結婚するの
月光に照らされた、とある古城。
その一室で、ニョッキはある人物と会っていた。
「初恋の人に再会したけど、どうすればいいかわからない、ねえ……」
ゴスロリ服に身を包んだ銀髪の少女が、豪奢な椅子に腰かけ、膝を組む。
その向かいで椅子に座ったニョッキは、親友の言葉に真っ赤になった。
「だから恋ってわけじゃ!? その、どう言っていいのかウチにも分からないの」
もじもじするニョッキを見て、少女は楽しそうに口元を歪める。
「あたしたちの間に隠し事はなしよ。そもそも、その顔を見れば犬にだってわかるわ」
「で、でもその、ほんとに、ウチにはよく分からないの。たぶん、異端のウチには、その感情はあるのだろうけど……」
負の感情のみしか持ち合わせない普通のアルラウネと違い、異端のニョッキには正の感情がある。だから、笑ったり、喜んだり、そして恋したりもできるはずだ。
だが、生まれてこのかた、恋なんてしたことがない。ニョッキはそう思っている。
恩人である彼女のことが大切で、特別であるのは、ニョッキにとって普通のことであり、恋なんて大それたものだとは思えなかったのだ。
特別であるということを恋と呼ぶのならば、生まれた時からその真っ只中ではあるのだが。何分経験不足なもので、自覚できないのだ。
そのため、ニョッキは親友であるこの少女に色々とアドバイスを貰おうと、彼女の居城を訪れたのだった。
ニョッキが指を突き合わせていると、少女はふうむと考え込む。
そして、何かを思い返すように言葉を紡ぐ。
「その女と、手を繋ぎたいと思う?」
「なの……」
目を潤ませ、
「優しく撫でてもらいたいと思う?」
「な、なの……」
頬を上気させ、
「……ス、スカートをめくられたいと思――」
「ま、待つの! そこはその、キ、キスしたいとって聞くところじゃないの!?」
経験不足のニョッキにだって、少女の言葉が過激すぎるものだと理解できた。
思わずツッコみを入れれば、少女はハッとした顔になり、ムキになってかかってきた。
「う、うるっさい! 間違えただけよ! このあたしがそんなこと思う訳ないじゃない! 本当よ!?」
「わ、わかったの。わかったから手を放すの」
人外の怪力で締め上げられ、顔を青くするニョッキ。
冷静になった少女は手を放し、謝罪する。
「ごめんなさい。少々取り乱したわ。……くそ、それもこれもあの駄犬のせいよ」
「え?」
「な、なんでもないわ。それでその、何が言いたいかっていうと。恋って、相手にいつまでも触れていたい。優しくしたいし、してほしい。そして、自分のすべてを好きになってほしいって、そう感じることだと思うの」
少女はまるで何かを思い返すかのように幸せそうに言う。
恋を知らない乙女とはいえ、ニョッキも女。
その様に、ピンとくるものがあった。
「……女の顔なの」
「ぶっ!? ち、違うわよ!」
「ウチたちの間に隠し事はなしなの。言うの、一体なにがあったの?」
「な、なにもないわよ!」
否定しながらもその顔は真っ赤で、取り乱しているのは明らかだ。
これは、何かを隠している。
ニョッキは少女を追及する。
「言うの。ウチたちはズッ友、心友なの」
「吹けば飛ぶような言葉で括りつけるなッ! あたしとお前の絆は、神にだって断ち切れはしないッ!」
迷いなく言い切る少女。
力強い友情宣言は、とても嬉しくて心が温かくなってくる。
だが、それはそれ。
これは、これ。
親友であるからこそ、隠してはならないこともあると思うのだ。
「そう言ってくれて嬉しいの。じゃあ言うの」
「……た、たとえ秘密があったとして、あたしとお前の絆は断ち切れは」
「あばよ。金輪際会うことはないの」
「ま、待ちなさい! 分かった! 言う! 言うから!」
帰ろうとするニョッキの背後に、一瞬で駆け寄った少女が必死に腕を引いた。
互いに席に戻るニョッキたち。
少女は居住まいを正してから、恥ずかしそうに口を開いた。
「実はその、あたし……妃が出来たの」
「おお! めでたいの! おめでとうなの!」
親友の幸せは自分の幸せ。
ニョッキは心から祝福した。
