14
フレグルは王立研究所の代表である。謂わば国の知を支える第一人者。それを殴ったのであれば当然だがアランとヴィグには相応の処罰がくだされる……の、だが。
「ご、ごめんなさい。僕が、僕が悪いんです……」
と、ポロポロと大粒の涙を流しながら訴えるロッカに、寄り添っていたアランがそっと彼を抱きしめるように庇った。
「いえ、悪いのは私です。ロッカちゃんを守るためとはいえ、フレグル様を殴るなんて……」
言葉尻を弱め、アランが己の手を見下ろす。
そうして小刻みに震えるその手をギュッと握りしめ、
「人を殴るなんて……初めてでした……」
と漏らせば周囲からざわつきが上がった。今のアランはモノトーンの落ち着いたワンピースに質の良いジャケット、申し訳程度の髪飾りで雑に髪を纏め上げる……という、この場に合わせたいかにも哀れな少女らしい出で立ちなのだ。
それで弱々しく握った拳を震わせれば、誰の目にも『初めて人を殴ったことに恐怖する少女』と映ることだろう。――ちなみに、アランの言葉はけして嘘ではない。人を殴ったのは初めてである。なにせアランの腕力は並の少女程度でしか無く、ゆえに捨て身タックルを常にしている。だから殴ったことはない――
そんなアランの手を、ロッカの細くしなやかな手が覆う。怯えた美少女が寄り添い震える姿はなんとも言えぬ哀れみを誘い、青ざめた顔と震える声に同情しない者はいないだろう。
「僕が悪いんです。魔物なのに人間さんと仲良くしようと思ったから……だからその人が怒って……でも、僕、変な匂いを嗅がされて体が動けなくなって……凄く、怖くて……」
「悪いのは私、処罰するなら私を罰してください。フレグル様に危害をくわえたのは私です!」
互いを庇うように自分が悪いと訴えるアランとロッカに、場内がシンと静まる。傍聴席から聞こえてきた吐息は、哀れな少女達に対しての同情と、そして顔を腫れ上がらせ頭部に包帯を巻くフレグルへの非難の色を含んでいた。
話は数時間前に遡る。
あそこまで大体的に王立研究所代表を殴ったのだからと、アランもヴィグも処罰される覚悟でいた。というより、もはや開き直りの境地である。
「謝れって言われりゃ三回までは謝れるな。まぁ三回目はフレグルの野郎を踏みつけながらだけど」
「団長、それは二回までって言うんですよ」
と、そんな具合で裁判所内を歩く。二人の隣にはもちろん聖騎士同様に出廷を命じられたデルドアとロッカ。
彼等もまたこれといって緊張している様子はなく、それどころかロッカに至ってはクッキーを食べながらという余裕ぶりである。
「アランちゃん、僕達難しい話されてもよくわからないから、何かあったら『GO!』って言ってね」
「それは『GO!』しちゃったらどうなるのかな……」
おっかない……とアランがロッカに視線を向け……伸びてきた腕に絡め取られグイと強引に背後にある部屋へと引きずり込まれた。
それはもう抗う隙もないほど。そうして引きずり込まれた部屋で事態も理解できぬと目を丸くすれば……
「フィアーナさん?」
自分の腕を掴むのはフィアーナ。見れば他の三人も引きずり込まれたようで、シャーリーを始めとする見覚えのある顔触れが呆れたと言いたげな表情をして待ち構えていた。
ヴィグが一人の男に首根っこを掴まれつつ「なんでお前達がいるんだ?」と不思議そうにしているあたり、男性陣もまた寮の住人なのだろう。
「フィアーナ、貴女の読み通りこの子たちめちゃくちゃ血色良いわ」
「そりゃ、昨日は今日に備えて早く寝たし、朝ごはんも食べたし……」
「シャーリー、化粧道具を。他の子も手伝って。とりあえずアランとロッカちゃんは顔色が悪く見えるようにしましょう」
