12
「だから俺は騎士団に入れるような器じゃないんだ!」
とは、あの戦いから数日、今日も今日とて変わらぬ詰所に響いたヴィグの声である。
いい加減にしてくれ、とでも言いたげに怒気を含んだその声に、対して向かいあう者達は聞く耳持たぬと彼に詰め寄った。
一卓のテーブルに対し、片やヴィグ一人、片や屈強な男が片手以上の人数。椅子に座って身を乗りだしたり、座るヴィグを逃がすまいと両側に立ったりと随分な迫りようである。
暑苦しい……とは、自分の机に座りその光景を眺めていたアラン。隣にはフィアーナが座っていて、優しく微笑む彼女とあのむさ苦しい集団の温度差と言ったらない。
ちなみに台所から出てくるロッカとデルドアは「お茶がはいったよー!」「湯呑が足りないからどうしても飲みたい奴はカップ持って来い」と相変わらず暢気なものである。おまけに二人揃ってムグムグと何かを租借しているのだから呆れてしまう。
そういえば台所にマフィンが置きっぱなしだった……とアランが内心で己の迂闊さを悔やむも今更何を言うでもなく、対してヴィグが自棄になったかのように彼らを睨みつけた。
「二人のせいだからな!」
と、その声のなんと恨みがましいことか。
だがそれでも向かい合う男達……各騎士団の団長や副団長と言った屈強な男達は懲りずにヴィグの名を呼び続けた。
そもそもなぜこのようなことになったのかと言えば、ヴィグの言う通りデルドアとロッカが原因である。
あの戦いでいかに二人の力が絶対的であるかを知った国が騎士団に迎え入れようとしたのだ。
だが元より衣食住が揃っていれば所属などどうでもいいと考えていた二人は――むしろロッカに至っては「僕は衣食住のうち食だけあればいいし、なんだったら自給自足できるよ」と言いのけた――その申し出に頷くでも拒否するでもなくと言った態度であった。
そのうえ、決断を迫られると「ヴィグさんと一緒のところがいい!」とロッカが言いだし、あろうことかデルドアまでもが同感と頷くのだ。一度決めたらそれ以外はないと言いたげな二人の態度に、ギルドに戻られたら堪ったものではないと国が躍起になり……その結果、今のこのヴィグ争奪戦である。
「ロッカちゃん!デルドアも! もうちょっと物事考えてから発言しろ!」
「考えたもーん、考えてヴィグさんと一緒が良いって思ったんだもーん! はい、アランちゃんと図書館のおねえさん、お茶どうぞ」
「俺達は騎士の規則だの規律だのなんだの知らんし守る気もないから、仲介が居たほうが動きやすいだろ」
「俺だって今更騎士の規則なんざ守る気ねぇよ!」
「おい」
考え直す気配のない二人にヴィグが喚く。
聖騎士団が廃止されようやく騎士見習いになれたというのにこの有様なのだ、混乱して取り乱すのも仕方ないだろう。
……そう、聖騎士団は廃止されたのだ。
そもそもが間違いだったというアランの訴えが通り、聖武器を持つ騎士もまた只の一人の騎士という考えに至った。
蘇った聖武器を持つ者も特別視されるでもなく、もちろん『聖騎士』も名乗らない。聖騎士団どころか聖騎士自体が廃止になったのだ。
アランもヴィグもその決定を心から喜んで聖武器を両家に返還し、アランに至っては騎士の称号も手放した。ゆえに今の二人は『詰所に通う令嬢と騎士見習い』である。
「アラン、貴女はそれでいいの?」
ヴィグ争奪戦を眺めながらフィアーナに問われ、アランが頷いて返した。
習慣で騎士の服こそ着ているが、これといって未練があるわけではない。全てやり終えて聖武器を父に返した時には晴れやかで誇らしげな気分だった。
