「「幸せになります」」
激闘、死闘を経て、決戦の幕が上がる。
それは、少女たちが幸せな未来を掴み取るため、絶対に制さなければいけない戦い。
瓦礫と化した王座の間。その場に悠々と立つのは、邪神であり、暗殺者という規格外。
対するは、その規格外に教えを乞うた、幻と語られる死の魔物。
愛弟子のただならぬ決意を肌で感じながら、ムーは世間話でも始めようかというような雰囲気で言葉を紡ぐ。
「弟子ちゃんこんばんはー。さっきぶりだねー?」
対して、ゼロワンも微笑んだ。
「そうですね、師匠。お会いできて嬉しいです」
「それはムーもだよー。でもでも大丈夫ー? 大怪我したって聞いたから心配してたんだよー?」
「すみませんです。でも大丈夫です。あんなの怪我の内に入らないですから。この通り、すっかり元気一杯なゼロワンですよ?」
言葉の通り、完全に回復しているようだ。
あの異世界にはエリクサーが栽培されてあったから、大丈夫だろうとは思っていたが。
「いやあ、よかったよかったー。ムーちゃん心配事が減りましたー。というわけで、聞いてもいいー?」
「はいです」
「お嫁さん宣言とか、目にもの見せるとか、なかなかのびっくり発言の連続に、ムーちゃん仰天してるんだー。弟子ちゃんの真意、気になるなー?」
ムーは尋ねる。
ゼロワンの様子から答えは分かりきっていた。
だが、その口から直接詳細を聞かないと、気が済まなかったのだ。
尋ねられたゼロワンは一切躊躇いを見せずに返答する。
「師匠。ゼロワンは、ミリアと幸せになるためにここに来たですよ」
「ふうん。その子と……ねー?」
「師匠にはとってもお世話になったです。命を救ってもらったばかりか、要望に応えてくださり、暗殺者としてのイロハ、たくさんご教授してくださったです。その節は、とってもありがとうございました」
「いえいえどういたしましてー」
「それなのに、こんな形をとってしまって、申し訳ないと思うです。文字通りの雌犬だって、びっちだってそしってもらって構わないです。でもゼロワン、ミリアと幸せになりたいって思ったのですよ。一緒に時を紡いでいきたいなって、思ったのですよ」
「……その選択、後悔しないと思う?」
ムーは、もてる限りの殺意を込めて射すくめる。
だがゼロワンは、いつかのように怯まなかった。
「もちろんです」
ムーの目をしかと見据え、強い光の宿った瞳で、力強くうなずいた。
「そっか……」
ほうと、安堵するようにムーは吐息を漏らした。
この子は、見つけたのだ。
かけがえのない居場所を。
添い遂げたいと願える存在を。
「そのためなら、なんだってできる? ……このムーを。邪神、ニャルラトホテプを打ち倒すこと、できる?」
「弟子が師匠を超えること。それが、ゼロワンにできる最大の恩返しだって、思うですから」
愛弟子からの思いのこもった言葉に、ムーの胸が熱くなる。
だが、勢いだけではこの邪神には届かない。
その言葉をひとまず押し込み、ムーはもう一人へ声をかける。
「……そっか。じゃあ、そっちのキミは?」
「です?」
つられ、ゼロワンも視線を向ける。
そこ、ゼロワンに膝枕をされていたミリアは、瞳の端に涙を浮かべていた。
「そんなの、させるわけないよ!」
大粒の涙を流し、ミリアはゼロワンを押し倒す。
「そんなこと、絶対にさせない! あなたを絶対に失いたくない!」
ミリアは激情を、心の内を全てぶつける。
「アタシはゼロワンちゃんのこと大好きなんだよ!? 大切なんだよ!? なのにどうして斬り伏せたと思う!? 失いたくなかったからだよ! 死なせたくなかったからだよ! あなたにだけは生きていてほしいって、願ったからなんだよ!?」
「知ってるです。ゼロワンはミリアの恋人なんですから。そのくらい、分からないわけないですよ」
「じゃあなんで!? なんでここに来たの!? こいつが只者じゃないことぐらい、弟子なら知ってるよね!? 敵いっこないことぐらい、分かってるよね!?」
「そうですね。超えると力強く宣言した頼もしき愛弟子ゼロワンですが、しかし、それは茨の道でしょう。身を裂かれる苦痛を代償にする程度で、正直乗り越えられるかどうか」
「でしょう!? なのになぜ!? どうして!?」
「ですっ!」
「んむっ!?」
突如、ミリアの言葉がさえぎられる。
少女の小さな胸から溢れ出でた、ありったけの愛情によって。
「……ん……んむ……んく」
小さな体を懸命に使い、ゼロワンは思い人に気持ちを伝える。
二度と離さぬと伝えるかのように、両の腕でひしと抱き寄せ。
薄桃色のそれを、ミリアのそれと重ね合わせ。
「〜〜〜〜!?!?」
硬直し、瞳を見開くミリア。
だが一切容赦することなく、少女は熱を伝えていく。
つぶらな瞳を穏やかに閉じて。
しかし、齢に似合わず燃え上がるように。
強く、激しく、伝えていく。
「……ん。 ……んん」
驚愕にこわばっていたミリアの身体から、ほどなくして力が抜ける。
そうして、身をゆだねるように、瞳を閉じた。
「……んむっ!」
それに気づいたのか、ゼロワンの頬が嬉しそうに紅潮する。
そうして、さらに燃え上がる。
「はわわわわわわ……」
「にゃははははは……」
前触れなく巻き起こり始めた恋人同士の戯れに、セーラは赤面し顔を覆ってしまった。
ばっちりと、指と指の隙間から成り行きを見つめていたが。
場を引っ掻き回す側である邪神のムーでさえ、この突然の状況に、愛弟子の突然のイチャイチャラヴィングに、言葉を失わざるを得なかった。
年上のお姉さま方が赤面する中、やがて終えたゼロワンはミリアへと笑いかけた。
「はふう……。どうです? 気持ち良かったです?」
「……う、うん。……その、あの、コレ、どこで?」
「今はあなたの恋人ですが、ゼロワンはカリスマ暗殺者だったのですよ? ハニートラップくらい、習得済みなのです」
すっかりしおらしくなったミリアに答えた後、ゼロワンは慌てて付け加える。
「で、でも実践したことはなかったですし、練習だって一人でイメトレだけでしたから! 正真正銘今のが初めてですから! あ、あと今のはトラップではなくて、恋人同士のイチャラブのつもりで!?」
「わ、分かったから。だから一回落ち着こっか? その、アタシも落ち着きたいし。深呼吸しよ? はい、すーはー、すーはー……」
「で、ですね。でー、すー。でー、すー……」
立ち上がり、互いに深呼吸した後、ミリアが尋ねる。
「それでゼロワンちゃん。その、突然どうして?」
