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……めちゃカワだッ!


 人里離れた高山の奥地。

 渓谷はどこまでも続き、点在する荒野には、山風によって風化した岩々が寂しげに屹立している。

長年風雨にさらされた結果か、砂丘の存在する地帯もあった。


 そんな、生きる者の気配の感じられない寂しげな岩山。

 その一角で、対峙する者たちがいた。

 

 一方は少女。


 渓谷より吹きあがる強風に、背で二つ縛りにされた黒髪がなびく。

 しかして、漆黒の鎧に包まれた肢体は、僅かばかりも揺れはせず。

 やや幼さの残る顔立ちには、不断の意思が強く在る。


「……」


 強く口を引き結んだ彼女。

 決意を込めて睨みつけるのは、対するものは、暴虐の具現。


 四つの四肢を岩山に突き立て。

 巨木の如き、しかして、しなやかな尾を鞭のようにしならせ。

 我こそが、生きとし生ける、すべてに君臨する王者だと。

 目にした者の遺伝子に眠る恐怖を呼び覚ます。



 ドラゴン。

 一騎当千を誇る、遥かな過去に生きた、伝説のモンスターである。



「ほう? これはまた……」


 敵意むき出しの少女を前に、ドラゴンは悠然と、愉快さすら覗かせる表情だ。

 その余裕も当然だ。

 腕に覚えがあろうとも、ただの一人の人間が、ドラゴンに太刀打ちできるはずがない。

 戦力差は歴然なのだから。


「……」


 しかし、分かっているはずだろうに、少女は一向に動じない。

 怯えを微塵も見せず、ただただそこに強く立つ。


 そんな彼女を見下ろしながら、ドラゴンは過去に手を伸ばす。


「あの聖女の封印が朽ち果てて数日。幾百の年月が過ぎたのだろうと、人間などという脆弱の輩、絶えて久しいだろうと、そう思っていたのだが……」


 口元からのぞく鋭い牙がギラリと光る。


「なかなかどうして。足掻き、もがき、世界にこびりついているではないか?」


 眼光鋭く、傲岸不遜に愉悦する。

 だが、それでも少女は動じない。


「……」


 一歩も引かず、決意を散らさず、しかと対峙し続ける。


 なぜか。

 その理由は簡単だ。


 彼女が、騎士であるからだ。



 騎士。



 勇なき者の対極に位置する防人。

 力なき者のため、守るべき民のため、たとえ命尽きても屈しない、誇るべき剣たちのことである。


 この不退転の在り様こそ、騎士たる証左。

 たとえ『伝説』に対峙しても、その『誇り』は手折られない。


「そうヨ! その調子ネ!」


 そんな少女へ、声援を送る者がいた。


「……む?」


 声の方へとドラゴンは視線を移す。

 そこは少女の背後、少し離れた位置にある大岩の上だった。

 

 そこに立った幼女が、小さな体を目一杯使って、懸命に応援を届けているところだった。


「ここが踏ん張りどころネ! ほあちゃーヨ! ほあちゃーするヨ!」



 気勢を上げ、手を振り上げる幼女。

 ピョンピョンと飛び跳ねるのに応じ、炎のような真紅色をした、大胆なスリットが特徴的なチャイナドレスの衣装の端が、太ももの上でヒラヒラ揺れる。


「……」


 無言で頷く少女。

 守るべき者の声に、騎士たる少女の体に、力がみなぎるのが分かった。


「……どれほどの時を経ようとも、一部たりとも変わらぬ……か」


 言葉に含まれた感情は、勇気を愚行と履き違える塵芥への憐憫か。

 ドラゴンは吐息を零すように、口元からチロリと炎を覗かせた。


「……いいだろう。せいぜい、死力を尽くして――」


 言いかけたところで、ドラゴンは停止する。


「……何の真似だ?」


 少女の行動に目を見張る。


 少女は背に背負った大きな得物――おそらくそうだろう。なめし皮で覆われているため、なにかまでは分からない――を抜き放つことすらせず、鎧と同じく漆黒のガントレットを構えたのだ。


 それが語る、彼女の決意。



 拳で邪竜と相対す。



 そもそも、単身で真っ向から迎え撃つこと自体無謀であるドラゴンを敵と定めているというに、そのうえ拳で仕るなど、愚行を軽く超えていた。端的に、狂気の沙汰であるとしか評せない。

