お前、よく冒険者なんてやってるの……
鬱蒼とした木々が茂る、白昼の森の中。
「あらあら。どうしましょう?」
女性は一人、困り顔でつぶやいた。
ほどよく育った体を軽装で包み、頬に手を当て小首を傾げる。
それに呼応して、肩まで伸びたウェーブのついた髪が揺れる。
困っているのは確かなようだが、しかしてまったくそのようには見えない。
ゆったりとした空気を醸し出す、そんな彼女の周囲には、
「グルルル……」
獰猛な唸り声を上げる、獣の群れが。
「ええと、フォレストウルフちゃん……だったかしら?」
周囲を取り囲む、緑色の体毛をした狼型モンスター。
数十頭に囲まれ、唸られているというのに、女性はまったく慌てた様子を見せない。
武器を取り出すのが普通だろうに、彼女はそうせず、ぺこりと頭を下げた。
「縄張りに入ってしまってごめんなさい。だけど安心して。あなたたちに危害を加えるつもりなんてまったくないの」
女性はおっとりとした口調で、人間の言葉など分かるはずのない相手に弁解を始める。
「わたし、ギルドからクエストを受けてきたの。でも、討伐クエストじゃないわ。この森にだけ自生する薬草や山菜を採ってくる採集クエストよ。だから、お互いに見なかったフリとかできないかしら?」
「ウゥゥゥ……」
「ふむふむ。『出会いは一期一会だワン』? そうよねえ、それをなかったことになんてもったいないわよね。ウルフちゃん、いいこと言うわ」
うんうんと感心する女性。
だが、彼女は別に翻訳の特技なんて習得しているわけではなく、これはただの思い込みだ。
牙を剥いて唸る獣が、そんなこと思っているわけないだろう。
件の獣たちは、言葉は理解できずとも、馬鹿にされていると感じ取ったのだろう。
牙を剥き、女性の周囲をぐるぐると回り始める。
だが、それをどう勘違いしたのか、女性は胸を弾ませる。
「楽しそうにグルグル回って。ダンスかな? うふふ、わたしも混ぜてー」
女性は楽しそうに笑いながら、ウルフの輪の中に入ろうとスキップする。
「ガウッ!?」
威嚇する中へと、無邪気に飛び込むその様が不気味だったのだろう。
ウルフたちはビクッと震え、素早く女性から距離を取った。
「あらあら? どうしてやめちゃうの? 自分で言うのもなんだけど、わたし、意外に上手なのよ?」
女性は、すーはー、と深呼吸。
「れっつ、だんしーんっ」
そして、ウルフたちの前で踊り始めた。
「たんたかたったたんたったたー……」
女性は口で伴奏を入れながら、行動を開始した。
情熱的な音楽と、バラが似合いそうな華麗な踊り。
足で軽快なリズムを刻み、地面を踏み込み、女性は楽しげに踊る。
もしウルフたちが人語を解し、口が利けたとすれば、思い切りツッコみを入れていることだろう。
だが悲しいかな、それは不可能であるため、目を丸くして立ち尽くすことしかできない。
可哀想な獣たちの姿が、今ここに。
やがて、ようやく、踊りが終わる。
「オーレっ! ……ふう、緊張したあ。どうだった? いつもより上手く踊れたと思ったのだけれど」
「ワ、ワオオオン……」
奇怪な行動をする姿が恐ろしかったのだろう。
幼いウルフがビクビクと震え、弱弱しく吠える。
だが、女性はそれを称賛と受け取ったらしい。
「でしょー? うふふ、褒めてもらうと嬉しいわ。そうだ、わたしで良ければ手ほどきするわよ?」
女性は子ウルフへと歩み寄る。
「ク、クゥゥン……」
子ウルフはただただ身を震わせることしかできない。
と、そこに一匹のウルフが躍り出る。
「ガ、ガウガウガウ!」
恐らくその子の母親だろう。我が子を守ろうと、不気味な人間を威嚇する。
勇敢に吠えているが、しかし彼女もまた恐ろしいのだろう。
その後ろ脚はプルプルと震えていた。
それに着目し、女性はなぜか眉根を寄せる。