「分かった」
「男性陣もお願いね。さっきの話を聞くに、ヴィグは乱闘する気で来てるわ」
「失礼な。俺は二回までは謝るつもりだ。二回目はフレグルの胸ぐら掴みつつだけどな」
「団長、それじゃ結局一回じゃないですか。いやもう一回目もどうせ仕掛けてるんでしょ」
「一回目は飛び蹴りと共に謝る」
「凄い。一回目から三回目までの流れでフレグル様を倒してる」
と、そんな会話を交わしつつ、手早く指示をだすフィアーナとそれに従う面々に引っ張られる。アランは勿論、これには魔物二人もわけがわからないと言いたげで首を傾げるしかないようだ。
いったい何の話をしているのか、いったい何の準備をされるのか……だがそれを問おうと口を開くも、パフンッと勢い良く化粧用のパフを顔面に押し付けられ、出かけた言葉を――あと多少の粉も――飲み込んだ。
そうして今に至る。
つまり先述のアランとロッカの青ざめた顔というのは全て化粧の成せる技。厚めに塗りたくられ目元に少し暗めの色を添えられ、そうしていかにも『怯える少女』と言った風貌に仕立て上げられたのだ。血色の悪い顔と目元の隈が昨夜は不安で眠れなかったと訴えている。
その手腕は見事としか言いようがなく、鏡を見たロッカが「あれ、僕寝てないの?ご飯食べてないの?」と自分自身を案じてしまうほどである。
そうして「寄り添ってひたすら自分が悪いと泣きながら訴えなさい」という指示に従っている。
つまり全て真っ赤な嘘。アランの髪にも負けぬ赤さではないか。
だがその効果は絶大のようで、周囲の空気はじょじょにアランとロッカに……怯えながらも互いをかばい合う儚い美少女二人の味方になりつつあった。
それどころか
「魔物って言ったって、まだ幼い女の子じゃない」
だの
「魔物避けとか言いつつ、動けなくして何するつもりだったんだか」
とフレグルに対する非難の声があがりはじめていた。
その声の出処こそ寮の住人や第一騎士団といった見覚えのあるものだが、それに応えるように続く言葉は事情も何も知らぬ者達のものだ。最初こそ『王立研究所代表を殴った聖騎士団』の処罰を見に来ていたのに、目の前の光景とそして聞こえてくる言葉に彼等の思考は見事なまでにひっくり返されていた。
もはやこの場においてフレグルは『魔物避けを使って幼い少女を襲った男』でしかない。とりわけロッカは小さく愛らしいのだ、涙目で震えればいかにその正体が魔物と言えど庇護欲を感じさせる。そのうえアランの少女らしい服装と、友達を守りたかったという訴え……周囲の同情を誘うには完璧な演出である。
更にデルドアとヴィグはそんな二人の背後にジッと構え、問われれば
「一人の男として道理を貫いただけです」
「後悔はしていない」
とだけ答えてまた沈黙を続けてしまうのだ。傍聴席から熱っぽい女性の吐息があがる。
デルドアもヴィグも見目がよく、さしずめ彼等は罪に問われることも厭わず立ち向かった王子様である。
――この作戦に対し「俺は魔物避けにやられてたけど」とデルドアが異論を唱えるも、彼の身なりを整えていたフィアーナが「格好良さの前では些細なことよ」と一蹴してしまった。あの時のデルドアの「人間って……」という瞳といったらないが、今まさにその通りになっている――
とにかく、怯える美少女と王子が二人、対してフレグルは『少女に手を出そうとした』という印象を抱かれ……となれば、結末など言うまでもない。
「人間ってよく分からないな」
「ねー、僕てっきり怒られるのかと思ってたのに最後にお菓子貰っちゃった」
