ダンジョンで油断しちゃだめでしょ?
薄暗く不気味な静寂に包まれた洞窟の中。
少女は1人、歩を進めていた。
片手には安物のナイフ。もう片手には古ぼけたランタン。
心もとない装備だけを頼りに、闇の中を進んでいく。
洞窟の中に、コツ、コツと、革靴の音だけがこだまする。
行けども行けども、照らされるのはでこぼこした岩々だけ。
それ以外が、彼女の視界に映ることはない。
少女は肩を落とし、しかして安堵もしつつ、先へ先へと潜っていく。
そうしてどのくらいたっただろう。
「っ……!」
目の前に広がる光景に、少女は歓喜に震えた。
やや開けた空間に、いくつもの宝箱が並んでいたのだ。
灯りに照らされ、金細工の意匠が輝いている。
きっと高価なものが入っているに違いない。
少女は思わず駆け出し、手近な宝箱に近づいた。ナイフを仕舞い、ランタンを床に置く。
「ぐ……。ううう!」
身の丈ほどあろうかという宝箱。力を振り絞り、どうにか蓋を開ける。
ようやく開いた宝箱の縁に手をかけ、中にあるものを取り出した。
「うん。なかなかグッド」
貴族の令嬢が持っていそうな宝石のついた指輪を手にし、舞い上がる少女。
きっとこれは高値で売れるはずだ。
興奮冷めやらぬ中、少女は他の宝箱をどんどん開けていく。
金色のロケット、プラチナの大皿、装飾が施された黄金の剣などなど。
出てくるのはお宝ばかりだ。
「頑張って潜ったかいがあった。重畳、重畳」
満面の笑みを浮かべる少女。
「ふっふっふ。最後はいかに?」
期待しつつ、宝箱の蓋に手を掛ける。
瞬間、
宝箱の中から死人のような細腕が飛び出し、少女の手首をつかんだ。
「……え?」
予想外の事態に、間抜けな声が漏れる。
「やっ、やめて! 離して!」
一瞬遅れて、自身が危機に瀕していることを理解した少女はパニックに陥る。
必死で振りほどこうとするが、件の腕は、その細さとは裏腹、獲物を逃すまいと凄まじい怪力で少女を離さない。
ミシリと手の骨が嫌な音を立てる。
「痛いっ! いやっ! 離して!」
パニックに陥りつつ、少女は感じた痛みで気付く。
(そ、そう! 武器! 武器で攻撃を……!)
少女は空いている方の手で、腰に差したナイフへ手を伸ばす。
だが、それは許されない。
伸びてきたもう片方の腕が、その手をがっちりと掴んだのだ。
「っ!?」
これでもう、少女に抵抗する術はない。
それを知っているかのように、腕は少女を引っ張り始める。
宝箱の中に引きずり込もうとするように。
「やだっ! やだやだやだっ! やめて! やめて!」
泣きわめく少女。だが、その懇願が聞き入られることはない。
ゆっくり。ゆっくりと。
少女は不気味に口を開いた宝箱の中に引きずり込まれていく。
そして上半身が引きずり込まれ、恐怖に震える少女の目は確かに見た。
浅いはずの宝箱。しかして底の見えない闇がそこにはあり。
その底に、妖しく輝く双眸が存在することに。
そして――
***
ミミック。それはダンジョンに住むモンスターの一種だ。
宝箱に擬態し、財宝に目がくらんだ愚かな冒険者たちに襲い掛かる。
宝箱の中に引きずり込まれれば、生きては帰れない。
一説によればミミックの栄養になるとも、はたまた異次元へ送られてしまうともいわれている。そんな恐ろしいモンスターなのだ。
そんなミミックに襲われた愚かな冒険者の少女は――
「まったくもう。ダンジョンで油断しちゃだめでしょ?」
地面に正座させられ、件のミミックから説教されていた。
「わたしだったからよかったようなものを……。他のミミックだったら、お嬢ちゃん、間違いなく死んでいたわよ? 人の生は短いのだし、もっと大切にするべきだと思うのだけど」
少女は俯いていた顔を上げ、ミミックに視線を移す。
さながら子を心配する母親のように説教するミミック。
その見た目は人間の女性と何ら変わりはない。
豊満な体に扇情的な衣装を身に着けた、大人の魅力あふれるお姉さんと言った感じだ。
ただ、下半身は底知れぬ闇の満ちた宝箱の中に入ったままで、確認することはできない。
もしかしたら下半身など存在せず、その闇自体が体の一部なのかもしれない。
「2つの意味で、頭が痛い……」
赤く腫れあがった額を抑え、少女はぼそりとつぶやく。
「ミミックがヘッドバット決めてくるなんて。ギルドの人、教えてくれなかった」
あの後、恐怖に震えあがる少女へ、宝箱の中から飛び出したミミックは渾身のヘッドバットを決めて昏倒させたのだった。