それどころか、打ち直しに出している代替えの短剣が早く手元に戻ってこないかと楽しみにしているのだ。柄に細工も頼み、完成予想図はなかなかに豪華になった。ヴィグも同様に打ち直しと細工待ちであり、二人で楽しみだと話し合っている。
つまり二人の手元にもう聖武器は無く、アランは只の少女で――只の少女が対の短剣を持つのかと言われれば微妙なところだが――ヴィグは騎士というには劣る見習いでしかないのだ。……まぁ、ちょっと背後に絶対的な魔物が構えているが。
とにかく、だからこそ見習い程度の自分が騎士団には入れないと訴えるヴィグに、それでもと騎士団長達が食い下がる。
その中にジャルダンの姿を見つけ、アランが思わず肩を竦めた。
彼からしてみれば、ヴィグと魔物二人を第一騎士団に招き入れれば玩具にされるのは目に見えて明らか。だがその立場から声を掛けないわけにもいかない……と、そんなところなのだろう。
第一騎士団の団長からしてみれば、騎士団の勢力図をひっくり返しかねない戦力を他所にとられるわけにはいかない。かといって個人的な意見からは絶対に取りたくない……と、複雑どころかやる気のなさが漂っている。口ではヴィグに対し第一騎士団に入れと言いつつ、ロッカからお茶を貰って詰所の中をフラフラ見て回っているところが特にである。
……ちょっと怠慢すぎやしませんかね、とアランが机の引き出しからクッキーを取り出して彼に投げて渡した。
「ジャルダン様はともかく、他の騎士団の団長様達はだいぶ必死だね」
「そりゃ、彼等を迎えられれば騎士団の勢力図がひっくりかえるもの。騎士とは無縁の私達でさえどう動くか気になってるのよ。シャーリーなんて凄いじゃない」
「うん……毎日聞いてくる。昨日の夜はケーキ片手に迫ってきたし今朝は部屋の前にいた」
「あとで怒っておくわ」
と、そんな会話をフィアーナと交わす。まったくもって他人事である。
もっとも、ヴィグがかつて騎士になることを夢見ていたと知っているアランとしてはこの争奪戦は複雑なところだ。
その反面、やる気が糧になるデルドアとロッカがヴィグと同じ騎士団を望むのも分かる。どれだけ名誉な精鋭部隊に任命されたとしても、誰もが喜んで飛びつくような好条件を出されたとしても、彼等の気分が乗らなければ行動する理由にならないのだ。
それどころか、
「逆に言えば、ヴィグさんの居ない騎士団に入れられても全力でサボるよ! サボるなって怒られたらガブッてしちゃうかも!」
「というか、それなら俺達ギルドに戻った方が良いよな」
と、こうなる。
埒が明かない……とアランが手元の用紙にペンを走らせつつ溜息をつけば、サクサクとクッキーを食べていたロッカが「そうだ!」と声をあげた。
「ヴィグさんが騎士団を作ればいいんだよ!」
「……はい? ロッカちゃん、なにを?」
「そうしたらもちろん僕達も入るし、アランちゃんも入るよね!」
ね!と念を押すように言われ、アランがキョトンと目を丸くさせ……次いで彼の話を理解すると深く頷いて返した。
騎士に対する憧れも未練もなく、ヴィグのように騎士見習いにすらなれるとは思えない。そもそもなる気が無いのだ。
だがそれは聖騎士団が廃止されて各騎士団や見習いに配属されるからのことで、ヴィグが新たに騎士団を構えるというのであれば話は別。挙手しないわけがない。
だからこそ勿論だと返せば、ロッカが嬉しそうに飛び跳ねた。
「女の子の制服を作ろう! 騎士だけどとびっきり可愛いの!」
「制服?」
「あら、それ良いわね。スカートにフリルをつけて、二人で対になるカチューシャも作ったらどう?」
「フィアーナさんまで……」
「夏は銀ボタンで冬は金ボタンにしよう! カチューシャの飾りはお花がいいかな、リボンでも良いね!どっちが僕達に似合うかな!?」