 ガントレットを着けているのだ、殴りつければ普通のモンスター相手ならば多少のダメージとはなるやもしれないが、ドラゴンを相手に籠手程度でダメージなど与えられるものか。


「ッ!? お前また!? 背負った槍はお飾りカ!?」


 幼女からも困惑が漏れる。

 どうやら得物は槍らしい。

 槍程度で対峙するのも愚かの極みだが、拳よりはまだいいだろうに。


 双方に困惑をもたらしたその行動。


 しかし当の本人は、おかしいことなど何も無いと示すように、拳を構えたまま、落ち着き払った様子を崩さない。


「武器など不要。両の拳で、事足りる」

「ああもー! この期に及んでー!?」


 声援を唖然に変え、地団太を踏む幼女を放って、少女騎士は吠え猛る。


「我が名はニコラッ! 傲慢滲ます邪悪な竜よッ! 我が決意の前に、討ち果たされよッ!」

「……来るがいいッ!」


 そして、気高き者たちは激突する。


***



 騎士と竜。

 誇り高き者らの一騎打ち。


 敗者が露と果てるまで終わらぬ死闘は、ここに幕を開けたのだ。

 その終わりを告げるのは、響き渡る断末魔の叫びのみ。

 落命の刹那、その苦悶と絶望が秘境の奥地に響くまで、両者の攻防は地を裂き、空を裂き、地形すら変革させる――などと、思われたのだが。

 

 事態は、予想もつかない展開を迎える。



「……なっ!?」

 

 暴虐の化身たるドラゴンは、言葉を失い茫然とし。


「……あいやー」


 赤服の幼女は、ただただ頭を抱えた。


 彼女らの視線が交わる先、ドラゴンの眼前には、




「すみませんでしたああああぁッ!」




 すべてをかなぐり捨て、全力で土下座する、騎士改め、ヘタレの姿があった。


***


「すみませんごめんなさい本当に申し訳ありません! ほんの出来心だったんです魔が差したんです許してくださいー!」


 ドラゴンの鼻先で、その少女は見事な土下座を見せていた。

 先まで騎士らしい勇猛果敢な姿を見せていたのが嘘だったかのようだ。


「だってわたしは人間だもの! あなた様のような一切瑕疵のない超絶美麗な邪竜様とは違い、矮小、愚鈍、脆弱が取り柄の人間だもの! ですから失敗しちゃうこともございます! 調子に乗って身の程をわきまえないことだって! ええそうですとも! そうですよね!?」

「……え、えーと」


 言葉を失うドラゴンへ、騎士ニコラは、これもまた見事と言わざるを得ない、命乞いの言葉を叫び続ける。


「塵芥同然なわたくしめとは違い、究極賢くあらせられる、誇りに満ち満ちた、素敵に邪竜なあなた様! で、あればこそ! こんなどうしようもないわたくしめの過ちも、その大海が如き広く寛大な心でお許しになられますのはマジ道理であらせられますよね!?」

「……な、なんなのだ、コヤツは……!」

「ですからお許しを! 平に! 平にご容赦を!」


 ようやくドラゴンは声を絞り出した。

 だが、命乞いは一向に止まない。


 死闘一直線の場面から一体どう展開すればこうなるのか。なってしまうのか。

 ドラゴンは思い返す。




 悠然と構えるドラゴンへ、気勢を上げて躍りかかった騎士ニコラ。

 瞬く間に距離が詰み、さあ、死闘の幕開けか。

 

 そう、ここまではいいとしよう。

 だが、その直後、事は起こる。


 拳を奮う直前、ニコラは急停止。

 何事かとドラゴンが驚く間もなく、姿勢を急降下。

 