ミミックは腕を組み苦笑する。
「わたし流、愛のお仕置きよ。こんな危険なところに一人で潜ってきた罰よ。そのくらいで済んだだけ幸運だと思ってね? ほら、薬草貼っておげるから」
ミミックは少女の額に薬草を張り付けた。
触れた冷たい手が、痛む額には心地よい。
「ありがと」
「どういたしまして。……ふふ」
「……笑った?」
「ごめんごめん。なんか可愛くて」
「本当にそれだけ? バカにしていない?」
「してないしてない」
「本当?」
「……ちょこっとだけ」
「ミュー、機嫌が悪くなった」
眉根をよせてそっぽを向く少女、ミュー。
その姿に内心癒されつつ、ミミックは謝罪する。
「ごめんなさいね。でもね、可愛かったのも本当よ」
「……ほんと?」
「本当よ。それもたくさん」
「たくさん?」
「そう、たくさん。たくさん可愛かったわ」
にこりとほほ笑むミミック。
「……たくさん。たくさん、可愛い……ふむ」
ミューは嬉しそうにほほ笑む。
「今回だけ。特別に許してあげる」
「ふふ。ありがとね、お嬢ちゃん」
「ミューでいい」
「ううん、お嬢ちゃんでいいわ」
「む。どうして?」
「どうしても」
強く言い切るミミック。
ミューは残念に思いつつもそれ以上言わないことにした。
「ごめんなさいね。ところで話は変わるのだけれど、お嬢ちゃん冒険者なの?」
「うん。一応そのつもり」
一応という言葉に、ミミックの眉がピクリと動く。
ミューはそのことに気付かない。
冒険者。それはギルドの依頼を受注してモンスターを討伐したり、危険なダンジョンを探索したりする、命知らずの者たちのことだ。
「……ちなみに、レベルは?」
まるで怒りを堪えるかのように、ミミックの体が小刻みに震えていたがミューはこれにも気付かない。
ミューは服の内側に入れ込んでいたペンダントを取り出し、ミミックの前で掲げた。
それは冒険者のレベルを示すペンダントであり、経験を積むと数字が変わる優れものだ。
紐の先に下げられた丸く加工されたクリスタルには数字が記載されており、
「レベル1。ナンバーワン。いえい」
ミューは自信満々に言い切った。
「お仕置き執行!」
「痛恨の攻撃!?」
渾身のヘッドバットを受け、ミューは額を抑えてゴロゴロと床を転がる。
そんな彼女に、ミミックは怒りをあらわにまくしたてる。
「ギルドに出入りしているのなら、ここが高難度ダンジョンだって知っているわよね!? そこにレベル1でノコノコノコノコ入ってくるなんて! お嬢ちゃん、あなた破滅願望でもあるのかしら!?」
冒険者のレベルは1から始まり、経験を積むごとに上昇していく。
最大レベルは99であり、この洞窟は推奨レベルが80以上の高難度ダンジョンであるのだ。
そんなところに装備もろくに揃っていない、それもレベル1の冒険者が探索に来るなど信じられない。一体どういう神経をしているのか。
ミューと違い精神的な意味で痛む頭を押さえるミミック。
「高レベルダンジョンにはわたしたちミミックが多いっていうのに無警戒で宝箱を開けてるし、装備もろくに揃っていないし、おかしいなとは思っていたけれど、まさかレベル1なんて。それに、パーティーも組まずに一人で潜ってきて……」
呆れかえるミミック。
戦闘不能に陥った際、仲間がいればアイテムや呪文で蘇生することができるから、冒険者たちはどれほど低レベル向けのダンジョンへも、最低2人以上のパーティーで挑むはず。
ギルドもそれを推奨しているはずなのに、この少女はなぜこんなとち狂ったような真似をしたのか。
疑問を浮かべるミミックにミューは答えた。
「だ、だって、ここ、街から割と近い位置にあったし、しかも他の冒険者が敬遠するところだから宝箱がたくさんあると思って。あと、レベル1の駆け出し冒険者とパーティーを組んで、手とり足とりサポートしつつ高レベルダンジョンに潜ってくれる優しい人なんて、この世に存在しないから。そんな分かり切った地雷、ミューだって踏まない」
そもそもパーティーを組むと取り分が減るからとミューは言う。
この年でとんだ拝金主義者だ。命あっての物種だろうに。
ミミックはミューを諌める。
「威張って言わないの。そもそもあなた、まだ子供じゃない。ここは遊びで入ってきていいようなところじゃないのよ? 文字通り、命がけなんだから」
ミューの言った通り、このダンジョンに足を踏み入れる冒険者は多くない。
それにはもちろん理由がある。
