短編4
細かな雪が降り注ぐ外の景色を、アランは窓辺に張り付きながら眺めていた。
昼頃からちらほらと雪が降り始め、夕刻を過ぎた今は地面が白く覆われてる。といっても大雪という程ではなく、人が行き来する場では舞い落ちる雪もたんなる水たまりと化している。
積もらずに終わる、きっとその程度だ。
だが寒いことには変わりはなく、きっと外に出たら一瞬で雪どころではなくなるだろう。
対して詰め所内は適温に保たれており、窓一枚を隔てて別世界のようではないか。
それを実感するようにアランが外の景色を眺めていると、「まだ降ってるのか」と暢気な声と共にヴィグが隣に並んだ。
彼を一度見上げ、次いで窓の外の景色へと再び視線を戻す。
「以前は寒くて耐えられなくて、勤務中だけど毎日酒場に逃げ込んでましたね」
「壁の隙間から雪が吹き込んできた時には凍死の可能性すら考えたもんな。凍死するぐらいなら職務怠慢で咎められた方がマシだ」
懐かしい、とアランとヴィグがほのぼのと話し合う。
それに対し、背後でケーキ用の皿を並べていたデルドアが呆れたと言いたげな表情を浮かべた。おおかた『懐かしがる話ではない』とでも言いたいのだろう。
台所からケーキ用のフォークを持ってきたロッカがキューンと切なげな声をあげている。
だがそんな周囲の反応に、アランはクルリと振り返ると同時に「過去は過去です!」と言い捨てた。
「今ではこの詰め所も冬でもこんなに暖かい! 我々零騎士団の功績が認められた証拠です!」
「認められたというか、俺とロッカが『詰め所の防寒対策をどうにかするか、騎士団を二つ失うか選べ』って脅しを掛けただけだがな」
「我々零騎士団は交渉も巧み!」
「はいはい、そうだな」
アランの必死なこじつけに、デルドアが肩を竦めつつ同意を示してくる。
ちなみにロッカとヴィグはと言えば「三人ほど蛇さんがパクッてしたけど交渉かな?」「溶かしてないなら交渉じゃないか?」と話している。
随分と物騒きわまりない話である。
だがそれでも防寒対策を得たのは事実。むしろ防寒どころか夏冬でも適温を保つ設備を得て、気候の変化を嫌というほど味わえていたかつての詰め所が嘘のようだ。――ちなみに、アランとヴィグは詰め所の寒さに耐えきれず毎日酒場に逃げ込んでいたが、それと同じ頻度でデルドアとロッカも酒場に居た。つまるところ普段通り四人で顔を突き合わせて酒を飲んでいたのだ――
そんなかつてを思い出しつつアランが外を眺めていると、雪景色の中こちらに向かって歩いてくる人影が見えた。
厚手のコートとマフラー、防寒はきっちりとされているが着膨れている様子はない。いざとなれば瞬時に動けるような俊敏さが伺え、コートが揺れるたびに腰から下げた剣の柄が覗く。
一目で騎士だと分かる。それがまっすぐに詰め所へと近付いてくる……。
「あれは……。ジャルダン様?」
「よし、ケーキだ。ロッカ、ケーキが届いたぞ」
「やったぁ! ケーキ、ケーキ!」
アランが口にした人物の名を聞くや、途端にデルドアとロッカが歓喜する。
ちなみに既に雪景色には飽きてソファでくつろいでいたヴィグはと言えば、露骨に喜びこそしないが「ケーキかぁ」と満更でもなさそうな声でいそいそと紅茶の準備に掛かり始めた。
「なるほど、どうりでデルドアさんとロッカちゃんが準備をするわりにはケーキが見当たらないと思った」
「ケーキを買ってこないと、枕の中身を全部弾丸に詰め替えてやると脅しておいた」
「威嚇するゴリラさんの横でケーキ食べたいなってお願いしたの」
「交渉。……いえ、それはもう脅しですね」
認めざるを得ない、とアランが肩を落とす。
