大好き。だから……
「あ、綺麗なお花があったの!」
月光に照らされる森の中、ニョッキは美しい花を摘み取った。
蔦で編んだ籠の中に、それを入れる。
籠の中は、色とりどりの綺麗な花でいっぱいになっていた。
「ふふ。綺麗なの。シトラス、喜んでくれるの?」
これでブーケや、首飾りを作って、彼女のことを喜ばせてあげよう。
ニョッキは、そう思ったのだ。
もうすぐ、彼女は結婚する。
十数年ぶりに再会した初恋の人は、手の届かない存在になってしまう。
正直、それはとても悔しいけれど、でも、ニョッキは祝ってあげることに決めたのだ。
彼女を大切に思うなら、きっと、そうしてあげるのが普通だから。
「ふふふ、ウチの手にかかれば、プロ顔負けの大作ができること間違いなしなの。いっそウエディングケーキっぽく編んでやろうかなの」
頭の中で構想を練る。
きっと彼女はびっくりして、そしてニョッキのことを抱きしめてくれるだろう。
ニョッキちゃん、ありがとう。わたし、幸せになるからね。
なんて、嬉し泣きするかもしれない。
その様を想像すると、思わず笑みが零れる。
もしかしたら彼女は、感激のあまり結婚を止めて、その場でニョッキをお嫁さんに――
「あはは、そんなわけないの……」
まったく、未練がましい。
自分は彼女を祝ってあげると決めたではないか。
大丈夫、大切な親友の結婚だって、心から祝うことができたのだ。
ならばきっと、彼女のそれも――
「あ、あれ? おかしいの。どうして、ウチ……」
ポロポロと溢れてくる涙。
ニョッキは目元を必死で拭い、それをなんとか止めようとする。
「止まるの、止まるの! 流れちゃダメなの! 流れたら、シトラスの幸せを願ってないって意味になっちゃうの! それだけは、絶対にダメなの!」
自分のものにならないとしても、ニョッキはとても感謝しているのだ。
結局、感謝も、告白もできなかったけど。
でも、それでもこの気持ちに嘘はないのだ。
彼女のことを愛していた、この気持ちにも。
「うう……。どうしてウチ、諦めていたの? どうして、本気で探さなかったの?」
彼女のことを特別だと思っていながら、また会いたいと願っていながら、しかしニョッキはシトラスのことを探さなかった。
この広い世界で手がかりもなしに再会できるなんて思えない。
きっと、出会えないから、だから綺麗な思い出として、せめて夢の中だけでは再会しよう。
そうして諦めてしまった結果が、これだ。
彼女のために生まれたなんて言っておきながら、どこの馬の骨とも分からない存在に彼女を奪われ、指を咥えて見ていることしかできない。
そんな、哀れな結末を迎えることとなってしまった。
「……イヤなの。そんなの、やっぱりイヤなの!」
そうしてはいけないと分かっていながら、しかし、ニョッキは気持ちを抑えられなかった。
籠の中の花々を放り捨て、蔦でズタズタに引き裂いていく。
「シトラスは、ウチのものなの! あの子は、ウチの生きる意味なの! 特別なの! 誰かの者になんて、なってほしくないの!」
他の色に染まらないで、ずっと無垢で天然なあの子のままでいてほしい。
そして、そんな彼女を独占したいと。
矛盾した独善的な願いを彼女は口にし続ける。
「あの子には、幸せになってほしい。ほしいけど! でもそれは、他でもないウチの隣でなの! じゃないとイヤなの! 絶対にイヤなの!」
深い慟哭と、悲しみに包まれ、ニョッキは泣き続けた。
アルラウネである彼女が、負の感情に包まれる。
異端のアルラウネとして誕生してから今まで、感じたことが、浸ったことがないほど、濃く、暗い、それ。
その感情は、彼女を闇に引きずり込もうとした、亡者たちの激情よりも、強かった。
そして、その激情が、浮かび上がる恋心と――決して混ざってはいけない、正の感情と渦を巻き、食み、肥大化する。
「……シトラス。ねえ、大好きなの……」
妖しげな月光に照らされて、強い決意に、彼女は沈んだ。
***
初恋は、実らない。
どこかの誰かがそう言って、
その他の誰かは納得した。
初恋なら、初恋だったから。
初めてだったから、仕方ない。
未熟だったから、仕方ない。
そうして諦め、大切に仕舞って。
いい思い出だったと割り切って、次への恋のステップとして、前を向く。
だが、そんなこと、どうしてできるのだろう。
ああ、分かっている。
生き物は、生きるために生まれた。
生きるためには、いつまでも後ろを向いてはいられない。
だから、それは普通なのだ。
……でも。
生きるためでなく、あの子に感謝するために生まれたわたしは?
