頭落とせば一発だもの!
朝日が差し込む、宿の一室。
そこにあるベッド上にて。
「ふあああ。カリスマ、覚醒なのですよ……」
安らかな寝息を立てていたハウンドドッグ、ゼロワンは目を覚ました。
珍しくしっかりと睡眠をとれたためだろう、今日は体が軽い気がする。
その一因は、ふかふかなベッドで休めたことにあるだろう。
ゼロワンの所属する暗殺組織は出来高制。
そして任務達成率ゼロパーセントのゼロワンは常に金欠である。
『任務達成なんてどうせムリじゃね?』と上の方々に判断されたのか、最近では暗殺依頼が回ってくることもほとんどなくなり、わずかにもらえる基本給だけでは満足に暮らすこともできなかった。
一時しのぎとして正体を隠し、人間の街で仕事をもらおうにもゼロワンは見た目幼い女の子。雇ってくれるところなどほとんどなかった。たまに雇ってもらえても、ミスばっかりで満足に給料をもらえず追い出されたし。
そんな彼女が宿に泊まるなんて夢のまた夢。
お風呂の代わりに川で水浴びをし、野を歩き比較的安全そうな場所を探し、洞窟や木の洞の中などで野宿をするのがいつもの就寝スタイルだった。
一般的なモンスターならばそれが普通で、そして十分であるだろう。
だが、ハウンドドッグは外で生きるのに適さないという特殊な存在であったのだ。
ハウンドドッグは凶悪な力を持っている。
術者自身が暴発でもさせない限り、その力を防いだり回避したりすることは、基本的に不可能だ。だから標的とされた者は死を受け入れざるを得ない。
だがその代償としてか、その力はとても燃費が悪い。一旦使用してしまえば、再使用までに数日を要すのだ。
そしてハウンドドッグの身体能力自体は、戦う力を持たない民衆レベル。その体は脆弱であった。
だから力を使えないときにモンスターに襲われてしまえば、簡単にその餌食となってしまうのだ。
ハウンドドッグの姿を見た者がいない理由には、対峙した者が殺されてしまったからというのも確かにあるだろう。
だが、最凶の力を持ちながら、どのモンスターよりも脆弱であるため個体数が少ないということ、さらには牙を捨て人間の社会に溶け込み、生きているため気付かないというものがその大半を占めていたりするのだった。
「生きるのって大変なのです……。でもゼロワン、頑張るのですよ! えいえいおーです!」
孤児として生まれ、モンスターに殺されそうになった自分を救ってくれたあの人のために。自分は立派な暗殺者となってみせるのだ。
そのためにも、まずは任務の達成を目指そう。
目下の目的は、聖騎士の少女、ミリアの暗殺である。
現在ゼロワンは、ミリアの恋人を演じ、一緒の宿に宿泊している。
それは彼女の隙をつくためだ。
その懐には一本のナイフ。
なんの変哲もないナイフでも、命を奪ことくらい簡単にできる。
これで無防備になった彼女を一突きしてやろうと考えていたのだ。
いくら最強の聖騎士といえど、寝込みを襲われてはひとたまりもないだろう。
ゼロワンは早速行動に移ろうとするが――
「でも、ちょびっと離れがたいのです……」
少し躊躇した。
今彼女は、ミリアの抱き枕と化していたのだった。
ベッドの上でミリアはゼロワンを優しく抱きしめ、その豊かな胸元に引き寄せるようにするような体勢をとっていた。ぎゅっと引き寄せられているため顔元はうかがえないが、きっと幸せそうに眠っているに違いない。
人肌の暖かさ、柔らかな胸から伝わってくる鼓動。
「ふかふかで、安心するのですよ……」
ゼロワンは意識を手放してしまいそうになる。
きっとこれはベッドがふかふかしている以上に安心して眠ることができた真の理由……。
「――って、ダメです! そもそも寝過ごしてるのですよ!」
日光をその身に受けていることを思い返し、ゼロワンは焦りを露わにした。
昨夜、ミリアがお風呂へ向かった後、ゼロワンは来るべき暗殺の時に備えた。