 大きく手を振りかぶると、砂利や石の転がるのも構わず、地面へそのまま滑り込み、両手をつき、頭を垂れ。

 そうしてドラゴンの直前で見事に停止し、腹の底からの謝罪を繰り出したのだ。



「何卒! 何卒おおぉ!」

「……」


 そうして、今に至る、と。


 再度言葉を失うドラゴンを前に、ニコラは頭をあげると、背後の赤服幼女を振り返った。


「クォンちゃん! クォンちゃんも力を貸してよ!? わたしを永らえさせるために、一緒に頭を垂れてよ!? 可愛いお顔を、これでもかって地面に擦りつけてよぉ!?」

「うんっ! わかったヨっ!」


 幼女――クォンは同意し、柔和な表情を浮かべる。

 そうしてニコラの傍へ駆けてくると、元気一杯に宣言する。


「クォン、土下座するヨっ! ニコラのために、無様にいやしく土下座しちゃうヨっ!」

「ありがと! ありがとクォンちゃ――」

「……なーんて、言うと思ったカ?」

「え?」


 次の瞬間、クォンはニコラの後頭部を踏みつけた。


「ぐええぇ!?」

「んっなこと、するわけねえヨ!?」


 表情一転、怒りに満ち満ちたクォンは、真っ赤な顔でニコラを罵倒する。

 ニコラは扱いに納得いかないと涙目で抗議する。


「な、なにするのクォンちゃん!? 痛いよ!? 泣いちゃうよ!? 泣いてるよ!?」

「やっかましいネ! 黙って聞いてれば、お前なにしてるヨ!?」

「命乞いだよ! それ以外のなにかに見えた!?」

「見えなかったヨ!? だからこそ怒ってるネ!」

「わ、わたしだって、頑張ったんだよ!? なけなしの勇気、振り絞ったんだよ!? だけど、やっぱり無理だったの!」


 怒り心頭のクォンへと、ニコラは情状酌量を求め始める。


「対面したら分かったの! 肌でびりりと感じたの! 相手はドラゴン、それも封印されてた邪竜だよ!? こんなの、やっぱり勝ち目なし! 可能性はゼロしかなくて、犬死に確定まっしぐら! だから助命を求めたの! 誠心誠意、お願いしたの!」

「騎士が邪竜に命乞いとカ!? そんな話があってたまるネ!?」


 指摘した後、クォンはさらに不快感を露わにする。


「そもそも、なーにが頑張ったネ!? 得物すら抜き放たないとカ!? なに保険かけてるヨ!?」

「ほ、保険だと……? おい幼子! あれは、なにかしらの信念に基づいたゆえの愚行だったのでは――」


 気になるワードに反応したドラゴンへ、クォンは怒りのままに吐き捨てる。


「んなわきゃないネ! あれは負けた時の保険ヨ! 『思わず牙を剥いたけど、あれは混乱してたからで! 危害を加えるつもりは毛頭なくて! ほら、得物抜いてないでしょ!? だからギリギリセーフでしょ!? どうか許してくださいよおおぉ!』って言うためヨ!」

「な、なんだと……!? なんという……!」


 呆然とするドラゴンをほったらかしに、クォンの罵倒は続く。


「こんな秘境に出張っておいて、決戦で保険をかけるとカ!? お前ホントになにしてるネ!?」

「用心深さは大事でしょ!? それに頑張りと成功は結びつくわけじゃないんだよ!? 努力したからって結果を求めてしまうと、取り返しのつかない事態が引き起こされてしまうことだってあるんだと本で――」

「正論かもだけど、お前が言うと鼻につくヨ!」


 ごちゃごちゃ抜かすニコラの襟首を、感情のままにクォンが引っ掴む。


「さあ立つネ! 大願成就のため、お前はここに来たって言ってたヨ!? 今こそ、ほあちゃーの時ネ! 大丈夫ッ! たとえ力及ばずとも、心が折れなければ負けじゃないッ!」

