短編8(後)
あの日以降、魔物二人は頻繁に詰め所に顔を出すようになった。
最初こそ一応の礼儀として手土産を持って来たり時間はあるかと確認していたものの、次第にそれすらも無くなってくる。買い物袋片手に「食い物買ってきたぞ、お前達も食うだろ」と入って来たかと思えば、「暇だよー! ねぇねぇ構ってー!!」と飛び込んでくる。まさに我が物顔だ。
聖騎士の詰め所に魔物が居つくのはどうなんだろう、とアランとヴィグは思いつつ、彼等がくるとお茶を出し雑談を交わすようになっていた。
◆◆◆
今日も彼等はこれといって用事がないのに詰め所を訪れ、相変わらず我が物顔である。
アランとヴィグもお茶を出し、そして手土産をご馳走になる。今日の手土産はタルトで、アランが箱を覗き込みながらどれにしようかと眉根を寄せた。
悩ましい……。いや、悩むべき問題は別にあるのだが、その悩むべき問題の片割れが今まさにアランと一緒に箱を覗いているのだ。
「アランちゃん、どれにする? 僕チョコレートとベリーで悩んでるの」
「私はアップルタルトとチーズかな」
「そっか……。ねぇ、二人で協力して、デルドアとヴィグさんを倒さない? そうしたら僕達二人でタルトを二個ずつ食べられるよ」
「なんて恐ろしい発想……! この魔物、外見の性別詐欺では飽き足らずひとを惑わせるなんて……。これが魔物の誘惑!」
「性別詐欺なんてしてないよ! でも僕の提案には惑わされてるんだね!?」
やっちゃう? とロッカに誘われ、アランはしばらく考え……ふるふると首を横に振った。
聖騎士として、魔物の誘惑に引っかかるわけにはいかない。
というか、ヴィグもデルドアもばっちりと今の会話を聞いているのだ。チラとアランが横目で視線をやれば、ヴィグは苦笑交じりに肩を竦め、デルドアに至っては「お、やるのか?」と煽るように笑ってくる。
いくらタルトのためとは言え、彼等を倒すなんて出来ない……。
そうアランはロッカに悲痛な声で告げ、チーズタルトを箱から取り出すと手元の皿に移した。
これでよかったのだ、と自分に言い聞かせる。……わざとらしく。
それを見たデルドアがクツクツと笑い、アップルタルトを自分の皿に取ると、手早くフォークで半分に割って片方をアランの皿へと移した。
アランがパッと表情を明るくさせる。次いで彼に倣って自らもチーズタルトを割って彼の皿へと寄せた。
これで晴れてチーズタルトとアップルタルトを堪能できる。
「平和的解決ですね! これこそ騎士がとるべき道です!」
「はいはい、そうだな」
「ヴィグさん! ヴィグさん!!」
「分かった分かった、俺のも半分あげるから」
アランとデルドアのやりとりを見て、ロッカがヴィグをせっつく。
そうして彼等の交換も終わり、さぁ食べようとなり……、
ドンッ!!
と扉を叩く大きな音が詰め所内に響いた。
続いて二度鳴り、今度は蹴ったのか低めの音が連続する。ボロ小屋の扉がこれに耐えられるわけがなく、蹴られるたびに扉が軋む。
そうして数人の嘲笑う声が聞こえ、それがゆっくりと小さくなっていった。
何が起こったのかなど確認するまでもない。
数人がこの詰め所を訪れ、乱暴に扉を叩き、蹴り、そして嘲笑いながら立ち去っていったのだ。
アランが顔を伏せ、ヴィグは悔しそうに扉を睨みつける。
「またか」
とは、タルトを食べながら扉を眺めるデルドア。
「毎日よくやるもんだ。騎士ってのはそんなに暇なのか?」
「いや、やつらも任務や訓練で忙しいはずだ。ただあれは……まぁ、気晴らしと流行りの遊びみたいなもんだろ」
ここ最近騎士達の中で、聖騎士団の詰め所の扉を叩いて冷やかす遊びが流行っているらしい。
そう、先程のは騎士達の遊びなのだ。彼等に明確な恨みや怒りがあるわけではない。その場のノリと職務の気晴らしに、扉を叩き中の聖騎士を嘲笑って気晴らしをしているだけ。
