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フィアーナと別れ、デルドア達の家へと向かう。
城下街に人気が無く妙な静けさが漂っているのは騎士達の行動から住民達も何か勘付いたのだろうか。普段ならば人で賑わっているはずの街並みも今日に限っては点々としか人の姿がなく、それもどこか急いでいるように見える。
達しが出るにはまだ早すぎるが、それでもみんな薄々と気付いているのだ。
そんな城下街を抜けて、その先にある森を進む。
そうして辿り着いた一件の家は普段と違いシンと静まり返っていた。
周囲を包む空気が家主の不在を知らせている。いつもならば洗濯物が干してあったり屋根から煙が出ていたりと魔物の住処らしからぬ生活感が漂っているのに、今はそれも感じられず、転がり駆けまわって遊ぶ白靄の動物たちもない。
「遅かったか……」
ポツリと呟きつつ、ヴィグが家へと向かう。
ドアノブを回そうにもガチャリと音を立てて引っかかるのは鍵がかかっているからだ。だが玄関先に置かれた鉢植えの裏に隠されている予備の鍵を使えば容易に中に入れる。
以前にこの鍵の隠し場所を教えてもらった時、その安直さと不用心さを訴えたことがある。もっとも、訴える最中に言葉を濁らせ最終的に撤回までしてしまったのは、他でもなくここが魔銃の魔物と獣王の末裔の住処だからである。許可を得ぬものが忍び込めば最後、獣王の嗅覚で見つかるか魔銃で撃ち抜かれるかなのだ。
そんな絶対的な自信によりザル警備と化している家へと入れば、妙な静けさだけが迎えてくれた。
「いらっしゃーい!」と嬉しそうに駆け寄ってくるロッカの姿も、良い所に来たとニヤリと笑ってお茶を淹れさせようとするデルドアの姿もない。
あるのはたった一枚、テーブルの上に残された紙。
「招集状だ」
と、その紙を手にしたヴィグが呟く。
騎士達に限らずギルドも総出で亜種の発生源へと向かったようで、ならば特Sランクの彼等に要請がかからないわけがない。
「行きましょう、団長」
「あぁ、急いだほうが良いかもな」
そう互いに交わして家を出る。
だが正確な行き先は二人には分からず、後を追おうにも術がない。ロッカの嗅覚と獣達を頼りにしてきただけに、それが無理だと知ると不甲斐なさと焦燥感が募る。
聖武器を突っ返す際に場所だけでも聞いておけばよかった……そんな後悔の念も湧くが、今はそれを悔やんでいる場合ではない。誰かから聞き出すしかないと城下街へと戻ろうとし、ガサリと揺れる草の音に振り返った。そこに立つフレグルの姿にアランは小さく彼の名を呼び……そしてヴィグは見事な飛び蹴りを披露した。
「団長! 待って!」
というアランの声が響く。
もっとも、フレグルの姿を見るや駈け出したヴィグの反射神経には敵わず、アランの制止が響いた頃には既にヴィグはフレグルの胸ぐらを掴んでいた。そうしてアランの若干遅い声にピタリと動きを止め、彼は深く一度頷いて理解を示すや……フレグルを投げ飛ばし、追いかけて踏みつけた。
迷いのない動きである。
「なんだアラン、止めてくれるな」
「そういうことは止まってから言ってください。それより、どうしてフレグル様がここに?」
彼にとってこの土地は忌々しい記憶しか無く、こんな事態であってもなくても足を踏み入れたくない場所だろう。だからこそ理由があるはずだと問えば、それにかぶさるように、
「私が案内をさせたのです」
と愛らしい声が聞こえてきた。そこに居たのはメイドを従えた一人の令嬢。小柄で麗しく、まるで人形のような……
「ビアンカ様?」
そう、ビアンカ・スタルスである。
今まさに第一騎士団団長を勤める夫が魔物の発生源を討ちに行っているであろう中、どういうわけかその伴侶が魔物の住処を訪れている。
それが更に理解できないとアランが首を傾げつつもビアンカに近寄った。――ちなみにヴィグは未だフレグルを踏みつけているが、まぁ気にするまい。アランがヴィグを止めたのはフレグルが気絶してしまったら話を聞けないからであって、けして彼を案じたからではないのだ。ビアンカが話をしてくれるのであればフレグルは投げられようが踏まれようが構わない――