「小刻みに動き、地面を踏み鳴らす足。あなた……デキルわね?」
「ガウッ!?」
女性は鋭い目つきでウルフを見据え、踊りの構えに入る。
「最強は、二人といらない……。互いの誇りを掛けて、デュエルと行きましょうか?」
「ガウウッ!?」
妙な展開になりそうなのは分かったらしく、母親ウルフが飛び上がる。
「……」
群れの仲間たちもそれは理解しているらしかったが、関わりたくないというようにそっぽを向いていた。
「ワ、ワウワウ!」
そんな中、自身も恐ろしいだろうに、愛する母を守ろうと、子ウルフが震えながら前に出る。その賢明な姿に、母ウルフは思わず子ウルフにすり寄った。
「ガウウウウウ……」
幼い子供が勇気を振り絞る姿に、感ずるものがあったのだろう。
一頭、また一頭とウルフたちが前に出て、親子を奇人から守ろうと牙を剥いた。
「あらあら? もしかしてみんな昂ってきっちゃったの? うふふ、でもごめんなさい。さっきのは冗談なの」
女性は柔らかく笑った。
ようやく妙なプレッシャーが消え、ウルフたちは少し安心する。
だが、それは早かったようだ。
「優劣を競うのもいいけれど、それよりみんなで楽しく踊った方がいいものね。さ、準備はいい? れっつだんしーんっ」
「ガウッ!?」
提案した女性は、茫然とするウルフたちの前で踊りを再開した。
楽しそうに、そして華麗に踊り踊る女性。
獣の群れのど真ん中でさえなければ、舞台上であったならば、拍手喝采が鳴り渡っていたかもしれない。
TPOとは重要である。
ウルフたちは襲おうか襲うまいか迷っているようだったが、結果、退却することに決めたらしい。
獣としての本能が、関わってはならない生物だと警告したのだろう。
尻尾を垂らし、去っていこうとする。
「あらあら? 一緒に踊りましょうよ。ほら、わたし、今日は武器を忘れてきちゃったから、どう転んでもあなたたちを傷つけることはないわよ?」
女性は弓と、空の矢立てを見せつける。
それに、ピクリと反応するウルフたち。
今度は恐れたのではない。
無傷で餌を手に入れることができると、喜んだのだ。
「でも簡単な魔法くらいなら使えるけれど、そこは使う気がないということで。ほら、だから一緒に――」
「ガアアアッ!」
誘う丸腰の女性へ、ウルフたちが飛び掛かる。
「あらあら? もしかして、お食事タイム?」
そこに来て、ようやく自身が危機に瀕していることに気付く女性だが、もう遅い。
無防備な女性に、ウルフたちの牙が――
「キャウンッ!?」
と、女性の背後より現れた何かが、飛び掛かったウルフたちの身体を撃ち据える。
跳ね飛ばされる仲間を見て、警戒するウルフたち。
その視線の先、女性の後ろの茂みの中から、植物の蔦のようなものが伸びている。
それらが鞭のようにしなり、ウルフたちを襲撃する。
ウルフたちは飛び退ったり牙を剥いて対抗しようとしたりするが、勝ち目は薄いと悟ったのか、悔しそうに唸り声を上げると森の中へと逃げ去っていった。
「あらあら?」
一人取り残された女性の耳に、声が聞こえる。
「キャンキャンキャンキャン騒がしいの。せっかくお昼寝をしていたのに」
言葉と共に、茂みの中から姿を現したのは、
「ここが妖花、アルラウネの縄張りと知っての狼藉なの?」
緑色の肌をし、大輪の中から咲き誇る、小さな女の子。
彼女は眠そうに、大きく欠伸をしたのだった。
***
「いやあ、まさか襲われるなんて。お嬢ちゃん、助けてくれてどうもありがとうね」
アルラウネへ、冒険者らしき人間の女性がぺこりと頭を下げた。
「どういたしましてなの。正直、そのまま放っといてやろうかとも思ったけど、ウチのお昼寝タイムを守るため、仕方なくなの」
アルラウネは眠い目をこすって答えた。
彼女は女性のことを観察する。
