お嬢ちゃん、ただのおバカさんね
「うん、わかった。お嬢ちゃん、ただのおバカさんね」
額を抑えてゴロゴロと地面を転がるミューを見て、ミミックはそう結論づけた。
「か、軽々しく他者を貶めるのは感心しない。理由を求める」
「これまでの経緯を説明すれば、誰だってそう結論づけるわよ」
ミミックは少女に諭すように言う。
「1つ。お嬢ちゃんはどうして頭を押さえて転がっているの?」
「財宝に目がくらみ、油断しきったところを凶暴なミミックに襲われ、ヘッドバットをくらってしまったため」
「正解。2つ。それは今回が初めてかしら?」
「違う。かれこれ10回目」
「正解。3つ。それは、同じ日に立て続けて?」
「そうだったらミューの頭は割れている。1日に1回ずつ。あと、欠かさずダンジョンに通い続けているから、今日で連続10日目」
「うん、よくできました。ぱちぱちぱち」
拍手した後、ミミックはミューに手招きする。
「と、いう訳で……。お嬢ちゃん、こっちこっち」
「む。ご褒美かな?」
ミューは瞳を輝かせて近寄った。
その肩をミミックはがっしりと掴み、
「……む?」
「お仕置き執行!」
「ダメ押し!?」
渾身のヘッドバットをぶちかまし、ミューの視界に星を浮かべた。
「は、反則。お仕置きは1日1度まで。ミューがバカになったらどうするの?」
涙目で抗議するミューへポーションを投げつけながら、ミミックは青筋を浮かべて叱りつけた。
「それは元からでしょ! お嬢ちゃんは命が惜しくないの!? 何度も何度も注意してあげてるのに、性懲りもなく毎日毎日ルーチンワークをこなす従業員みたいに! 鶏の方がよっぽど賢いわ!」
「ミューが鳥頭とでも?」
「尚悪いって言ってるのよ! はあ……」
「お姉さん、人の前で溜息をつくのは失礼。ミュー、気分が悪い」
「奇遇ね。それはわたしもだわ」
ミミックとミューは、互いをジト目で見た。
先ほどの応酬の通り、ミューは初めて会ったその日から、今日までずっとこのダンジョンに通い詰めていた。
その度にミミックはもう来ないように注意して街へテレポートさせているのだが、翌日には、
え? 昨日? なにもなかったけど?
とでも言うように元気よく探索しにやってくるのだ。
終いには、ミミックの方からお願ですからもう来ないでくださいと頼み込んだほどだ。
それでも聞きゃしない。この少女、生存本能というやつが抜け落ちているに違いない。
「ところでお嬢ちゃん。あなた、少しはレベル上がったかしら?」
「黙秘する。答えれば、三度凶悪なミミックに襲い掛かられる」
「ということはつまり、レベル1のままなのね」
呆れた後、ミミックは質問を変更する。
「じゃあ、お嬢ちゃんは自分が人より幸運だと思う?」
「人は皆、自分は不幸だと思う生き物」
「な、なんか達観してるわね……。いや、そういう意味でなく、冒険者のパラメータ的な話」
「それは一般的なレベル1の冒険者と変わらない値だと思う。それが何か?」
「そのね、お嬢ちゃんがあまりに悪運が強いなって思ってね? 考えてみて? レベル1の冒険者が推奨レベル80以上のダンジョンの中を10回も続けて無傷で探索できると思う? ありえないでしょう? 幸運が飛びぬけて高いのなら、もしかしたらなんて思ったのだけど」
ミミックが気になったのはそこなのだ。
この際ミミック自身のことは例外として、通常、ダンジョンを奥深くまで探索する際、一度もモンスターに遭遇しないなんてありえない。例えば屈強な冒険者たちが徒党を組んでダンジョン中のモンスターというモンスターを狩りつくした直後だというのなら分からなくもないが、ここはレベルの高い冒険者も嫌厭する状態異常満載の凶悪なダンジョンだ。
実際この数日、踏み入ってきたのはミューだけである。
「その疑問を解決。ミュー、一応モンスターよけの聖水を使用している。そのお蔭で、眼前のミミック以外には襲われることもなく」
「聖水? おかしいわね、聖水なんてここのモンスターたちには効果がないのに」
他の低レベル向けダンジョンならいざ知らず、高レベルモンスターたちには聖水など効果がない。