「ビアンカ様、どうしてここに?」
「フィアーナ様からここに居るだろうと聞きました。それで、これをお渡ししようと……」
そう話しながらビアンカが差し出すのは一通の封筒。いったい何だと疑問に思いつつ受け取り、折りたたまれた用紙を開きながら目を通し……アランが目を丸くさせた。
中に入っていたのは地図の写し。周囲一帯を描いたその地図の一点に書かれている×印……これは。
「夫は出撃の際は常にどこに行くかを私に書き残すようにしています。もちろん騎士の守秘義務もありますから、こうやって封筒に入れて私にだけ託すのです。私も夫に何か無い限り中を見ぬようにしておりました」
「ジャルダン様がそんなことを……」
「えぇ、以前に『妻に骨を拾いにも行かせないのですか』と告げたら計らうようにしてくださいました」
「わぁ揺るがない」
さぞや青ざめ、そして苦肉の策として地図を残すことにしたのだろう。その光景を想像すればジャルダンへの哀れみが増す……が、ついついニヤリと口角も上がってしまう。
そんな自分の頬をペチペチと叩きながら戻し、改めてビアンカに向き直った。
『騎士の守秘義務』と口にしてもなお彼女はこの封筒を差し出してくれたのだ。愛らしい瞳には迷いはなく、美しく宝石のような色合いの奥には己の決断を誇る強い意思が見える。
「ありがとうございます、ビアンカ様」
「数々の夫の無礼をお許しください。あの人は少し真っ直ぐすぎるんです」
そう苦笑を漏らすビアンカに、アランもまた笑んで返して封筒に視線を落とした。
「ここいらに出現地がある」と言っていたデルドアの話の通り、バツ印が描かれている場所はここからそう遠くもない。
討伐隊がどのような組織体制になっているかは定かではないが、騎士の行軍速度を考えれば一日で辿り着いてしまうかもしれない。先発隊だのと分割していれば尚更早いはずだ。
「アラン、急ぐぞ!」
最後に一度フレグルを踏みつけ、ヴィグが駆け出す。
アランもまたそれに倣い、ビアンカに一度頭を下げると走りだした。
「帰りたい」
とは、討伐隊の列の中にいながら白靄のライオンの上でグデンと寝転がるロッカ。そのやる気の無さと言ったらなく、フワフワと欠伸をするや果には「家でパンを焼いていたほうが良かった」と文句まで言い出すのだ。
その隣にはデルドア。ロッカに比べるとまだ自分で歩いているだけマシかもしれないが、アデリーを小脇に抱えて話しているあたり緊迫感は皆無である。
そんな二人から漂う場違い感は尋常ではなく、周りを歩く騎士達が露骨に視線をそらしている。隊列もなく好き勝手に進むギルドの猛者達ですら同様で、いかに血の気の多い男達と言えどこの場違いコンビにちょっかいをだす気にはならないらしい。
そんな言い得ぬ空気の中、白靄のイタチがスルスルと人間の足元をすり抜けてライオンに飛び乗った。スンスンと鼻先をロッカにくっつけるのはイタチ流の報告である。
「デルドアー、やっぱりアランちゃんとヴィグさん居ないみたいだよ」
「おかしいな、騎士の殆どが出撃するって聞いたし、亜種関係なんだから聖騎士は呼ばれてるはずだよな」
「ねぇー。二人がいると思ったから来たのに。これじゃやる気で出ないよ」
「というか、なんであいつらは……おっ」
ふとデルドアが騎士たちの中に覚えのある姿を見つけ足を早めた。
そうして規律のとれた騎士の隊列もお構いなしと割って入れば、ロッカもそれに続いてライオンを進ませる。「ちょっと通してねー」と、その声色こそ愛らしいが、ノシノシと太い四つ足で歩くライオンの姿は威圧感に近い迫力がある。流石の騎士達も足を止めて道を譲ったのは言うまでもない。
そうして覚えのある人物に近寄り、デルドアがさも知人に話しかけると言った風に片手を上げ……
「よぉ、そこの番の尻にしかれてるの。ちょっと聞きたいことがあるんだが」
と、遠慮なしに話しかけた。
その瞬間の相手の動きの速さと言ったらなく、片足が義足とは思えぬ身軽さで身を翻すと流れるような動きで長剣を引き抜いてデルドアの首筋に刃を向けた。