「……この際ロッカちゃんが女の子の制服を着ること前提なのは何も言わないけど」
興奮するロッカに、なぜかフィアーナまで乗り気になる。それどころか二人でデザイナーがどうのと具体的な話までしだすのだ。
当人のアランだけがこのテンションに取り残されて「ヴィグ団長ぉ」と情けなくヴィグのもとへと避難した。
もっとも、今のヴィグにアランを庇う余裕などあるわけがない。ロッカ程はしゃぎはしないがデルドアも既に新たな騎士団を作る方向で心を決めているのだ。おまけに、
「騎士団っていうのは数に限りがあるのか? それなら俺が一つ二つ壊滅させてやる」
と物騒な発言でその場にいる各騎士団団長達を青ざめさせた。
「恐ろしいことをさらっと言うな。数の限りなんてあるわけないだろ」
「なら良いだろ。騎士団を作れば俺もロッカも喜んで入るし、他の団長とやらに何を命じられても従う気はないがお前なら別だ」
「そうだよヴィグさん、僕達で騎士団作ろうよ! 第一騎士団さんが一番強いなら、もっと強い僕たちは……零番! 一番より強い零騎士団!」
ピョコピョコと飛び回るロッカはまるで遊びに行く約束を強請る子供のよう、対してデルドアも「良い名前だな」と満更ではなさそうだ。
そんな二人に対してヴィグが溜息をつくと、自棄になったのか、
「とにかく全部検討! 俺とアランはこれから用事があるんだ!みんな解散!」
と声を荒らげて無理矢理その集まりを散らした。
そうして騎士団団長達やフィアーナさえも詰所から追い出される。
――去り際に告げられるフィアーナの「それじゃ、原稿用紙に書き終えたら一度見せてね」という言葉は、魔物との新しい関係を本にしようとしていたアランにとって何より頼もしい。……のだが、まるでそれと交換かのように「デザイナーは私とロッカちゃんで何人かあげておくから」という言葉は末恐ろしい――
ようやく静かになったとアランが一息つく。詰所に残ったのはアランとヴィグ、そしてデルドアとロッカ。
「当然のように残ったな」
「当然だろ」
煩いのが居なくなって清々したとでも言いたげなデルドアにヴィグが溜息をつく。
「まったく……なにが零騎士団だか」
「ねぇヴィグさん、作ろうよ。魔物も人間も関係ない僕達の騎士団」
ねぇねぇと腕を引っ張るロッカに、ヴィグが困ったような表情を浮かべる。それでも「作らない」と言い切らないのあたり、彼なりにそれも有りかと考えているのだろう。
それを眺めながらアランが苦笑を浮かべて鞄を手に取れば、出かける気配を察してかヴィグもまたそれに倣った。
そのまま四人で詰所を出て、歩くことしばらく。
別れ道に差し掛かりアランとヴィグが揃えたように足を止めた。
「それじゃアラン、夕飯のときな」
「はい」
そう告げて、とりわけ惜しむでもなく別々の道へと進む。
そうして歩き出したアランが不思議そうに隣を見上げたのは、当然のようにデルドアがついてきたからだ。振り返ってヴィグを見れば、彼の隣にはロッカの姿がある。
悟られていたか……とアランが内心でごちた。気付かれまいと気丈に振舞っていたが、ほんの少しの動揺と緊張を彼等は見逃さなかったのだろう。
「着いてきてくれるんですか?」
「乱入して攫った方が良いか?」
「流石にそこまでは……。玄関までで大丈夫です」
「ん」
相変わらず淡泊なその返しにアランが苦笑を浮かべた。
詰所を出るや心の隅に湧き上がり始めていた「着かなければいいのに」という臆病心が、そっくりそのまま「着かなければいいのに」と惚気に変わっていくのだ。存外に自分も軽薄ではないか、そんなことを考えつつ他愛もない会話を交わして歩けば、遠くに棘の城の巨大な屋根が見えた。
