8
昔々、まだこの世界が混沌と絶望しかなかった時代。
終末の日を待つしかなかった人々を恐怖から救うべく現れたのが、聖武器を手にした『聖騎士団』である。
残された物語も文献もどれもそこから始まり、だからこそ誰もが『聖騎士団』を疑わずにいた。彼等は聖武器に選ばれた特別な存在であり、魔物に抗う唯一の武器である聖武器を掲げて戦う『そういうもの』だと信じていたのだ。
だがアランはそれを否定した。誰しもの記憶の始まりにある『昔々』の時点で既に間違いを起こしていたのだと訴えた。
その話に誰もが言葉も無いと唖然とし、動向を伺っていたのだろう話を聞いていた騎士達も、それどころか騎士ですらないギルドの者達でさえも言葉を失っている。それほどまでにアランの話は突拍子もないもので、そしてそう思うほどに彼らの中で『聖騎士団はそういうもの』という考えが根付いていた。
妙な静けさが漂い、その空気にアランが臆するように身を縮こませ「あくまで私の考えですけれど……」と付け足したのは、彼等の反応を受けて今更ながら自分の考えに自信がなくなってしまったのだ。
そうして逃げ道を探すように視線を彷徨わせるも、後ろに構えていたデルドアがそっと肩に手を置いてきた。暖かく大きな手が、逃げるのを手伝うでも背を押すでもなく肩を包み込むようにして暖かさを伝えてくる。
「デルドアさん……」
「アラン、俺はお前と一緒にいる」
「私の話を信じてくれるんですか?」
「信じるも何も、必ずそばにいるって言っただろ」
当然のことだと言いたげなデルドアの言葉にアランが小さく笑みを零した。彼がいてくれるだけで胸に安堵が沸き上がる。
そうしてデルドアの顔を見上げて一度小さく頷き……
「それはそれとして、どこまで私の話を理解できました?」
と尋ねた。
返ってきたのは、
「半分くらいだな」
というものだった。
しれっと言い切るデルドアに――「聖武器だの聖騎士団だの俺には関係ない」と言い切るこの潔さに――アランが苦笑を浮かべ、肩に乗せられた手に己の手を重ねた。
例え誰が信じてくれなくても彼は一緒に居てくれる。
「アランちゃん、僕も一緒だよ! 僕、お話の八割わからなくて夕飯のことばっか考えてたけど僕も一緒にいるよ! でも今はヴィグパパ止めるので忙しいから、あとでギュッてしようね!」
「……うん、パパをよろしく」
アランとデルドアの空気に何かを察したのだろう無言で拳を振り上げて構えるヴィグに、ロッカが楽しげにしがみつく。そんな彼の足をアデリーが引っ張り、アデリーの短い尻尾をイタチが咥えて引っ張り、イタチの尻尾をダイオウグソクムシが踏んで殿ではチンアナゴが揺れている。なんとも言えない光景である。
それを横目に眺めつつ、アランが改めて重鎮たちの輪へと向き直った。
『聖武器も聖騎士も関係ない、それでもそばにいる』
デルドアとロッカのこの答えこそ正解なのだと、千年前もこうあるべきだったのだと、そう告げるように見据える。そんなアランの意図を察したのか、面々の顔に困惑が浮かび始めた。
だがそれを破ったのは、
「僕はアラン嬢の考えに同意します!」
という威勢の良い声だった。
振り返れば一人の騎士がまるで名乗り出るかのように一歩前に進み出ている。目深に兜をかぶっているため顔は見えないが、それでも彼の視線はアランに向いているのが分かる。その佇まいに偽っている様子はなく、凛とした出で立ちにアランが眩いものを見るかのように数度瞬きを繰り返した。
蔑まれ続けた聖騎士の僻みと言われてもおかしくない話を、この名も知らぬ騎士は信じてくれたのだ。たった一人でもなんと心強いことか。
そうして名乗りをあげた騎士は周囲の視線を受けるなか、まるで自分の意思を強調するかのようにゆっくりと兜を外しはじめた。金の髪が揺れ、青い瞳が真っ直ぐ前を見る。凛々しさと勇ましさを感じさせる、まるで王子様のような騎士。その姿に誰もが唖然とし……、
「レリウス!?」
「レリウス様!?」
と、皆の気持ちを代弁してアランとジャルダンが声をあげた。
そう、レリウス・スタルスである。
騎士の称号を剥奪された彼がこの召集に名を連ねているわけがなく、だからこそこの場にいることが理解できない。だというのにレリウスは堂々としたもので「どうしてここにいる!」というジャルダンの怒声に気圧されることなく聖騎士二人に視線を向けた。