弓という武器を持っていることと、その身なりから推察するに、この女は冒険者、レンジャーだろう。
そして冒険者であるならば、それなりの覚悟はできているはずだ。
迷子の子供なら別ではあるが、本来なら助けてやる義理などない。
だが、あのまま放っておけば、肉を食いちぎる不快な音と、鼻につく血生臭さが漂ってきて、ほんわかお昼寝タイムが台無しになっていただろう。
せっかくこんなに天気がいいのだ。お昼寝しつつ、いい気分で光合成をしたいではないか。
そんな利己的な理由で女性を救ったのだが、しかし彼女は残念がる素振りを見せない。
それよりも、別の言葉が気にかかったようだ。
「お昼寝かあ。うんうん分かるわー。温かな太陽さんに包まれて、うとうとするのって、とっても気持ちがいいものねえ」
女性は太陽を見上げ、幸せそうに背伸びをする。
先ほどの姿といい、今のこれといい、よくもまあモンスターの前でそうも無防備な姿を晒せるものだ。
大物か、よほどのバカか。十中八九、後者だろうが。
だが、今の意見には同感だ。アルラウネは頷いた。
「そうなの。あれこそ至福。なによりの贅沢なの」
日向ぼっこほど気持ちのいいことはそうそうない。
全身の力を抜き、温かな日差しに身を任せ、眠気に微睡み、ゆったりと過ごす。
のんびり過ごすのが好きな彼女にとって、それは何よりの贅沢だった。
応じるように、女性もうんうんと頷く。
「そうよねえ。高いお金を掛けなくてあれだけリラックスできるとか、最高よねー」
「なのなの。お前、なかなか分かっているの」
うなずき合う女性とアルラウネ。
ちょっとだけ、彼女に親近感を覚えてしまう。
そのせいだろう。アルラウネは普段人間相手に絶対にしないことをしてしまう。
「それと、ウチはお嬢ちゃんじゃないの。ニョッキっていう名前があるの」
アルラウネ、ニョッキは自分自身の名前を名乗ったのだ。
この名前を、彼女自身はとても気に入っており、褒めてもらいたいと思っている。
だが同時に、褒められるはずのない不可思議な名前であるということも理解していた。
この森の奥に居城を構えるヴァンパイアの少女は親友だが、初めて名乗ったときには彼女にさえ、
「えーと……うん。個性的、よね?」
と、何とも言えない顔をされたし。
失言を後悔し、萎縮するニョッキ。
きっと笑われたり、微妙な顔で応じられたりするだろう。
そう思い、身構えていたのだが、
「素敵なお名前ね。すくすく成長するようにっていうご両親の願いが込められているのが分かるわ」
女性は含みのない笑顔で、褒めてくれたのだ。
「……あ……その、えっと……」
そんな風に言われたのは初めてで、ニョッキはどう返事すればいいのか分からない。
しどろもどろになって顔を伏せてしまう。
そして足元、自身が咲き誇る大輪の花びらを数えながら、もじもじと指を突き合わせ、
「……あ、ありがとう、なの」
小さな声で、そう答えるのがやっとだった。
その声を女性は聞き取ってくれ、嬉しそうに答えてくれる。
「どういたしまして。でも、それはご両親に言ってあげてね? きっと喜ぶわよ?」
「……ううん。両親じゃないの」
「え?」
照れながらつぶやいた言葉は、今度は届かなかったようだ。
経緯を話してもいいかな、なんて思っていたのでちょっと残念だったが、まあいい。
ニョッキは誤魔化すように話題を替える。
「それよりお前、死にたいの? モンスター相手に丸腰アピールとかバカとしか言いようがないの」
「うーん、「丸腰ワン? 敵意がないワン? うん、一緒に踊るワン!」ってほんわかダンスパーティーが始まるかなって思ったのだけど」
「んなわきゃないの。始まるのはバラバラ解体ショーなの。世界はそんなにメルヘンチックじゃないの」
この女、本当に冒険者なのだろうか。