「ひぃッ!? そういう熱血理論、一番大嫌いなんだけどッ!?」


 ガクブルと震えながら、ニコラは必死で地面へとへばりつく。

 それを引きはがしにかかるクォン。


「お前にはこのくらいで丁度いいネ! ほら、少しはいいとこ見せてみるヨ!」

「いやだよおぉ! 絶対いやだよおぉ! 勝ち目なんて微塵もないから! むしろ微塵にされるから! 勇気と無謀を履き違えちゃだめなんだよ!? 戦略的撤退だよおおぉ!」

「だとして、今回ばかりは引けないネ! 封印が解けてるなんて思わなかったけど、こんな相手放っておいたら絶対ダメヨ! 世に混沌が溢れるネ!」


 クォンはニコラの肩に手を置いた。


「出くわした今、ニコラが望むは逃走ではないはずヨ! たとえ食い止められぬとしても、騎士の誇りにかけて、手傷の一つ、負わせてみせるネ!」

「誇りなんてクソくらえ! 自分の命が一番大事! 見知らぬ誰かがどうなろうと、知らぬ存ぜぬ感知せぬぅー!」

「お、お前!? さすがにそれはアカンくないネ!?」

「あ、ごめんね間違えたよ!」

「そ、そうよネ? いくら臆病だったとしても、さすがに今のは騎士以前に人として――」

「見知った誰かがどうなろうとも! 知らぬ存ぜぬ感知せぬううぅ!」

「最低さがメーター振り切ったヨ!?」


 ドン引きするクォンの前で、ニコラは、ふうと息をつく。


「……だけど。そう、だよね……。やっぱり今は、今だけは、逃げちゃダメだよね……」


 ニコラは地面から手を放し、ゆっくりと立ち上がった。


「今、わたしは岐路に立たされている。ここで勇気を振り絞れなければ、ずーっとわたし、このままだ。そんなのは、やっぱり嫌だな」


 ぐっと拳を握る。

 胸に抱いた望みを果たすと、彼女は凛々しく立ち上がった。


「だから、やるんだ。わたしだって、やってみせる」

「ニコラ……!」


 その言葉に、クォンは感極まったと瞳を輝かす。

 そんな彼女を、ニコラは穏やかに見つめた。


「うんっ。きっと大丈夫っ。だってわたしは一人じゃない。あなたがいてくれるんだからっ」

「そうネっ。ニコラにはクォンがいるヨっ?」


 嬉しそうに笑った後、クォンは声を張り上げた。


「さあ! 今こそやってやるネッ! 本気のほあちゃー、ぶつけて見せるヨッ!」

「うんッ!」


 うなずき、声援を力に、ニコラはドラゴンと対峙する。

 

「ようやく、その気となったのか……?」

「ええ! お待たせしました!」


 微笑んだ後、ニコラは瞳を見開く。


「聞けッ! 邪竜よッ!」


 そして、大音声を響かせる。


「一度は膝をつき、無様をさらしたわたしですがッ! やはりあなたを野放しにしておくわけにはいきませんッ! わたしの全力で、討ち果たしてみせると誓いましょうッ!」

「……そうか」


 宣告に、ドラゴンの顔に影が差したように見えた。

 だが、ドラゴンはすぐさま王者の風格を露わにする。


「身の程は知っていよう? キサマのような小娘風情が、本気でこの俺に敵うなどと、思っているのか?」


 愉悦を覗かせるドラゴンへ、しかしニコラは食い下がる。


「討ち果たして見せると、たった今誓ったッ!」

「クク、そうだったな……? 許せ」


 ドラゴンは楽しげに笑う。


「……」

「……」


 にらみ合う両者。

 沈黙が生み出す静寂。


 だが、それも一瞬。



 刮目したドラゴンが、大きく翼を広げ、身構えた。

 いざ決戦を迎えんと、ドラゴンは宣言する。


「小娘よッ! 死力を尽くし、限界を超えろッ! 我が暴虐を止めんと欲すればッ! 全てを失う覚悟で盾突いてくるが――」




「待つがいいッ!」



 ドラゴンの大音声を、それよりも大きな声で、ニコラが遮った。


「ほわっ!?」

「あいやっ!?」



 ここぞの場面での渾身のセリフ。

 まさか遮ってくれるなどと思わなかったのだろう。

 ビクッとなって目を丸くするドラゴンとクォンを前に、ニコラは騎士然とした凛々しい表情で語る。


「一言、ここに物申すッ!」

「な、なにをだ!?」

「騎士には二種類いますッ! 王国騎士団に所属する者と、しない者ッ! わたしは後者ッ! それらの者は、基本的にギルドのクエストを受注し、生計を立てていますッ!」

「それがなんネ!?」


 ツッコみをものともせず、ニコラは続ける。


「クエストを達成すれば、ギルドより報酬をいただけますッ! そうしてご飯をいただけますッ! よってギルドに――受注元、依頼主にパワーバランスが傾いていると言えるでしょうッ! わたしはそう思いますッ!」

「それがなんなのだ!?」

「はいッ! ただ今回は、わたし個人の強い希望でこちらに伺いましたッ! 彼女、クォンに道案内を依頼し、あなたの前に躍り出たのですッ!」


 ニコラは悔しげに歯を食いしばる。


「ですがッ! ですが先にわめいたとおり、あなたの強大さは想像を優に超えていたッ!わたくしには荷が勝ちすぎているッ! よって、逃走を望みましたッ!」

「強大さ……? いや、それはそうだが、俺はまだ力の一端すら見せては――」

「ですがッ! 彼女が、クォンが言うのですッ! 戦えとッ! やってみせろとッ! いたいけな少女の願い、騎士として無下にすることができましょうか? ええ、どうでしょうッ!?」