「その、ですね? ゼロワンはこんな風に、ミリアと一緒に女の子の幸せ、一段一段しっかりと、ずっとずーっと感じていきたいって思ったからです。不可能を乗り越えて、幸せな未来をつかみ取りたかったから。だから、ゼロワンはここに来たですよ」
ずっと、二人で一緒に。
照れくさそうに答えた後、ゼロワンは真剣な面持ちになる。
「ゼロワンだってミリアのこと、なによりも大切です。だから、あなたのためなら死んじゃえる。そう言ったし、思ってたです。でも、あの子に言われて、そこでちゃんと気付いたのです。ミリアだって、おんなじ気持ちなんだってことに」
ゼロワンは、噛みしめるように言う。
「好きで好きで大好きで。その好きは命を捧げるくらいわけないほどで。だからこそ、ミリアもゼロワンも突っ走っちゃったです。それが相手のためなんだと思って。でも、お互いがお互いの一番なんですから、いなくなっちゃだめなんです。どちらかが欠けてしまったら、きっと、もう一人だって……」
「……」
出会う前には戻れないくらい。
それくらいに、互いを好き合ってしまったと。
真剣に愛を語る弟子の姿。
それは、ムーが見たことのない姿だった。
「ミリア、お願いがあるです」
「うん、なに?」
「ゼロワンはあなたと一緒に未来を見たいです。でも、正直な話、ゼロワンだけでは師匠には敵わないと思うです。だから、お願いするです」
ゼロワンはもじもじした後、意を決するように懇願する。
「その……初めての共同作業、してほしいのです」
その言葉に、ミリアは返答せず。
代わりにゼロワンを、ふわりと抱きしめた。
「アタシがゼロワンちゃんのお願い、断ると思う?」
「……思わないです。えへへ」
「もう、この小悪魔ちゃんめっ」
くすぐったそうに微笑むゼロワンの耳元で、ミリアは懺悔するように言葉を零す。
「……ごめんね。もう、間違わないから。なにがあっても、絶対にあなたを一人にしない。約束するよ。だから、これからずーっと未来永劫、一緒に命を削ってくれる?」
その言葉に、ゼロワンはふいとそっぽを向く。
「イヤですっ。そのくらいじゃ足りないですっ。たとえ死んでも、離れてなんてあげないんですからっ」
「わあ、重い愛だっ。アタシとどっちが重いかなー?」
「ふふっ、そんなの決まってるですよ。ちょっとお耳を拝借ですっ」
抱き合ったまま、ゼロワンはミリアの耳元に口を寄せ、ぼそぼそと何かを喋る。
ミリアは驚くような表情をした後、すぐに強くうなずいた。
そして彼女たちはムーに対峙する。
「悪いけど! アタシゼロワンちゃんと早くイチャイチャしたいから! 速攻で終わらせるよ!」
「です! 思いのままに、れっつぷれいです!」
「もう十分しておったじゃろうが!? 戦場で愛を語るな不埒者お!」
セーラは顔から火が出そうなほど赤面していた。
もっともあんな熱く甘いもの、かぶりつきで見せられればそうもなるか。一国の姫ということもあり、まだそういう経験がないというのも手伝っているのだろう。
もし彼女が戦闘向きの特技を覚えていれば、あまりのこっ恥ずかしさから、力量の差を考えずぶっ放していたかもしれない。
ムー自身も、若干、本当に極わずかではあるが、もじもじしてしまったので手で顔をパタパタと扇いだ。
「にゃはは。絵に描いたようなバカップルになっちゃってー。でも弟子ちゃんもキミも、心の底から通じ合えたみたいでとっても幸せそうだー。手に手を取り合う姿は素敵だよー? これなら、師匠も公認しちゃえるかなー?」
「です? じゃあ――」
ゼロワンの瞳にわずかな期待が宿る。
だが、それには答えられない。
これは、任務であるからだ。
「揺らいじゃだめだよ? 今のムーはキミたちに敵対する暗殺者、つまり敵。だよね、姫さま?」
「う、うむ! わらわの依頼は継続中じゃ! 生まれついての欠陥が、ただの一人の少女との邂逅で修復されるはずなどないであろう! そうじゃ、そんなことありえぬ! 信じられぬ!」
言葉とは裏腹、放たれた言葉にはやや迷いが見て取れた。
だが、それでも彼女は暗殺を望んでいる。
依頼主の言葉、それは絶対だ。
「と、いう訳なのでー。ムーちゃんはカリスマ邪神な暗殺者としてー、キミたちの愛を阻んじゃうよー?」
「やれるものならやってみなよ!」
「です! ハネムーンは目前なのです!」
威勢よく言い放ったゼロワンの言葉に反応し、ミリアは夢見心地な表情になった。
「ハネムーンかあ……。ゼロワンちゃんゼロワンちゃん、旅先はどこがいいかな?」
「で、ですねー。ゼロワンはミリアと一緒なら、どこだっていいですよ?」
「ふふっ。奇遇だねー? それはアタシもだよー?」
「ですかー。一緒ですねー?」
「ねー?」
「だから戦場でイチャつくなああああ!」
再びイチャイチャし始めるゼロワンたちに、セーラが真っ赤になって叫びをあげた。
ムーは苦笑せずにはいられない。
「にゃはは。バカップルに常識なんて通用しないってー。それに姫さま大目にみてあげたらどうかなー? 最期くらい好きなように――」
「『セイントファング』ッ!」
突如響く凛々しい掛け声。
セーラへと声をかけ、自身に背を向ける形をとるムーへ、ミリアが容赦なく斬撃を放ったのだ。
「にゃにゃ!?」
気付いたときには既に目前に迫っている斬撃。
ムーは咄嗟に剣を振り上げ、相対する。
その剣は先の奥義同士の応酬の末、刀身が真っ二つとなっている。
「えーいっ!」
だがムーはそんな状態の剣で、聖騎士の一撃を容易く両断した。
「チッ!」
悔しがるミリアと対照的に、ムーは大仰に喜び舞い踊る。
「ふぅー! ムーちゃんやっるぅぅー!」
しかし今のが最期の一押しとなったらしく、刀身は完全に崩れ落ちてしまった。
「ああ、壊れちゃったー。でもでもー……はいっ、にゃるしゅたんっと」
ムーが剣を一振りすれば、刀身をどす黒い何かが食むように覆う。
そして次の瞬間には元の立派な剣へと戻っていた。
「武器防具くらいなら、省略した詠唱でも完璧に回復可能なんだよー」
余裕さを見せつけながら、そして考える。
きっと直前のイチャイチャは、ムーに隙を作り出すための演技。
耳元で愛を語らうと見せかけて、ゼロワンは作戦を伝えたのだろう。
勢いだけでは勝てないと理解し、愛する人と手に手を取ることを選択したゼロワン。
多勢に無勢、さらに話し込む相手を背後から襲わせるという、彼女の思うカリスマ暗殺者としての在り方からは外れる展開。
だが、幸せを掴み取るため、ゼロワンは汚い手だって使うと示して見せたのだ。
それはムーにとっては望むところ。
最期に彼女は、立派な暗殺者としての姿で魅せようとしてくれているのだ!