「あ、ありがと。お前なら、そう言ってくれると思っていたわ」
「当然なの。でも、それならどうして言い淀んだの? こっぱずかしいのは分かるけど、隠さなくてもいいの」
気の置けない仲であるのに、ちょっと悲しい。
少女は再び言い淀む
「いや、まあそれはそうなのだけど……その、性格が……」
「? まあいいの。お祝いにお花を……いや、散らされたんだったの」
ニョッキがしょんぼりとすれば、少女は感情を露わにした。
「! どこのどいつよ! このあたしの親友を汚した愚か者は!? まさか件の女!?」
「そうなの。優しくしてたと思ったら、急に散らされたの」
「卑劣なクズがッ! 好意に付け込んでとかゲスのすることじゃないッ! そいつの居場所教えなさい! 八つ裂きにしてやるッ!」
「? なにいきり立ってるの? 確かに腹は立ったけど、また生えてくるからもういいの」
「……え? お前、散らされたんでしょう?」
「そうなの」
ポカンとする少女に、ニョッキは自身の頭部を指し示す。
「ほら。頭のお花、ないの」
「……」
ニョッキの言葉に少女はきょとんとしていたが、どうやらなにか誤解していたのに気付いたらしい。その顔はみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
「む? 一体なにを想像していたの?」
「そ、それは、その……言える訳ないでしょ!」
「おお。妃さんができると、言えないようなことも考えるようになるの? あだると、なの」
「そ、そんな目で見るな! ああくそ、最近どんどんあいつに影響されて!」
尊敬の眼差しを向けると、少女は慌てふためき目を逸らした。
冷静沈着な彼女をこんな風にするなんて。
ニョッキは、お相手のことがとても気になった。
「さあ、紹介するの。どんな方なの?」
「うう! もう知るかああ! 駄犬! 来なさい!」
少女はやけくそ気味に叫んだ。
「失礼いたします」
途端、部屋の扉が開け放たれ、金髪碧眼の上品そうな少女が現われた。
少女とお揃いのゴスロリ服を身に纏った彼女は、深窓の令嬢といった見た目である。
だが、ニョッキを見た途端、彼女の瞳に劣情が宿る。
しかし、それは見間違いだったのだろう。少女は澄んだ瞳で会釈をした。
もちろんだ、あんな貞淑そうな少女が、伴侶の前で堂々と他の女に手を出すわけなどないだろう。
彼女は何食わぬ顔で少女の隣に並び立ち、柔らかな笑みを湛え、深々と頭を下げた。
「いらっしゃいませ、ご友人様。うちの伴侶がお世話になっております」
「い、いえなの。こっちこそ、ウチの親友がお世話になっておりますの」
ニョッキが礼を返す前で、親友は不思議そうな顔をしていた。
「どうしたの?」
「いえ、なんでもないわ。……すぐさま入室したことから盗み聞きしてたのは間違いないみたいだけど、えらく大人しいじゃない。ふふん、待てくらいできるようになったのね」
小声で何かつぶやいたようだが、ニョッキの耳には届かなかった。
「それにしても驚いたの。人間の女性を娶ったの?」
この少女は誇り高いヴァンパイアだと事あるごとに言っていた。
人間など血液の詰まったパンでしかないわ、などと侮蔑してもいたのに。
一体どういった心境の変化があったのやら。
少女はバツが悪そうに目を逸らす。
「そ、そうよ。なにか問題ある?」
「ええ、もちろんです」
少女に妃が指摘する。
「わたしは人間ではありません。あなたのその牙で、この身はヴァンパイアとされたではありませんか」
妃の口元から鋭い牙が覗く。
それは、闇の化身である証。
その証を、彼女は少女のうなじに突き立てようとする。
「こ、こら、やめなさい!」
少女は妃を押しのけようとする。
しかし妃は余裕の表情で、嬉しそうな笑みを湛えた。
「ふふ。嫌われてしまいましたか?」
「う、うるさい! 時と場所を考えなさいって言ってるの!」
「ということは、後なら良いのでしょうか?」
「ふんっ。……言わせるな、ばか」
少女は赤面してそっぽを向いた。
そんな彼女を、優しく見守る妃。
(や、やっぱり、あだるとなの……! ドキドキなの……!)
