短編8(前)
守りたいと思える者が群にいて、守りたいと思ってくれる者も群にいる。そして居心地がよく過ごしやすい。
殆どの魔物にとって群に所属する理由はこれであり、そしてこれ以上の理由を知らずにいた。
人間と違い、血筋や情に縛られることなく、ましてや契約だの職務だのといった堅苦しいものにも囚われない。あるがまま、まさに自由だ。
デルドアが当時の群に所属していたのも上記の理由からである。
ゆえに、立ち寄った町を気に入りこの地に残ると言い出した時も、誰一人として引き留めることもなく送り出してくれた。
今生の別れになる可能性があるのは百も承知。それでも無用な引き留めや説得はせず、過度に別れを惜しむこともない。「元気で」「またな」と、それぐらいだ。
そうしてデルドアは離れていく群の仲間を見送り、ふと隣に視線をやった。
そこにいるのは、自分より頭一つどころか二つほど小さな魔物。もう仲間達の姿は見えなくなったというのにまだ大きく手を振っている。
ぶんぶんと大きく手をふるたびに、腰元の尻尾がぶんぶんと揺れる。
獣王の末裔ロッカだ。
曰く、彼もこの土地を気に入り残ることにしたのだという。
これもまたよくあることで難しく考えることではない。離れる者がいるなら見送り、自分が離れるならば見送られる。そうして偶然住まいを同じにする者がいるならば共に過ごすだけだ。
「みんな行っちゃったね」
「そうだな」
「それじゃご飯にしようか。なんか食べに行こうよ」
「俺は酒が飲みたい」
と、この程度である。
・・・・・・・
そうしてデルドアとロッカの生活が始まりしばらく。
街に買い物に出ていたロッカが「ただいま!」と勢いよく帰宅すると、興奮した様子で勢いそのままに話し出した。
「ねぇねぇ、お買い物してたら聞いたんだけど、この街に聖騎士さんがいるんだって! 聖騎士団だよ!!」
「聖騎士っていうと、昔魔物を倒したっていうあれか? 俺達の代どころか爺さんの代だって見たやつは居ないけどな」
「その聖騎士さんが王宮ってところでお仕事してるんだって! 挨拶に行こうよ!」
ぴょこんぴょこんとロッカが跳ねながら提案すれば、デルドアも頷いて立ち上がった。
他愛もない話をしつつ聖騎士団の詰め所があるという王宮へ向かう。
今日は敷地内で催事が行われており、正門は一般客用に開放されている。人の行き来は多く、おかげで魔物二人が堂々と門を通っても誰も呼び止めたりしない。
もっとも、開放されているとはいえ仮にも王宮。正門周辺では警備が目を光らせ、敷地内も騎士達が見回っている。不審な振る舞いをしたら直ぐに呼び止められただろう。
だが手土産の箱を片手に「お邪魔しまーす」「へぇ、こんな造りになってるのか」と通っていく二人はどこから見ても一般客でしかない。これを魔物の侵入と気付けという方が無理な話だ。
「わぁ、お祭りだ! 人がいっぱい!!」
「随分とにぎわってるな。これじゃ聖騎士を捜すのも難しいかも……」
難しいかもしれない、と言いかけ、デルドアが足を止めた。それとほぼ同時にロッカも立ち止まる。
二人の視線が向かうのは、王宮内の賑わいから外れた一角。まるでそこだけ忘れ去られたように人気が無く、他は華やかに賑わっているというのに、そこから続く道だけ鬱蒼とした影が掛かっている。
この先には何もない、そう誰もが漂う空気から感じ取れるだろう。
現に誰一人として寄り付こうとせず、それどころか見もしない。
……だけど。
「行こう」
そう、二人ほぼ同時に口にし、相手の返事を聞く前に既に歩きだしていた。
・・・・・・・
場所は変わり、聖騎士団詰め所。
風にのって聞こえてくる楽しそうな声を聞きつつ、アランは机の上の書類を忌々しいと睨みつけていた。
書類は今まさに行われている催事のものだ。面倒な卓上仕事を押し付けられ、そのうえ事前準備もやらされ、それでいて催事本番には詰所待機と書類仕事を言い渡された。もちろん『詰所待機』という名の除け者である。
華やかな催事に聖騎士がいては盛り下がるのだろう。
聞こえてくる声がまるで自分達を嘲笑っているようでなんとも不快。今更な話でもあるが、それもまた腹立たしい。
「催事なんて失敗しちゃえばいいのに。ねぇ団長」
「おいアラン、国の催事なんだから失敗なんて縁起の悪いことを言うな。せいぜい、メインの出し物がすべって白けた空気の中でお開きになり、今後開催するたびに今日のことを思い出して微妙な気持ちになればいい。ぐらいにしておけ」
「団長の方がたち悪くありません?」
それってどうなの? とアランがヴィグへと視線を向ける。