大きな扉は歴史と威厳を感じさせ、前に立つと自然と背を正してしまう。
コートレス家の扉。かつては当然のようにこの扉を開けて帰宅し、かつてはこの扉を潜ることが何より苦痛と恐怖だと考えていた。
そのどちらでもなくなった今はなんとも言い難い気持ちが胸を占め、聳え立つ扉を見上げればデルドアが名を呼んできた。
「アラン、お前が望むなら今すぐに攫ってやる」
「だ、大丈夫ですよ……」
臆していることを悟られ、アランが誤魔化すように唇を尖らせて返す。……が、次いで周囲に誰もいないことを確認すると彼の名を呼んでロングコートを掴んだ。
「アラン?」
「わ、私がこの扉を開けるには……糧が必要です」
真っ赤になって言い淀みつつ糧が欲しいと訴えるアランに、意図を察したデルドアが苦笑を浮かべて身を屈めてきた。銀色の髪がふわりと揺れる。
それを見たアランが瞳を閉じて待てば、唇に柔らかな暖かさが触れた。
愛しむようなその触れ合いがゆっくりと離れていき、そっと目を開ければ目の前には真っ赤な瞳。燃え盛るように赤い魔物の証。その色が、頬を撫でる手の動きが、体を甘く痺れさせる。
「大丈夫だ、お前はもうコートレス家の令嬢じゃない。俺のアラン、魔銃の魔物の番だ」
「……デルドアさん」
焦がれるように名前を呼べば、まるで今の言葉を口の中に押し込めるように深く口付けをされた。
安堵が全身を包み、溶けそうな熱が身体を包む。
「……大丈夫か?」
「はい、もう大丈夫です」
ジッと彼の瞳を見つめて返せば、デルドアが最後に念を押すようにポンと頭を叩いてきた。
そうして軽く片手を振ると「いざとなったらダイオウグソクムシを寄越せ」と残して去ってしまう。乱入の合図ということなのだろうか。
その背を見送り、アランは改めて扉へと向き直った。
ゆっくりと押し開く。
懐かしさと重苦しさを綯い交ぜにしたような言い難い感情を胸に抱きながら豪華な内装を眺めれば、一人のメイドがパタパタと駆け寄ってきた。
「おかえりなさいませ、アランお嬢様」
「お父様達は?」
「奥のお部屋に。皆様御揃いです」
恭しく頭を下げて促すメイドに連れられ屋敷の中を進む。
『アランお嬢様』とはおかしな響きではないか。だが父がそう手配してくれたのだろうと察し、アランが小さく笑みを零して歩いた。
そうして辿りついた先は、屋敷の中でも広く造りの良い部屋。
祝い事や大事な話し合いのある時に使われる部屋で、アランも何度かこの部屋で食事をとった覚えがある。窓から見える庭の景色が屋敷のどの部屋より美しい特別な日のための部屋、幼い頃はそう思っていた。だからこそ、その記憶が重く伸し掛かりアランが僅かにたじろいだ。
なんてことはない家族での昼食だ。
久方ぶりに帰宅する娘を迎えるためにこの部屋を使ったに過ぎない。
だから気負う必要はない……。
そう自分に言い聞かせるも緊張が足を重くさせる。粘土に両足を突っ込んだってもっと軽快に歩けることだろう。
いったい何を話せばいいのか、どうやって部屋の扉を開ければ良いのか……。アルネリアの時のように気兼ねなく入室することも出来ず、かといって聖騎 士の時のように無理強いされているわけでもない。
どうしていいのか分からなくなりアランが逃げ道を探すが、その両腕を左右から現れた人物が掴んできた。慌てて顔を上げれば、馴染みのある男女……。
「リコット……クロードまで」
アランが驚いたようにその名を呼ぶ。
だが二人がここにいること自体はさしておかしなことではない。リコットはコートレス家の娘で、クロードはその夫。コートレス家の昼食の場に居ても至って当然のことである。