と、ゼロワンがムーへ向かって駆けだしてくる。
「行くですよ!」
「うん!」
遅れること十数歩、ミリアはゼロワンの後ろを駆けてくる。
これも立てていたなんらかの作戦なのだろう。
だが、彼女たちには悪いが、即席の作戦程度に揺らがされるほど、ムーは弱者ではない。
(でも、警戒しないとまさかがあるかも……)
先ほどの『セイントファング』。
今の強力な一撃が、ミリアの身が万全な状態であったというのを示していた。
カンストしている彼女へと変じ、さらにその五十レベル上という、人間ならば辿りつくことのできぬ域へと限界突破したムーには通じなかったが、気になるのはそこではない。
(どうやって回復することができた……?)
そこが、相対するムーにとって見逃せない疑問だった。
『トリックスター・ダークネス』
狂気の顕現たる自身の力の一端を空間に溶けさせ、そこにいる術者以外の者の耐性を無効化。属性攻撃、状態異常に無力な状態にさせる。
さらに、あらゆる回復アイテム、回復特技の効果をダメージへと反転、蘇生も無効化するという、邪神であるムーにしか使用できない御業である。
だから、命尽きたはずのミリアが、今万全の状態で復活しているこの状況は異常であった。
どうして再び立つことができたのか。
現にこうして、特技は空間にきちんと作用したままで――
「……あれ?」
「ミリア!」
「『セイントファング』ッ!」
そこで合図を受けたミリアが斬撃を放つ。
考えるのを後に回し、応じてムーも剣を振るう。
「『セイントファング』ー!」
振り抜いた切っ先をなぞるように現れた斬撃が、相対すると空を薙ぐ。
駆け迫ってきたゼロワンたちの位置は、広い部屋の中ほどを超えた辺り。
対してムーは一番奥の玉座前。
至近と呼ばれるには程遠い距離、風を超える速度で放たれる斬撃とはいえ、最強を超える聖騎士となったムーには避けるくらい造作もない。
だがそれはできなかった。そうすれば背後のセーラに危険が及ぶからだ。
ミリアの放った斬撃は、彼女とムーとの間を駆けるゼロワンの背を紛うことなく狙い撃つかに見えた。
だが、それは当然嘘。
斬撃はゼロワンに当たる直前で進路を変更、急上昇した。
瞬時に予測。
それはそのまま速度を衰えさせずに再び下降、そしてムーへと迫るはず。
そのため相対するにはこちらの斬撃も進路を変える必要がある。
(だけどねー?)
だが、ムーの放った斬撃はゼロワンに迫り――そのまま直進する。
「です!?」
斬撃を斬撃で打ち払う必要はない。
こちらに迫った刃はこの剣で切り払えばいいのだから。
まずは、得体のしれないハウンドドッグの方から片付ける。
「そんな見え透いたフェイント、相手なんてしてあげなーい」
まさかこんな安い手で、この邪神に向かってこようとは。
そんなもの、牽制にすらならぬというのに。
内心で肩を落とすムーの視線の先で、ゼロワンは、一瞬後に迫る斬撃に両断されようとしていた。
だが、
「かかったですね?」
死を前にして、彼女は楽しそうに笑ってみせた。
まるで、計画通りと言わんばかりに。
だが、ムーにはただのハッタリとしか思えない。
あの肉薄した距離で、対抗できるわけがない。
ハウンドドッグの身体能力は、冒険者としての力を持たない民衆レベル。それは彼女と数年共に過ごして理解していた。斬撃を切り払うことなどできないはずだし、ヴァンパイアのように俊足での離脱も不可能である。
つまり、このまま散りゆくのみ。
そう結論付ける中、
視線の先で、剣戟に身を裂かれんとするのは――ムー自身だった。
「……え?」
茫然とする。
鼻先に、カンストを超えた聖騎士による、自分自身が放った斬撃が迫る。
自身の攻撃に、食い殺されんとする。
訳の分からぬ事態に硬直する体。
それが剣戟が触れ、皮膚を裂かれる感触が起点となり、命の危機を実感し、再起動する。
「くうっ!?」
無理やり身をよじり、斬撃に対して方向転換を望み、ムーはなんとか命を長らえる。
だが、無事ではなかった。両断されることをどうにか回避しただけだ。
深々と斬り裂かれたわき腹からは、止めどない流血が滴り、血だまりを作っていく。
だが、気にかけている余裕も、謎の現象を分析する暇もない。
ミリアの放っていた『セイント・ファング』が方向を転換し、ムーへと迫ってくる!
「終われッ!」
「逝くですッ!」
そればかりか、いつの間にか至近に寄ってきていたミリアとゼロワンが、剣とナイフをそれぞれ得物とし、とびかかってきていたのだ。
「ッ!? 『ナイト・シールド』ッ!」
三方向からの同時攻撃。
瞬時の判断で、ムーは聖騎士の最大防御を展開する。
物理、魔法を問わず、闇を防ぎきるオーラは、通常同じ光の属性に対しては効力を発揮しない。
だが、カンストを超え、強化されたムーのオーラは、それに対しても耐性を携えるようになっていた。
だから、これでゼロワンどころかミリアの攻撃をも無視することができる。
迫る『セイント・ファング』、その強力な斬撃だけは防ぎきれないかもしれない。
だから、その対応のみに集中する。
ムーはミリアたちから視線を外し、上空より迫る斬撃を打ち払おうと夜空を見上げた。
だが、そこには床しかなかった。
「……は?」
馬鹿みたいな声が漏れる。
いつの間にか、ムーは床の上に転がっていたのだ。
しかも、『ナイト・シールド』が解除されている。
「よけるのじゃあああ!」
切羽詰まったようなセーラの叫び。
その直後、体に走る激痛。
「ぐぅ!?」
『セイント・ファング』の直撃を受け、背中が斬り裂かれ、血飛沫が舞う。
(なに!? 一体なにが起こっているの!?)