それと同時に詰め所の扉が叩かれた。もちろんジャルダンであり、ノックが普段より強めなのは苛立ちからだろう。叩き壊してやりたいという気持ちがひしひしと伝わってくる。
せめて自分が対応しようとアランが扉へと向かった。恐る恐る扉を開け、その先に佇む人物に……正確に言うなら佇む人物から漂う怒気に慄いてしまう。
今この瞬間に斬り掛かってきてもおかしくないほどの怒気だ。ふるりと体が震えるのは外気の冷たさだけではないはず。
「こ、こんばんはジャルダン様、天気の悪い中わざわざ足を運んでいただき……」
「挨拶はいい。さっさと受け取れ」
唸るような低い声で告げ、ジャルダンが手にしていた箱を差し出してくる。
話の流れから中身を問う必要など無いだろう。見れば有名店のケーキで、もしやとアランが尋ねれば「二時間並んだ」という呻き声が返ってきた。
「あ、ありがとうございます。あの、お茶でもいかがですか?」
暖まりますよ……とアランが窺うように尋ねれば、ジャルダンが無言でじっと見つめ……。
「邪魔させてもらう」
と唸り声のように告げ、ズイと詰め所に入ってきた。
頭や肩に積もりかけていた雪がパサパサと床に落ちる。それほどまでに並んでいたのだから、体はそうとう冷え切っているだろう。いかに鍛え上げられた逞しい騎士といえども、寒さを感じないわけではない。
普通であれば帰路につく前に暖まりたいと思うのも当然……なのだが、ジャルダンの返答にアランは意外だと目を丸くさせた。
なにせここは零騎士団の詰め所。同じ騎士とはいえ、ジャルダンにとっては厄介極まりない者達の巣窟である。
とりわけ脅されケーキを調達させられているという屈辱的な状況、彼が自ら詰め所に入ってくるわけがないと思っていた。
「それほど寒かったんですか? それともケーキが食べたいとか? ケーキは切り分けますけど、チキンは全部食べちゃいました。あ、でもパンとシチューならありますよ。それとお酒……いえ、お酒なんてありません」
「詰め所に酒を持ち込むなと何度言えば……!」
アランの口から出た『酒』という単語に、ジャルダンの眼光が鋭くなる。
だが積もり積もった疲労と冷えが彼の怒気を削いだのか、盛大な溜息と共に肩を落とした。
「長居する気は無い。足が痛むから少し休ませてもらうだけだ」
「足?」
「……義足の付け根だ。こうも寒いとな」
さすがに堪える、と言い捨て、ジャルダンがソファに腰を下ろした。
左足をさするのは痛みを緩和させるためだろう。布越しゆえに見えはしないが、彼の左足は一部から下がなく、義足を填めている。
かつて魔物退治の最中に負傷し、そして失った足。
今では義足であっても以前と変わりなく行動が出来るようになったが、今日のような寒い日には義足との境目に痺れに似た痛みを覚えるという。
その話を聞き、詰め所内がシンと静まり返り……。
「ジャルダン様、このお酒持って帰ってください。これ私の秘蔵のお酒なんですが、温めて飲んでも美味しいんですよ。こっちのお酒も体が温まります」
「ジャルダン、この酒を持っていけ。度数は高いが寝る前に一杯飲むとよく眠れるんだ。あとこれも良いな、寝る前の一杯に最高だ」
「嫁さん・おっかない・スタルスさん、僕のお酒あげる! フルーツが入ってて美味しいんだよ! こっちは甘くてシュワシュワしてるお酒!」
「仕方ないな、この酒を持って帰れ。料理との相性が良い。それとこっちの酒もどんな食事にも合う」
そう口々にジャルダンへと酒を勧め、彼の鞄に勝手に瓶を詰めていく。
もちろん義足が痛む中でケーキを買わせてしまったことへの申し訳なさである。――日頃ちょっかいを掛けてこれでもかと困らせているデルドアとロッカでさえ、さすがに彼の義足に関しては思うところがあるのだ―