用意されていたごはんをむしゃむしゃと食べ、しっかりと歯磨きをし、トイレを済ませてからべッドに入り込んだ。
そしてベッドの中で彼女を待ち、寝入り込むのを見届けてから隙をついてやろうと思っていたのだ。
だが、固い地面で寝ることに飽き飽きしていた彼女の身体は、ふかふかのベッドの誘惑に抗うことができず、ミリアが戻ってくるのすら見届けずに眠ってしまったのだった。
そして、気付けば朝となり、太陽が昇っていた。
つまりは、完全にお寝坊さんだったのだ。
きっとその内、彼女も起きてくるだろう。
その前に。
懐からナイフを取り出したゼロワンは、ミリアの上に馬乗りになった。
「先手必しょ――いや、先手というにはいささか寝過ごしてしまったような? と、ともかく! やってやるですよ!」
ゼロワンは腕を大きく振りかぶり、ミリア目掛けてナイフを振り下ろそうとし――
「はああ……」
うっとりした表情で頬を上気させる彼女と、目が合った。
「です!?」
「おはよう、ゼロワンちゃん」
「お、おはようです! その、えっとこれは……あうっ!?」
取り乱したゼロワンはベッドから転がり落ちた。
その腕からナイフが零れ落ちる。
「なんだか、とっても刺激的な事、しようとしてたみたいだね?」
ベッド上、ゆらりと立ち上がるミリア。
彼女は最強のクラス、聖騎士。今のゼロワンが戦ったところで、万に一つも勝ち目はない。
一体どうすればいい? どうすればこの状況を取り繕える!?
いや、暗殺者がナイフを手にしている時点で取り繕うもなにもないのだが!?
「ごめんなさいです! でも、できたら見なかったふりをですね!?」
結局ゼロワンに名案は浮かばず、謝罪することしかできなかった。
とはいえ、普通命を狙った相手を許すことなどできないだろう。
きっと一刀のもとに切り伏せられてしまうはず。
怯えるゼロワン。
しかし、ミリアはなぜか恥ずかしそうに頬を染めた。
「ナイフで服を切り裂こうなんて。もうっ、可愛い見た目で肉食系とか、反則だよっ。その、でも、恥ずかしいけど、ゼロワンちゃんが望むなら、アタシ、なんだって……」
「いやいやいや! どうしてそうなるのですか!? ゼロワンはあなたを殺そうとしていたのですよ!?」
「あれ? そうなの?」
「もちろんです! ……って、しまったですよ!?」
思わず口を滑らせてしまう。
誤魔化すためには今のバカげた話に乗っておくべきだったろうに。
だが、殺すと宣言されたというに、ミリアは思いがけない行動をとる。
「うん、いいよ?」
ミリアはベッドの上に仰向けになり、目を瞑った。
そして、先ほどのように頬を上気させる。
「はい、どーぞ? 喉でも、心臓でも、好きなところを召し上がれ?」
「なぜです!? どうしてそうなるですか!?」
「アタシのすべてはゼロワンちゃんのものだから。生かすも殺すも自由だよ? きっと、誰かに盗られる可能性があるのなら、いっそ……って、ヤンデれちゃったんだよね?」
「いや病んでいるのはどっちですかね!?」
思わずツッコむが、ミリアの耳には届いていない様子だ。
開眼した彼女は、ハイライトの消えた目で笑う。
「大丈夫だよ? この心も、思いも、死んだって揺らがないから。いつだってゼロワンちゃんだけを愛し続けるし、障害はなんだって排除するよ? だけど、殺したいなら殺してください。あなたになら、そうされたって喜べるから」
「ごめんです! 疑ってしまったゼロワンを許してほしいのです!」
恐ろしくなったゼロワンは、話を合わせて土下座した。
この少女の恋愛観は、ほんとに鳥肌ものでならない。
だからこそ一刻も早く任務を終わらせるべきだろうが、昨夜宣言されたように、このまま殺してしまえば彼女は霊体となって間違いなく憑りついてくるだろう。
そうなれば、きっとゼロワンはあまりの恐怖に、耐え切れず死――
(お、お守りを……! お守りを買い漁るのですよ!)