暗殺者になってから初めての窮地に混乱するムー。
「後ろじゃ! ムー!」
そこに、感じる殺気。
「殺ったッ!」
隙を逃さぬと、ミリアが首を落とそうと剣を振り下ろす。
ムーは身を転がし、うつ伏せから仰向けとなり、相対せんと剣を構える。
「そんな、カンスト程度の斬撃でッ!」
だが、応じることは許されない。
瞬間、再び視界が変わり、ムーは腹部を斬り裂かれていた。
「な、に……?」
気付かぬ間に、地面をしかと踏みしめている自身の正面。
「ですっ!」
真紅のはずの瞳を水色と変えたゼロワンが、手にしたナイフより血を滴らせていた。
「ッ!」
ムーはゼロワンへ向け、剣を振り下ろす。
「ですっ!?」
彼女に聖騎士の斬撃に対する身体能力はない。
慌てるゼロワン。
だが、肉を裂く音は発生せず、代わりに甲高い剣戟の音が響き渡った。
「させるわけ、ないよね?」
横合いから割って入ったミリアが、剣を受け止めたのだ。
「くっ!?」
ムーは後方へ跳び退り、距離をとった。
「あ、ありがとです、ミリア」
「ううん、こっちこそありがとね。守り守られるって、気持ちいいんだね。知らなかったな」
「ふふっ。ほんとですね?」
ミリアとゼロワンは、互いに微笑み合っていた。
彼女たちの余裕さとは対照的に、ムーは焦燥感を押し隠すのが必死だった。
先のような不可思議な現象は、ミリアと戦っていたときには引き起こされなかった。
つまり間違いなく、これはゼロワンの、ハウンドドッグの力によるものだ。
いつも通りに取り繕うように努めながら、ムーはゼロワンへと言葉を投げる。
「いやあお見事お見事ー。やるねー弟子ちゃん。まさかこんな隠し玉、持っていたなんてさー?」
「牙は隠しておくものなのですよ。 ま、まあいつもは失敗してばかりで、上手くできたのは初めてなのですが……」
「それでもすごいよー。ムーちゃんを前にして初めて成功とか。うんうん、これは誇っていいことだと思うなー?」
「で、ですか? えへへ……」
師匠から褒められ、照れ笑うゼロワン。
と、彼女をムーの視線から隠すようにミリアが一歩前に出る。
先ほど微笑み合っていた時とは打って変わって、その瞳からは光が消えていた。
「ねえ? 恋人の眼前で寝取ろうとかさ、盗人猛々しいと思わない?」
「ね、ネト!? そんなんじゃないですって! 師匠はゼロワンのこと、そういう目では見てないですよ!?」
「にゃっははー。どーかなあー?」
「です!?」
面白くなりそうだったので、ムーはわざと乗ってあげた。
「心の内なんてわからないものだよー? 放たれた言葉がすべて真実だ、なーんてことはないわけだしー。ねー、姫さまー?」
「ど、どうしてそこでわらわに振るのじゃ!?」
「さあどうしてでしょー?」
顔を赤くするセーラを笑ってから、ムーはミリアたちに向き直る。
「フフフ! ゼロワンチャンハゼッタイに渡さナい。ムシロオマえのイノちをヨコせェェェ!」
「ひぃ!? 悪鬼すら裸足で逃げ出すほどの形相です!? ミリア落ち着くです! どうどうです! はいどうどうですー!」
暴れ出しそうになるミリアを、ゼロワンは恐怖しながら必死で押しとどめようとしていた。
「にゃ、にゃはは……。弟子ちゃん、苦労してるねー……」
分析能力に長けたムーの目から見て、ミリアは確かに人間という種族に間違いはない。
だというのに、どうやったら邪神やハウンドドッグすら怯ませるほどの邪悪な雰囲気を纏うことができるのだろうか……?
ゼロワン必死の制止によりミリアが落ち着きを取り戻したのを見計らって、ムーは声をかける。
「それにしてもムーちゃんびっくりだなー。まるで瞬間移動させられたみたいになったのもそうだけどさー? 『ナイト・シールド』、なにより『トリックスター・ダークネス』が、解除されたことがねー?」
「トリック? なんです、それ?」
「あのクソアマの特技。空間に溶けさせた混沌のナニカで、クソアマ以外の耐性を無効化、おまけに回復をダメージに変える技なんだって」
「ですかー。てっきり金言の一つだと思ってメモろうとしたですよー」
「ち、違うよ! ねえ、これはあんまりイタくないよね!? ダイジョブだよね!?」
その言葉に、セーラとミリアが顔を合わせる。
「ふうむ。ギリギリ――」
「アウトだよね、うん」
「う、嘘……」
膝をつくムー。
黒歴史にならない程度にカッコイイと思っていた自身は、もしやあの頃から変わっていないのか!?
(うん、後で改名しよう……)
強く決意しながら、ムーは立ち上がった。
そして、思案する。
トリックス――回復反転、耐性無効化の特技、そして『ナイト・シールド』を解除させられたこと。
そして、回復アイテムを使用した様子を見せずに、ミリアを蘇生、傷を完治させたこと。
さらに、気付かぬうちに自身が移動させられて、不意をつかれたこと。
これらはきっと、ハウンドドッグの力によるもの。
空間に漂ったり、この身に受けたりした力の残滓を分析したところ、驚くべきことに、そのすべては同様の能力によるものだった。
つまり、瞬間移動、技の解除、回復、と別々の力ではなく、根本を同じとする一種の力によって、それらすべてを引き起こしたということだ。
そんな能力、今まで見たことなどない。
死の化身と恐れられるハウンドドッグ、その能力はいかばかりのものか。
正直、自身を危うくさせるほどのものとは思わなかった。
重傷を負ったとはいえ、先の応酬はなんとか乗り越えることが出来た。
しかし、再びあんな技を使われ、そして十全な連携を行ってくる聖騎士を相手にすれば、もしかしたらもしかされるかもしれない。
思わず緩みかけた口元をムーは引き締める。
「そういえば弟子ちゃん、ファーストコンタクトの時も、こんな風に一瞬のうちにその子を地に伏せさせていたよねー」
「? どうしてそれを知ってるです?」
「あ、言っちゃったー。まあ、せっかくだし教えてあげるねー」
能力を分析する間の時間稼ぎも兼ねて、ムーは口を開く。
「実はムーちゃん、今回の暗殺に関して承っている依頼ってー、他にもあるんだよー」
ムーはくるりくるりと回る。
それは数時間前、ゼロワンに暗殺の秘密を暴露したときのように。
そして、笑顔で語る。
「ハウンドドッグ、ゼロワンの排除。それが、ムーが組織より受けた依頼ー」
「なんじゃと!?」
闘いの行方を見守っていたセーラが、玉座から立ち上がり目を剥いた。
「いったいどういうことじゃ!? 説明せい!」
「姫さまいちいちリアクションが大きー。でもおかげで場が盛り上がって楽しーねー」
満足げな様子を見せた後、ムーは語る。
「話はね、昔に遡るのー。ある日、ムーは任務の帰りに、命果てかけている女の子を見つけたの。その子はたくさんのお腹を空かせたモンスターたちに詰め寄られていて、みんなのご飯にされちゃうのが目に見えていたんだー。でも、目が合ったその子は助けを求めた。だからムーちゃん応えてあげたんだよー」
ムーは懐かしみながら説明する。
「それがムーと弟子ちゃんの出会い。その後、しばらくの間一緒にいたんだけどー、ムーちゃん暗殺者だしー、ずっとこのままってわけにもいかないよーって、うんうん考えたの。そうしているうちに、組織に彼女のことがばれちゃってー」