それに対してジャルダンはと言えば、次から次へと酒を差し出され、そのうえ勝手に鞄に詰められ……。
「お前ら、どれだけ詰め所に酒を持ち込んでるんだ!!」
と、怒鳴りつけると共にこれ以上話をする気もないと怒りも露わに詰め所を出ていった。
詰め所内が再びシンと静まり返る。
「ジャルダン様、怒って帰っちゃいましたね。まぁ鞄にこっそりお酒一本入れておいたんですけど」
「第一騎士団の詰め所には酒が無いんだろうな。あと俺も鞄に酒一本入れた」
「雪道は危ないから、ホッキョクウサギさんに着いていってもらったよ。あと僕も鞄にお酒入れといた!」
「せっかくだしケーキを食おう。余談だがもちろん俺も鞄に酒を入れた」
各々ジャルダンの鞄に酒を忍ばせたことを話しつつ、ケーキへと向かう。
自分もその一人でありながらもアランはジャルダンの荷物の量を思い、せめて自分だけはパンにしてやればよかった……と心の中で思った。
もっとも、思ったのは一瞬で、すぐさま「私イチゴの部分!」とケーキ領土問題に意識を切り替えてしまったのだが。
――ちなみに詰め所でケーキ領土問題が勃発している最中、帰路につくジャルダンはと言えば、鞄の中でガチャガチャと瓶がぶつかる音を聞きながら「お前のそのバランスは合ってるのか? 本当にその体と足の配分で正解なのか?」とホッキョクウサギに問いかけながら歩いていた――
そうしてしばらくケーキを堪能し……、
「お酒が足りません……」
と、アランがポツリと呟いた。自分が好む甘い酒が無くなってしまったのだ。
ヴィグとデルドアが「ジュースで良いだろ」と告げてくるが、これには失礼なと酔いの回った口調で文句を訴える。
確かに甘くてジュースのような酒が好きだが、かといってジュースとは違うのだ。そこを一緒にされるのは心外である。
このアランの訴えに対して、同様に甘い酒を飲んでいたロッカが「だよねぇ」と同意を示した。
「甘いお酒には甘いお酒の良いところがあるの! それが分からないデルドアとヴィグさんはまだまだ子どもだね! ねぇアランちゃん!」
「ロッカちゃんの言う通り! 甘いお酒の良さを分かってこそ大人!」
ロッカの言い分に、アランが力強く同意を示す。
それに対してデルドアとヴィグはまるで子供の言い分を聞くように鼻で笑い、見せつけるように度数が高く辛みの強い酒を飲もうとし……、
酒瓶からポトリと落ちた一滴に同時に顔を見合わせた。
「俺達の酒もなくなったぞ」
「飲み足りないな。……よし」
デルドアがニヤリと笑い、次いで立ち上がると壁に掛けていたコートを取ってバサリと羽織った。
「行くぞ。大人の酒の楽しみ方ってのを教えてやる」
コートの襟を整えつつデルドアが目を細めて笑む。彼の言わんとしていることを察し、ヴィグが続くように立ち上がると上着を羽織りだした。
そうして詰め所の出口に立つと、アランとロッカに視線を向けてくるのだ。それも二人とも余裕を感じさせるような笑みを浮かべながら。
デルドアもヴィグも見目がよく、だからこそ彼等の笑みは煽るかのような蠱惑的な色合いを感じさせる。これには思わずアランとロッカがガタと勢いよく立ち上がった。
「その挑戦、受けて立ちます! ねぇロッカちゃん!」
「甘いお酒連合の強さを見せてやる!」
「それなら、負けた方が今夜の酒代を持つ。どうだ? こっちは問題ないよな、ヴィグ」
「あぁ、悪いが勝負となれば本気を出させてもらう」
そう口々に挑発し合い、詰め所を出ていく。
向かうはもちろんいつもの大衆食堂である。
結局今年も、いつも通り四人で……。
変わった事と言えば、以前までは勝敗がつかず割勘になっていた酒代が、今は【零騎士団必要経費】として申請され、どこぞの第一騎士団団長を唸らせるようになったことぐらいか。
…end…