ニョッキは不思議に思わずにはいられない。
「それに、武器を忘れたってなんなの? 何かの作戦だったりするの?」
それこそ、実は弓使いと見せかけた武術の達人で、徒手空拳でモンスターを討伐するのが大得意、とか。
もしそれが正しければ、ニョッキも危ない。
このとぼけ切ったふんわりのんびりな雰囲気も、モンスターたちを油断させ、確実に仕留めるための――
「違うわよ。ただ忘れただけ。絶対持って行かなきゃって思ってるのに、よく忘れるのよ。そしていっつも気付くのはモンスターちゃんに遭遇したとき。うふふ、よくあるよくある」
深読みして損した。
ニョッキは大きくため息をつく。
「お前、よく冒険者なんてやってるの……」
「ありがと。嬉しいわ」
女性は素直に喜んだ。
皮肉ですらないダイレクトな呆れを見せたというのに、どれだけ頭がお花畑なのだ。
ニョッキが脱力していると、女性は何かに気付いたのか、ぽんと手の平を合わせる。
「そうだ、まだ名乗っていなかったわね。わたし、シトラスっていうの。よろしく、ニョッキちゃん」
言って、握手を求めてくるシトラス。
「お前、モンスターによろしくするの?」
そんな相手に出会ったのは初めてだ。
いや、正確に言えば二人目と言うべきか?
ともかく、モンスター相手にどうして好意を向けるのだろう。
その疑問に、シトラスは答える。
「あらあら? わたしだって相手は選ぶわよ? ニョッキちゃん、嬉しそうに大口を開けて飛び掛かってきたスノーグリズリーちゃんみたいなつぶらな瞳をしていたから、お友達になれそうだなあって思ったの」
「その瞳、つぶらでも血走ってたと思うの。お前自身の濁った瞳をどうにかするのが先なの。でないと間違いなく死ぬの」
そもそも、ウチの瞳は飛び切りキュートなの、と訂正し、ニョッキは背を向けた。
「あらあら? よろしくしてくれないの?」
「しないの。ニョッキは日向ぼっこを再開するの」
物珍しい人間ではあったが、モンスターと冒険者が関わり合いになるのはあまりよろしくないだろう。
そう思い、その場を去ろうとしたが、
「……その、よろしくはしないけど。一緒に日向ぼっこくらい、してやってもいいの」
どうしてそんなことを言ってしまったのか、ニョッキには分からなかった。
もしかしたら、彼女があの子にちょっとだけ似ていたからかもしれない。
「嬉しい提案なのだけど、遠慮させてもらうわ。ごめんなさいね」
しかし、シトラスはその誘いを断った。
もっとも、それは普通だろう。
モンスターと肩を並べて日向ぼっこなんて、危険極まりない。
しかも、ニョッキはアルラウネ。
数ある植物モンスターの中で、凶悪で凶暴と名高い存在だ。
そんなのの横でリラックスしきってお昼寝だなんて、気が狂ってもできやしない。
だが、その無謀を彼女はしてくれそうに思えたのだが。
「……賢明な判断なの。じゃあなの」
ニョッキは茂みの中へ消えて行こうとする。
だが、そんな彼女にシトラスは追いすがる。
「ニョッキちゃん、ちょっと待って?」
「…なんなの?」
少しだけ期待を込めて振り返れば、彼女は提案する。
「えっとね? 日向ぼっこもいいのだけれど。わたし、あなたにお礼をしたいの。させてくれないかしら?」
「お礼、なの?」
「そう、お礼。助けてもらったから」
救ってもらったら、礼をする。
当然でいて、しかし、とても難しいそれを、彼女はモンスター相手にも簡単に提案する。
その姿が、とてもまぶしかった。
「あらあら? どうしたの?」
「な、なんでもないの。仕方ないの。お礼、させてやるの」
「良かった。じゃあニョッキちゃん、ついてきてもらえる?」
「分かったの」
ニョッキはドキドキしているのに気付かないふりをし、シトラスの後に続くのだった。
***
森の中、清らかな水をたたえる小川にて。