なんて悪趣味なのだろうか。それも、この悪趣味を好むのが一人や二人ではないのだから参ってしまう。
扉が壊れる前に飽きてくれれば良いんだけど、とヴィグが溜息交じりに呟いた。
「止めさせないのか?」
「そりゃ文句は言ったし、上にも報告はしてる。……だけど俺達が何を言ったところで変わるわけがない」
諦めきった表情でヴィグが話し、次いで「さぁ食べようか」と無理に明るい声を出した。アランもそれに倣い、先程の一件が無かったかのように取り繕ってフォークを手に取る。
不満も文句も今更だ。どうせしばらくすれば飽きて止めるのだから、それまで放っておけばいい。
実害は無いと考えれば楽な方である。……扉がもつかだけが気がかりだが。
そうアランとヴィグが話していると、不満そうな表情をしていたロッカがパッと顔を上げた。
動物のようにウーと低く唸り、扉を睨みつける。「また来た!」と訴えるあたり、こちらに歩いてくる足音か声でも聞きつけたのか。
「ロッカちゃん、気にしなくて大丈夫だからな。あいつらも詰め所に入ってくるわけじゃないし、すぐにどっか行くだろ」
「そうだよ。ちょっと騒いで去っていくだけだから。ほら、タルト食べよう」
ヴィグとアランがロッカを宥める。
だがロッカの唸りはいまだ止まず、まるでそこに敵がいるかのように眼光を鋭くさせている。誰もが美少女と勘違いする愛らしい風貌、だが嫌悪と怒りを露わにすると言い知れぬ迫力がある。
どうやらその怒りはタルトでは治まらないようで、「よし!」と可愛らしい声で気合を入れるとすくと立ち上がった。どういうわけか、デルドアもそれに続くではないか。
慌ててアランがデルドアの腕を掴んだ。
「だ、駄目ですよ。暴力は……!」
「暴力沙汰にはしないから安心しろ。ただこうも毎度騒がれると気分が悪いからな、少し驚かす程度にはやらせてもらう」
デルドアが右手で拳を作り、左手でそれを叩く。パンッと軽い音が響いた。当人は暴力沙汰にはしないと言っているが、まるで今から殴り合いに挑むかのようだ。
だがアランが案じつつ動向を窺っていると、彼は扉の前で立ち止まった。
出ていくのかと思いきやそうでもなく、ただじっと何かを待っている。
対してロッカはデルドアと一度目配せすると、窓の近くを陣取った。
いったい何をするつもりなのか、アランとヴィグが顔を見合わせる。
人の声が聞こえてきたのはちょうどその時だ。
声からするに男が三、四人はいるだろうか。思わずアランはびくりと肩を震わせ、ヴィグが表情を険しくさせた。
聖騎士団の詰め所は辺鄙なところにある。用が無ければ滅多なことでは人は来ない。……つまり、先程の遊びと腹いせをしに来たという事だ。
「本当にあいつら暇なのかもな」と皮肉交じりに告げるヴィグの声は普段より低い。
「デルドアさん、ロッカちゃん……」
「お前らはそこで見てろ。来るぞ、ロッカ」
「任せて!」
不安そうなアランに対して、デルドアとロッカはやる気に満ちている。
……のだが、彼等は詰め所から出る様子はない。デルドアは扉の前で拳を構え、ロッカは窓枠に身を潜めるだけだ。
二人の様子から何かしらやる気だとは分かるが、いったい何をやる気なのかは分からない。
そんな二人が構えているとは思いもしていないだろう、男達の声が大きくなってくる。
来た、とアランが小さく呟いた。ヴィグが隣に移動してくるのは有事の際にアランを庇うためか。
「団長……」
「とりあえず二人に好きにさせてみよう。何かあったら俺が割って入るから」
なぁ、とヴィグに諭され、アランも頷いて返した。
話し声が聞こえてくる。
どうやらだいぶ高揚しているようで、王宮の敷地内とは思えない笑い声だ。
それが詰め所の扉の前で止まる。
いつも通り、先程と同じように、屋内にいる聖騎士を驚かせ嘲笑うため乱暴に扉が叩かれる……、
その瞬間、デルドアがまるで扉の向こうにいる相手ごと殴るように、己の拳を扉に叩きつけた。
ドゴッ!