彼はソファにだらしなく座っており、アランの問いかけの視線に対してもふわと欠伸を漏らすだけだ。しばらく放っておけば眠るだろう。
詰所待機の最中に昼寝とは不真面目にも程があるが、もとより除け者にするための待機命令だ。蚊帳の外にされる辛さを味わい続けるくらいなら、いっそ眠ってしまっても良いかもしれない。
自分も昼寝しようか、そう考え、アランは椅子から立ち上がり……。
「こんにちはー!」
「誰かいるかー?」
という呑気な声にぎょっとして扉へと視線を向けた。
王宮内にある騎士の詰所とはいえ、ここは『聖騎士の詰所』だ。他の騎士隊のものとはわけがちがい、立地も、建物の作りも、纏う空気も、何から何まで違いまるで別物。言ってしまえば辺鄙な立地のボロ小屋である。
ゆえにこの場所を訪れる者は少ない。居ても仕事を押し付けてくるか、もしくは暇な騎士達が嘲笑いに来るかだ。
とりわけ今は催事の真っただ中なのだから、寄り付く人などいるわけがない。
どうして楽しく晴れやかな催事をよそに、辛気臭く縁起悪い聖騎士に会いに来るというのか。冷やかすより放って楽しんだ方が良い、そう誰だって考えるはずだ。
だけど、今たしかに声が聞こえてきた。それも詰め所を訪問する声。
アランとヴィグが顔を見合わせた。妙な緊張が二人の間に漂う。
「あ、えっと……待たせちゃいけませんね。私が出ます」
「いや、俺が出る」
何かあったらと考えたのか、先程までだらしなく座っていたヴィグが険しい顔つきで立ち上がった。警戒の表情で扉へと向かい、ゆっくりとドアノブに手を掛ける。
古く手入れのされていない詰所のドアノブがギィとさび付いた音をあげ、それがまたアランの緊張を増させた。心臓が鷲掴みにされたかのようだ。肌がピりつく。
そうしてゆっくりと開けられた扉の先に、大小の人影が見え……。
「あ、騎士さんだ。こんにちは!」
「ここも詰所なのか」
小柄な少女が場違いなほど明るい声をあげ、隣に立つ男が物珍しそうに周囲を見回す。
彼等の姿に、扉を開けたヴィグはもちろんアランまでもが目を丸くさせてしまった。
愛らしさと華やかさを漂わせる美少女と、ロングコートを棚引かせる涼やかで見目の良い青年。
身長差は頭三つ分ありそうなほど、まさに凹凸と言えるコンビだ。だがどちらも目を見張るほどに麗しい。
二人並ぶ姿は様になっており、揃いの赤い瞳が……。
「あ、赤い瞳……。ヴィグ団長、その二人は魔物です!」
「人型の魔物だと……!」
一瞬にしてアランとヴィグが警戒の姿勢を見せ、各々聖武器を手に取る。
だがそれに対して魔物と呼ばれた二人はと言えば、
「そうだよ! もっとよく見てくれて良いよ!」
「人型の魔物だ、どうだ、珍しいだろう!」
と、なぜか誇らしげに返してきた。
思わずヴィグとアランが目を丸くさせたのは言うまでもない。
なにせ、片や正体を暴いた聖騎士と、片や正体を暴かれた魔物なのだ。互いに睨み合い身構えるどころか、一触即発の張り詰めた空気になってもおかしくない。というかなるべきでだ。
だというのに得意げな魔物二人は堂々としたもので、それどころか誇るのに飽きたのか「お邪魔しまーす」「邪魔するぞ」と部屋に入ってきた。
彼等の前に立っていたヴィグが虚をつかれ「お、おぅ」とだけ返事をして入れてしまう。アランも同様、これに対処しきれるわけがない。
「あのね、美味しいケーキを買って来たんだよ。みんなで食べよう!」
「え、ケーキって……」
「あったかい紅茶が飲みたいなぁ」
「紅茶? 用意するの?」
「お砂糖もあると嬉しいなぁ」
遠まわしと見せかけて直接的に強請ってくる小柄な魔物に、アランが目を白黒させる。それでも「少々お待ちを……」と唖然としたまま流し場へと向かった。
背後から聞こえてくる「お構いなくー」という声は可愛らしいが白々しい。構って貰う気満々ではないか。
いったいどういうつもりなのか……とわけが分からないながらもアランが紅茶の手配をすれば、ヴィグもまた二人の魔物の様子を窺いつつ流し場へと来た。
怪訝な表情を浮かべ、「どう思う?」と聞いてくる。
「自分達で言っているので、人型の魔物で間違いなさそうですよね。わざわざ聖騎士団の詰め所に来たってことは……襲撃?」
「ケーキ片手にか?」
「……紅茶のリクエストまでされました。お砂糖も欲しいって」
「とりあえず敵意は無さそうだよな」
どうしたものか、と言いたげに二人が顔を見合わせる。
今まで人型の魔物など見たことがない。それどころか、せいぜい年に一度大量発生する虫型の魔物ぐらい。ゆえに、敵意のない人型の魔物を相手にどうすればいいのかさっぱり分からないのだ。