「うーん。なかなかとれないわねー」
太ももまで小川に浸かったシトラスは、額に浮かんだ汗を拭って息をついた。
柔肌に浮かぶ汗の珠は、とても綺麗だ。ちょっとドキドキしてしまう。
いや、それはいいとして。
いいというか、他に気にするべき事柄がある。
ニョッキ自身が置かれている状況についてだ。
お礼だということでされるがままになっていたが、いい加減我慢の限界だった。
「……これ、なんなの?」
「なにって、お礼よ?」
「川の中に肩まで沈めて、一時間も水にさらすのがお礼なの!? どちらかと言わなくても拷問なの!」
一ミリの迷いもなく即答され、ニョッキは語調を強めて糾弾した。
シトラスに連れられて小川にやってきたニョッキは、彼女に指示されるまま川の中に入り、しゃがんで肩までひたひたに浸かった。
一体何をするのかと疑問に思う彼女の前で、シトラスは自らも川の中に入ってくると、どこからか取り出したタワシを手に、ニョッキの身体をごしごしと洗い始めたのだった。
きっと何か意味があるのだろうとニョッキは耐えていたのだが、しかし彼女はこすり続けるだけだった。
「いーち、にー、さーん……」と、肩まで風呂に浸かった人間たちがするように、楽しげに数を数えながら、こすり続けるだけだった。
それをかれこれ一時間ほど。
ニョッキはいい加減うんざりしたのだ。
「ほらここ見るの! 立派な緑色をしていたのに、色が変わっているの!」
腕の一か所を指し示すニョッキ。
そこの薄皮がめくれていた。
それは人間で言えば日焼けした皮がめくれるようなもので痛み自体はないのだが、綺麗な表皮が削り取られることは、植物モンスターとしてのプライドが傷つけられたことを意味している。
抗議するニョッキだが、しかし、シトラスは謝罪しない。
どころか、
「うふふ。やったあ」
念願叶ったというように、喜びを露わにした。
「やったあ!? 今、やったあって言ったの!? 人様の皮膚ひんむいておいて、喜びに打ち震えたの!? お前どんな趣味してるの!?」
ドン引き、震えあがるニョッキの姿に、シトラスは小首を傾げた。
「皮膚? あらあら、そうだったの?」
「それ以外になにがあるの!?」
「いや、苔だと思って」
「苔!?」
ショックを受けるニョッキに、シトラスは説明する。
「わたし、助けてもらったお礼にニョッキちゃんをピカピカにしてあげようと思ったの。ほら、ニョッキちゃんの身体、苔まみれに見えたから。女の子なんだから、特に気を付けないとって思ってね?」
「苔じゃないの! ウチは植物だからこんな色なの! お前大概失礼なの!」
怒気を強めるニョッキ。
「たとえそうだったとしても、もっと優しくゴシゴシするべきなの! なんなのそのタワシ! 目が粗くて鉄板でも削り取れそうなの! ウチ、よく耐えたと思うの! 褒めてもらっても悪くないの!」
「よしよし、えらいえらいー」
「な、なのなのー……。って、誤魔化そうとしてるんじゃないの!」
顔を真っ赤にしてニョッキはシトラスの手を振り払う。
ちょっと触られただけなのに、ドキドキしてしまった。
悔しい、自分は尻軽なんかじゃないはずなのに。
「誤魔化す気なんてないわよ。ニョッキちゃんが褒めてって言ったから撫でただけ。ちっちゃい子はたくさん褒めて、うーんと甘えさせてあげないと。ね?」
「う、うるさいの! 妖花を惑わそうとかおこがましいの!」
確かにニョッキは見た目幼くて、十数年しか生きていない、植物モンスターの中でも若輩者とも言えない年齢だが、しかし、なでなでとか子供扱いは……その、悪くないと思ったけれど。
「うふふ。それにしても、さっきのフォレストウルフちゃんたちと同じじゃなかったのね。あの子たちも苔まみれだったから、ダンスで汗を流した後、じゃぶじゃぶ丸洗いしてあげようと思っていたのに」