手で顔を覆い、指の隙間からやりとりを窺うニョッキ。
(け、結婚したら、こんな大胆な事、するようになるの!?)
「ちょ、ちょっと! 親友がドン引いてるじゃない!? どうすんのよ!?」
「うふふ、違いますよ。あれは照れているのですよ。……はああん! 赤面幼女かわグホオォ!?」
「黙れ! 最後まで貫き通しなさい!」
「それは、永遠の愛をですか? もうっ! 言うまでもないでしょうに!」
「その淑女演技をよ! 文脈を読め文脈を! でも、その……ありがと」
こそこそとやり取りする2人。
内容はうかがい知れないが、幸せそうなのはよく分かった。
これ以上はお邪魔だろう、ニョッキはそっと席を立った。
それに気付いた少女が呼び止めてくる。
「ちょ、ちょっと。もう帰るの?」
「ごちそうさまなの。末永くお幸せになの」
「あ、ありがと」
「ありがとうございます。ご友人様も、ご健勝を」
頬を染める少女と、ほほ笑む妃。
彼女らに見送られ、ニョッキはその場を後にしようとする。
だが、どうしても気になることがあり、足を止めた。
「? どうしたの?」
「その、妃さんに聞きたいことがあったの」
「はい? わたしですか?」
小首を傾げる少女の隣。
佇む妃へ、ニョッキは聞こうか聞くまいか迷っていたことを尋ねる。
「その、あなたはモンスターと結婚して、後悔とか、してないの?」
モンスターとは化物だ。
人間を襲い、餌とすることもある。そんな異常な存在と契りをかわし、生を共にする。
そんな行動を、後悔してはいないのだろうかと。
その問いに、少女は恥ずかしそうにそっぽを向く
まるで答えが分かり切っているというように。
そして妃は、穏やかに言う。
「たとえモンスターだとして、愛があれば些細なことです」
「そ、そうなの……」
「まあ、今はわたしもモンスターですが」
ダイレクトな愛の宣言に、ニョッキも思わず照れてしまう。
それを穏やかに見て、妃は言う。
「それにわたしは、『今』が一番幸せですから」
そう、噛みしめるように言って。
妃は、本当に幸せそうに、笑ったのだった。
***
「はああ……。素敵だったの……」
住まいである森の中。
先ほどのやり取りを思い出し、ニョッキは吐息を漏らした。
ほとんどアドバイスを貰えなかったことに後から気付いたが、代わりにいいものを見せてもらった。
「恋……」
親友が言っていたその条件を、ニョッキはシトラスに対して満たしている。
彼女たちがイチャイチャしているのを見て、羨ましいと思ってしまったし、なんならシトラスとああいうことをしてみたいとも感じてしまった。
つまり、この感情はそういうことらしい。
少し恥ずかしいが、認めざるを得ないだろう。
そして、そうであるならば、やるべきことはただ一つ。
「告白、なの!」
えいえいおーと腕を振り上げるニョッキ。
だが、すぐさま自分で言った告白の言葉に真っ赤になった。
「うう。なんとなく分かってたけど、ウチ、かなりのチキンなの……」
数十年前、アルラウネとして誕生した時には、感謝すらできなかった。
そして、今回、シトラスが恩人その人であると分かったときも、感謝はおろか、そもそも正体を言い出すことができなかった。
そんな自分が告白なんて、できるのだろうか?