暗殺者が神のご加護を求めて効果があるのか不明だが、なにかにすがらずにはいられない。暗殺はそれからにするべきだ。
ガタガタと震えるゼロワンの姿を、愛を疑った後悔ととったのだろう。
近寄ってきたミリアは、ゼロワンをそっと抱き寄せた。
「許すもなにも、アタシはゼロワンちゃんのすべてを受け入れるんだよ? 喜びも、悲しみも、そして殺意も。ゼロワンちゃんのくれるすべては、アタシの幸せだから」
「あ、ありがとうなのです。そこまで愛していただけて、ゼロワンは果報者なのですよ」
「あれ? それにしては、震えが増してるような?」
「こ、これは文字通り、喜びに打ち震えているのですよ!」
「! 嬉しいっ! もっとガタガタ言わせてあげるっ!」
「ひぃ!?――じゃなかった! わ、わーいです!」
ゼロワンはどうにかこうにか笑顔を作って喜ぶふりをした。
なんだか、任務達成する前に、彼女の愛に食いつぶされてしまう気がしてならない。
その予想が正しいとでも言うように、ミリアはハイライトの消えた目に壮絶な感情を宿す。
「……でも、もしアタシに飽きちゃったときは、一思いに殺してね? ゼロワンちゃんのいない生活なんて、もう考えられないから」
「そ、そんなことあるわけないじゃないですか! あ、あはは、ですよー」
「そうだよね? 愛を疑うなんていけないよね? でも、念のために。……ね?」
ミリアはにっこりとほほ笑んだ。
整った顔立ちの彼女の笑顔は、見る者を魅了するはずなのに。
深い愛情でどす黒く歪んだ内面を知ったゼロワンは、怯えずにはいられなかった。
これ以上はゼロワンの心臓が耐えられない。
とりあえず話題を替えさせていただこう。
「そういえばミリア、いつから起きていたのですか? とってもびっくりしたのですよ」
「それがね。実は眠れなくて……」
彼女は大きく欠伸した。
色々衝撃的過ぎて今の今まで気づかなかったが、ミリアの目の下には大きなクマができていた。寝付けないとか、どこか具合でも悪いのだろうか。
「大丈夫ですか? 体調が悪ければ、お医者さんに診てもらうのですよ?」
「ふふ、暗殺者ちゃんに気遣われるって、なんだか不思議な感じだね」
「い、今はもう違うのです! ゼロワンはミリアの恋人ですから! 大切な人を心配するのは当然なのです!」
「あ、そうだったね。ごめんごめん。でも、ほんとに大丈夫だから」
「ほんとですか?」
「うん。だって眠れなかったのは、ゼロワンちゃんのせいだもの」
ミリアの告白に、ゼロワンは口元を歪める。
「なるほど。元暗殺者としての血塗られた闇の波動に戦慄し、安らかに眠りにつくことができなかったのですね? それは返す言葉もないのです。ごめんなさいなのです」
やはりどうやったってこのカリスマな暗殺者オーラは隠しきれないか。
ゼロワンは自身の強大さに震えあがる。
「違うよ? そんな波動、一片たりとも感じなかったし」
「あれ!?」
驚愕するゼロワンの前で、ミリアは夢見心地のようにうっとりした顔になる。
「ゼロワンちゃんがすやすや気持ちよさそうに眠る姿が可愛いかったんだ! よしよしって撫でてあげたら幸せそうにほんわか笑って! もう、ほんとにたまらなくって! そうしているうちに、朝になっちゃってたんだ! もうっ、可愛い犯人ちゃんめっ! このこのぉ!」
たまらなくなったのか、ミリアは感情のままにゼロワンに抱き付き頬ずりしてきた。
年相応の少女のように無邪気に笑うその姿。
たった今どす黒いやら歪んだやら思ってしまったが、しかし、今の彼女はとっても可愛い。
一途すぎる愛っていうのも、案外悪くないのかも、なんて考えてしまう。
「そうですか。その、それは恋人的にとても嬉しいですが。でも、夜はちゃんと寝なきゃダメなのですよ?」
照れつつ言えば、ミリアはほんわか笑う。
「でも、一挙手一投足を見逃したくなくて。全てを見守っていたくて。まばたきだって、もったいなかったの!」
「いやそれ見守るというより監視じゃないですかね!?」
前言撤回、やはり、ヤンデレはダメだ。
「そう? まあいっか。今日は眠れるように頑張ってみるね」
「え!?」
今日もこの少女と一夜を共にしなければならないのか!?