「あれはカモフラージュとしての体表の色! お前それウルフたちの前で言ってみろなの! 馬鹿にされてるのくらいは理解できるから、噛み殺されてぐちゃぐちゃミンチなの!」
モンスターの群れの中で呑気に踊るだけでもアレなのに、その上そんなことまで考えていたのか。
もう一度思う、この女、本当に冒険者なのだろうか。
「というか、最初に言ったの! ニョッキはアルラウネ! 植物のモンスターなの!」
アルラウネとは、人間の女性の形をした植物のモンスターである。
女性と綺麗な花びらが組み合わさったモンスターであり、その容姿で冒険者を誘惑する。
毒や麻痺、混乱などといった状態異常を付与する花粉を周囲へまき散らし、身動きが取れなくなった人間や動物たちを捕らえ、養分として成長する、恐ろしいモンスターなのだ。
「アルラウネ……? 本当に?」
「本当なの! というか最初に名乗ったの! 割とカッコよかったなんて思っちゃったの!」
「そっか。ごめんなさいね」
「分かればいいの。次から気を付けるの」
「はーい。でもね、ニョッキちゃん、あなたも気をつけないとダメよ?」
「なにがなの?」
何かおかしな点があるだろうか。
この女と関わっているというのが、そもそもおかしな点だろうが。
考えるニョッキにシトラスは指摘する。
「その恰好よ。おへその少し下からは大きなお花の中に入って見えないけど、上半身はほとんど裸じゃない。葉っぱを繋ぎ合わせて包帯みたいにして隠してるだけだし。女の子が体を冷やすようなこと、しちゃダメよ?」
「お前が言うの!? そう思うならまず川からあがらせてほしいの! いい加減根腐れするの!」
温かな季節ではあるが、一時間も水に浸かっているのは厳しい。
人間なら唇が紫になっているところだし、過剰な水分摂取でお腹がたぽたぽしてき始めたし、浸透圧で体の中の栄養素が水中に溶け出してふわふわしてきたし。
「あらあら。そういえばそうねー」
シトラスはようやく解放してくれた。
岸へとあがり、ニョッキは大きく息をつく。
「うう。水吸いすぎて気持ちが悪いの……。しばらく雨はノーセンキューなの」
「そんなニョッキちゃんにお詫びを。実はわたし、レンジャーなので森の中でのサバイバル術はバッチリなの。待っててね、今火を起こしてあげる。ふふふーん」
「だから植物! ウチは植物! 火なんて起こしてみろなの! お前全力でぶちのめしてやるの!」
火炙りにでもしようというのか、周囲に小枝を敷き詰め、炎魔法を使おうとする大馬鹿を、ニョッキは全力で制止した。
「というか、そうでなくとも危ないの! お前絶対何人か焼き殺してるだろなの!」
「もう、そんなわけないでしょ? パーティーを組んだ時はみんなから褒められたわ。『天然なら何やってもすむわけじゃないからな!?』って」
「それ褒めてないの! 頭のネジ探して来いなの!」
探したところで錆付いていて使い物にならない気はするが。
と、シトラスは眉根を寄せる。
「ニョッキちゃん、さっきから思っていたのだけれど」
「なんなの?」
叱責されて腹が立ったのだろうか。
確かに割と失礼なことを言っていたかもしれないが、それは彼女の考えや行動が酷すぎたからだ。
だが、そうだとしても言いすぎたかもしれない。ここは素直に謝罪するべきか。
感謝よりは謝罪のほうがまだ言いやすい。ニョッキは頭を下げようと思った。
だが、
「駄目よ? 女の子なんだから言葉遣いには気をつけなきゃ」
「誰のせいだと思っているの!? お前が諸悪の根源なの!」
「あらあら?」
再びの天然発言の前に、殊勝な気持ちは弾け飛ぶ。
全力で指摘する言葉に、しかし、シトラスは覚えがないというように不思議そうな顔だ。
(こ、この人間、ほんとになんなの!?)