組織は暗殺の障害となるものを排除する。
それは、物であれ、生物であれ、関係ない。
「あららーって思ったんだけどねー? 彼女が詳細な能力の知られていない幻モンスター、ハウンドドッグだっていうのが分かってねー。役に立つかもしれないから、彼女を育てろってミッション受けたんだー。丁度、彼女が暗殺者になりたいって言ってきたのもあったしー」
組織の命令は絶対。
そもそもムーに違える気もなかったので、それに従うことにしたのだ。
「そうして彼女を育ててみたんだけどねー、弟子ちゃんドジで。はっきり言って暗殺者には向かないと思ったよー。ハウンドドッグとしての固有の能力を扱いきれればチャンスはあるかな? なーんて思ったんだけど、失敗しかしなくって。その力も分からず終い」
ムーは苦笑いをして頬をかいた。
「次第にボスちゃんも興味をなくしてねー。扱いに困るようになったんだってー。でも相手はハウンドドッグ、無闇に手を下すのは危険でしょー? 何が起こるか分からないしー。そんな時に舞い込んだのが姫さまからの暗殺依頼!」
ムーは手を打って続ける。
「話を聞くに、その相手って人でありながら生きているのか死んでいるのか分からないような心根をした欠陥品だっていうでしょー? これなら恐れられているハウンドドッグでも、容赦なく返り討ちにしてくれるかなーってボスちゃんは思ったらしいのー。それが、今回弟子ちゃんに久方ぶりに依頼がいった真の理由ー。でもでもー、その思惑は失敗。まさかだよねー。暗殺者、それもハウンドドッグに一目ぼれするとかもうねー」
誰がそんな展開になると予想できるだろうか。
ムーにだって予想できなかった。
「で、ボスちゃんに伝えたらそんなはずないだろって驚愕してー。ムーちゃんは命じられるがまま、陰からこっそり様子を観察してたってわけー。はい、ネタ晴らししゅーりょー」
「そうですか」
ムーの告白に、しかし、ゼロワンはそっけなく返す。
割と衝撃の告白だと思ったのに、意外に乾いた返事だ。
「あれあれー? それだけなのー?」
「いや、だって今、ゼロワンは師匠と戦闘中ですし。すでに排除実行されてますし。まあ、今はイケイケでこちらが押してる気がするですけど」
「ゆ、油断は禁物だよー? ムーちゃんここから逆転しちゃうんだからっ!」
申し訳なさそうにいうゼロワンに動揺しながら言い返して、再び尋ねる。
「確かにムーちゃん、衝撃のタイミングでの暴露ミスっちゃったって自覚はあるけどさー。でもほら、ムーちゃんって、キミの尊敬する師匠だったんだよー? なのにさ、命じられるがまま、排除しようとするこの悪逆非道っぷりー。もっとこう、侮蔑の言葉を吐いてくれてもいいと思うんだけどー?」
「必要ないです。たとえどう考えていても、どんな思惑があろうと、ゼロワンの思いは変わらないです。ゼロワンは、あなたに救ってもらえて、出会えて、嬉しいと思っているですから」
「……」
言葉を失うムーへ、ゼロワンは最高の笑顔をプレゼントしてくれる。
「あなたは、ゼロワンの尊敬する師匠ですよ? このさきも、ずーっと」
この子は、ホントに強くなった。
ホントに、いい子に育ってくれた。
自分とは、決して並び立つことのない子だとしても。
「……師匠は、嬉しいですよ?」
「えへへっ。ありがとうですっ」
弟子と師匠。
彼女らは、お互いに笑い合い。
そして、再び殺し合う。
「さてと。お話はここまで。力の分析、その見当もついたしー」
「です!? ひきょーです!」
「にゃははっ。だってムーちゃん暗殺者だしー!」
肌に感じた感覚。
実際に目の当たりにした現象。
それらを分析した結果、判明したのはチートもチートな能力だった。
そして、分析が済んだということは――
「まずいですミリア! 早く構えるで――」
「この泥棒猫があああああ!」
「ミリア!?」
ゼロワンが視線を向ける先では剣を手に地を駆けるミリアの姿が。
「いい雰囲気を醸し出しやがって! やっぱりゼロワンちゃん寝取ろうとしてるし! 血液一滴残らず、かきむしってアゲルッ!」
「にゃはは、マンティコアみたいに瞳がランラン輝いてるよ……。ホント、どうやったらそんな風にできるのかなー……?」
人を超えた姿にドン引きながら、ムーは詠唱を始める。
「にゃる、しゅたん。にゃる、がしゃんな――」
「たとえ邪神の祈りだろうと! アタシの愛で斬り伏せるッ!」
ミリアは威勢よく剣を振り下ろす。
だが、ムーの周囲に現れた形容できない不定形が壁となり、斬撃を遮った。
本来それは回復反転、耐性弱体化に使用するものだが、そちらに裂かず、詠唱を中断させないための盾としたのだ。
「ッ! 邪魔ッ!」
狂気の顕現と称されたそれを、ミリアは恐れることなく切り伏せていく。
本来、ここまでの至近距離へ近づいたのなら、狂気を身に受けて発狂してしまってもおかしくない。その狂気は邪神の御業、状態異常の括りを超えたものであるのだから、聖騎士にだって防げないはずである。
(でも、元々狂った愛を語るこの子に、狂気なんて効きゃしない、か……)
それだけ強い愛を持った人間なんて、二人といないだろう。
内心で呆れながら、感心しながら、刃が到達する前にと、ムーは詠唱を続ける。
その最中、先ほどのような妙な現象は起こらない。
(やっぱりか……)
ムーを動揺させ連撃を加えておきながら、しかし手を休めて話に応じたことから、きっとあの力にはクールタイムが必要だと分析していたが、それはどうやら当たりのようだ。
ゼロワンは焦りながら、しかしどうすることもできないというように立ちすくんでいる。
「――にゃる、しゅたん。にゃる、がしゃんな」
「殺ッたッ!」
勝利を確信する叫びと共に、不定形を引き裂いたミリアの白刃が、ムーの喉笛へと迫る。
だが、一瞬遅い。
「ごめんねー。残念賞ー」
次の瞬間、
ミリアは、斬り裂かれていた。
「ぐあッ!?」
振り下ろしたはずの剣。
それは空を斬り。
いつの間にか背後に立っていた少女、その手のナイフが肉を裂いた。
「ミリア!?」
悲鳴交じりに叫ぶゼロワン。
場に戦慄を生じさせた、地に濡れたナイフを手にした少女。
彼女は――ゼロワンの姿に変じ、傷を完治させているムーは、勝ち誇るように宣言する。
「さあ、これがホントに最期の最期。キミたちは勝てるかなー? 幻とされる死の化身に。――時を操る、ハウンドドッグに」
***
ゼロワンの姿となったムーが勝ち誇るように宣言する中、ゼロワンは瞳に力を込める。
クールタイムを終え、発動できるようになった力を、再び使用する。
(時は、我が手で踊るのですッ!)
願った瞬間、世界は灰色に変化する。
そして、すべてが停止する。
そんな世界を唯一闊歩するゼロワンは、傷を負い、驚愕した表情で停止する思い人の元へ駆けつけた。
その背後には、笑ったまま停止するムーの姿。
だが、今は彼女に仕掛けるよりも、ミリアの手当てが先決だ。
「うーん、うーん……」
彼女の手を引き、一生懸命引っ張って、距離を置く。
そこで、世界が徐々に色づいていく
世界が動き出す合図だ。
その前に、ゼロワンはミリアへ手を触れる。
(遡れッ! です!)
