短編5
※活動報告にて掲載済のSSです。
「いやぁー、おやめになってぇー!」
という甲高い悲鳴に、森の中を歩いていたヴィグが驚いて顔を上げた。
なんとも悲鳴らしく若干わざとらしい気もしたが、それでも今の悲鳴は女性のものに違いない。森を根城にしている暴漢に襲われたか、もしくは野生の動物に遭遇したか、なんにせよか弱い女性が危機的状況に陥って出した声だ。
聖騎士ゆえに真っ当な仕事こそしていないがそれでも騎士であるヴィグがこれに立ち上がらないわけがなく、いつでも引き抜けるようにと腰に下げた剣に手を添え、声のした方向へと駆け出した。
そうして茂みを掻き分け声の出処へと辿り着き、自分の判断が全て間違いであったことを知る。
まず最初に、悲鳴の主は女性ではなかった。そしてか弱くもなければ、襲われてもいない。更に言えば剣に手を掛ける必要もなかった。
何から何まで間違いである。そもそも声の主は人間ですらなかったのだ。
「……ロッカちゃん、何してるんだ?」
そうヴィグが尋ねれば、裸の男を木に括りつけていたロッカがキラキラとした愛らしい笑顔で「虫取り!」と元気よく答え、次いで手にしていたバケツの中の液体を迷うことなく男にぶちまけた。
「強い虫さんに来てほしいの!」
そう興奮気味に話すロッカに、隣に座るヴィグがなるほどと頷いた。
目の前では裸にされた男が猿轡をかまされ木に括りつけられ、ぶちまけられた樹液に群がりはじめる虫のおぞましさにくぐもった悲鳴をあげている。なんとも酷い光景ではないか。
これは拷問に等しい……のだが、記憶の限りではこの男は以前に女性に暴行をしたとかで前科がついていたはずだ。ロッカを狙って再犯を企てた果てにこの有様と考えれば、もう少し放っておいても良いだろう。
「あのね、今日市街地の広場で虫相撲やってるんだよ!」
「あぁ知ってるよ。ポスター描いたの俺だもん」
「やっぱりヴィグさんだったかぁ」
「格好よく描けてただろ、あのクワガタ」
「あれクワガタだったんだね、今年はゴキブリの参戦が可能になったのかって皆で話し合ったんだよ。それでね、僕も参加しようとしてたんだけどね……」
言いかけ、ロッカがしゅんと項垂れる。
気落ちしたその表情にヴィグがいったいどうしたのかと問えば、ロッカが「クワガタさんがね……」と弱々しい声色で話しだした。元が愛らしく活発なだけに、その様子は見る者の胸を痛める。
思わずヴィグが案じるように顔を覗き込めば、キューンと高い音と共にロッカが赤い瞳を細めた。
「……クワガタさん、非暴力主義になっちゃったの」
「非暴力主義」
「争いは悲しみしか生まないって。争いの無い世界に行くって今朝飛んで行っちゃったの」
クワガタを思い出しているのか空を見上げるロッカに、ヴィグもまたつられて空を仰ぐ。
木々の隙間から青空が覗き、太陽の光が眩しいくらいに降り注いでくる。森の中といえど暑く、虫相撲大会の警備についているアランが倒れていないか心配になってくるほどだ。
だが今はクワガタが飛んでいった以降の話を聞こうと「それで?」と先を促した。
非暴力主義に転じたクワガタが去ってしまったことで虫相撲大会に出られなくなり、森で新しい相棒を捕まえようとしていた……それは分かる。だが分かったところで目の前でくぐもった悲鳴をあげて虫に集られている裸の男には繋がらないのだ。
「それでね、虫相撲が始まるまでに新しい虫さん見つけようと思ってたらね、この男の人が『良い事しよう』って×××××見せて襲い掛かってきたの。だから」
「だから?」
「ぶん投げて木に縛り付けた」
「相変わらず迷いがない……それじゃ、あの悲鳴は何だったんだ?」
「雰囲気作り!」
そう話すロッカの屈託のない笑顔にヴィグが頬を引きつらせる。
なんとも言えない自由さではないか。おまけに男に集る虫を眺めて「僕クワガタさん派なんだよねぇ」と選り好みしている。カブトムシの角を突っついて「ごめんね」と話しかければ、謝られたカブトムシがヴンと羽音をたてて飛んでいった。
その姿はまさに美少女である。虫を怖がらない活発な美少女……。もっとも、それも姿だけを見ればの話。あと、他に一切、例えば裸の男など欠片も視界に入らなければの話だ。
「そういえば、ヴィグさんはどうして森にいたの?お散歩?」
「『大事な物を森で無くしてしまったけれど魔物が出そうで怖くて探しに行けない』って依頼がはいった」
「なるほど。そして依頼の通り魔物が出たね、僕っていう魔物が。ところでその無くしたものって何?」
「白い貝殻の小さなイヤリングだって。ロッカちゃん、どっかで見なかった?」
「それはきっと熊さんが見つけてくれると思うよ」
だから大丈夫と言い切るロッカにヴィグが何の話だと首を傾げる。
だが次いで耳の真横をヴンと羽音が通り過ぎ視界の隅を何かが通り抜ければ、それどころじゃないと慌てて視線で追いかけた。
そうして、男のとある部分に張り付く勇ましい甲虫に目を丸くさせ……、
「いまだ! 挟み千切れ!」
というロッカの言葉に他人事とは言え青ざめ股間を押さえた。
「今日もその時のクワガタさんと出場するんだよ! 賞品はお菓子の詰め合わせだから、優勝したら皆で食べようね!」
「うん、頑張ってねロッカちゃん」
アランに鼓舞され、ロッカが威勢よくピョンと立ち上がって広場の中央へと向かう。
もちろん手にはクワガタを乗せて……。
「それで、そのあとな……あのクワガタが、そりゃもうギリギリと男のものを……」
「よせヴィグ、それ以上喋るな……!」
「あの光景の恐ろしさといったら……男は断末魔の悲鳴をあげて泡を吹き、それでもクワガタは挟む力を増して……!」
「やめろ、想像させるな!」
ヴィグとデルドアが顔色を青くさせ股座を押さえる。
そんな二人に対してアランは冷静なもので、いったい何をそんなに青ざめる必要があるのかと首を傾げていた。
目の前の虫相撲大会では今まさに小さな子供がクワガタに指を挟まれたと騒いでいるのだ。たとえ部分が違えど同じようなもの、だいの大人、それも騎士と魔物が想像しただけで青ざめるなんて大袈裟な……そう考えつつアランが水筒から注いだ紅茶を優雅に飲む。――この件に関しての差は仕方あるまい。聖騎士と言えどアランは女で挟まれる物がないのだ――
そうして一人涼しい顔をしたアランが「ロッカちゃん、頑張ってー!」と声援を送れば、審判が高らかにロッカの名と、
『キョセイテイオー』
というクワガタの名を呼び、それを聞いたヴィグとデルドアがくぐもった声をあげた。
…end…
※活動報告に掲載していた短編3話移行と新しい短編(前後編)を更新予定です。