だが困惑していると「敵意なんてあるわけないだろ」と低い男の声が割って入ってきた。
アランとヴィグが驚いて振り返れば、流し場の入り口に立つ魔物の姿。背の高い青年の方だ。見目の良い顔をしているが瞳は赤い。
聞かれていた、とアランの胸に焦りが沸く。これでは自分達の方が敵意を隠しているかのようだ。
「あ、あの……」
「俺達魔物とお前達聖騎士が戦っていたのは何百年どころか千年も前の話だ。今更奇襲なんてするわけがないだろ」
「でも、それならどうしてここに……」
「そうは言っても互いに先祖が争いあった仲、今後のために挨拶の一つでもしておこうと思ってな。引っ越しの挨拶ってやつだ」
まるで正論を言っているかのように男が話す。
あまりに堂々とした態度と口調に、これにはアランもヴィグも顔を見合わせて「そういうものなのかも」と考えを覆されかけた。
なにせ聖騎士団。魔物相手どころか人間相手でも碌な関係を築けておらず、対人能力は皆無に等しい。
普通ならば手土産片手に挨拶をするものなのかも……と納得しかけてしまう。
だが次の瞬間、「ところで」と男が話を改めると、はたと我に返って警戒の姿勢を取った。
アランもヴィグも彼の堂々とした態度に絆されかけていたが、相手は魔物だ。突然前言撤回して襲ってくるかもしれない。
だが男はなおも堂々としたもので、
「手土産はケーキだから、フォークを四本くれ。あと取り皿も」
と、平然と言ってのけた。
アランが再び目を白黒させ、ヴィグが頬をひきつらせて「フォークって」と呆れの声を出した。
「俺は別にフォークも取り皿も無しで手掴みで食べても良いんだが、それをやるとあいつがうるさいんだ」
「……俺もたまにそれをやってアランに叱られる」
「おぉ、分かってくれるか。チマチマ食うより一気に食いたい時があるんだよな」
「そうそう。いつもじゃないんだが、たまにこうガッと食いつきたくなる時がある」
見目の良い二人の男が、それも片や騎士・片や魔物が、ケーキの食べ方談義で意気投合をする。
これにはアランもどうしたものかと考えていると、横からひょこともう一人の魔物が顔を出した。
思わずぎょっとしてしまうのは、魔物に接近を許してしまったからか、もしくは、間近で見ると輝いて見えるほど愛らしい顔をしているからか。だが愛らしいながらも不満をあらわにしており、ムゥと唇を尖らせている。
「骨付き肉じゃないんだから、ケーキの手掴み食べは反対! ケーキとはデコレーションを愛でて食べるものだよ! ねぇ、そう思うよね。……えっと、聖騎士ちゃん?」
コテンと小柄な魔物が首を傾げる。その仕草さえも愛らしい。
『聖騎士ちゃん』とはおかしな呼び方だが、アランの名前を分からないのだから仕方ない。――のかもしれない。よく分からなくなってきた―-
じっと見つめてくるのは名前を教えてくれと言っているのか。魔物特有の赤い瞳だが、大きくまるで宝石のような瞳だ。睫毛も長く、縁取るように目を囲みより印象的にしている。
そんな魅力あふれる、それでいて魔物らいし赤い瞳に見つめられ、アランは答えていいのか分からず指示を仰ぐようにヴィグを見た。
彼等は名前を知りたがっている。それは分かる。
だけど教えてしまって良いのだろうか?
なにせ相手は魔物、対してこちらは聖騎士。確かに千年も前の事とはいえ殺し合った仲。
なにより自分達こそが――自分達だけが、とも言える――その千年前を引きずり続けている存在なのだ。
だけど……。
「僕、ロッカ。好きなものは美味しいもの、嫌いなものは美味しくないもの!」
「俺はデルドア。食えるものならだいたい好きだな。あと酒も好きだ」
そう真っすぐに名乗られると、どうにも無下にできなくなる。
彼等の言葉に裏は無さそうだ。……たとえば、憐れんだり蔑んだり、ましてや嘲笑うような色もない。
ただ純粋に、これからの関係の為に名前を教えてくれたに過ぎない。
そしてそんな純粋な感情は、聖騎士二人には眩しすぎる。
「お、俺はヴィグ・ロブスワーク。俺達二人しかいないが、一応聖騎士団の団長だ」
「……アランです。アラン・コートレス」
アランとヴィグも彼等に倣って名前を告げる。よろしく、と続けられないのは、さすがに聖騎士という立場があるからだ。
だというのにロッカとデルドアはあっさりと「よろしく」と返し、はてにはケーキを食べようと椅子に座ってしまうではないか。
アランとヴィグが顔を見合わせ……、
「とりあえずケーキを食べるか」
「そうですね」
と、うんと頷き合って呼ばれるままに椅子に座った。