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短編9(後)

 


 浴場は広く、香りのついた湯や屋外にも設備があり、ゆっくりと過ごすことが出来る。

 時間が遅いのもあって人も少ない。時間の都合で居合わせた女性寮の者達もいるが「ごめんねアラン、直ぐに出て行くから!」「鼻血は出さないで!」と慌てて出て行こうとするので、さすがにそこまでの気遣いは不要だと制止した。

 気を遣ってくれるのは嬉しいが、それを盾に他人のリラックスタイムを潰すわけにはいかない。

 お互いゆっくり過ごそうと告げれば彼女達は穏やかに微笑んでくれた。――その背後ではフィアーナが「アラン、立派になって……」と目元を拭っている――


 そうして手早く身を清め、フィアーナがお勧めだという露天風呂に浸かる。

 美貌と言えるほどの美しさの彼女と裸で並ぶのは緊張しそうなものだが、幸い、今浸かっているお湯は白く濁っているので体を隠してくれる。

 なにより、屋外で湯に浸かるというこの解放感が気分を紛れさせてくれる。見上げれば星が輝きなんと美しいのだろうか。


「どう? ゆっくり出来るでしょ?」

「うん。広いお風呂気持ち良いね。景色も良いし」

「私、たまに足を伸ばして浸かりたくてここに一人で来るの。次からアランも誘うわね。ジェラートも奢ってあげるから、十回に一回は一緒に行きましょう」

「断られることを前提に誘ってくる……。ご、ごめんねフィアーナさん。極力一緒に行けるようにするから」


 フィアーナのあまりの断られ慣れぶりに若干の罪悪感を抱きながら「頑張る」と返せば、フィアーナが苦笑と共に頭を撫でてきた。相変わらず妹を愛でる姉のような優しさだ。

 そんなやりとりの中「アランちゃーん」と声が聞こえてきた。

 ロッカの声だ。どうやら壁の向こうにある露天風呂にいるらしく、もう一度「アランちゃーん」と声をあげて呼んでくる。


「ロッカちゃん、どうしたの?」


 幸い外に人は少なく、ちらほらといるのも王宮関係者の女性達だ。彼女達は聞こえてくる声に最初こそ男湯のある方を見ていたが、今はあまり気にしている様子はない。

 だからといって大声で会話をするのはマナー違反だと思い、アランは慌てて湯から上がると壁の方へと向かった。

 男湯と女湯を隔てている壁。だが屋外だけあり完全に仕切られているわけではなく、上部は開放されている。衝立と呼ぶよりはしっかりとした造り、さりとて壁というほどの密閉さはない。もちろん壁に近付いたからといって当然だがロッカの顔が見えるわけがない。


「ロッカちゃん、他のお客さんもいるし話なら後にしない?」

「んー、でもアランちゃん僕の石鹸使うかなぁって思って」

「石鹸?」


 いったい突然どうして石鹸なんて、と疑問を抱く。

 この浴場には施設側が入浴に必要なものはあらかた用意しており、入浴料で必要最低限のものは借りることが出来る。

 それにフィアーナが用意してくれた入浴セットには下着やタオルの他にも洗顔料や洗髪剤も入っていた。どれも高級品だ。それらがアランのイニシャルが刺繍された可愛いトートバッグに入っていた。ワンピースにも胸元にイニシャルの刺繍と徹底している。