すると傷を負った箇所が、徐々にふさがっていき、どころか、辺りに飛び散った血液すら、その体へと戻っていく。さらに、裂かれた服も何事もなかったかのように元に戻った。
そののち、世界は動き出す。
「……アタシ、また。ごめんね、ゼロワンちゃん」
状況に気付いたミリアが礼を言う。
「ううん、こっちこそ、さっきは力になれなくてごめんです」
ゼロワンが謝っていると、セーラが目を丸くしていた。
「な!? また瞬間移動か!?」
だが、驚いたのは彼女だけ。
ゼロワンへと転じたムーは彼女の意見を修正する。
「違う、そうじゃないよー。弟子ちゃんは時を止めて見せたんだー」
「な、なんじゃと!?」
「時間操作。それこそがハウンドドッグの持つ力みたい。停止したり、戻したり、逆に進めたり。その力を使い、弟子ちゃんはムーを圧倒して見せたんだよ」
完全に把握したらしきムーが説明する。
「解き放った力で世界を硬直させ、時を自在に操るとかさ、もうほんと反則だよねー。そうして停止した時の中で、ムーちゃんを一生懸命動かし、不意をついたんでしょー? 頑張ったね、弟子ちゃん」
「です、頑張ったです」
答えるが、内心は穏やかでない。
変化され、こちらの優位性は崩れてしまったのだ。
「えっと、回復反転の特技、そして『ナイト・シールド』が消失したのもその影響。時を止められてしまうと、その瞬間、意識が途切れる。特技を継続させようと思っている意識も。だから解除されたんだー。もしくは発動前に時間を戻したのかな?」
『セイント・ファング』は、打ち放った後攻撃を曲げるときにのみ意識を集中すればいい特技のようだ。だから消滅しなかったのだろう。
「ちなみに傷は回復させたんじゃなくて、時を戻してなかったことにしたってところかなー? でも、だからって時間が経てば傷が開くわけじゃないんだねー? そのへんはうまーくできてるみたい。いふの可能性ー?」
能力を完全に言い当て、ムーは満足げな様子を見せる。
その前で、ゼロワンは冷汗を浮かべる。
危惧していたことが起こってしまった。
変身能力を使える彼女を、自身の能力を知られる前に倒さなければならなかったのに。
やはりそう簡単には勝たせてはくれないようだ。
そして、先に彼女が停止した気配を肌で感じ、気付く。
あの力は自身よりも強大だ。
きっとレベルが数段上になっているかなにかなのだろう。
まともに戦えば、勝ち目はないだろう。
だから!
(不意をつくです! 時は、我が手で踊――)
だが、それは敵わない。
ゼロワンの全身から、血が噴き出す。
「あぐっ!?」
「ゼロワンちゃん!?」
一瞬前までなかった幾筋もの切り傷。
思わず膝をつくゼロワンにミリアが寄り添う。
「いたいいたーい。ごめんね弟子ちゃん」
そのムーはゼロワンたちから離れた位置に立っていた。
話をしていた場所から一歩も動いていない。
だが、それは不自然だった。
ハウンドドッグの時間操作能力。
その一つ、時間停止。
時間が停止している人物への加害は不可能である。
だから、停止させたまま傷つけることはできないのだ。
そのため、先にムーの時間を停止した時も、彼女を移動させたのみで、停止を解除してから攻撃したのだ。
だが、今ムーが斬りかかる様をゼロワンは視認することができなかった。
なのに、ゼロワンは身を裂かれ、ムーの手にしたナイフからは血が滴っている。
「まさか……!?」
「ご明察ー。レベルアップするとねー? ハウンドドッグって、停止した相手に傷を負わせること、できるようになるみたいだよー?」
ムーが説明する。
「ぐっ!?」
「あうっ!?」
かと思えば、ゼロワン、ミリアの身体に、一瞬ごとに傷が増えていく。
「能力、方法すら推察させることなく、相対した者を葬り去る。それはこういう手法によるものだったんだねー? まあ、レベルが上がっても身体能力はあんまり上がらないみたいだしー、一撃の威力に欠けるっていうのはあるけどねー。はあ、走り回るのは疲れるよー」
一撃が弱くとも、相対するものにとっては脅威に他ならない。
時間を止められ、防ぐ間もなく一方的に攻撃されるなど、反則も反則だ。
対抗しようにも、停止する隙をムーは与えてくれない。
(でも、チャンスは必ずくるはずです……!)
ゼロワンは歯を食いしばる。
時間操作能力。
万能に思えるこの力だが、実は弱点がある。
それは、一度に使用できる回数が限られており、クールタイムが必要だという点。
そして、自身の時を戻すことはできないという点だ。
ひとたび使用を始めれば、力を使わなくとも魔力が徐々に消費されていく。
それは回復アイテムなどでは回復することができず、枯渇した後は数日を要し、ゆっくりと自然に回復するのを待つしかないのだ。
自身の時を戻すことができれば、そうする必要はないのだが、強力すぎる力を持つが故か、それは不可能であった。
だから力が自在に使える間に、ゼロワンは先にムーを打倒しようとしたのだ。
セーラだけを倒しても、ムーは引き下がってくれない気がしていたし。
また、時間操作は何度も連続して使用することはできない。
ゼロワンの場合、三回の連続使用まで。一度に止められる時間は十数秒程度。
そして再使用までは数分を要するのだ。
ムーはハウンドドッグとなっている。
だからきっと、その制約からは逃れることはできないはず。
レベルが上だろうため、連続使用の回数は増加しているようであるが、しかし、クールタイムまで生き延びることができれば!
と、そこで傷が増えなくなった。
「にゃははー。ちょっと調子に乗りすぎちゃったー」
ハウンドドッグ、その能力の詳細までは伝える時間がなかったが、チャンスだと踏んだのだろう。ミリアが叫ぶ
「ゼロワンちゃん!」
「です!」
(時は、我が手で踊るのです!)
闇の力を解き放ち、時間を停止。
色のない世界の中で、ミリアを一生懸命引っ張り、停止したムーの元へ。
身体能力に勝るミリアが確実に一撃を加えられるように、ムーの背後へと配置。
自身はおとりとなるため、わざと正面へと位置する。
エリクサーはある。
時間停止された間に回復反転を使用されていたとして、今のこちらの停止で再び解除できたはず。いまなら使用はできる。
だが、今は痛みに耐え、貴重なこの隙を攻勢に生かさなければ!
時が動き出す直前、勝機を作り出すため、ゼロワンは友達に託された切り札を懐から取り出し、鞘を抜く。
「ひれ伏すですっ!」
そして世界が色を取り戻し、ムーがこちらに気付いた。
普通なら彼女は即座に行動を起こすだろう。
事前に時が止められると分かっていれば、ムーはゼロワンの攻撃を難なく回避するだろう。
身体能力に勝るミリアの背後からの一撃。
それでさえ、完全回避はできなくとして、致命傷はさけるはず。
だが、ゼロワンの手にある得物がそれを許さない。
「にゃッ!?」
それは少女が貸与してくれたナイフ。
闇を持つものを萎縮させる祈りの込められたもの。
そして今、ムーは自身と同じ――初見時、あまりの神々しさに震え泣いたハウンドドッグへと変じている!
