子様らしく、今のように、乙女的に清らか的な説明をしたところで意味をなさないと推測できる。
ならば彼女が好意を抱くらしきニコラに助けを求め、やめさせるか?
……いや、無理だ。
そもそもこの状況に運んだ張本人こそ、あのド外道であるのだ。
どうやったって自身は乙女的に清らか的なナニカを失う事態から逃れられないのだ。
ならば……
「……うん。ニコラ、クォンは決めたヨ?」
「うん!」
「お前の前で、別の女といたしてやるネッ!」
「……うん?」
微妙な顔をするニコラへ、クォンは眼尻に涙を浮かべ、儚げな笑顔を見せる。
「だけど、だけどお願いネ……。口にする姿を。汚れ逝く、クォンの姿を。見ないでほしいヨ……?」
毒見はしてやる。
してはやるが、その場面だけは見ないでほしいとクォンは懇願する。
後生だからと。
それが、自身の望む、僅かばかりであるからと。
……だが、
「え? それは無理だよ? ちゃんと毒見したかどうか、その瞬間を確認しないと……」
きょとんとした顔で、ニコラは返答した。
「この外道ッ! 人でなしいぃぃッ!」
「ひいぃッ!? ご、ごめんなさいッ! だけどわたし、何としてでも助かりたくて……!」
あまりの剣幕に怯え震える外道を前に、クォンは怒りを吐き出し続ける。
「ああクソ! こいつの思考回路、把握してるはずだったのにこの体たらくカッ!? クォンの馬鹿アアァッ!?」
「うむっ! それでは舌鼓を打つがいいっ。あーんっ?」
「むぐっ!?」
そうして抵抗空しく、クォンは絶品に舌鼓を打つのだった……。




