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「フィアーナさん! フィアーナさんを呼んでぇ!」
とは、寮の食堂に響くアランの悲鳴。正確に言うのであれば、食堂の椅子に縛り付けられているアランの悲鳴である。
それを囲むのはギラギラと瞳を輝かせる女性達。才知溢れる瞳……というよりは獲物を前にした狩人のそれに近く、まさに蛇に睨まれた蛙の気持ちでアランがガタガタと椅子ごと震えた。
「フィアーナさん! フィアーナさぁあん!」
甲高くあがるアランの悲鳴は雛鳥が親鳥を呼ぶピィーといった鳴き声に近く、次いでパタパタと忙しない足音が混ざる。
そうして
「こら、貴女達! アランに何してるの!」
とまるで保護者と言ったセリフと共に現れたのは、もちろん親鳥フィアーナである。
その瞬間、アランを囲んでいた女性達がしまったと顔を渋める。まさにいじめっ子といじめられっ子といったその構図は、とうてい世の女性の憧れが集う寮のワンシーンとは思えない。
「フィアーナさぁん……」
「アラン、大丈夫だった?」
アランが半泣きで情けなく助けを求めれば、フィアーナが駆けよってその拘束をとく。そうしてキッときつく周囲を睨みつければ、まるでいじめられっ子の妹を持つ正義感に長けた姉ではないか。
「フィアーナ、私達……」
「その……聞きたいことがあっただけなのよ……でも、アランがなかなか捕まらないから……」
「それに捕まえようとしたら暴れるし……」
だから、それで、としどろもどろな言い訳を聞き、フィアーナかため息をつく。
それでも「アラン、答えてあげてくれる?」と聞いてくるあたり、女性達を無碍にする気もないのだろう。この棘の城において唯一の味方であるフィアーナにアランが異論を訴えるわけもなく、縛られた手を擦りながらコクリと頷いた。
それに、仮に今ここで拒否して逃げたとして彼女達が諦めるとは思えないのだ。下手すれば次はフィアーナの不在を狙って行動に移しかねない。だからこそ、フィアーナがそばに居るうちに聞きたいこととやらに答えてしまおう……そう決意し、改めて自分を囲む女性達に視線を向けた。――出来れば手を洗いたいけど……と思ったのは鳥黐でベタベタしているからである。さすがに言い出せなかったが……――
「アラン、私達が聞きたいことは一つだけなの」
「な、なんでしょうか……」
思わすアランが生唾を飲むのは、周囲を囲む女性達から並々ならぬ迫力を感じ取ったからだ。みな真剣な表情を浮かべ、寮の食堂らしからぬ緊張感があたりを包んでいる。なんて重苦しく伸し掛かる空気だろうか。喉が乾き、緊張で呼吸もままならない。
これほどの空気を纏うのだからよっぽどのことなのだろう。てっきりデルドアのことかと思っていたが、もしかしたらまったく関係のない重大な話があるのかもしれない。
そもそも見目のいい男が迎えに来たからと言って人を縛りつけてまで話を聞き出すなんて有りえない話ではないか。だからこそ、なんの話を切りだされるのかとアランが緊張で心臓が凍てつきかけるのを感じながら続く言葉を待った。
「アラン、答えてちょうだい……」
「は、はい……」
「人型の魔物って、みんな彼みたいに格好良いの!?」
「……はい?」
これにはアランも目を白黒どころではない。鳩が豆鉄砲ならぬダチョウが魔銃を喰らったような気分である。
だが女性達にとっては重要なことらしく、返事を待てぬと数人がグイと詰め寄ってきた。
「アラン、どうなの!?」
「え、あの……彼って……」
「彼よ、彼! このあいだ貴女を迎えに来た銀髪の彼! フィアーナに聞いたら彼って魔物らしいじゃない!」
「それにいつも彼と一緒にいる可愛い子! あの子も男の子って聞いたんだけど本当なの!?」
「他に人型の魔物の知り合いは!?」
いったいどこが「聞きたいことは一つだけ」なのか。――もしかしたら一人一つという意味だったのだろうか――矢継ぎ早に問い詰められ、思わずアランが後退る。
皆一様に美しいのだが妙に鬼気迫る迫力を持ち、逃げることは許さないと瞳が訴えているのだ。
そんな気迫を向けられアランが小さく悲鳴をあげた。それと同時にこの質問のために椅子に縛られたのかと思えば泣きたくもなる。
それでも、と落ち着きを取り戻すため一度深く深呼吸をする。ここで全て答えてしまえば、今後鳥黐を仕掛けられることはなくなるはずだ。そう自分に言い聞かせる。
彼女達のいう魔物の彼とはデルドアのこと、そして可愛い子とはロッカで間違いないだろう。確かに彼ら二人は人間のような作りをしており、それでいて見目の良さは一級品なのだ。彼女達が気にかけるのも仕方ない、そう思える程である。
だがその見目の良さが人型の魔物だからなのかは分からない。他の人型の魔物を見たこともなく、過去の文献にはその凶暴さや倒し方こそ書き留められていても見た目について――それも格好良いだの可愛いだのについて――は書かれていないのだ。
それを告げれば、女性達から納得半分ガッカリ半分といったなんとも言えない溜息が上がった。
「それで、アランはあの銀髪の彼と付き合ってるの?」
「いや、だからそれは……んむ」
ムグ、とおかしな音をたててアランがパタと両手で鼻を押さえた。周囲を囲んで返事を待っていた誰もが一体なんだと顔を覗きこんでくる。