「レリウス様、どうしてここに……」
「貴方達に救われたこの命、ここが返す時だと思い着いてまいりました。スタルス家から除名されることも厭いません。兄上、どうか最後と思い弟の我儘を聞いてください」
「……レリウス」
彼の本気を感じ取ったのか
ジャルダンが僅かに考えを巡らせると「今更帰れとも言えないだろう」と彼なりに了承の言葉を返した。
それを聞いてレリウスが深々と頭を下げ、美しい金の髪を揺らす。そうしてゆっくりと顔を上げると、
「共に戦いましょう、僕の女神! いえ、戦乙女!」
と普段のテンションに戻った。
その瞬間のアランの声にならない悲鳴といったらない。あまりの甲高さに殆どの者が聞き取れず、ロッカをはじめとする白靄の獣達だけが耳を覆ったほどである。
だがそんなアランの悲鳴が止まったのは「俺も……!」とまるでレリウスに続くように声が上がったからだ。
見れば第一騎士団の中から一人……その姿を見てアランが小さく名を呼べば、応えるように駆け寄ってきた。
「クロード……」
「アラン、俺も君の考えを信じる。一緒に戦おう」
「でも、私の考えに確証はないし……」
「俺は以前アルネリアを助けられなかった。だからせめてアランと戦うことを許してほしい」
「……クロード、ありがとう」
彼からの真摯な言葉に胸打たれ、アランが顔を見上げ……そのままの流れで顔を背けた。
「その、ごめんね……うちの団長が」
「いや、気にしないでくれ大丈夫だ……」
「おいこら、コートレス家三女じゃ飽き足らずうちのアランにまで手を出そうってのか? 人間相手じゃ聖武器も関係ないからな? 俺の代替えナックルくらっとくか?」
いつのまにやらクロードの隣に詰め寄ったヴィグがナックルを嵌めた拳をクロードの脇腹にグリグリと押し付けているのだ。威嚇にしてもガラが悪すぎる。
更にはデルドアまでもがクロードの背後に立ち魔銃の銃口を後頭部に押し付けているのだから、これにはアランも表情を引きつらせるしかなかった。幸いクロードは背後のデルドアには気付いていないようだが、それでもあの赤い瞳はこれ以上なにかあれば容赦なく撃ちかねない瞳である。
慌ててアランが「大人気ない!」と二人を散らした。片や保護者、片や番としての威嚇なのは分かっているが、それでも見当違いな上に空気を読まなさすぎである。
そうして舌打ちしながらクロードを睨みつつ二人が離れるのを見届け――それにしたってガラが悪い――アランが深く溜息をつけば、それに対して苦笑を浮かべたクロードが今度はジャルダンへと視線を向けた。
「ジャルダン様、勝手な行動をとって申し訳ありません」
「いや、構わない。俺も続こう」
「……え?」
ジャルダンの言葉に、どういうことかとアランとクロードが顔を上げる。
そんな二人の視線に対してジャルダンは徐に騎士の誇りである長剣を引き抜くと、それをアランに向けて掲げた。まるで騎士が忠誠を誓うかのような姿にアランが呆然と彼を見る。
「お前に救われたこの命、ここで使わずにどこで使う」
「ジャルダン様……」
思わずアランの瞳に涙がたまる。ありがとうございます、と心からの感謝を告げれば、彼もまた小さく笑んで返してくれた。今まで聖騎士として向けられていた冷ややかな視線とは違う、その暖かく優しい微笑み。
それに対してアランもまた微笑んで返したのだが、
「お、番の尻にしかれてるの。お前も一緒に戦うか」
「ていうか、嫁さんおっかない人に限ってはここでアランちゃんを蔑ろにしたら家に帰れないもんね!」
と割って入ってきた空気クラッシャーズ――出身:自由の国――の空気を読まない発言により、ジャルダンの柔らかな微笑みが元の厳格な顔つきに……どころか、鬼の形相になってしまった。
重ね重ね台無しである。
「お前達は……! というかデルドア、お前さっき俺の名前を呼んでただろ!」
「そう怒るな。おいクロード・ラグダル、レリウス・スタルス、お前達は戦う意思のある奴を集めろ」
「わざとか!」
「アランちゃんの義弟さんと黒騎士の時の悪い人、一緒に頑張ろうね!」
「こっちは本気か!」