その速さ、無駄のない動き、さすがジャルダン・スタルスである。負傷し片足を失ってもなお揺るがぬ第一騎士団団長の称号は伊達ではない。
もっとも、刃を向けられているデルドアは臆するどころか驚く様子もなく「物騒だな」と安穏とした態度で返した。仮にも魔物、それも魔銃の魔物、いかにジャルダンの動きが常人には見きれぬものであったとしても、デルドアには避けようと思えば楽に避けられる程度のものなのだ。そして避けなかったのはジャルダンが本気で殺しにこないことが分かりきっていたからである。
もっとも、ジャルダンの引きつった表情とこめかみに浮いた青筋を見るに殺意は無くとも怒気は充分だが。
「なんだよ、番の尻にしかれてるの。失礼だな」
「どっちが失礼だ! 俺はジャルダンだ、ジャルダン・スタルス!」
「人間の名前はややっこしくて覚えにくい」
「貴様、俺の名前より長ったらしい呼び方してくれて……! それで、いったい何の用だ。さっさと話せ」
「アランとヴィグはどこだ」
単刀直入に尋ねるヴィグに、その隣ではライオンに乗ったロッカがキョロキョロと周囲を伺う。
そんな二人をジャルダンは一瞥し……小さく溜息をついた。「あいつらは居ない」という一言と共に。
その言葉にデルドアもロッカも目を丸くさせ、ライオンに体を預けていたロッカがひょいと身を乗り出してジャルダンの顔を覗きこんだ。
「アランちゃんとヴィグさん居ないの? 魔物の発生源を討伐するんでしょ、聖武器の使い所なのになんで聖騎士を呼ばないの?」
「……聖武器はある」
「……聖武器、は?」
キョトンとロッカの瞳が丸くなる。
だが次第にその瞳が赤味を増し、瞳孔が開かれる。グルル…と地を這うような低い音はまさに獣が怒気をあらわに威嚇をしている時の音だ。対してデルドアは静かに、まるで氷のように冷えきった口調で「そうか」とだけ返した。
周囲の空気を痺れさせるような怒気と声色を察してジャルダンが二人を宥めるのは、デルドアとロッカが本気で怒りに身を任せれば亜種の発生源どころではないからだ。騎士もギルドの戦士達も、すべて逃げようのない弾丸に撃ち抜かれ、白靄の獣に四肢を喰い千切られる。
それが分かっているからこそ、ジャルダンが慌てて二人を連れて隊列から離れた。といっても、例え第一騎士団の騎士達が今この瞬間から逃げに転じても誰一人として逃げ切れるわけがないのだが、それでもこの魔物達から部下を遠ざけようとするのは人間の性である。
「いいか、落ち着け。変なことを考えるな」
「変なことを考えてるのはそっちだろ。尽くアランとヴィグを虚仮にしやがって」
「コートレス家とロブスワーク家が決めたことだ、外野が口を挟める問題じゃない。それに、俺だって二人は同行するものだと思ってたんだ」
そう訴えるジャルダンをデルドアとロッカがジッと見据える。普段の、それこそ四人で間の抜けた会話をしている時とは比べ物にならず、それどころか同じ瞳だとは信じられぬほどに獰猛なその赤い視線に、それでもジャルダンが見つめて返す。
熱く冷ややか、目の前に銃口と獣の牙が突き付けられる。並の騎士であれば足が竦んで逃げることも出来なくなりそうなその威圧感を、それでも耐えぬいたのだから流石ジャルダンである。
もっとも、対峙する魔物二人が、
「いけすかない真似しやがって。これだから人間ってのは面倒くせぇ」
「ねぇー、本当に嫌になっちゃう!」
と一瞬にして怒気をおさめて普段の口調に戻る頃には、ジャルダンの額には滝のような冷や汗が伝っていた。
「と、とにかく……今は亜種の発生源だ。今回の両家の対応に文句があるなら、全て終わった後に俺が話し合いの場を設けてやる。だから今は亜種の討伐を考えろ」
「分かった。ところで、番の尻にしかれてるの。俺達やる気が出ないから帰って良いか?」
「まったく何一つ分かってないな……」
真顔で「帰りたい」と訴える魔物二人を前に、ジャルダンはアランとヴィグの不在を心の底から悔やんだ。
もちろんそれは戦力としてではなく『魔物の仲介役』という、ある意味で戦力よりも重要な役割としてである。