だがどうして腕を……とアランが困惑の色を見せれば、嬉しそうにリコットが腕に抱き付いた。
「アランお姉様、お姉様が家族として話をしたい時には妹の私も一緒にお話しします」
「……リコット」
「アラン、君が騎士として話がしたいのなら俺が友として一緒に話をしよう」
「クロード……ありがとう、二人とも」
落ち着かせようとする二人の言葉にアランが頷いて返す。
そうして一度胸元に手をやると、服の下にある銃弾に触れた。堅い感触が布越しに伝う。
それを確かめアランが小さく笑むと、目の前の扉をそっと叩いた。
アランと別れたヴィグは市街地を歩いていた。
隣にはロッカ。彼は変わらぬ愛らしさと陽気さで歩いている。やれ零騎士団のロゴはどうの、女の子の制服はどうの……と、その様子に気遣っている色はなく、これもまた獣王の懐の深さなのかとヴィグが彼に視線を向けた。
「ロッカちゃん悪いな、付き合わせちゃって。ここまでで良いよ」
「大丈夫、役所までお届けしてあげる」
ニッコリと愛らしく微笑まれ、ヴィグが「かなわないな」と苦笑を浮かべて鞄に視線をやった。どれだけ重苦しい道程になるかと考えていたが、予期せぬ同行者のおかげで目の前の道が華やいで見える。……のだが、その道程の最中に転々と見える男の姿。
それらが総じて過去ロッカが骨抜きにしてきた男達であるのは言うまでもなく、うっとりとしたその視線や女々しく着いてくるあたり骨の返却率の悪さが窺える。
「ロッカちゃん、彼等は……」
「分かんない!」
「驚きの断言……」
「獣王たるもの、抜いた骨の数は数えないのだよ」
フフンと得意げなロッカにヴィグが溜息をつく。
彼の外観はまさに美少女そのもので、とりわけ骨抜きにしようと企むときは仕草までもが完璧な美少女のそれなのだ。
「しかし、ロッカちゃんが獣王の末裔ってもう皆知ってるはずだよな……」
ポツリと呟くヴィグの言葉に「ねぇー」と返すロッカはやはり美少女。その中身が勇ましく雄々しい獣の王だとはとうてい思えない。
果たして彼等はそれを知った上でそれでもいいと判断したのか、もしくは信じていないのか。どちらにせよ追ってくる男の数は徐々に増えて今では相当な数に達しているのだが、反してロッカは一瞥もくれてやらずにいた。骨抜きにした時のように愛想良くすることもなければ、手を振ることすらしてやらないのだ。
「……釣った魚には餌をあげない主義か」
恐ろしい、とヴィグがチラと後方の男達に視線を向ける。それにしたって釣りすぎである。
だがその言葉に対してもロッカは反省の色もなく後ろを振り返ることもせず、ニンマリと笑うと
「餌をあげたいお魚さんは釣ったりしないで両手で大事に掬い上げてあげるの」
とパチンとウィンクしてみせた。
それに対してヴィグが「お見逸れしました」とわざとらしく頭を下げる。
そんな話をしていると目的地である役所に辿り着いた。
日中の昼前というこの時間でも幾分混雑しており、書類を手にして出てくる者とこれから手続きであろう者が出入り口ですれ違う。
「ロッカちゃんはこの後どうするんだ?」
「いつもお世話になってる迷子預り所が大掃除するっていうからお手伝いするの!」
「えらいねぇ」
「責任感のある獣王は恩を忘れないのだよ。それにお手伝いしたらクッキーくれるって言ってた!」
クッキーが本命なのだろう、嬉しそうにロッカが笑う。
そうして去り際に「男手が足りないって言ってたよ」と告げるのは彼なりの「いつでもおいで」という意味である。
見透かされていたのだろう――なにせロッカは来た道を戻って行ったのだ――察してヴィグが苦笑と共にその背を見送った。