「というか、あの話を聞いていて、ウチの態度を見ていて、どうして分からないの!?」
眼前で引くくらい号泣したというのに、しかしシトラスは何も気付かない。
心配そうに抱きしめて、背中を優しく撫でてくれただけだった。
「いや、それも十分嬉しかったの。ほんわかだったの。でも、その……」
それは確かに十数年も前のこと。
長命なモンスターであるニョッキにとっては昨日のような出来事だったとしても、人間のシトラスからすれば、大昔になるはずだ。
だから忘れていたり、記憶違いをしたりしていても仕方ないだろう。
でも、なんかこう、納得できないものがあるではないか。
尻軽にも、あの子でないシトラスに特別を感じ始める自分に、ちょっと罪悪感を抱いていて。
だけど、その特別の相手は、ずれていないと分かって。
やっぱり自分が特別だと思えるのはあの子しかいないと、喜んだのに。
「うう。現実は非情なの。十数年の時を経て再会とか、ロマンチックなことしでかしておいて。やっぱり、神はクソなの」
親友が神を侮蔑する気持ちが今ならよく分かる。
同じく侮蔑し、モヤモヤを全部ぶつけてやろうと思ったが、しかし、やっぱりやめた。
「……違うの。ここは感謝するべきなの」
いつかまた会いたいと、そう願い続けていたが、実際会えるはずないだろうと諦めていた。
この広い世界で、十数年前に一度会ったきりの人間と、再会などできるものかと。
それに、自分はモンスターだから。もし会えたところで怯えられてしまうだけだと。
そう、諦めていたのに。
しかし今、ニョッキは彼女と再会している。
その上、彼女は自分を恐れることなく頼ってくれている。
そんな奇跡とも呼ぶべき状況の中に、立っているのだ。
「……ここからは、ウチ自身が頑張るの」
この機を無駄になどできない。
だから勇気を振り絞り、伝えるのだ。
たとえ彼女が覚えていなくとも、そうする義務が、思いが、ニョッキにはある。
「もし、告白が……その……でも。感謝だけは、ちゃんと伝えなきゃなの」
数日前に出会ってから、ニョッキは何度も彼女のクエストに付き合い続けていた。
彼女のことが放っておけないという理由からだったが、今はそれに、一緒にいたいから、なんて理由も増えていた。
そして今日もまた、クエストを手伝うことになっている。
だが、それもいつまで続くか分からない。
このまま何もしなければ、そのうち彼女は別の場所へ行ってしまうだろう。
そうなる前に。
「……決戦の、朝なの」
白み始めた空を見て、ニョッキは噛みしめるように、つぶやいた。
***
そして、その日の昼過ぎ。
天然さを発揮し森の中をフラフラさまよっていたシトラスとようやく落ちあい、ニョッキは採集クエストを順調にこなしていく。
「ニョッキちゃん、ありがとうね。何度も付き合ってもらって」
「つ、付き合う!? そ、それはその……」
「あらあら? どうしたの? 顔、真っ赤よ?」
「そ、そんなことないの。というか、なんでもないの」
些細な一言に過敏に反応してしまうニョッキ。
気持ちを自覚した途端、ただ話をするだけで緊張してしまう。
気持ち悪いとか思われていないだろうか。
「ふふ、なにかしら?」
その顔を盗み見れば、シトラスは穏やかな笑顔を見せてくれる。
もしかして踊りたいの? と続いた言葉は無視しよう。
彼女の笑顔を見ているだけで、ニョッキの胸ははち切れてしまいそうだった。
(く、なかなかやるの。その笑顔に、はなまるあげるのっ!)
ノックアウトされ、心中でバカなことを考えるニョッキ。
だが、そのような暇はない。そろそろ採集が終わってしまう。
明日も彼女がここに来る保証はない
そして、もしかしたら、今日が最後になるかもしれない。
ならば、なんとしても今日の内に伝えなければ。
「クエストしゅうりょー。ニョッキちゃん、お疲れさまでしたー」
「お疲れさまなの」
互いにぺこりと頭を下げる。
まずい、このままではシトラスは帰ってしまう。
そう思っているのに、どうしても一歩が踏み出せない。
そんなニョッキに神が猶予を与えでもしてくれたのか、シトラスは帰ることなく、話を振ってきた。
「それで、お疲れのところ悪いんだけど、もう一つだけ甘えてもいいかしら?」
「もちろんなの! むしろウチも甘えた――」
口走りかけ、慌てて自分の口を押えるニョッキ。
(抑える必要なんかなかったの! ちょっとヘンタイチックだけど、このくらいストレートなほうが天然相手には丁度良かったの!)