いや、恋人同士ならそうしてもなんら不思議ではないし、彼女の油断を誘うためには都合がいいだろう。
だか、心が折れそうになってくるのだが……。
「どうしたの?」
「な、なんでもないですよ。いやー、ゼロワンも眠れるか心配です」
主に恐怖で。
「ふふ、そうだね。どうなるかなー?」
主に恐怖で。
***
「何から何までどうもです。宿代も払ってもらったのに、これも買ってもらって……」
午前、街の一角に立つまじない屋を後にしながら、ゼロワンは隣を歩くミリアに礼を言った。
「いいのいいの。宿に連れ込んだのはアタシだから。それに、ゼロワンちゃんは恋人であり、運命の人。望むならなんだってしてあげちゃうよ? そう、なんだって……」
「ありがとうです。でもその、いちいち仄暗いオーラを纏うのはできたら遠慮して頂けないですか? 精神衛生上助かるのですよ?」
「? これはゼロワンちゃんへの大好きオーラだよ? 愛に戸惑うウブな姿もすっごく大好きっ! ……絶対、誰にも渡さないんだから」
「ほらそれ! それですよ! もはやそれ愛っていうか呪いじゃないです!?」
朝食を終え、宿を後にしたゼロワンとミリアは、現在、街中を散策していた。
どこか行きたいところがあるかと聞かれたゼロワンは、お守りを買いたいとまじない屋に行くことを提案。
だが、そこで自身の財布が寂しいことになっているのに気付き、肩を落とすゼロワンに、ミリアは店中のお守りをプレゼントしてくれたのだ。
どうやら聖騎士というのは伊達ではないらしく、クエストで稼いでいるから、お金の心配はしなくていいよとなんとも頼もしいことを言ってくださったのだ。
そして、「重いでしょ? 持ったげるっ」と、当然のように荷物を持ってくれる姿。
思わずドキドキしてしまいそうになった途端、これだ。
誰にだって欠点はあるというが、これはひどすぎないだろうか。
「それにしても。どうしてゼロワンちゃんがお守りを欲しがったのか不思議だったんだけど。……そっか、そういうことだったんだね」
当然のようにハイライトの消えているミリアの目に、確かな怨嗟が宿る。
呪いなんて不用意なことを言ってしまったせいで、彼女を煙たがっていること、そして恋人を演じているのが伝わってしまったのだろうか。
「ち、違うんです。これはその……」
「隠さなくていいよ。もう、全部、分かってるから」
「ごめんなさいです! でもその、どうか命だけは!」
ゼロワンは再び土下座した。
命を狙っておいてムシがいいかもしれないが、見逃してほしい。
一度くらい任務を達成して、あの人に喜んでもらいたいのだ。
だが、ミリアは不思議そうに小首を傾げた。
「? どうしてそうなるの?」
「だって、ゼロワンを始末するんですよね?」
「だからそんなことしないって。ゼロワンちゃん、とっても可愛いから、生き物だけじゃなくて、そういうのからも好かれるんでしょ? 恋人ができた今、嫉妬されるのが恐ろしくなったんでしょ? だからお守り買おうと思ったんでしょ?」
「……ハッ! そ、そうなんですよ! キャー、コワァイ、デスー」
「だいじょうぶだよ? アタシたちの愛は、誰にも邪魔できない、邪魔させないんだから」
「きゃ、きゃー。頼もしすぎて心底恐ろしいのですよー」
「えへへ、ありがと。じゃあはい」
ミリアはゼロワンへ手を差し出した。
「えっと、なんでしょう?」
「手、繋ご? その、恥ずかしくて言い出せなかったんだけど、せっかくのデートだもん。ゼロワンちゃんのこと、肌で感じていたいんだ」
「そ、そうですね。えっと、では……」
恋人を演じるため、ゼロワンは手を差し出そうとするが、躊躇した。
だって、恥ずかしいのだ。
恋人たちというのはよくもまあこういうことを人目もはばからずできるものだ。
とてもではないが、普通の精神状態ではできない気がする。それこそ、バカにでもならないと。
ああ、だからバカップルなんて言葉もあるのか。
なんてグルグル考えているうち、その手が握りしめられた。
「です!?」
驚くゼロワンへ、ミリアは悪戯っぽい笑みを向ける。
「可愛い天使をつっかまえたっ。ほら、早く行こ? もうお昼になるし。アタシ、結構おいしいお店知ってるんだ」
「は、はいです。……もう、お腹いっぱいですよ」
「え?」
「な、なんでもないです! 行きましょう」
(な、なんで? なんでゼロワン、あんなこと言ったです……?)