びくりと震え、ムーの初動が遅れる。
それは、彼女にとって致命的な隙。
「落ちろッ!」
「! しまっ――」
ミリア渾身の振り下ろしが、邪神の細首を、両断する。
「な!? ムー!?」
驚愕に身を震わすセーラ。
その視線の先で、きょとんとした顔をしたムーの頭が転がり落ちる。
「これで終わり!」
「です!」
息巻くミリア、そしてゼロワン。
今、確かにムーを打倒し、――尊敬する人を打倒し、ゼロワンは未来をつかみ取った。
なんとも言えない気持ち。しかし、うつむくのは卑怯だと、ゼロワンはしかと前を向いた。
「ううん。まだまだ継続中だよー?」
「!?」
聞こえるはずのない、おちゃらけた声。
驚き視線を向けるゼロワンたち。
そこに、無傷のムーが立っていた。
「な、に……!」
「ど、どうしてです!?」
動揺するゼロワンたちへ、ムーはひょうひょうとした調子で言う。
「にゃっははー。そんなの時を戻したからに決まってるでしょー? ムーちゃんは今ハウンドドッグなんですよー? わんわおーん」
「で、でも自分自身の時間を戻すことだけはできないはずですよ!? それにクールタイムだってあんな数秒じゃ足りないはずです!」
「のんのん。ムーちゃんは、相手より五十レベル上に変身できるんだよねー? レベルが上がるごとにクールタイムは短くなるみたいでー、それこそムーちゃんはあのくらいでいいみたい。あと、高レベルになると、ハウンドドッグって自分自身の時間を戻せるようになるみたいだよー? 完全回復でーす」
「そ、そんな!?」
自分自身の時間を戻す。
つまりそれに応じて体力、魔力も元に戻る。
なら彼女はずっと、望むがままに時間操作の能力を使い続けられるということか!?
「障害は大きいほど燃え上がるのが愛なんだよねー? いやんっ、一役買ってあげるとかムーちゃんやっさしー!」
打ちひしがれるゼロワンの前で、ムーは身をくねらせ、
「さあ、それじゃあ続けよっか?」
絶望の底へ叩き落すと示すかのように、邪神は笑った。
***
夜闇に鮮血が舞い飛び、少女たちの命が削れていく。
時を間断なく無限に止め続けるという規格外の力により、邪神は少女たちを嘲っていく。
「く、う……」
「で、す……」
全身を数えきれないくらい斬り裂かれ、ミリアとゼロワンは、瓦礫の上に転がっていた。
虫の息の彼女らとは対照的に、ムーは無傷でナイフをくるくると回し遊んでいる。
「うんうん。ムーちゃんやっぱり強いなー? さっすが最強の暗殺者ー」
ミリアとゼロワンは懸命に戦ったが、しかしそれでもムーに届くことはなかった。
時間停止を使用、死に至る傷を受けても一瞬で万全へ戻る難敵を打ち倒すことはできなかったのだ。
一時はどうなるかと胸を弾ませたが……。
「……はあ」
ムーは小さく息をついた後、依頼主たるセーラへ投げかける。
「じゃあ姫さま、次で終わりにするからねー。祝勝の言葉と末期の言葉、考えておいてねー?」
「……」
見れば、セーラは不安げな顔をして、ぎゅっと手を握り合わせていた。
その視線の先は、倒れ伏す少女たちへと向けられている。
「姫さま?」
「……は!? な、なんじゃ! なんぞ申したか!?」
「いやいや。だから次でコンプリートするからね? 心の準備をしといてねーって言ったんだけど」
「そ、そうか。うむ、あいわかった」
「……別に、心変わりしてもいいんだよー?」
ぼそりとつぶやけば、セーラは顔を赤くする。
「な、なにを抜かすか!? どうしてわらわが、あの者らの心配なぞ!?」
「へえ、心配してるのー?」
「う、うるさい! はよう終わらせるがよい! それこそがわらわの望みじゃ! 相違ない!」
「はーいはい。仰せのとおりにー」
依頼主の命に従い、ムーは向き直る。
「勝手に話を、進めないでくれる?」
そこには、互いを支え合うように立つ、ミリアとゼロワンの姿が。
「驚いたなー。まだ立ち上がる力があったんだー」
「当然、だよ。アタシたちは、幸せになるんだから」
「です。ハネムーンは、目前なのです」
「麗しいなー。でもでも、威勢が良くてもすでにその身はボロボロだよー? 対してムーは元気いっぱい。解き放った闇の力で世界を全て覆われて、光のオーラすら霞ませる純度に時の自由を奪われて。未来は闇に呑まれてるよねー? 」
「闇に、呑まれる……? 聞いたよね、ゼロワンちゃん?」
「……です? ……です!」
ミリアとゼロワンがなにやら不思議そうにし、そしてうなずき合う。
こちらは何もおかしなことなど言っていないはずなのだが。
(あれ? もしかして今のも黒歴史になっちゃう!? で、でもあれは能力のこといっただけだし!)
こちらは時間操作の能力を際限なく使用できる。
唯一の対抗策であるゼロワンの時間操作を使用させる隙など与えない。
そもそも彼女に残る魔力はごく僅か、発動できないというのはステータスが見えているため分かっている。
これだけ一方的に打ちのめされて、しかし、まだあきらめないという執念は素晴らしい。その点は評価する。
だが、それだけではどうにもならないのが現実というものだ。
「せめて、ムーが終わらせてあげるね?」
ナイフを構えるムーを前に、ミリアは少し不安そうな顔でゼロワンに尋ねる。
「その、ゼロワンちゃん……」
「言わなくてもいいのです。何があっても、ゼロワンはずーっとミリアの恋人ですよ?」
「……うん、アタシもだよ?」
二人は互いに見つめ合い、笑いあい――刃を構える。
「にゃ!?」
「なにを!?」
唖然とするムーとセーラの前で、互いの首筋へ得物を添えるゼロワンたち。
刃の触れた首筋から鮮血を滴らせながら、しかし、幸せの絶頂に立ったかのような雰囲気を醸し出す。
「決まってるでしょう?」
「ハッピーエンドを迎えるのですよ」
応えた後、そのほかのことなどどうでもいいというように、愛を注ぐように見つめ合う二人。
「アタシたちの運命を彩っていいのは、アタシたちだけだもの」
「です。誰にも奪わせたりしないです。ゼロワンたちは、ゼロワンたちの手で」
「「幸せになります」」
覚悟を決める少女たち。
「な……なんという……」
その姿に目を見張り続けるセーラ。
その前で、駆けだすものが、一人。
「だからってそんな真似ッ!」
顔を青くし、肩を震わせ、泣きそうになりながら、ムーは地を駆けた。
「ま、待て! やめるのじゃムー!」
「うるさいッ!」
割って入ろうとする声ごと、解き放った闇で世界を止める。
視線の先、自ら終わろうとする少女たち。
それが、絶対に許せなかった。
「ふざけるなッ! それが幸せであるものかッ! ムーはそんなの望んでいないッ! そんな形の終焉を……誰が……誰が許すものかあああああッ!」
感情をぶちまけながら飛び上がり、抑えきれぬ思いを切っ先に乗せ、彼女たちへ斬りかかる。
そして至近に到ったとき、ムーは違和感を覚える。
血が、流れていた。
動き得ぬ時の中。
闇にて封じられた檻の中。
術者以外が動けないはずの世界で、二人の少女の首筋から、流血が、滴る。
「……え?」
信じられぬ事態に思わず気が逸れる。
「時は我が手で踊るですッ!」
それを逃さぬと叫ぶ――動く、ゼロワン。
瞬間、世界が色づいた。
(なに!?)