と豪快な音が響く。今までで一番の轟音とさえ言える音だ。扉が壊れかねない。
次いで聞こえてきたのは扉の向こうであがる悲鳴。一人が声を荒げて痛がり、周囲が戸惑っているのが分かる。
何があったのか……とアランが目を丸くさせていると、扉を殴りつけたデルドアがまるで一仕事終えたと言いたげに深く息を吐いた。そうして何事も無かったかのようにこちらに戻ってくるとソファに座る。
だがさすがに自分に注がれている視線に気付いたようで、アランがじっと見つめていると「ん?」と顔を上げた。
「な、何をしたんですか……?」
「何って、お前も見てただろ。扉を殴った。向こうが殴るのと同時にな」
平然と言ってのけ、デルドアがタルトを食べ始める。
対して扉の向こうではいまだ混乱の声が続いていた。扉を殴った人物は相当に手を痛めたようで、叫びこそしていないが呻き声はしている。
中にいる聖騎士を驚かせようとかなりの力で殴ったのだろう。本来であればボロ小屋の扉はそれを受けて軋む。
そこを反対側からデルドアが殴りつけたのだ。
それがどれだけの威力になるかはアランには分からないが、相当痛かっただろうことは聞こえてくる呻き声で分かる。
だがその呻きも次第に薄れ「行こうぜ」「あぁ……」と戸惑いながら話す声が聞こえてきた。
ようやく去っていくのか、とアランとヴィグが安堵し顔を見合せた。
次の瞬間……、
「いらっしゃいませ! 用件をどうぞ!!」
と勢いよく、ロッカが窓から飛び出していった。
その素早さと勢いと言ったらない。窓の向こうから、今度は驚愕の声が上がる。
慌ててアランが窓辺へと向かえば、立ち去ろうとしていた男達の前でロッカが仁王立ちしている何とも言えない光景が広がっていた。
「用件をどうぞ!!」
「な、なんだこの子……」
「用事があるからノックしたんだよね? 用事が無いとノックしないもんね! だから用件をどうぞ!!」
「いや、それは……用件は……」
「どんな用件かな? まさか何も用事が無くて会いに来たわけでもないのにドアを叩いたりしないよね! ドアをノックするのは『来ましたよ』ってことだもんね!!」
狼狽える男達を他所に、ロッカは用件を聞きだそうと矢継ぎ早に質問を投げる。
その合間合間に「訪問しないのに扉を叩くわけがないよね」だの「まさか扉を叩いただけじゃないよね」だのと挟み、男達を追い詰めるのだ。
とりわけロッカはまさに美少女といった外見をしており、瞳には純粋さを宿している。この瞳に見つめられ、まさか聖騎士への嫌がらせや腹いせとは言えまい。
男達のたじろぐ声に気まずそうな色が混ざり、「えっと」「それは……」とうまく言葉に出来ずにいる。顔が引きつってかなり気まずそうだ。
それに対してもロッカは追い打ちをかけており、可愛らしい声で「ねぇねぇ!」と急かしにかかった。容赦がない。
「よ、用事があったんだが……。その、忘れちゃったんだ」
「そうなの? それなら思い出すまでお茶でもしようよ! きっとすぐに思い出せるよ!」
「いや、それは……。お、俺達忙しいから、また思い出したら来るよ」
白々しい嘘をつき、男達がそそくさと去っていった。足早なあたりに居心地の悪さが窺える。
そのうちの一人が片手を押さえているのは、きっと扉を殴った張本人だ。いまだ痛みが残っているようだが、もちろんアランは同情する気もなく冷ややかな目で去っていく後ろ姿を見送った。
次いで視線をやるのは、男達の背中に対してベェと舌を出すロッカ。その様もまた可愛らしいが、先程の純粋でいて強引な言及を思い出せばただ可愛だけとは思えない。
「ロッカちゃん……」
「ねぇ、見た? あの情けなく逃げていく姿! あいつらが来るたびにやってやろう!」
キャッキャと楽しそうにロッカが笑う。
そのうえ次はああしようこうしようと提案を――それも割とえげつない提案を――してくるのだ。見た目と話す内容のギャップにアランがぱちぱちと瞬きをする。
だがロッカは自分のギャップなど気付きもせず、詰め所内に戻ってくるといそいそとソファに座った。嬉しそうにフォークを手にするあたり、既に思考はタルトに切り替わっているようだ。
「まったく、用事もないのにドアを叩くなんて失礼だよね。ねぇ、デルドアもそう思うでしょ?」
「まったくだ。人間の騎士のくせに人間のマナーを破るなんて理解できない奴等だな」
「僕達は美味しいタルトを食べるっていう崇高で尊い理由があるもんね!」
「あぁ、食に関する用事は何より優先すべきものだからな」
うんうんと二人が頷きつつ己を正当化しタルトを食べる。
そんな彼等と共にテーブルに着き、アランとヴィグは「まったくですね」「本当だよな」と同意をしながら自分達もまたタルトを食べ始めた。
聖騎士の詰め所に魔物が入りびたる事や、魔物が騎士を追い返した事。
そんな事はもはや気にもならなくなっていた。
憐れむでも蔑むでもない、一個人として接してくれる彼等との距離感は、暖かくそして心地良いのだ。
…end…