あの子に恋するために生まれたわたしは?
その目的を、意味を失ったわたしは、一体どうすればいいの?
他の人なんて、そんなの考えられない。
あの子しか、あの子しかいないのに。
わたしのすべては、あの子のために存在したのに。
誰か、教えて。
わたしは、どうすればいいの?
ねえ、教えてよ。
お願い、だから。
***
満月の夜。
レンジャー、シトラスは森の中を進んでいた。
「えーっと。確かここがこうなってああなって……あらあら? どこだったかしら?」
小首を傾げ考える。
だが、立ち止まっていては先へは進まない。
考えるより先に、直感で進む。
それが、シトラスの信条だった。
「立ち止まっていては、何も見えない。何もできないもの。目的を、達成しなきゃ」
シトラスは自身がレンジャーとなった目的を思いながら、先へ進む。
そして、彼女は奇跡的にその場所へ到達することができた。
「綺麗……」
祝福の花と呼ばれる白百合が咲き誇る花園。
満月の光に照らされ、清廉さに加え、物言わぬ妖艶さが感じられる。
その花園の中心に、彼女はいた。
何度も自身を助けてくれた、妖花の小さな女の子。
彼女は俯き、何かをつぶやいていた。
今日は彼女にここに来るように指定され、やってきたのだが、シトラスは時間までに到達できたことに自分自身で驚いている。
「ニョッキちゃーん!」
シトラスは彼女へ駆け寄りながら言う。
「お待たせしちゃってごめんなさい。でもね、すごいでしょう? わたし、ちゃんと時間通りに来れたのよ? それに、武器だって忘れていないわ。ちゃんとフル装備。うふふ、こんなの滅多とないんだから。槍でも振るのかしら?」
「……」
「では一番、シトラス、踊りまーす。ぱみゅぱみゅー」
クマのように腕を構え、不思議な踊りを踊るシトラス。
楽しげに踊りながら彼女の下へと近寄っていく。
このダンスを彼女は気に入ってくれたらしかった。
なんだか元気がないように見えるから、元気づけてあげたいなと、シトラスはいつもより元気に歌って踊る。
だが、ある程度近づいたとき、
「……! 『ウィンディ』!」
それに気付いたシトラスは口走る。
同時に、自身の周囲を風が渦巻き、辺りの空気を吹き飛ばしていく。
そして、尋ねる間もなく、その足下が蠢いた。
「ッ!」
シトラスは素早くその場を飛び退る。
次の瞬間、彼女がいた地面から木の幹程あろうかという蔦が飛び出し、その場を薙いだ。
そのまま立っていれば、ただでは済まなかっただろう。
雰囲気一転、真剣な顔つきになったシトラスは焦りと共に彼女へ叫ぶ。
「ニョッキちゃん!? 一体どうしたの!? 麻痺の花粉を漂わせて攻撃とか、敵を屠る植物モンスターのそれじゃない!」
彼女の周囲には、どくどくしい黄色をした花粉が漂っている。
目視できるほどのそれらは、アルラウネお得意の、吸引したものに状態異常を付与するものだ。
レンジャーとは、植物や獣型モンスターへの攻撃に対することができるような特技、特性も持ち合わせている。
レンジャーであるシトラスも、状態異常に対しての耐性を多少持っている。
少し吸引してしまったが、そのくらいでは大事ない。
だが、そうでなければどうなっていたか。
どうして急にこんなことをされるのか、シトラスには皆目分からなかった。
ニョッキは答えることもなく、咲き誇る大輪から、様々な色の花粉を散布させる。
毒、麻痺、混乱。
状態異常を引き起こすそれらを雪のように舞い散らす中、彼女は何事かを呟き続けている。
「一体、何を……?」
シトラスは耳を澄ます。
その耳に飛び込んできたのは、
「一緒になるの一緒にするの養分にするのそうすればずっと一緒なのずっと一緒に居られるのだから養分にするの一緒になるの一緒にするの養分にするの」
利己的で不気味な、強い我欲の籠った言葉だった。
「……ニョッキ、ちゃん……?」