薄々感づいてはいたが、この女、天然だ。
それも、ドがつくほど救いようのないそれである。
モンスターの群れの中で舞踏会を催そうとするし、探索に来たのに武器は忘れて来るし、さらにはそれをモンスターにアピールするし、お礼と称して皮膚を削り取るしエトセトラエトセトラ。
本当によく冒険者なんてやっているものだ。
冒険者になる仕組みを、偉い人間たちは考えた方がいいのではないだろうか。
特に、性質や性格をよく考慮するような形に。
「もう、ウチは疲れたの。日向ぼっこで癒されるの」
「そっか。じゃあわたしも今日は帰ろうかな。ニョッキちゃん、どうもありがとうね」
シトラスは深々と頭を下げてから、林道ではなく、茂みの中へと消えて行こうとする。
「……待つの。どこへ行くの? そっちは森の奥なの」
「あらあら? そうなの?」
シトラスは困ったように小首を傾げる。
「そういえば、ここはどこかしら? 水の音を頼りに来たから分からないわ」
「天然に加えて方向音痴とか……。お前、絶対レンジャー向いていないの」
レンジャーとは自然のスペシャリストのはずだ。
森や林、山など、緑の多い場所でこそ、その真価を発揮する。
軽装に身を包み、木々と一体化、自由自在に動き回り、動物よりも上手に気配を隠すことも可能。
そのため、自然の中では一人で行動した方が都合よく、彼女のように単独で探索するレンジャーをニョッキはよく見かけている。
だがこの女は、その天然さが災いして、レンジャーの長所をことごとくぶっ潰している気がする。
「お前、どうしてパーティーを……いや、いいの。理解したの」
きっとその天然さゆえに誰も組んでくれなかったのだろう。
そう判断したニョッキに、シトラスは予想通りの理由を口にした。
「えっとね? なぜかわたしとパーティーを組んでくれる人っていなくて。組んでくれても一回きりなの。天然は素晴らしいけれど、戦闘中にはマジやめてとか。場所を替えれば優秀だろうから、癒しを授ける修道女とかいいんじゃないかなって言われたり。どういう意味かしら?」
「いい案かもだけど、回復魔法をうっかり反転させてダメージ与えそうだから、ウチは反対なの」
「? よくわからないけれど。でも、わたしもレンジャー以外興味ないもの」
シトラスは大きく胸を張った。
レンジャーどころか冒険者らしからぬ行動をしておいて、どうしてそうも自信と決意に満ち溢れることができるのだろうか。
その愚直さが、いっそ清々しく思えてくる。
「よし。やっぱりクエストやっちゃおっと。じゃあね、ニョッキちゃん」
「だから待つの! シトラス、武器がないんじゃなかったの?」
「あらあら? そういえばそうだったわ」
この女、よくも今日まで生き長らえて来れたものだ。
人間風に言えば、神の思し召しとでもいうやつだろうか。
ニョッキは大きくため息をついた。
「……クエスト、まだ期限はあるの?」
「ええ、あと三日くらいは」
不思議そうに小首を傾げるシトラスへ、ニョッキは口走らずにはいられない。
「なら、今日はもう帰るの。明日、ウチが手伝うの」
「…え?」
ニョッキはうんざりしつつも思う。
やはり、この人間は放っておけない。
放っておけばモンスターたちに囲まれて、あらあらと困り顔になる姿が簡単に目に浮かぶ。
一度面識を持ってしまったのだ。それも、名前を褒めてくれた。
そんな相手の残骸なんかを見てしまった日には、きっとせっかくの日向ぼっこも台無しになってしまうだろう。