飛び出してしまった言葉に自分自身うろたえるのを感じながら、ゼロワンはミリアに続くのだった。
***
食事をして店を後にし、ゼロワンとミリアは、街の中を散策していた。
温かな太陽に照らされた正午の街中を、二人で歩く。
ミリアの希望で、手を繋ぎ合いながら。
「嬉しいけど、恥ずかしい。恥ずかしいけど、すごく幸せ。デートってこんな不思議な気分になるんだね。知らなかったなあ」
「そうですね。グレイトフルな恋人、ゼロワンですが、この感覚は初めてなのですよ」
手を繋いで街中を歩くとか、すごく恥ずかしい。
しかし、なんだか心がきゅんとなる。
ハウンドドッグの耳や尻尾は、不可視化することができる。
街に出た時からゼロワンは耳と尻尾を引っ込めているので、はたから見れば仲良し姉妹にしかみえないだろうが、でも、実際は彼女の恋人を演じているわけで。
人目がある中で手つなぎデートとかドキドキしていけない。
そのことを自覚し、ゼロワンはかぶりをふった。
(お、落ち着くですよゼロワン! これは暗殺の一環! 彼女の油断を誘うため、恋人の演技をしているにすぎないのです! いや、大丈夫です! そもそもゼロワンは、ナンバーワンな舞台女優をもしのぐ、演技派暗殺者でもあるのです! きっと彼女にぞっこんな恋人という役を見事に演じすぎて、感情移入しているだけなのですよ!)
そうだ、そうに違いない。
暗殺者が恋愛なんかにうつつを抜かすなんて許されない。
ゼロワンは常にクールに、任務達成に邁進する、ハードボイルドなハウンドドッグなのである。この調子で、彼女の恋人を演じ続けよう。
「ん? ゼロワンちゃん、どうしたの?」
「なんでもないですよ。ミリアと一緒にいれて嬉しいなって思っただけです。う、嘘なんてありませんからね!?」
「! ゼロワンちゃんっ!」
ミリアはゼロワンに抱き付いた。
そして優しく抱きしめてくれる。
「アタシも! アタシもだよ! ゼロワンちゃんに出会えて、アタシとっても幸せなんだ! 初めて幸せを感じたんだ!」
なにか事情があるのかもしれないが、そこまで深入りはすまい。
多少戸惑ってきてはいるが、それでも彼女は暗殺すると決めているのだ。
背景を知ったところで、それは事後の悲しみを倍増させるだけである。
「ああもう大好きっ! ほんとに大好きっ!」
ミリアは愛を囁きながら抱きしめ続ける。
こんな重い愛情なんて、知らない。
これはきっと、とんでもなく危険な罠だ。
そう、罠なのに、ゼロワンは振りほどくことができない。
(なんか、ヤバイです。天上天下、唯我独尊のゼロワンのはずなのに、なんだか、このまま呑まれてしまいそうな……)
恋人役だけでは物足りないと思ってしまいそうになるくらい、頭の中が火照って、彼女のこと以外考えられなくなってしまう。
甘い闇に、蕩けそうになってしまう。
そんな時、
「そこの女! 幼子に何をしているかっ!?」
鋭い声が聞こえ、ゼロワンは現実に引き戻された。
目を向ければ、そこには鎧を着た数人の女性と、その前に立つリーダー格と思しき女が立っていた。
「……なにか、用ですか?」
愛の語らいを邪魔されたからか、ミリアはゆらりと、まるで幽鬼のような立ち姿を見せる。
それに怯みつつも、女は勇ましく声をあげた。
「我らはこの街を守る騎士である! さきほど、幼子に愛を語る不埒者がいると連絡があった! 貴様、法を知らぬのか!? 優しく見守るべき幼子に手を出そうとはとんでもない淫婦である! その罪、万死に値する!」
そう言って、騎士たちは剣を引き抜いた。