のんびり屋で世話焼きで、優しくて。
それとちょっとツッコみのきつかった彼女の姿からは、とても想像できない。
変わり果てたとでも言うべきその姿に、シトラスは思わず戦慄した。
対してニョッキはそんな姿に気付くこともなく、光のない瞳で言葉を漏らし続ける。
と、そんな彼女が、ふと顔をあげた。
その瞳がシトラスの姿を捉える。
瞬間、仮面をつけたように、表情が変わる。
「シトラス!? わあああ! 来てくれたの!? 嬉しいの!」
満面の笑みを浮かべ、元気いっぱい、きゃあきゃあとはしゃぐニョッキ。
普段の姿から想像できない、見た目通りの子供らしさが、異様で、不気味だった。
言葉を失うシトラスへ、ニョッキは嬉しそうに語り始める。
「あのね、シトラス。実はウチ、ずっと考えていたの。どうすれば、ウチはウチでいられるんだろうって。どうすれば、ウチは生きていけるんだろうって」
哲学的な発言をし、ニョッキは狂った瞳でシトラスを見る。
「ほら、ウチってシトラスのために生まれたの。離れている間も、シトラスの幸せをずっと祈ってたの。それで、なんの巡り合わせか、こうしてシトラスと再び出会えたの。それでウチ、自分の生きている意味を、思い出したの。ウチは、シトラスのために生まれて、生きて、死ぬんだなあって」
「あなた……あの時の」
シトラスはようやく気付く。
この子は、あの時の葉っぱさんだ。
幼少期、自身が成長を願い世話していた、あの葉っぱさんなのだ。
『目的』をすでに達成していたことに気付きもせず、一体何をやっていたのだろう。
シトラスは自分の馬鹿さ加減に嫌気が差した。
だがすぐに頭を振り、思いの丈を彼女に叫ぶ。
「ニョッキちゃん聞いて! わたしがレンジャーになったのは、あなたと再会するためだったの!」
「……え?」
ニョッキの瞳に、期待が宿る。
畳みかけるように、シトラスは叫ぶ。
「幼いあの日、葉っぱさんが成長し、何かが飛び出し、叫んだ瞬間、わたしは意識を失った。あれはモンスターだったんだなって後から分かったわ。でも、悪い子だなんて思わなかった。きっと応援に応えて、いい子に育ってくれたんだって。そのことを感謝したかったの! そして一緒にいたかったの! だから――」
「そんな言葉、いらないのっ!」
ニョッキは悲鳴じみた声で叫ぶ。
アルラウネの『リスキーシャウト』に、シトラスは思わず耳を塞いだ。
(く!? 『ウィンディ』が封じられた!?)
闇を排したニョッキのそれに、本来封印の能力はない。
それが発動したということは、つまり。
眼前の彼女は、凶悪無慈悲な、ただのアルラウネになろうとしているということ。
焦るシトラスへ、ニョッキは叫ぶ。
「そんな言葉、欲しくないの! そんなものじゃ足りないのっ! ウチはシトラスのために生まれたのに! なのにシトラスは、ウチを裏切ったの! どこの馬の骨ともしれないやつと結婚して! 契って! 子供までこしらえて! どうしてウチの入り込めないところで、ウチに見せないような笑顔を浮かべているの!? どうしてウチの知らないところで幸せに生きているの!? どうしてウチじゃない誰かの隣で満足げに死んでいくの!? そんなの、そんなのウチは許せない! 許せないの!」
息を切らして言ったあと、ニョッキは涙を浮かべて哀しく笑う。
「……ねえ、シトラス。教えてほしいの。ウチは、いったいどうすればいいの?」
狂気に侵され、わずかに残った一握りの理性が、助けを求めるように。
「ニョッキちゃん、違うの! わたしは――」
真剣な面持ちで叫ぶが、それはもう少女には届かない。
「ウチは、決めたの。シトラスのこと、養分にするの。体中を巡らせて、そしてずっと、ずっと一緒になるの。だから、ごめんなの」
少女は申し訳なさそうに笑った後、
「大好き。だから……殺すの!」
狂気の光を宿して、襲い掛かってきた。