それに、そう思える感情の奇跡を、無駄にしたくないのだ。
ニョッキの提案が思いがけないものだったのだろう。
シトラスは驚いた後、申し訳なさそうに手を振った。
「そんな、いいわよ。ニョッキちゃんに迷惑かけるわけには」
「はっ。今さらなの」
「ニョッキちゃん、やっぱり口が悪いのね?」
「相手のせいなの。とりあえず、今日のところは出口まで案内するの」
「そんな、本当にいいの?」
「いいの。しつこいの」
「……じゃあ、甘えさせてもらおうかしら? ありがとうね、ニョッキちゃん」
シトラスはニョッキの頭を優しく撫でた。
ニョッキは恥ずかしくなって逃れようとする。
「あ、頭撫でるななの! ウチのお花は繊細なの!」
「優しい子もうーんと褒めてあげないとね。ニョッキちゃん、褒められて伸びるタイプに見えるし」
こんな風にされることに慣れていなくて、ニョッキは戸惑ってしまう。
「か、勝手に決めつけるななの! やめるの!」
拒否するニョッキだが、もう少しくらいさせてやってもいいかななんて思っているのを見通しているとでもいうように、シトラスは優しく触れてくれる。
「なでなで」
「な、なの」
「なでなで。なでなで」
なんだか、とっても気持ちよくて。ぽかぽかしてくる。
「なのなのー……」
「ふふ。なでなで。なでな――あっ」
「……待つの。今の『あっ』ってなんなの?」
シトラスは顔に冷汗を浮かべ、目にも止まらぬ速さで何かを隠す。
「な、なんでもないわ」
「嘘言うななの! その後ろ手に隠したもの、見せるの!」
追及され、流れる汗の量が目に見えて増えていく。
「な、何もないわよ? ……ど、どうしよう。これの採集クエストなんて受けていないのに」
「今採集って言ったの!? そういえば、頭が軽く……」
頭に手をやれば、
そこにあるはずの花が、ない。
アルラウネの花。
それは貴重な素材だ。
彼女たち自身が咲き誇る大輪は、生まれた時から纏っており、そして季節ごとに生え代わるため、そこまで貴重ではないが、頭部のそれは違う。
アルラウネが数十年かけて開花させるそれは、とても貴重で、薬の調合や、希少な装備品の材料として高値で取引される。
それを狙って現れる冒険者たちを何度撃退したことか。
だが、その歴戦を重ねた証が、こんなバカげた展開で、いとも簡単に。
「だから繊細って言ったの! お前、なにし腐ってるの!?」
「ご、ごめんなさい! でもニョッキちゃんだって気持ちよさそうに目を細めていたじゃない!」
「そ、そんな訳あるかなの! 思い上がりも甚だしいの!」
「恥ずかしがり屋さんなのね! それは置いておくとしてどうしましょう! ご飯粒でくっつかないかしら!?」
「くっつくわけないの! お前ふざけるなななの!」
「よーし! それじゃあ強力な接着剤、街で買ってくるからね! お姉さんを信じなさーい!」
不安にしかなれない笑顔を残し、シトラスは街に続く道――ではなく、森の奥へと駆けて行く。
「問題点はそこじゃないの! っていうかちょっと待つの! だからそっちは森の奥! しかもモンスターの巣が」
グルルル! ギャーグ! ピギャウィウ!
「あらあら。もしかして、あなたたちも踊りたいの? いいわね、じゃあ今回は、白鳥のように羽ばたきましょー。ルーラララララー♪」
「だから違うの! もういい加減にしろなの!」
ニョッキは怒りと心配がないまぜになった複雑な心境で、とりあえず助けにいくのが先決と、天然女を追い駆けて行った。