ここにいるモンスターは凶悪なものばかりであり、単純な攻撃力も尋常でないほど高く、それどころか危険な状態異常を付与するものがゴロゴロ存在しているのだ。
毒、麻痺はまだマシなほうで、混乱、呪い、さらには即死の魔法まで操るものがいるという、とても危険な場所なのだ。
そんな場所にレベル1の駆け出しがしかも一人で飛び込んでくるなんて、殺してくれと言っているようなものだ。よくもまあ無傷でここまでたどり着けたものだとミミックは呆れを通り越して感心してしまう。
ミミックにはまだ言いたいことはあったが、いつここに凶悪なモンスターがやってくるとも限らない。少女の身を案じ、話はここまでにしようと考えた。
モンスターを狩って生計を立てる冒険者は、モンスターに狩られるリスクも当然背負っている。
そして冒険者である以上、この少女は敵、天敵だ。そのため本来情けは無用なのだ。
だがしかし、幼さの残る少女が倒されるのは気持ちのいいものではない。
同胞たちに甘いと思われてしまうだろうが、それは今更だろうとミミックは気にしないことにした。
ミミックはミューに手をかざす。
「お嬢ちゃん、今からあなたに魔法を掛けます。直前に滞在した街へ転送してあげるから。まずは近くの低レベルエリアで経験値稼ぎから始めなさい」
「お気遣い感謝。でも、少し待って。お宝を詰めた袋があそこに」
「ダメ。味を占めないようにあれは没収します。命に比べれば安いものでしょ?」
「ま、待って。話せば分かる」
焦るミュー。だが、ミミックは聞き入れない。経験や努力に見合わない、ただの幸運で大金を得てしまえば、たいていその先に待つのは破滅の道だ。彼女にはそうなってほしくなかった。
「だーめ。いい? 低レベルエリアでもダンジョンは逃げ道を塞がれたら危険だから、経験を積んでから入ること。まずは辺りが見渡せて、適度に隠れ場所がある草原エリアとかがベストね。すぐ帰れるように街の近くならなおいいわ。あと、冒険に出かけるときには必ずパーティを組むこと。回復アイテムや蘇生アイテムを多めに持っていくこと。値は張るけど、武器や防具もきちんと整えてから行くこと! いいわね!?」
「お姉さん、心配性のおばちゃんみたい」
「し、失礼ね!? 確かにモンスターは長生きだけれど、でもまだわたしはピチピチよ! ほら、この見た目も人間でいえば十代後半くらいでしょ!?」
「ん。でも、言葉遣いからあふれ出るオーラは古くさ――」
「テレポート!」
そう唱えた瞬間、少女の姿は光となって掻き消えた。
再び静寂が訪れた洞窟の中。ミミックはふうと息をつく。
「まったくもう。レベル1の癖に、度胸がいいというかなんというか……」
死の危険と隣り合わせのダンジョンにたった一人で入り込んだり、優しくしてあげたとはいえ、ミミック相手に軽口を叩いたり。普通の冒険者ならどう間違ったってしない愚行だ。
「混乱の状態異常にでもかかってた? いえ、そうも見えなかったし。なにか理由があるのか、はたまた単なるおバカさんなのか……」
長くこのダンジョンで暮らしているが、あんな人間に出会ったのは初めてだった。
まあ、不思議と悪くなかった気はするが……。
「考えてみれば、人間とまともな会話をするのなんて久しぶりだものね」
ダンジョンの中に立ち入ってくるのは十中八九冒険者の連中だ。
彼らがモンスターであるミミックと相対して、いやあ今日はいいお天気ですね、なんて挨拶してくるはずなどなく、殺気に満ちた目で襲い掛かってくるのが普通なのだ。会話など成り立つはずもないし、こちらにもその必要はないから、互いに交わすのは殺意と怒号と悲鳴のみ。
たまにはこういう風なのも珍しくて良かったのかもしれない。
「ま、もう2度とないのでしょうけど」
あれだけ言い含めてあげたのだ。流石にもうここには立ち入らないだろう。
再びあいまみえることがあるのなら、その時はきっと、手練れの冒険者として自身の前に立ちはだかる時。
「それもそれで悪くはないか。だけど、お姉さんは強いわよ?」
そんないつかを思いながら、ミミックは箱に入ったまま地面をスライド移動すると、辺りを片付け始めた。
散らばった財宝を集め、瑕疵がないか確認し、自身の入っている宝箱から綺麗な布を取り出し、汚れをふき取ると、それぞれ元あった宝箱の中へと戻しておく。
「さてさて。それじゃあわたしも戻りましょうか」
そうして仕舞い終えると、自身も宝箱の列に並び、ゆっくりと蓋を閉じた。
さながらそれは、久方ぶりの良感情を逃さないよう、閉じ込めるとでも言うように。