それに、そう言ったら絶対優しくいい子いい子してくれていただろう。
チャンスを逃し後悔するニョッキに、シトラスは小首を傾げる。
「あらあら? どうしたの?」
「なんでもないの。さあ、ドンと甘えるの!」
「ありがとう。実は聞きたいことがあるんだけど、この花が咲いている場所、知らないかしら?」
シトラスはイラストの描かれた紙を手渡す。
「貸してみるの。……え?」
それを見て、ニョッキは固まった。
そこに描かれていたのは、祝いの花と呼ばれる真っ白い百合。
その名の示す通り、とある祝いの場で飾られる花である。
そして、それが飾られるのは――
「実は、結婚するの」
シトラスは――初恋の女性は――、恥ずかしそうにつぶやいた。
***
「わああ……。綺麗……!」
シトラスは、瞳を輝かせて吐息を漏らした。
そこは、森の中にある秘密の花園。
通な冒険者でも知っているものは少ない場所だ。
森の奥。
とある小道を抜けた先にあるその場所には、祝いの花と呼ばれる真っ白い百合が、一面に咲き誇っていた。
その清廉な雰囲気を嫌ってか、ここにはモンスターたちが現われない。
のんびり静かに過ごせることから、ニョッキお気に入りのお昼寝スポットとなっていた。
いつかあの子と再会したら、きっと連れてきてあげよう。
そして、お話したり、笑ったり、二人っきりでのんびり過ごそう。
時間を忘れてお昼寝なんて、とってもとっても最高だ。
そう思い続けていたニョッキ。
そしてその願いが今、叶おうとしている。
なのに、ニョッキは、なんの感情も抱けなかった。
『実は、結婚するの』
その言葉を聞いた瞬間、ニョッキの中で何かが音を立てて崩れてしまったのだ。
「……いーち、にー、さーん……」
魂の抜けた顔で、ニョッキは自身が咲き誇る大輪、その花びらを千切っていた。
「別れる、別れない、別れる――あ、これだと一枚足りない? あ、そうだあ、なら頭の上の蕾を引きちぎったらちょうどなの。うふふ、別にいいよね? いいの。うふふふ……」
「すとっぷすとーっぷ! ニョッキちゃんしっかりして!? それはあなたのアイデンティティーよ!?」
「いいの。ウチは生まれ変わるの。これからは森に棲む、全裸の幼女として生きていくの。……おねえちゃん、ダメなんだよ? わたしのこと、そんな目で見ちゃ。でもね、いいよ。おねえちゃんになら、ぜんぶ、あげちゃうから」
「いろいろ危ないからやめてほしいわ!? というか戻ってきて! 以前も思ったけど、わたしがツッコみとか荷が重すぎるの!」
シトラスの必死の訴えで、ニョッキは現実に引き戻された。
「よ、よかったー。お帰り、ニョッキちゃん」
シトラスは笑顔を見せる。
その愛らしい様に、トキメキかけるニョッキ。
だが、彼女が一番の笑顔を見せるのは、自分ではない、誰か。
彼女の天然な姿を見て、ほほ笑んで。
彼女のことを優しく諌めて。
二人っきりで見つめ合って。
そして……。
「ああああああああ!」
「ど、どうしたの!? やっぱりお医者さん行こっか!?」
「な、なんでもないの。驚かせてごめんなの。あと、シトラスにだけは言われたくないの」
ニョッキはぺこりと頭を下げた。
「お、おかしいわー。わたし、心配しただけなのに」
シトラスはなんとも言えない顔をしていた。
それを放って、ニョッキは考える。
(諦めるななの! 可能性にゼロはないの! 考えろニョッキ! シトラスは天然なの! どこかに抜けが、きっとあるはずなの……!)
そうだ、ド天然のシトラスさんならば、きっと思いもよらぬ大きな落とし穴を掘ってくださっているはず。
その天然さを遺憾なく発揮し、ニョッキを何度も驚愕させてきたのがその証拠だ。
諦めるな、彼女のド天然さを心より信じよう!
そうすればきっと、道は開ける!
「あらあら? 今度はキラキラした目を向けて。一体どうしたの? あ、分かったわ。わたしのダンス見たいのね? いいわよー。シトラス、あなたのために踊りまーすっ」
れっつ、だんしーんっと、踊り始める件の天然。
その見当違いな天然っぷりを今だけは心強く思いながら、ニョッキは思考を巡らせる。
シトラスは、ぱみゅぱみゅーと楽しそうに言いながら、見たことのない不思議な踊りを踊っている。
不覚にもその踊りがちょっと気になったが、今はそれどころではない。ニョッキは集中する。
そして考えることしばし、ニョッキは解を導き出した。
『実は、結婚するの』
彼女は、確かにそう言った。
だが、誰がとは明言していない……ッ!