そうして意を決するように深く息を吐き、役所の中へと足を踏み入れる。
一部の窓口は人が込み合いあちこちで番号を呼ぶ声がする、まさに役所と言った光景。その一角である待合の場には長椅子が幾つか置かれており、そこに座る人物を見つけてヴィグが慌てて駆け寄った。
誰もがチラと横目で見やり、とりわけ窓口の者達が緊張の視線で見てくるのは、長椅子に座る人物がこんな時間にこの場にいるわけがないからだ。
普段であれば使いに来させるような人物、ロブスワーク家当主……ヴィグの父親である。
……今日までは。
「お待たせして申し訳ございません」
「いや、今来たところだ」
ヴィグが声をかけると応えるように悠然と立ち上がる。役所の安っぽい長椅子も彼がいるだけで風格があるように見えるのだから不思議なものだ。
周囲によりいっそうの緊張と小さなわざつきがあがるのは、二人の関係が只の父子ではないと誰もが知っているからである。聖騎士を押し付けるためだけに産み落とされた息子と、それを押し付けた父親……。
聖騎士が廃止されたからこそ二人の関係が今後どうなるのか分からず、向けられる視線に興味の色が混ざる。
そんな視線を注がれる中、二人が向かった先は一つの窓口……。
そこに立つ女性がキョトンと目を丸くさせ、次いで慌てて背を正すと深々と頭を下げた。
それを見てヴィグが鞄から封筒を取り出し書類を差し出せば、受付嬢の瞳が驚愕を隠しきれずに見開かれた。
周囲が何事かとざわつく。だが覗き込みたいがロブスワーク家の家名に臆しているのだろう、誰もが一定の距離を取って窺ってくるだけだ。中にはもどかしそうな表情を浮かべている者すらいる。
そんな野次馬に対し、ヴィグは小さく溜息をつくとあえて周囲に聞こえてるように、
「離縁状を書いてきた、受理してほしい」
と机の上のそれを受付嬢の方へと手で押すように滑らせた。
わざつきが一層強まり、中には顔を見合わせたり誰かに伝えるのか役所を出ていく者もいる。受付の向こうも役所らしくなく驚きの色を見せ、矢面に立たされている受付嬢が気まずそうに用紙を受け取った。
細かな記入事項、それら一つ一つをヴィグの字が埋めている。その末尾を飾るのはロブスワーク家当主の名と強く押された判。
それを確認する受付嬢を前に、ヴィグもまた視線を追うように用紙を眺めていった。
「本当に良いのか」と「迷いはないか」と、そう訴えるように記入事項は多く、ひどく手間のかかる書類だった。だがその一つ一つに対し迷いはないと答えるように埋めていったのだ。
時間は掛かったがおかげで不備は無かったのだろう、受付嬢が「確認いたしました」と告げた。そうして処理に回すため背後を通りかかった者に手渡す。境界線のように佇む机の向こうにいった書類はもうヴィグが手を伸ばしても届かない。
「本日付で正式に受理させて頂きます」
深々と頭を下げる受付嬢に対してヴィグが深く息を吐いたのは、彼女の言葉を聞いた瞬間今まで背負っていたものがなくなったかのような身軽さを覚えたからだ。そうして「よろしく」と一言告げて窓口を後にする。
終始なにも言わず沈黙を保っていたロブスワーク家当主もそれに倣い、ヴィグの隣に並んだ。
「……コートレス家の娘は」
「アランですか? アランなら今コートレス家の昼食に呼ばれてます」
「……そうか」
呟くように返される言葉に続くものはなく、喋りだした時こそ視線を向けていたヴィグも彼が再び沈黙すると視線を前方に戻した。
アランとヴィグは真逆の決断をした。
アランは再び家族としての仲を築こうと、今度はアルネリアではなくアランとして家族に戻ろうとした。そこにデルドアやロッカの『家族』に対する考えがあり、彼女は『コートレス家を出た娘』になろうと考えたのだ。