それどころか逆に冒険者たちの居場所を知らせる危険なアイテムとなってしまうのだ。
「くっ! せっかくなけなしのお金を支払っていたのに……!」
愕然として膝をつくミュー。
その姿をちょっと可哀想に思いつつ、ミミックは尋ねる。
「ギルドやお店で説明を受けなかったの?」
「ミューみたいなレベル1の駆け出しが、まさかこんな凶悪なダンジョンに入っていくなんて誰も思わない。だから、きっと教えてくれなかったんだと」
「あなた、一応ここが危険な場所だって理解はしているのね……」
そのくらい理解はできたかと、ミミックは安心する。
その様子から何か感じるものがあったのか、ミューが反応する。
「む。お姉さん、今ミューをバカにした?」
「良かった。そのくらいは分かる頭はあったのね」
「つ、ついに本性を現した。凶悪なミミックめ」
しゃーと猫のように唸るミュー。その様は、ちょっとだけ可愛い。
「さておき、どうしてお嬢ちゃんは無事だったのかしら?」
駆け出し冒険者が気配を消す特技を覚えることなどできないはずだし、たとえ覚えていても低レベルであれば高レベルモンスターには見切られてしまう。
「もしかしてあなた、何か特別なアイテムでも持っているの?」
あと可能性があるとすればそんなところだろうが、見たところそういうものは確認できない。
いや、それどころか――
「そんなことはないと思う。防具は普段着、靴だっていつもの皮の靴。後は中古のランタンくらい。回復アイテムは、薬草を一枚」
「あなた、わたしたちをバカにしてるでしょ?」
あまりの不用心さに、ミミックはもう一度ヘッドバットを繰り出したくなった。
いや、でも流石に日に3回は可哀想かしらと逡巡していると、
「あとはこの、武器屋で投げ売りされていたナイフだけ」
ミューは、腰に下げた鞘からナイフを引き抜いた。
瞬間、ミミックの体を悪寒が襲う。
「!?」
思わず宝箱に身を隠す。
今の感覚は一体なんだ。
高レベルの冒険者と相対したときでさえ感じたことのない感覚。
それよりももっと強力、いや、もっと高位の、いうならば神か天使による神聖で凶悪な威光にさらされたような。
一瞬で蒸発してしまいそうな感覚にミミックは生命の危機を感じる。
「お姉さん?」
突然のことに、驚いたのだろう。
ミューの心配するような声が聞こえてくる。
ミミックはどうにか声を絞り出す。
「そ、そのナイフ、仕舞ってもらっていいかしら。身震いが止まらないの」
「そ、息災? 了解」
箱の外から、ミューの慌てるような気配が伝わってくる。
やがてカチャカチャと何かを仕舞うような音が聞こえた後、ミューの柔らかな声が響いた。
「ちゃんと鞘に仕舞った。だから、安心して?」
「ほ、ほんとに?」
「ミュー、嘘だけはつかない。嫌いだから」
強い決意が籠ったその声に疑問を覚える余裕もなく、ミミックはうっすらと箱の蓋を開け、様子を伺う。
そこには先ほどの身を裂くような気配はなく、貧弱で可愛らしい少女が立っているだけだった。
「こ、怖かった……」
思わず涙を零すミミック。
「ごめんなさい。怖がられるなんて思ってなかった」
「い、いいのよ。促したのはわたしなんだから。だからほら、そんな顔しないで」
しゅんとするミューを宥めるミミック。人間とはいえ、子供にこんな顔をさせては気分が悪い。
「ところでお嬢ちゃん。そのナイフ、本当に安物なの? とてもそうは思えないのだけど……」
「安物も安物。でも、安物でも切れ味は抜群なんだって。ゴブリンとだって互角に渡り合える逸品だぜ? というのは武器屋の大将のお言葉」
「いや、互角じゃだめでしょ……」
どうやら本当に安物らしい。ならば先ほどの感覚はどういうことだろう。
不思議に思うミミックの前で、ミューは続ける。
「そういえば冒険に出る前、近くの教会でお祈りしてもらった。お金がなかったから、一番実力のない修道女さんにしか頼めなかったけど。あの修道女さん、お嬢ちゃん可愛いからサービスしたげるって、特別に武器にもお祈りしてくれた」