とは、この結果に……というより周囲が自分達の味方になったことに理解が追いついていないデルドアとロッカ。彼等からしてみれば、自分が泣いたり黙りこくっていただけで周囲の反応が一転してフレグルが悪者になってしまったのだ。
さっぱり分からないと言いたげな二人の表情に、手続きを終えたアランとヴィグが顔を見合わせた。
人間臭い感覚だ。説明の仕方がわからないし、きっと彼等は説明しても理解出来ないだろう。そういうものとは別の次元にいるのだ。
だからこそ「まぁ良いじゃないですか」と話を終いにした。
「ねぇアランちゃん、図書館のお姉さんのとこ行ってお化粧落としてもらおう。なんだか顔がペタペタして嫌だよ」
「そうだね。私もこれだけ厚く塗られると気持ち悪いや」
自分の頬を触りながら訴えるロッカを連れて、アランがフィアーナの元へと向かう。部屋を出る際に「ちょっと待っててください」と告げるのは、もちろん化粧を落とす必要のない二人に対してである。
そうして、部屋にはデルドアとヴィグだけが残された。周囲には誰もおらず、待合室とも言えぬ質素な部屋に二人だけが座っている。
互いに何も言わぬまま時折誰かが部屋の前を通り過ぎる足音だけが届く、妙な沈黙。
それを破ったのはデルドアの、なんとも彼らしい
「それで、お前はなんで泣いてるんだ?」
という、ストレートにも程がある発言だった。
これには終始顔をそむけていたヴィグも顔を上げるというもの。だがその青色の瞳には涙が溜まっており、顔を上げた反動で堰を切ったように溢れだした。
「お前、人が我慢してたのに! もうちょっと空気読んで見ないふりとかしろよ!」
「空気の読める奴は見ないふりどころかさり気なく部屋を出て行くだろ」
「ならそうしろ!」
「断る。魔銃の魔物にそんな細かいこと要求するな」
はっきりと言い切り、それどころか「で、どうした」と改めてもなおオブラート一枚もないデルドアにヴィグが負けたと言いたげに溜息をついた。
深く吐かれる息と共に涙が伝い落ちていく。当人にとっては不本意なのだろう、腕で乱暴に拭った。
「……ガキの頃は騎士になれると思ってたんだ。親父や兄貴達みたいに、ロブスワーク家の騎士に……」
「でもお前」
「あぁ、そうだ。俺は……」
言いかけ、ヴィグが言葉を詰まらせる。
それでも一度深く息を吐くと、自分に言いきかせるようにゆっくりと口を開いた。
「俺は……ロブスワーク家が聖騎士を押し付けるためだけに産んだ子供だ」
呼吸と共に呟かれた言葉に、デルドアが「だからスケープゴートか」と小さく返した。
ヴィグが時折見せるロブスワーク家への並々ならぬ嫌悪と口にする言葉から「そうだろう」と察することは出来たが、本人の口から「自分がそうだ」と告げられるのは初めてなのだ。
「元々騎士なんてなれなかったんだ……道化になるための人生だった……」
まっとうに生きて突然泥沼に落とされたアランと、元より泥沼の底で産まれたヴィグ。はたしてどちらが辛いか……などと、そんなことを考えてデルドアが小さく首を横に振った。
考えるまでもない、魔物からしてみればどちらも不快でしかないのだ。今ここにロブスワーク家の者がいれば殴ってやりたい気分である。いや、居なくても殺せるのだから魔銃で撃ち抜かれないことを感謝して欲しいくらいなのだ。
「最近、アランが魔物以外にも聖武器や聖騎士のことを調べてるだろ」
「そうだな、勉強熱心なやつだ」
「今までは自分の現状を知るのが怖くて手を出そうとしなかったんだと思う。それでも、お前達がいてくれてあいつも聖騎士について調べられるようになった……。でも」
ポツリと最後に呟き、ヴィグが黙りこむ。
そうして数秒の沈黙が続き、ポタと涙が床に落ちると共に、
「でも、俺はまだ怖いんだ」