 ひしひしと伝わってくるフィアーナの気合いの入れようはさておき、彼女に用意してもらった一式があれば十分事足りる。

 それを伝えるも、壁の向こうからはロッカの「でもねぇ」という間延びした声が聞こえてきた。


「アランちゃん、このあいだ僕のほっぺた触りながら『羨ましいもちもち』って言ってたでしょ」


 ロッカの話に、アランは当時のことを思い出した。――「何やってるんだお前ら」「割とよく見る光景だが」というジャルダンとデルドアの会話が聞こえてきた――


 思い返せばロッカの言う通り、先日アランはロッカのほっぺたの柔らかさを堪能していた。

 きめ細かな肌、もっちりとした手触り。ぴょこんと伸びる髭はさておき、女性ならば誰だって憧れる綺麗な肌だ。生まれたての赤ちゃんの肌にも引けを取らぬ一級品。

 それをもちもちと揉みながら「お肌を維持する秘訣は?」と尋ねたところ、ロッカが石鹸の話をしていた。

 だがその石鹸を試そうとしたところ騎士団の仕事が入ってしまい、そこで終わりにになってしまった。

 どうやらロッカはそれを思い出して石鹸を使うかと尋ねてくれたようだ。


「わざわざありがとう。でも……」


 さすがに今は、とアランは目の前の壁を見上げた。

 上部は開放されている。だが浴場だけあって壁は高い。とうてい覗けるわけもなく、そして物の受け渡しも出来ない。

 仮にここでアランが「貸して」と言えばロッカはきっと石鹸を投げてくるだろう。もしくは獣王の末裔である能力を使い白靄の鳥に石鹸を運ばせるか。

 どちらにせよ周囲の迷惑になってしまう。


「ロッカちゃん、今日は石鹸はいいよ。まだ今度」

「アラン! 借りなさい!!」

「フィアーナさん!?」


 つい先程まで湯に浸かっていたはずのフィアーナが気付けば隣に居り、更に迫ってくる。

 それどころかフィアーナだけではなく居合わせた女性達までもが「アラン、借りるのよ!」「借りて詳細も聞くのよ!」と訴えてくるではないか。

 その勢いと言ったらなく、鬼気迫ると言っても過言ではない。

 アランは想わず気圧されながらも「み、みんなどうしたの……?」と尋ねた。

 声が上擦ってしまうのは仕方あるまい。通常時でさえ人と対面するのが苦手なうえ、今は風呂ゆえに裸。裸の女性達が言い知れぬ圧を醸し出しながら迫っているのだから冷静でいられるわけがない。


「アラン、ロッカちゃんのあの肌の秘密は気にならないの!?」

「そりゃ気になるけど……、だから今度改めて詰め所か彼等の家で石鹸を借りてみようかなって……」

「まさか情報を独り占めするつもりなの!?」

「ひ、独り占め……!?」


 人聞きの悪いフィアーナ達からの言葉にアランもぎょっとしてしまう。これではまるで重要事項を隠しているかのような言われようではないか。実際は石鹸なのに。

 だがそれほどまでにフィアーナを始めとする女性達はロッカの肌の秘密が気になっているのだろう。

 確かにあのモチモチツヤツヤの肌は女性として羨ましく、秘密が石鹸にあるというのなら是非にと渇望する気持ちも分かる。アランとて今は断りこそしたが後ほど聞くつもりではいたのだ。


 それなら、とアランは考え直し、改めて男湯との隔たりである壁を見つめた。

「ロッカちゃん」と声を掛ければ「はぁい」という元気の良い声が返ってきた。――その奥から「見ろヴィグ、メンダコだ」「可愛いな」「メンダコぐらいなら別に良いかと思えてきた」という会話が聞こえてくるが、男湯が平和な証だと聞き流しておく――


「さっきは断ったけど、やっぱり石鹸貸してくれる?」

「石鹸? 良いよ! 今渡すね!」

「あ、でもあんまり派手にこっちに投げてくるのはやめてね。周りの邪魔に」

「射出!!!」


 アランが周囲を気に掛けるも、言い終わらぬうちにロッカの威勢の良い声が聞こえ、次いで高い壁の上部に石鹸が見えた。

 はたしてどうやって投げたのか、否、どうやって射出したのか、石鹸の勢いはかなりのものだ。

 軽やかに現れるや境目を通り越しこちら(女湯)側へと落ちてくる。慌ててそれを両手で受け取った。

 片手の中に納まる小さな石鹸。乳白色をしており、一見するとどこにでもある石鹸でしかない。

 だが手の中におさまるやふわりと良い香りが鼻を擽った。よく見れば薄っすらと花の掘り込みがされている。


「それね、お店のひとが手作りしてるんだよ! 僕その石鹸の匂い大好きなの!」


 ロッカが嬉しそうに話す。そうして「ごゆっくりねぇ」と告げて話を終わりにしてしまった。

 壁があるため向こうの光景は見えないが、どうやら浴槽の方に向かったらしい。「メンダコさん増やして良い?」という声と、「ロッカ、アデリーも出してくれ」「俺はキーウィーさんが良い」「まぁ今は別に騎士団の奴等しか居ないし良いか」という声も聞こえてくる。