「聞いちゃいねえヨ……」


 呆れ顔のクォンを無視し、ニコラは主張を続ける。


「引き下がれないでしょうッ!? 引き下がる事、できないでしょうッ!? よってわたしは今一度、あなたの前に躍り出ましたッ! ――しかあしッ!」


 ニコラは大仰に手を振り上げる。


「いいですかッ!? ここからが重要ですッ! わたしは諦めようとしていたッ! だのに、彼女は諦めるなと背を押したッ! 戦えと、わたしに叫んだ――依頼したッ!」

「……あ、あいや? なんだか媚びて――」


 冷や汗を浮かべるクォンの前で、ニコラは遂に最重要点を口にする。



「つまりッ! 彼女、クォンこそが諸悪の根源ッ! 依頼主というパワーバランス的に上の存在となった彼女の意向には逆らえずッ! わたしは仕方なく刃を向けるのですッ!」



 自分は一切悪くない。

 悪いのは、激励してきた幼女であると。

 そう、この騎士は口にしたのだ。


「あいやッ!?」

「なんだとッ!?」


 あんまりな主張に目を見張るばかりのクォンとドラゴンを前に、ニコラは清々しい顔で力強く叫ぶ。


「あごで使われる歯車さんたち可哀そうッ! でも、最大限の不祥事に責任をとるのは上の立場のお歴々だよねッ!? ですからッ! ですからここぞとばかり、わたしは主張いたしますッ! 敗北した際には何卒ッ! わたしのことは害されずッ! この傲岸不遜な外道幼女な依頼主、クォンをこそ処断するようにとッ! ここに深くお慈悲を求め言質をいただいてから戦いに――いいえッ! それじゃあ生温いッ! 直ちに誓約書を作成しますので、そこにサインをいただけませ――」

「ふっざけんじゃねえええエッ!?」

「ごっふううぅッ!?」


 そこで紙とペンを取り出そうとするニコラの腹部へ、クォン渾身の飛び膝蹴りが炸裂した。


 吹っ飛ばされ、地面へと転がるニコラの元へ猛然と駆け寄ったクォンは、その襟首を引っ掴み、ガクガクと揺らして怒号を浴びせる。


「外道!? それはお前のほうネッ!? クォンを犠牲に、なに自分だけは助かろうとしてるカッ!? してるカアァァッ!?」

「だ、だってッ! だってわたし、死にたくないんだものッ!」


 揺さぶられ、目を回しながらもニコラは強く言い放つ。


「それこそ是が非でもッ! 何を犠牲にしたってッ! どれだけ屍の山を築いてもッ! 自分だけは、ぬくぬくと生きていきたいのッ! わが身可愛いい人間だからッ!」

「お、お前ッ! 本当にそれでいいのかヨッ!?」


 指摘されるが、ニコラは逆上するように妖しい笑みを浮かべるだけだ。


「ウフフッ! 人間なんて、所詮はこんなものなんだよッ!? いざ窮地に追い込まれれば、醜い本性こんにちはっ! 生きるために他者を蹴落とすッ! ああ哀れだなッ! 無様だなッ! 醜悪だなぁッ!? ウフッ! ウフフフッ!」