群が変わることで距離が出来る、今生の別れになることもある。だがそれでも見送るのが『家族』なのだ……と。
そこにかつてアルネリアとして受けた愛情があったからなのは言うまでもない。アランがあの時間を胸に抱いていたからこそ、それを踏まえて改めて家族に戻ろうと考えたのだ。
対してヴィグはロブスワーク家と縁を切ることに決めた。
生涯ついて回るであろう『生まれた理由』を全て断ち切ることにしたのだ。そこにもやはりデルドアやロッカの考えがあった。
所属にも拘らず家族にも固執しない、生まれた理由など背負いも考えもしないその自由さが、元より少ないヴィグのロブスワーク家の未練を断ち切らせた。
二人の選択はまさに真逆。
だがアランもヴィグも己の決断に迷いはなく、相手が選んだ選択に対しても否定することはなかった。
だからこそ、ヴィグは今頃コートレス家で食事をしているであろうアランを想いつつ晴れやかな気持ちでいられた。彼女にはかつてアルネリアだった時間がある、以前のようにとは言えないがそれでも修復できないことはないだろう。
そして自分も……。
「あの……もう少し時間を頂いてもよろしいでしょうか」
「構わないが、なにか他に手続でもあるのか?」
「いえ、その……昼時ですし、どこかで昼食でもと思いまして」
「……ヴィグ」
親子の縁を切ったその帰り際に昼食に誘ってくるのだ、ロブスワーク家当主が困惑するのも仕方ないだろう。
対してヴィグは晴れ晴れとした表情で彼を見た。聖騎士になってからは憎悪を視線に込めていたが、全てを捨てた今はもう彼に対して負の感情は無い。それも含めて全てあの離縁状に押し付けて断ち切ったのだ。
「ロブスワーク家の息子として生きるなら、俺は生涯貴方を許さない。だけどもう捨てました、貴方も家族も……。もう俺はロブスワーク家じゃない」
「あぁ、そうだな……」
「だから今の俺は一人の騎士見習いです。そうして考えてみると、やっぱり俺は貴方みたいな騎士になりたい」
照れ臭そうにヴィグが話す。
騎士見習いが騎士の名家の当主に憧れることはそう珍しいことでもない。だからこそヴィグの言葉を受けてロブスワーク家当主は瞳を細めると「行きつけの店がある」と歩き出した。
そんな二人の決断から更に数日。
「出来ちゃうもんだなぁ……騎士団」
そうヴィグが圧倒されるように呟いたのは、先日検討にしたはずの騎士団の話がトントン拍子どころではない速さで進み、今日をもって正式に零騎士団設立となったからだ。
一週間も無いその速さにヴィグは勿論アランでさえも肩を竦める。ちなみにアランが着ているのは青と白を基調とした騎士の服……をベースにした可愛らしい女子制服。さすが有名デザイナーの仕立てだけあってセンス良く、スカートのフリルと胸元のボタンが愛らしさと格調高さを感じさせる。この制服も異例の速さで完成され、アランとヴィグを唖然とさせる要因の一つとなった。
それほどまでに国はデルドアとロッカを手放すまいと必死だったようだ。
ちなみに「僕達だけで騎士団できるもん!」と言いだしたロッカにより、各騎士団から選びぬかれた騎士と魔物二人の試合が行われたのもトントン拍子に拍車をかけた。
片や精鋭集団、片やプニプニの肉球つきの猫グローブをはめたロッカと塗料入りの水鉄砲を構えるデルドア。見た目こそ明らかにやる気のない後者がそれでも精鋭の騎士達を見事なまでに圧倒し完膚なきまでに倒したのだから、戦力確保に躍起になるのも仕方ない。