 向こうは向こうでのんびりとやっているようだ。

 そう考え、アランは聞こえていないと分かっていても「ごゆっくり」とロッカに告げ、壁から浴槽へと向き直り……。


「アラン、使わせてなんて言わないわ……。ただ少し触らせて欲しいの……。なんだったら使った後のアランの頬を触るだけでも良いのよ……」


 と、じわりじわりと近付いてくる女性陣の圧に、暖かな浴場のはずなのにふるりと体を震わせた。



 ◆◆◆



 入浴を済ませ、程よい頃合いで浴場を出る。

「アランちゃん!」と声を掛けられて振り返れば、ロッカがパタパタと駆け寄ってきた。その後ろにはデルドア達の姿もある。


「ロッカちゃん、石鹸ありがとうね」

「どうだった? 気に入った? 今度一緒に買いに行こうよ!」

「うん。凄く良い香りで肌にも合ってるみたい」


 買いに行こうと話せばロッカが嬉しそうに頷いてくる。

 そうしてロッカが「帰ろう!」と当然のように誘ってくるのだが、アランはそれに待ったを掛けた。


「これからフィアーナさんとジェラートを買いに行くの」

「ジェラート? でももう夜遅い時間だよ?」

「この時間でも開いてるお店なんだって。凄く美味しいジェラートらしいよ」


 楽しみ、とアランが話す。

 それを聞いたロッカが「ジェラート……」と呟き、次いで背後で話を聞いていたヴィグに振り返った。この一瞬で意思の疎通ができたようで、ヴィグが無言で頷いて返す。

 そうして二人が揃えたように視線を向けるのは……、


 もちろん、ジャルダンこと零騎士団の必要経費承認係――通称お財布様――である。


「今更ジェラート程度でどうこう言うわけないだろ。むしろそれ食って大人しく帰ってくれるなら自腹切ってもいいぐらいだ」


 ジャルダンの口調はもはや達観の域である。

 それを聞いたロッカがパァっと表情を明るくさせてフィアーナを呼んだ。


「図書館のお姉さん! 僕達もジェラート食べに行って良い? お店に連れていって!」

「えぇ良いわよ。とっても美味しいジェラートなの、ロッカちゃんもきっと気に入るわ」


 飛び跳ねかねない勢いで「行こう!行こう!」とロッカが急かす。その姿は獣王というよりは元気の良い子犬だ。

 そんな子犬に促されてフィアーナが苦笑交じりに歩き出す。

 その後をヴィグと、なんだかんだ言いつつ自分もジェラートを食べる気になっているジャルダンが追う。

 アランも彼等に着いていこうとし、だが歩き出すやぐいと腕を掴まれた。


 デルドアだ。どういうわけか彼は眉間に皺を寄せて難しい顔をしている。風呂上がりの爽快感とは真逆の表情ではないか。

 男湯の出入り口から出てきた時は普段通りだったのに……。とアランの中で疑問が浮かぶ。合流し、隣に立ってから、思い返せば彼は一言も発していない。


「どうしました、デルドアさん。大きいお風呂は気に入りませんでしたか?」

「いや、大きい風呂は良かった。気に入った。……だけど」

「だけど?」


 何ですか? とアランが先を促す。

 だがデルドアは返事をすることなく、その代わりにとぐいと顔を寄せてきた。

 急な接近にアランの体がビクリと跳ねる。

 もちろん嫌なわけではない。それでも険しい表情で顔を寄せられ、キスをしそうなほどの距離でじっと見つめられては緊張してしまう。


「……デルドアさん?」

「魔物とはいえ、俺の嗅覚は人間並みだ」

「嗅覚? 確かに以前にそう言ってましたね。せいぜい鼻が利く人間と同程度でしたっけ」

「あぁ、だから普段は気にならないが、さすがに今は……」


 何かを言い淀み、かと思えば今度は見つめるどころかぐいと腰に手を回してきた。

 そのまま抱き寄せ、それどころか抱き上げてくる。恋愛めいた抱擁というよりはまるで子供を抱きかかえるかのようで、あれよと言う間に視点が高くなってアランはパチンと目を瞬かせた。


 抱き上げられた。

 それは分かる。

 だけどどうして抱き上げられたのか分からない。

 嗅覚の話はどうなった?


 そんな疑問が次から次へと浮かぶが、対してデルドアは抱き上げたアランの頬やら額やらにキスをしてくる。そうして最後に唇に軽くキスをすると、何かに満足したのか「よし」と納得して歩き出してしまった。

 先を行くフィアーナ達を追うように。アランを降ろすことなく抱えたまま。

 抱き上げられたかと思えばキスをされ運ばれて、アランには疑問しかない。


「デルドアさん、どうしたんですか?」

「どうもこうも、間近で他の男と同じ匂いをされたら誰だって嫌だろう」


 はっきりと告げてくるデルドアに、彼に抱えられたままのアランは再びパチンと瞬きをした。

 匂いとは多分ロッカから借りた石鹸の香りのことだろう。彼から借りたのだから同じ匂いがして当然だ。そもそも石鹸の貸し借りのやりとりはデルドアも目の当たりにしている。だけどそれが分かっていても嫌なのだという。


「だが俺の匂いをつけたからもう平気だ」


 そう得意げにデルドアが話す。

 といっても彼だって風呂上がりで、ふわりと漂ってくるのは種類こそ違うが石鹸の香りだ。こうやって密着していてもアランに着くのは彼の匂いというよりはやはり石鹸の香りだろう。

 それでも満足したと言いたげなデルドアにアランは小さく笑みを浮かべ、彼の首元にぎゅうと抱き着いてぐりぐりと頭をくっつけて匂いを移し合った。



 ……end……




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― 新着の感想 ―
[良い点] えっ…甘ッ…!えっ、アランお外で知り合いもいる中でソレ享受しちゃってるの…!?いろんな感覚が麻痺してないっすか! [一言] よかった…虚な目をした何らかのでっかい白いのがどざーん!と石鹸持…
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