そういえば、人間の法の中に、幼子への悪戯、恋愛などを罰するものがあり、それを犯した者は即牢獄行きだと聞いたことがあった。
そういえば、人間たちのお店で働いていたとき、たまに金髪の貞淑そうなゴスロリ女がやってきて、しかしゼロワンを見てハアハアして、やってきた騎士から逃げ回っていたのを何度か目撃していた。
人間の法であるのでモンスターは対象外であるが、今のゼロワンは人間の幼子にしか見えない。
手を繋いでいるくらいなら良かったのだろうが、幾度もの過剰なスキンシップは、度を越していると判断されたのだろう。
つまり、ミリアは失態を犯してしまったというわけだ。
だが、ここで彼女を失うわけにはいかない。彼女は自身の手で暗殺するのだ。
もしかしたら、今後お世話になる店主の方がいるかもしれない。
なら、この場でハウンドドッグだとは名乗れない。
ならば――
「待ってほしいのです! お姉ちゃんはわたしのお姉ちゃんなんですっ。変な人では……いや、えーっと、その、ん?」
「ゼロワンちゃん、正直なんだ。そこもとっても魅力的っ」
ミリアはゼロワンをぎゅーっと抱きしめ、いい子いい子と頭を撫でてくる。
「ちょ、ちょっと!? 今はそんな状況ではないですよ!?」
「いいのっ。アタシの世界の中心は、ゼロワンちゃんだからっ」
「いやでも! あ、だけどナデナデは気持ちいいです……」
きっと尻尾が出ていればパタパタと元気いっぱい振られていただろう。
目を細めるゼロワン。そして優しく撫で続けてくるミリア。
騎士を前にしてのバカップルぶりに、隊長が動揺を見せる。
「き、禁断の姉妹愛だと? 妹を衆人環視の中で弄んでいるというのか!? 興奮する民衆! 『いやだっ、わたしの恥ずかしいところ、お姉ちゃん以外に見せたくないっ』と恥ずかしがる幼き肢体! そして疑似ネトラレを楽しむというワンランク上のプレイ、だとォォ!?」
いや、そんなやましいものではないのだが。
隊長は勝手に盛り上がって膝をつきそうになっていた。
だが、彼女はすんでのところで耐えきって、不敵に笑う。
「くはは! だが残念だったな!? これしきのことで倒れるワタシではないわ! なぜならワタシの嗜好はその上を行く! 禁断も禁断、ワタシは母×娘の方が好物だからなああ!?」
「……」
「……」
「た、隊長……?」
ドン引くミリア、ゼロワン、そして部下たち。
口を滑らせた隊長は取り繕うようにせき込んだ。
「こ、こほん! ともかく! 妹とはいえ、幼子への恋愛は重罪! 直ちに牢獄行きだぞ! 大人しく縄につけ!」
騎士たちは聞く耳持たず、ゼロワンとミリアを取り囲む。
(ピ、ピンチです! ヤバイのですよ!)
今、ゼロワンは力を使えない。
そもそも使えたとして、その力はセーブできない。
(できるかどうかはこの際おいておくとして)こんな人目につく場所で騎士たちを葬り去れば、更に騒ぎになるのは免れないだろう。闇に生きる暗殺者として、それは絶対に避けたい。いったい、どうすればいいのだろう。
慌てる彼女を安心させるように、ミリアは手を優しく握った。
「安心して? 絶対に守ってあげるから」
優しい笑顔に、ゼロワンの心がときめく。
それは、演技の範疇では収まっていなかったかもしれない。
「は、はい……」
真っ赤になるゼロワンの前で、ミリアは剣を引き抜き、
「邪魔者は、全員血祭りにしてあげるッ!」
光のない瞳で宣言した。
「いやそれ安心できないんですが!?」
それこそ大騒ぎになってしまうのだが!?