(はい来たのーッ! 天然故の勘違いを産む発言ッ! ニョッキは賢い子なのッ!)
勝利宣言をするように、ニョッキは高々と腕を振り上げた。
「あらあらありがとう。わたしのダンス、そんなに気に入ってくれたの?」
「悔しいけど、正直今のダンスは良かったの。今度はちゃんと見せてほしいの」
「うふふ、もちろんよー。……ん? 今度はちゃんと?」
さておき、考えてみれば簡単なことではないか。
誰がこんな天然を娶るというのだ。
結婚生活は甘いことだけではない。きっと大変なことも多々あるだろう。
大きな苦境の最中、ここぞというときに天然を見せつけられれば、きっとイラッと来るだろう。
(ふふふ。そんな物好き、いるわけないの。倍率、一点ゼロジャストッ! なのッ!)
元気を取り戻したニョッキは彼女へ向き直る。
さあ、この勢いで感謝と告白を……!
「あの、シトラス」
「あのね、ニョッキちゃん」
言葉が重なり、ニョッキはしどろもどろになる。
「あ、ごめんなさいね。ニョッキちゃんからどうぞー?」
「い、いや、いいの。シトラスから言うの」
「そう? ありがとー」
チキンを発揮したニョッキへ、シトラスは語る。
「ニョッキちゃん。色々と本当にありがとう。祝福の花、本当はお花屋さんで買って、プロの手でセットしてもらえばいいんだろうけど。その、わたし、あまり手持ちがなくて……。それで、立派に飾りつけできるか分からないけど、自分で精一杯やろうと思うの」
(大丈夫なの。『わたしが』結婚するとは言ってないの。これも天然故の発言。きっと『他人の』結婚式に招待されて綺麗な花束を贈りたいけどそれができなくて、だから自分で摘みに来て、でもそれだけじゃ申し訳ないから、その分式場の飾り付けを手伝って喜んでもらおうってそういうやつなの! シトラス、ウチは信じてるの!)
ニョッキは冷汗を浮かべながら自身を納得させるように考えていく。
そんなことせずとも、誰が結婚するのか直接問い質せばいいものなのに。
もちろんニョッキにもそれは分かっている。
だが、チキンにそれができれば苦労しない。
「確かに、慣れないわたしがしたところで、見劣りするだろうから、いっそ何もしないほうがいいのかもしれない。無駄になるのかもしれないわ。だけど、この気持ちは、本当だもの。あのひとに幸せをあげたいし、わたしも幸せにしてもらいたいって、気持ちも」
(だ、大丈夫なの! シトラスのことなの! あの人なんて言ってるけど、どうせその辺の野良犬のこと言ってるだけなの! 街中で踊ったとき、バカみたいになついてきた野良犬と意気投合して、それがパートナーといるのを見て祝ってあげようとか、そんなおかしなこと考えてるだけなの。うん、分かってるの。うふふ、もお、シトラスったらあ。ほんと救いようのないド天然なんだからあ。きゃはっ! なの☆)
あまりの重圧から訳の分からないことを考え、引きつった笑みを浮かべるニョッキ。
そして、壊れかけの彼女が固唾を呑む先で、シトラスは頬を染め、
「それに、赤ちゃん、できちゃってるもの」
巨大な爆弾を、ぶっ放した。
「……なん……なの?」
赤ちゃん。
ベイビー。
ご息女。
思わず、意識が飛びそうになる。
だが、ニョッキは歯を食いしばり、紙一重で生き残った。
(だ、大丈夫なの! これも誰がとは明言していないッ! き、きっと、その野良犬の……!)
一縷の望みに縋るように、ニョッキは再びシトラスを見る。
彼女は、恥ずかしそうにお腹を撫でていた……。
「うふふふ! ……これ、アカンやつなのー……」
「あ、あらあら? どうしたのニョッキちゃん! ねえ、大丈夫ー!?」
衝撃に意識を失う中、ニョッキの耳に、焦る彼女の声が聞こえ続けたのだった。