思い返すように上を向くミュー。
「ダンジョンを歩くときには、必ず鞘からナイフを引き抜いて歩きなさい。きっと神のお導きがあるでしょうって言ってくれた」
察するに、ナイフに宿る強烈な神聖性は、その女の力によるもののようだ。
実力がないというのは大嘘だろう。どころか、修道女かどうかも怪しい。
なんらかの事情で正体を偽っているに違いない。
神の加護を一身に受けた司祭かなにかではないだろうか。
いぶかしむミミックの前で、ミューは祈るように手を組んだ。
「でもミュー、知ってる。この世には神様なんていない。宗教組織は、ただの詐欺集団」
「あなた、なかなかひねているわね……。じゃあどうしてお祈りしてもらったの?」
「一応、かろうじて、一縷の可能性にかけて。神様がいたならば、助けてくれるかも。用心するに越したことはないから」
「ええ、確かにそうね。と、いうわけで……」
ミミックはミューに手をかざす。
「用心して、まずは経験値と、装備を揃えるところから始めましょうか?」
「!? ま、待って! まだお宝が……」
「しゃらっぷ。いい、お嬢ちゃん? 探索するときは、そのナイフ、必ず鞘から抜いて持ち歩きなさい。あと、悪い人に盗まれないように気をつけてね」
人間にはただのボロナイフにしか見えないだろうから大丈夫だとは思うが。
「忠告感謝する。そしてミューのことを案じてくれるのなら、お宝の一つや二つ、そっと包んでくれると嬉し――」
「テレポートッ!」
「お、おのれ! 次こそは!」
無念さをにじませるミューの姿が消失した。
「どこの悪人の捨て台詞かしら」
ミミックは苦笑する。
今の態度からすると、きっと明日も来るのだろう。
何度追い払っても、あの少女は諦めることなく現れる。
「その情熱は素晴らしいのだけどねえ……」
もうちょっとこう、いい感じの方向を向いてほしいのだが。
堅実にレベルを上げ、装備を集め、順当に特技を覚えて、とか。
これは多くの冒険者と相対してきたミミックの勘だが、そうすればきっとあの子は立派な冒険者になれると思うのだ。
と、そこでミミックは気付く。
最近、あの少女のことばかり考えていることに。
「まるで、恋でもしてるみたいね」
一瞬頬が熱くなるのを感じたが、すぐに考えを否定する。
「いや、それはそうよ。モンスターのわたしが、人間の女の子なんかに」
その上、あんな年端もいかない子にだ。人間界の法で言えば即牢獄行きである。
いや、きっと大丈夫だ。ここ数日出会ったのがあの少女だけなのだ。ならばその子のことばかり考えるというのは当然のことである。
恋など、するはずがない。
「ええ、考えてみれば当然だわ。危ない危ない。あやうく危険な嗜好の持ち主だと思われるところだったわ」
気を取り直すように、ミミックは周囲を見渡した。
光のない空間の中でも、モンスターであるミミックにはそこになにがあるかはっきり視認できる。だが、そこにはどこまでも続くような洞窟の洞が続いているだけ。心を弾ませるようなものはない。
きっと、ずっとひとり過ごすうち、ちょっとだけ、他者が恋しくなっただけなのだ。
今の自分なら、きっと腐食しきったマミーにだってすり寄ってしまうだろう。
「いや、それは言い過ぎか。あの子に失礼だし」
ふふっとミミックはほほ笑む。
「あのナイフを持っている以上、モンスターに襲われはしないでしょうけど……」
ミミックは宝箱に隠れた場合、内外の気配を遮断する力を発揮するため、あのナイフの力に気付かなかった。
そしてミューは宝箱を開ける瞬間、ナイフを仕舞っていた。
結果、彼女はミミックとの邂逅だけは避けられなかったのだ。
だが幸い、このダンジョンにミミックは自分しかいない。
変わり者と一緒にされてはかなわないと、他のミミックが近寄らないのだ。
とはいえ、いくら聖なる加護を受けていると言っても、危険であるのは変わりない。
「……ちょっとだけ、入口に近づいておこうかしら?」
ミミックは、ぽつりとつぶやいた。
だが、翌日。
いくら待っても、少女が姿を現すことは、なかった。