「大丈夫、すぐに終わるよ? 人間なんて、頭落とせば一発だもの!」
「やめるです! 白昼の街中でスプラッタとかマジやめるです! 幼い子供も見てるのですよ!?」
ゼロワンはミリアを必死で止めようとする。
そんな中、増え続けるヤジウマの中、一人の女の子が母親と思しき女性に問いかけた。
「おかーさん、すぷらったってなに?」
「ええ、今に分かるわ。一瞬たりとも目を離しちゃダメよ?」
「うん、わかった!」
「ちょっとお母さん!? 教育上よろしくないですよ!? 子供が可愛くないですか!?」
ゼロワンがツッコめば、母親は胸を張って主張する。
「だからこそよ! 規制規制なこの世の中、おかしいとは思わない!? あなただって国家に反逆するため、禁忌の恋を選んだのでしょう!? ああ友よ! この腐りきった世界に反旗を翻すときが来たわ! さあ、のろしをあげましょう!」
「騎士さーん! 捕まえるべき相手がいるです! そこにいるですよー!」
大声をあげるが、聖騎士という難敵に相対する騎士たちはそれに気付かない。
そうしている間に、ミリアは高々と剣を掲げる。
「わたくしはミリア! 聖騎士ミリア! 愛する人と共に居続けるため! 立ちはだかる者は、何であろうと排除します!」
禁じられた恋を成就させると、堂々と宣言する聖騎士。
何物をも恐れぬその勇猛さに、様子を窺っていた民衆たちから喝采があがる。
「いいぞー! やってしまえー!」
「負けないでー! 禁断の愛を貫くのよー!」
隊長は怯み顔を曇らせる。
「くっ!? なんという勇ましさか! だが、ワタシにも譲れないものがある!」
「いやいやいや!? 街のみなさんもあなたもその反応でいいですか!? もう一度ご一考してもらえるとゼロワン嬉しいですよ!?」
「母×娘の素晴らしさ、舐めるでないわあああ!」
頭のおかしい掛け声を上げながら、飛び掛かろうとする隊長。
だが彼女を、部下たちが一斉に羽交い絞めにした。
「ええい離せ! 何をするかああ!」
「アンタこそなに言ってんすか!? 部下として恥ずかしいですよ!」
「見てくださいよ街の人たちの冷めきった目を! あれ騎士を見る目じゃねえっすよ!? 生ゴミ見るときだって、もっとマシな目するでしょうよ!」
「そうですよ! 長年この街守り続けてるのに、自分ら完全アウェーですよ!?」
口々に部下たちに説教され、隊長は泣きそうな顔になる。
「だ、だって気迫で負けたくなかったのだ! 頑張りたかったのだ! というかお前たちワタシの部下だよな!? ねえ、立場分かってる!?」
「だからこそですよ! 言うべきことは言わないと、組織は回りませんからね!」
「う、うむ。それは確かに一理あるが、だとしても口悪すぎないか……?」
「そんなことより隊長! あの女に手を出しちゃダメですって! 名乗りを聞いたでしょ!?」
「ふん、聖騎士がなんだ! 相手はたったの一人! 多勢に無勢ではないか!」
「それ負けフラグですから! たしかに聖騎士ってのもヤバいですけど! そうじゃなくて名前! 名前ですって!」
「名前?……ハッ!?」
途端に隊長は青ざめる。
「ど、どどどどうしよう! ねえ、どうしたらいいだろうか!?」
「まったく、ほんと予想外の事態に弱いんすから。ほら、とりあえず上に報告しましょう。あたしらだけじゃ、手に負えませんって」
「そ、そうだな、うむ!」
隊長は活気を取り戻し、深々と頭を下げた。
「いたいけな幼子よ、すまぬ! この場を去ること、許せとは言わん、存分に罵ってくれ! 必ずその人面獣心の女から救い出してみせよう! ワタシでない誰かが!」
「最低の宣言っすね……。まあ、あたしらも人のことは言えないけど」
「う、うるさい! 撤退! 撤退するぞー!」
騎士たちは連れ立って逃げて行く。
だが、ミリアの怒りは収まらない。
「愛を犯そうとした相手を、はいそうですかって逃がすと思う? アタシは、そんな軽い気持ちでこの子を愛しているわけじゃないよ……?」
黒化マックス、それこそ凶悪な魔物かというほど漆黒に染まったミリアが歯をむき出して追いすがろうとする。ほんとに人間だろうか……?