死屍とはいかないが動けず地に伏せる騎士達の中、汗一つかかず呼吸一つ乱さず「ねぇねぇ良いじゃん、零騎士団作っても良いじゃん」と肉球でジャルダンの頬をムニムニと揉みしだくロッカの姿は記憶に新しい。
――やたらとデルドアの水鉄砲に狙われ、果てにはこのロッカのムニムニ責めなのだ。観戦していたアランはジャルダンが魔物恐怖症になるのではと心配していた。助ける気は一切なかったが――
そんな一方的な試合の果てに新しく零騎士団を設立することが認められ、本日がまさに初稼働日である。
「どんなお仕事かな!」
とは、楽しみにしすぎて朝から耳と尻尾とヒゲが出っ放しのロッカ。勿論アランとお揃いの制服に身を包み、髪には対になるようにデザインされたカチューシャがはめられている。
おまけにブーツにポーチまで揃えられているのだから、これにはアランも呆れると同時にフィアーナの手腕に思わず目を見張った。一式袋に入れて渡された際には「上手く予算を掴めて豪華に出来たわ」とウィンク交じりに言っていたが、まさかここまでとは……。
と、そんなことを考えつつロッカと揃いの制服を見下ろせば、ポンと頭に手が乗った。見上げれば勿論デルドアの姿。
「可愛いな」
と、まるで自分のことのように嬉しそうに笑っている。騎士の服にロングコートという可笑しな組み合わせの彼は、それでも元々の見目の良さがあって恰好よく決まっている。見慣れた姿のようで、それでいてコートを脱ぐと精悍な騎士なのだ。
その姿にアランが見惚れていると、コホンとヴィグの咳払いが聞こえてきた。慌てて視線を彼に戻せば、まるで今から重大発表をすると言わんばかりに彼が三人に向き合うように正面に立った。
その姿はまさに部下に命じる団長である。部下が三人しかいないが。
「よし、それじゃ零騎士団の記念すべき初の任務だ」
「はーい!」
元気の良いロッカの返事にアランとデルドアも頷くことで続く。
そうして改めてヴィグが手にしていた書類を眺めた。初任務が書かれているのだろう、向かい合って立つアラン達からは内容が見えず、自然と彼に期待の視線が集まる。
そうしてヴィグが声高に……
「今日の任務は、明日から三日三晩行われる祝賀会の準備だ!」
と、発表した。どうやら勢いの良さで誤魔化そうとしたのだろう、対して三人が沈黙で返す。流石にこれはノリでは返せない。
そんな沈黙を破ったのは、ヴィグの隣に立って書類を覗き込んだロッカ。
「ひゃー! 僕とヴィグさんが調理担当になってる!お祝いの場でも食材を殺せと!?」
そんな彼の悲鳴混じりの言葉を皮切りに、アランとデルドアが続いて書類を覗いて声をあげた。
「私のこの『飾りつけ』ってなんですか!? これ私達の労いを兼ねての祝賀会じゃないんですか!?」
「仕方ないだろ! 今まで魔物絡みで仕事受けてたけど、それも無くなって何を基準に仕事を受ければ良いのか分からなかったんだ!」
「俺達の行く末が決まったようなもんだ。なんだこの付きまとう雑用感は」
「これは僕への挑戦と見た! ヴィグさん、一緒にパンを焼こう!僕の色気と食材殺しのどっちが勝つか、パンで勝負だ!」
わぁわぁと喚きあいつつ、それでも仕方ないと出発の準備を始める。
誰からともなく溜息をつくのは、聖騎士団から零騎士団になっても仕事内容に変化がないであろうことを察したからだ。前途多難どころではない。
それを改めて再認識し、アランが小さく溜息をつくと次いで深く息を吸い込み……
「これは騎士の仕事じゃありません!」
と、声を大にして訴えた。
これが零騎士団の仕事開始の合図である。
…『ふたりぼっちの聖騎士団』 end…
『ふたりぼっちの聖騎士団』これにて完結です。
最後までお付き合いいただきありがとうございました!