動き出す世界の中、ただ一人、ムーだけが取り残されたかのように動きを封じられる。
意識はある。だが、まったく身動きがとれない。
それは、全体ではなく、個別の時間停止の力によるもの。
本来、高レベルのハウンドドッグにのみに使用できるそれは、力の配分が難しい反面、対象が限定されるため、消費魔力は少なくて済む。
対して全体の時間停止は辺りへと力を放出するだけであるため、比較的簡単であるが、対象範囲が広い分、消費魔力量は増加する。
限定発動は、本来ゼロワンのレベルでは行えない所業。
どうしてと、ムーは開いたままの瞳、固定された視野に入っているゼロワンに意識を移す。
「むむむむ……」
彼女はムーをじっと見据え、集中していた。
(もしかして、尽きかけた魔力を、ムーのみに集中することで!?)
全体の時間停止に至らない魔力。
本来なら不発で終わるそれを、無理やりムーへと向けて打ち放ち、不完全な時間停止を行ったのだ。意識のみ保つことができているのはそのせいだろう。
だが、そもそもどうして彼女たちは動くことができて――
(! 『ラ・ピュセル』か!?)
ミリア、そしてゼロワンの手に握られた剣とナイフ。
それらには聖女の祈りの力、『ラ・ピュセル』が宿っていた。
時間停止の能力は、解き放った闇の力で対象を包み込み、身動きを封じるというもの。
先のムーの不用意な発言でそれに気付いたミリア、思い出したゼロワンは、対するため、闇に包みこまれる前、光の宿る刀身を互いに触れさせたのだ。
カンストを超えた聖騎士、その『ナイト・シールド』すら穿ち貫く死の化身の闇の力。
そしてゼロワンのそれを大きく超える、ムーの力。
しかし、人の身を超えた――神に祝福されし聖女の力なればと。
先祖より、大事な友より託されし力なればと。
前例などない。
だが、彼女らは可能性に賭け、聖なる刃で身を裂いて、神聖さを体に巡らせた。
そして、見事打ち勝ち、逆境を跳ね返して見せたのだ。
神聖な力により、闇を纏いしゼロワンは息も絶え絶えとなりながら、しかし、勇ましく叫ぶ。
「ミリア! いくですよ!」
「もちろん! はああぁあ!」
剣を構えたミリアの全身が血ような真っ赤なオーラに包まれる。
再び打ち放たれようとする聖騎士と聖女の力を掛け合わせた奥義、『ヘブンズ・イグニッション』。
だがそれは、生命力を吸い上げて放たれる一撃。今の彼女が使えば落命は免れない。
しかし、ミリアが纏う血のオーラは、やがて優しい水色へと変化する。
「……ゼロワンちゃん?」
「共同作業してほしいって、言ったですよ?」
手にしたナイフを剣へと触れさせ、ゼロワンが柔らかく笑う。
ナイフに宿る聖女の力、『献身』。
それにより、自身の生命力を掛け合わせることにより、ミリアへの負担を防ごうというのだろう。
「……うんっ!」
幸せそうに笑い返すミリア。
彼女の纏うオーラは、包み込むようにゼロワンへと伝っていく。
やがてそれは刀身へと伝い、巨大、肥大となっていく。
命。
絆。
そして、愛。
それらにより形成された必殺の力が、構えられた。
手に手を取り合い、互いに命を懸け、力の限り叫ぶ。
「行くよゼロワンちゃん! この一撃で、アタシたちの未来を掴み取るッ!」
「です! ハッピーエンドを、今ここにッ!」
少女たちは思いを込めて振りかぶり、
「「『ヘブンズタイム・イグニッション』ーーーーッ!」」
暗雲を斬り裂き、未来を開闢する一撃を振り下ろした。
膨大な熱量をはらんだ一撃が、ムーへと迫る。
それを前に、ムーは心中でほくそ笑む。
(うん、凄いな。二人の絆、思い合う気持ち。とっても気持ちいいよ)
少女たちの雄姿、強い思いの込められた一撃を前に、ムーの胸が温かなもので満たされる。
受けてしまえば敗北は免れない。
だが、受けてあげても、いいかもしれない。
(……でもッ! ムーは妥協しないッ!)
何より大切な弟子、その思い人。
であるからこそ、ムーは手を抜くことなどしたくなかった。
ゼロワンは時間停止した相手に、外傷を加えることはできない。
強い時間停止能力をもつものにしか行えないため、それはミリアも同じ。
だから攻撃が直撃する刹那、停止を解除するはずだ。
そこを狙う。
だが、ゼロワンが時間停止を解除してから、ムーが時間停止を発動するまでにはきっとこの長大な一撃を身に受けてしまう。
だとして、たとえ身を散り散りとされようと、意識さえ保っていれば傷を戻すことはできる。
彼女らが強い決意を見せたのだ。
悪いが、こちらも意識くらい、保って魅せる!
(そして、状況を逆転させる!)
迫る一撃。
それが皮膚へと達する刹那、思った通り時間停止が解除された。
感じたことのない激痛に晒され、意識をもっていかれそうになったが、ムーはどうにか耐え忍び、すぐさま能力を発動させる。
(時は我が手で踊り行くッ!)
勝利を確信し、内心で唱える。
だが、
(!? 時間停止が発動しないッ!?)
何故、どうしてと、異常な事態に慌てるムー。
この身は万端だった。
体力も、魔力も万全であったはず。
なのに、どうして!?
膨大な熱量の必殺に晒され、押しつぶされそうになっていく体。
そこに違和感を覚え、見直す。
その手が、聖騎士のものとなっていた。
「!? ど、どういうこと!?」
変じた覚えなどないのに、ゼロワンに変じていたはずのムーは、ミリアの姿に変わっていた。
驚く間にも、その体が今度は幼いミミック、次は妙齢のヴァンパイア、そしてアルラウネへと変じていく。
そこで、ムーは気づく。
「時が、戻されている!?」
この身を滅しようとする薄水色の一撃。
その中に、時への反逆の残滓が含まれていることに。
ムーは知らなかった。
ゼロワンが生命力の中に、時間操作の力を――逆行の力を含ませ、うち放ったこと。
それを必殺の一撃の中で増幅させたこと。
何もできないムーの身体が邪神、セーラ、再び邪神、ミミックの恋人の少女、ゼロワンのデートを通報した時の女性の姿などなど、どんどん遡っていく。
「いやあ、びっくりだなあ。まさか、こんな攻撃を思いつくなんてー……」
脱帽するようにひとりごちるムー。
その視線の先には、熱く叫ぶ少女たち。
「これで終わりだ! アタシたちの愛の力でッ!」
「無様に呆けて果てるといいですッ!」
「「いっけえええええッ!」」
そして、少女たちの思いの奔流に飲み込まれ、
「……にゃはは。ムーちゃん、負けちゃった……」
邪神は、ここに敗北した。