さておき、今更かもしれないが、これ以上の騒ぎは正直避けたい。
だが、素直に引き下がるミリアではないし。
彼女の気を逸らすには……。
名案が浮かんだゼロワンは、ぺたんと地面に女の子座りをする。
「ううう。怖かったです。ゼロワン、とっても怖かったのですよー」
そして、嗚咽を漏らし、嘘泣きを始めた。
彼女が何より優先するのはゼロワンのことだ。
なら、こうして自分が怖がれば。
「……! ごめんねゼロワンちゃん! そうだよね! 怖かったよね!?」
予想は的中。ミリアは剣を捨て、ゼロワンのことをかき抱いた。
「お願いですっ。ゼロワンを置いていかないでほしいです。ぎゅって。ぎゅってしていてほしいのですよっ」
「ぎゅー! ぎゅー! どうかな? これでいいかな?」
「ダメなのですっ。まだ全然足りないのです。もっとしてほしいのです。もっと、あの騎士たちの姿が見えなくなるまでですっ」
「うん! うん! ぎゅー! ぎゅぎゅー! 怖いの怖いの飛んでいけ! 冥府の彼方へ掻き消えろッ!」
それは子供を安心させるセリフだろうか……?
疑問を覚えつつも、ゼロワンはいたいけな女の子の演技を続けた。
「ひゅーひゅー! ラヴラヴだねえ!」
「式よ! ここで結婚式を開きましょう! 誰か祝いの花持ってきてー!」
「ああもう羨ましい! あたしも恋人欲しい! もう捕まったっていいよ! どこかに可愛い幼女、落ちてないかなー!?」
辺りから聞こえる冷やかしの声に耐えながら、ゼロワンはミリアに抱きすくめられ続けたのだった。
***
騒ぎが収まり、ミリアとゼロワンは街外れに来ていた。
いいものを見せてもらったと喜ぶ民衆たちから、花束やら花輪やらをプレゼントされ、腕いっぱいに抱える姿。どう間違っても暗殺者のそれではない。
「どうにか乗り切ることができましたが、なんだか複雑なのですよ……」
「そう? 式の予行演習ができて、アタシ的には嬉しかったけどなー」
「も、もうっ! ミリアはおかしいのですよ!」
「ふふ。ゼロワンちゃんが可愛いのがいけないんだよー?」
「で、でも、このままじゃたぶんまずいのです。大きなものに狙われているみたいなのです」
騎士たちは上に判断を仰ぐと言っていた。
彼女らは街の警備にあたっていた騎士。
つまりその上層部が繋がるのは――
「ごめんね、ゼロワンちゃん。たぶんそれ、アタシが原因だと思う」
ミリアは申し訳なさそうに謝った。
「きっと騎士団を除隊された件が関わってると思う。ウチの騎士団長、結構ネチネチしてるから。……やっぱり、排除しておくべきだったかな?」
ハイライトを消す姿に、原因は団長ではなくあなた自身では? と言いかけたがどうにか飲み込む。
「ともかくここを離れるです! できるだけ遠く、行動を起こされる前に!」
「ううん。騎士たちの行動は迅速、そして的確。そうするだろうって予測されてると思う。かといって裏をかくようにこの辺りにとどまっていても、それだけじゃダメ。きっとすぐに見つかっちゃうよ」
「じゃ、じゃあどうするですか!?」
慌てるゼロワンを前に、ミリアは言う。
「ねえ、ゼロワンちゃん。宝箱、好き?」
「……です?」
その問いかけに、ゼロワンは首を傾げたのだった。