自由の国の住人達に対して喚くジャルダンをクロードが宥め、レリウスが兄の意外な一面に目を丸くさせる。
完璧に玩具にされてる……とアランが哀れみを感じつつジャルダンを眺めていれば、その肩を背後から叩かれた。振り返れば馴染みのある顔、大衆食堂の店長である。
「店長、来てくれたんですね」
「王立図書館の姉さんが必死でな。それにお前達やギルドの奴らに何かあったら商売あがったりだからよ」
クツクツと笑う店長の言葉にアランが小さく頷いて返す。彼の手にあるのは厨房にいつも掛けられている肉叩きであり、武器とも言えないその頼りなさに彼の覚悟が見える。
戦う力が無くても、それでも来てくれたのだ。余裕を見せようとしているのか笑みを浮かべているが、それだってどこかぎこちなく緊張を隠しきれていない。
「せめて武器を、剣かなにか……」
「いや、俺はこれでいい」
そう答えつつ店長が肉叩きでパンと掌を叩いた。使い慣れた物の方が良いのだろうか、重々しい鉄製の肉叩きは確かに鈍器として威力がありそうだ。大振りの叩きの部分には模様が彫り込まれており、普通の肉叩きと比べて少し形やデザインを違うあたり特注なのだろうといつも眺めていた。
そんなアランの考えを察したのか、まるで厨房にいるかのように店長が肉叩きを手元でクルリと回す。この場においては肉叩きというよりハンマーのようにも見えるが、見慣れたその姿と仕草にアランが「エプロンを持ってくればよかった」と冗談めいて返した。
そうして決意を新たに城の中を進む。アランの話を信じてくれたのかそれとも第一騎士団ジャルダンの判断に託したのか、もしくはここまで来たのならと自棄になったのか、そのどれかは定かではないが、それでも重鎮達や騎士達は戦う決意をして着いてきてくれる。
それが有難くもあり、反面プレッシャーでもある。そんな複雑な胸中に押し潰れまいとアランが深く息を吐くが、吸い込んだ空気の甘ったるさに口元を覆った。進むにつれ濃くなるこの匂いは道を違えていない証拠なのだが、それでも染み込みそうなほどの匂いは不快でしかない。
思わず眉間に皺が寄るが、次の瞬間にゾワリと背に走った悪寒に足を止めた。匂いどころではない、まるで氷で背を撫でられたような寒気。足元から恐怖が這い上がり、鼓動が落ち着きを無くす。
並ぶ扉の一つ、大広間に繋がっているのだろうか他より二回りほど大きいその扉から冷気が漂っている。
ヴィグも感じ取ったのか、額に汗を浮かべて表情を強張らせながら扉を睨みつけていた。
「ここか……」
そう呟かれたヴィグの言葉に、周囲の騎士達も互いに顔を見合わせ各々の腰にさした剣を引き抜いて構えだした。緊迫感が漂い、空気が張り詰める。自分の心臓の鼓動すらも煩く感じられるほど痺れそうな空気があたり一帯をしめ、アランが自分の胸元を掴んだ。
そんな空気のなか、
「猫さん、ちょっと中見てきて!」
とロッカが能天気な声をあげれば、白靄の猫がスルリと扉を抜けていく。それだけでも緊張感にヒビが入るというのに、猫が入り込んでしばらくすれば扉の下部にある隙間からヌッと白靄の猫の手が伸びてきたのだ。それも肉球を上に向けているあたり、扉の向こうで猫が引っくり返っていることが分かる。
「うん、やっぱりこの向こうで間違いないみたいだよ」
今更ながら真剣な表情を浮かべるロッカに、彼の隣にしゃがみこんで肉球を眺めていたデルドアが
「中の数はどれくらいだ?」
と肉球に尋ねた。
その瞬間、扉の隙間から伸びていた猫の手がクワッと開かれる。
「そうか、かなりの数が揃ってるんだな」
「ねぇねぇ猫さん、『亜種を総べるもの』さんはいる?それっぽいのいる?」
ロッカの問い掛けにクワッと指を開いていた猫の手が僅かに揺れ……今度はキュッと爪を出した。
「アランちゃん、ヴィグさん、やっぱりここに居るよ!」
「よし、さっさと片付けて飯食いにいくぞ」
そう意気込む二人に対して、一部始終を眺めていた者達はどう反応していいか分からず、ボロボロに崩れた緊迫感のなかでそれでも剣を握った。
この展開でさえ、二人の呼びかけに対し「頑張りましょう!」と気合を入れ、ましてや戻ってきた猫に対して「おつかれさん」と労いの声をかける聖騎士二人を
「こいつらも同類か……」
と冷ややかに眺めながら。