そんな視線を受けつつ鼻を押さえるアランの指の隙間からツツと漏れるのは、赤い……血。タイムアップである。アランの体内で最終避難警告が発動されたのだ。
それを見たフィアーナが慌ててスカーフを取り出し、この突発的尋問会を無理矢理に解散させた。
「もう少しいけるかと思ったんだけど、鳥黐で動きを封じられてそのうえ網を投げられたのが精神的にきたみたい」
「網って……」
「だ、だってアランってば逃げようとするし……」
フィアーナの責めるような視線を受け、隣に座る女性がバツが悪そうに言い訳をする。
尋問会が解散させられる中、一人フィアーナに捕まって残されたのた。名前は確かシャーリーと言ったか……冷ややかにかつ美しく微笑んだフィアーナが彼女の肩を掴み「シャーリー、ちょっと良いかしら」と拒否を許さぬ威圧感で話しかけていたのを見た。
さぞや居心地が悪いだろう……とアランが逃げ遅れたシャーリーを憐れむ。――もっとも、「鳥黐を仕掛けたのは私なの……」と自白されて大分複雑な気分ではあるが――
それでもフィアーナが「まったく」と溜息をつけば、それで許しを得たと判断したのか次の瞬間シャーリーの瞳がパッと輝きだした。
「それでアラン、あの彼とは付き合ってるの!?」
「シャーリー!」
「だってみんな気になってるのよ!」
「だからって、いい加減になさい」
「……フィアーナだって色々と聞いてるじゃない」
「私はいいの、私は。ねぇアラン」
自分だけは良い、と真顔で断言するフィアーナに、シャーリーが唇を尖らせて「ズルい」と訴える。
その光景にアランが目を丸くさせたのは、目の前のやりとりがまったくもって才知溢れる女性のやりとりとは思えないからだ。
てっきり彼女達は知的で聡明な、それこそアランには言葉一つ理解できない高度な話ばかりしているのだと思っていた。だというのにシャーリーは「寮はあの銀髪の彼の話題でもちきり、あの可愛い子が女の子か男の子かでいつも誰かしら話し合ってるわ」と言うではないか。
王宮とはまったく関係ない、それどころか才知のかけらもない俗っぽさである。
それに対してアランはタオルで鼻を押さえつつ「その……」と話しだした。
その瞬間、出入口の影に数人が集ったように感じられるのだから、よっぽどこの話題が気になるのだろう。
「あの……デルドアさん……その銀髪の彼と私は特にそういう仲じゃありません」
「あらそうなの? 随分と仲が良いみたいだったけど」
「特に恋愛というわけでは……でも」
ポツリと呟いて、アランがそっと胸元に手を添える。固い感触が指先に伝わるのは、そこに魔銃の弾丸があるからだ。
デルドアから貰ったあと、常に持っていたいが無くすのが怖いとロッカに相談したところネックレスにすればいいと教えてくれた。そうして以前ドレスを作った仕立屋に頼み、首から下げて常に身に付けていられるようにしたのだ。
それを告げた時のデルドアの穏やかでどこか嬉しそうな表情といったらなく、思い出すだけでアランの胸が暖まる。――同時に、しきりにデルドアを突っつき短い羽で連打するアデリーの凄まじい形相も思い出され背筋が冷たくもなるのだが――
とにかく、胸元の銃弾に触れればアランの胸のうちで小さな熱が灯り、それを噛みしめるように小さく口を開いた。
「でも、私は……デルドアさんが好き」
そう自分の中に落とし込むように告げるアランに、フィアーナが柔らかに微笑み、シャーリーが僅かに驚いたように目を丸くさせた。小さなざわつきが上がるのは出入口の影に隠れて覗き見していた者達が今の光景を、そして何よりアランの表情を見たからだ。
照れくさそうで、それでいて嬉しげ。自分の気持ちに気付き、それを真っ向から受け入れた一人の少女の顔……。
そんなアランの言葉にフィアーナだけか満足気に頷き、パンッと手を叩いた。彼女がよくやる場を改めるための合図だ。
「さ、今日はもうおしまい。部屋に戻りましょう。アランもごめんなさいね、こんな時間まで
「ううん大丈夫。おやすみなさいフィアーナさん。……あ、あの……おやすみなさい、シャーリーさん……」
「え、えぇ……おやすみ、アラン」
いまだ唖然としているシャーリーにも就寝の挨拶を告げ、アランが窓から食堂を出ていく。
……窓から。
「アラン! ちゃんとドアから出て行きなさい!」
というフィアーナの声に応えるようにズリズリと壁をよじ登る音と、飛び移ったのだろう木が揺れて葉が落ちる。
「まったく、とんだ赤猫ね。確かに捕まえるには網が必要かもしれないわ」
アランの去っていった先を眺め、フィアーナが溜息をつく。
その隣ではシャーリーが口をあんぐりと開け、とうてい王宮勤めの才女とは思えぬ表情をしていた。これにもまたフィアーナが溜息をつき、シャーリーの肩を軽く叩く。
「ほらシャーリー、あなた明日も仕事でしょ?」
「え、えぇ……ところでフィアーナ……」
「なに?」
「アランって、あんな表情もするのね……なんだか、まるで女の子みたい……」
「あら、何を言ってるの? アランは今も昔も変わらずずっと女の子よ」
おやすみ、と最後に一言就寝を告げて食堂を後にするフィアーナに、対して残されシャーリーが、そして出入口の影で様子を伺っていた者達がバツが悪そうに顔を見合わせた。