「騎士たるお前が人の暗部を語るんじゃねえヨッ!? 救いようがねえだろガッ!?」

「ウフフぐえッ!?」


 打撃と共にツッコんでも、クォンの怒りは収まらない。


「『だってわたしは一人じゃない。あなたがいてくれるんだからっ』って言ってたのはこういう意味だったネ!? クォンは人身御供カ!? このゲス女ああぁッ!」

「ええなんとでもッ! なんとでも言っていいんだよッ!? それで助かりゃ儲けものッ! 思う存分罵倒してッ! 臆病者だとののしってーッ!」

「お、ま、え、は〜〜〜!?」

「ぎゃあああああッ!? ま、待って!? ののしっていいとは言ったけど、物理攻撃を許可した覚えはないんだけどおおおッ!?」


 堪忍袋の緒を微塵と変えたクォンが、ニコラに全力の折檻を加えた。


「……あ、あうう……」


 やがて、倒れ込み、ぴくぴくと震えるだけの人形と化したゲス女を前に、クォンは肩で息をする。


「はあ、はあ……。ああもう、ほんっとに……! 馬鹿じゃないカッ!? 馬鹿じゃないネッ!?」


 そうして叫んだ後、彼女はぽっと顔を染める。


「……ドキドキして、損したヨ」

「な、なんだって……?」

「な、なんでもないネ!」


 荒い息をつくニコラに聞き返されると、クォンはぷいとそっぽを向く。

 そして、小さな声でつぶやく。


「……初めから、そのつもりだったネ。敗れてしまった時には、この命をかけて、ニコラだけはどうやってでも逃がそうと、思ってたのヨ……?」

「どうしてそれを最初に言ってくれなかったの!? そしたら心置きなく、全力であなたを犠牲にしてアイツの隙をついたのに!」

「なんで急に元気になるカ!? なんでこういうときは耳がいいカ!? どうせならさっきの小声を! 意味深なドキドキ云々を聞き取るネエエェ!」


 途端すぐさま復活したニコラの姿に、クォンの怒りは再び噴火する。


「ぎゃあああ!? やめてえぇ!? 指先に怒気を集中させて、ピンポイントで太ももをつねるのはやめてええぇ!? 腹を空かせた小鳥が新芽を貪るが如く、絶妙に薄皮を殺しにくるのはやめてえええぇ!?」

「……ククク! フハハハッ!」



 と、そこに響く、大気を震わす笑い声。

 岩山各地に点在していた木々から、恐れをなして鳥たちが飛び去って行く。


「……え」


 思わず硬直し、ニコラが恐る恐る視線を向けると……



 凄まじい雰囲気を漂わせる邪竜が、そこにいた。


「ひぃッ!?」

「この俺を捨て置き、眼前でじゃれ合うなどと……。なかなかコケにしてくれるな?」

「お、お待ちあそばされ!? そのようなつもり、毛頭ございませんでした! じゃれてなどおりませんです! わたしはただの被害者! 悪いのは全部この暴力幼じょ――」

「……ほあちゃー」

「ぎゃああああ!? やめてクォンちゃん! ホントにやめてッ!? 小声で殺意を込めながら、わたしの唯一のチャームポイントを!? 魅力あふれるヒップちゃんを雑巾の如く絞ろうとするのやめてえぇぇ!?」

「舌の根も乾かぬうちにこの所業……。覚悟はできているのだろうな? いや、それは先に問うたな? この俺を討ち果たすなどと、誓っておったな?」


 鎌首をもたげ、口元から炎を零し始めたドラゴンを前に、ニコラの恐怖はピークを越える。

 

「ま、ままま待って! ホントに待って!? 命だけは! 命だけはホントに助けて!? それ以外なら! それ以外ならなんでもするから! なんだって捧げるから! 守り通してきた清らかな体を使って、アダルトナイトなご奉仕だって――」

「……ほ、あ、ちゃあああぁッ!」

「ぎゃあああああ!? な、なんで!? 今のは生贄にしようとしてないでしょ!? ノット人柱でしょ!? なんでクォンちゃん怒ってるのおぉぉ!?」

「矮小、愚鈍、身の程を知らぬ人間よ。喜ぶがいい。我が激情のすべて、キサマに叩きつける時が来たこと。容赦など……微塵もみせぬッ!」

「や、やめてッ!? どっちもやめてッ! ……ああ、もうダメ。来世は身の危険のない無機物になりたい。路傍の石とかホントに素敵……」


 ついには瞳から光を無くし、来世の展望を語るニコラ。

 そんな彼女に、ドラゴンから叩きつけられたのは、




「……めちゃカワだッ!」




 歓喜に満ちた、明るい絶賛。



「……え?」


 驚くニコラの前で、ドラゴンの体は淡い光に包まれ、どんどん小さくなっていった。

 やがて光は小さな人の形を取り、明度を落とす。


 そして、現れたのは、




「騎士の矜持を置き忘れた、矮小愚昧なその性根ッ! 俺はとっても気に入ったッ! まったくもって、めちゃカワだぞッ!」




 きらきらと瞳を輝かせる、角と鱗と尻尾を生やした、愛らしい女の子だった。





「……ほあちゃーっ! ほあちゃああぁっ! クォンはっ、クォンは認めないネっ! こんな邪竜にとかっ、絶対に認めないネっ! そ、それならいっそ、い、今ここでクォンが――ん? なんネ? あれ? どうなったヨ?」


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