と吐き出すように再び話しだした。
「聖騎士が道化なんて、俺だって分かってる。だけどそれを認めるのがまだ怖い……コートレス家の令嬢として産まれたアランとは違う、俺は……俺にとっては産まれた理由になるんだ」
「産まれた理由、か」
「情けないだろ。アランはもう聖騎士の現状に向き合ってその先に進もうとしてる。それなのに俺はこのざまだ……今回の件だって、魔物避けより聖騎士が道化だってことを認めなきゃいけないのが堪えてる」
「相変わらず色々と抱え込んで、お前達はややこしいなぁ」
まったくもって気遣う様子なく、それでもデルドアが手を伸ばしてヴィグの頭を撫でた。濃紺の髪が揺れ、まるで子供相手のような慰め方にヴィグの同色の瞳が丸くなる。
「お前……慰め方も空気読まないのな」
「あぁ、なにせ俺だからな」
ワシワシとヴィグの頭を撫でつつデルドアが誇る。
なにせ魔物、それも魔銃の魔物。慰め方など一通りしか知らず、選択肢はいつだって『大事だから慰める』か『どうでも良いから放っておく』なのだ。
そして今は前者にあたり、彼なりに慰めている。割と豪快でヴィグの頭がグリグリと揺れてはいるが。
「さすがに抱きしめはしないけどな。あれはアランだけだ」
「おっと、聞き捨てならない台詞が」
「この状況でも父親状態になるのか」
そんな間の抜けた会話を交わす。もちろんデルドアは会話の最中もヴィグの頭を撫でたままで、その光景に通りすがりの女性が怪訝そうな表情を浮かべた。まさか片や自分の出生を嘆き、片やそれを慰めているとは露ほども思うまい。現に「見てはいけない」と言いたげに露骨に顔をそらし、足早に通り過ぎてしまった。
カツカツと小刻みながら遠ざかっていく足音に、ヴィグとデルドアが「見られたな」と顔を見あわせ……どちらともなく苦笑を漏らした。そうして最後に一度ポンと軽く叩くとヴィグの頭から手を離し、デルドアが「そもそもだな」と話しだした。
「そもそも、生まれる理由なんて考えるのは人間だけだ。理由もロブスワーク家も、嫌なら捨てればいいだろ」
「捨てるって、簡単に言ってくれるなよ」
「簡単だろ。お前が一言『GO!』と言えばいい」
「ロブスワーク家に何をするつもりだ」
恐ろしい奴め……と睨みつけるヴィグにデルドアが「なんにも」とそっぽを向く。そのなんとも言えぬ白々しさに、ヴィグが深く溜息をつくと共に小さく笑った。
「でも、そうだな。いっそ捨てちまうのも悪くないかも」
「お、くるか。『GO!』くるか」
「やめろ、期待を込めた瞳で見てくるな!」
出撃の予感を感じたのかデルドアが煽れば、対してヴィグが物騒だと声を荒らげる。
だがその表情は晴れ晴れとしており、どこか吹っ切れたような色を見せていた。
「大丈夫そうだね」
「だね」
とは、扉の影に隠れながら室内の様子を窺っていたアランとロッカ。
化粧を落として戻ってくれば室内には妙な沈黙が漂っており、果にはヴィグが目元を拭いだしたのだ。これには声をかけるタイミングを失ってしまい、案じるように二人を見守って今に至る。
だが今の様子を見るにもう大丈夫だろう。アランの胸に安堵が湧く。
そうしてロッカと顔を見あわせ頷きあうと、さも今来たかのように装って
「おまたせしました」
「お腹空いたよ、何か食べに行こう!」
と二人へと話しかけた。
…第四章 end…
第四章『聖騎士団の本当の話』はこれにて終わりです。
お付き合いいただきありがとうございました。
次話から最終章『むかしむかしの大間違い』が始まります。いよいよ最終章、最後までお付きあい頂ければ幸いです。
相変わらず、奇数日9時台に更新できれば良いなっ☆なゆるふわ更新です。