5
『俺の群』と、そう言われてアランが顔を上げる。
だがデルドアはさして気負うでもなく平然とし、真っ直ぐに見返してきた。赤い、魔物らしい瞳。だがその瞳に対して恐怖は抱かず、アランは呆然としたまま言われた言葉を頭の中で繰り返した。
「俺の群、って……」
「俺もロッカも、お前達を同じ群だと思ってる。だから守るし、そばにいる」
デルドアの口調は淡々としているが、アランは言われたことを理解しきれないと小さく開いた口から「……え?」とポツリと漏らした。
家族よりも種族よりも大事で、血の繋がりも所属も関係ないという『群』。それに自分が入っていると聞かされても今ひとつピンとこないのだ。
だけど確かに、彼は……彼等はいつも守ってくれた。そばに居てくれた。心配してくれた。なにより、デルドアは以前にハッキリと
『俺が守ってやる。』
そう言ってくれたのだ。
偽ることも誤魔化すこともなく真っ直ぐに告げられたあの言葉を疑っていたわけではない。信じていなかったわけではない。それでも……
「で、でも、私達は人間ですよ……」
「種族は関係ない」
「それに、聖騎士だし……」
「別にお前達が俺に敵意持ってるわけじゃないだろ」
ポツリポツリと漏らすように呟くアランの言葉に、デルドアが一つ一つ説くように返す。
僅かに彼の表情に愛でるような呆れの色が混ざるのは、ここまで親しくしておいてなお「でも」を繰り返すアランに対してなのだろう。
だが事実、今になって、言葉で告げられてようやくアランの胸に実感が湧き上がり始めているのだ。我ながら遅いと思う、デルドアが呆れてしまうのも仕方ない鈍さだ。そんなアランに対して、デルドアが小さく溜息をつくと「やれやれ」とでも言いたげに肩をすくめた。
そうしてアランの名を呼び、そっと手を伸ばして頬を撫でる。
「俺はお前を群の一員だと思ってる。だからコートレス家当主だろうがお前を傷付ける奴は俺にとって敵でしかない」
「だから、あの時……」
コートレス家当主を見つけた瞬間、デルドアから凍えそうな程の寒気を感じた。まるでこの世すべてで何より憎むものを見据えているような、炎を宿して敵を射抜かんばかりの鋭い瞳で睨みつけていた。
人間であれば、名家コートレス家の当主を相手にそんな視線を向けられるわけがない。顔色を伺うか臆して目も合わせられないかだ、それほどまでにコートレス家当主は威厳に満ち溢れている。そしてその肩に乗る家名と権威が更に色濃くさせる。
だがデルドアにはまったくそんなもの関係なく、例えコートレス家当主であろうとそこいらのメイドであろうとも同じこと。等しく『自分の群のアランを傷付ける人間』なのだ。
それを思えばアランの視界がゆらぎ、目頭が熱くなる。
「そ、そんな風に思ってくれていたなんて、考えもしなかった……」
「鈍いな。言わなきゃわからないのか」
「言われなきゃ分からないんです」
言い返すようにアランが彼の瞳を見上げれば、その瞬間、瞳に溜まっていた涙が積を切ったように溢れだした。
「い、言われなきゃ……言われなきゃ分からないくらいまで、きちゃったんですよ……!」
引くつく喉でそれでも訴えれば、察したデルドアが小さく溜息をつくと両腕を広げてアランを抱きしめた。抱擁、というよりは包み込むに近く、泣きじゃくる子供を宥めるようにポンポンと背を叩く仕草などまさにだ。
だがその動きはアランの胸の内に燻っていた熱を涙に変え、瞬きすれば落ちた涙が茶色のコートに染みこんでいく。
「だって、ずっと……ずっと二人だけで……」
「あぁ、そうだな」
背中を叩きつつデルドアが相槌を返す。
アランが聖騎士を押し付けられた時、それどころかヴィグが聖騎士を継いだ時でさえ、聖騎士団にはコートレス家とロブスワーク家しか残っていなかった。たった二人で、終わりを迎えるその日まで、聖騎士をまっとうしなくてはならなかったのだ。
そんな途方もない絶望が、蔑み刺さるように向けられる視線が、聞こえてくる嘲笑が、アランとヴィグの心を閉ざさせた。
デルドアとロッカに対して仲間だと確信を抱かせつつ、それでもどこかでストップをかける。聖騎士なんだから、聖騎士のくせに……と。
そう泣きながら訴えるアランに、デルドアが背中を叩く延長でアランの赤い三つ編みを撫でつつ
「拗らせてるなぁ」
と返した。
慰めるでもないその言葉は相変わらず空気を読んでいないが、腕の中にしっかりと抱きとめているあたり、ロッカがこの状況を見れば75点くらいには評価していただろう。
「デルドアさん、私……私達……」
「あぁ、お前もヴィグも大事な群の一員だ。何があっても、コートレス家が相手だろうとロブスワーク家が相手だろうと俺が守ってやる」
「……ロッ……ロッカちゃんも?」
「あれを守るなんて言ってみろ、ダツが俺の喉めがけて飛んでくるぞ」
突拍子もないデルドアの話に、アランがパチンと瞬きをした。
ダツが喉に……とはまたなんともムードのない話だ。だがそのムードも何もない話こそ彼らしく、小さく笑うと「もう大丈夫」と告げるようにそっと彼から離れた。本当はもう少しこうしていたいとも思えたが、気丈を振る舞って笑えばデルドアが安堵の色を見せるのだから甘えてもいられない。
彼は慰めるために抱きしめてくれた、だけど今自分が求めだしたのは慰めの抱擁ではない……。
「デルドアさん、ありがとうございます……」
「ん、別に……ところでアラン」
「はい?」
名を呼ばれ、いったい何かと顔を上げるアランの目の前に一つの銃弾が差し出された。もちろん持っているのはデルドア、まるで見せつけるような仕草にアランが銃弾に視線を止めつつ首を傾げた。
銀のボディーには赤い文字が彫り込まれている。見たことのないその文様は美しくもあるのだが、はたしてこんな彫り込みがあって弾丸として機能を果たせるのだろうか。あいにくとアランは銃の仕組みが分からず、「引鉄を引いたらなんか中で回りながら弾丸が凄い勢いで出てくる」という程度である。――ちなみに、これを魔銃の魔物であるデルドアに話したところ、心の底から信じられないと言いたげな表情をされた。どうやら銃の仕組みはもう少し複雑らしい――
そんな無いに等しい知識だが、さすがに銃弾に掘りの細工が施されているのはおかしいと分かる。……いや、もしかしたら有り得ないこともないのかもしれないが、銃の普及率が低いこの国においては珍しい等というレベルではない。
だからこそアランがまじまじと銃弾を見つめる。銀色に、そこに映える真っ赤な文様。その色合いはまるでデルドア自身のようで……。
「あ、もしかして……魔銃の……?」
はたと気付いてアランが銃弾から持ち主へと視線を上げれば、どうやら当たりだったようでコクリと頷かれた。銀色の髪がサラと揺れ、赤い瞳が見つめ返してくる。まさに弾丸の主。
確かに思い返してみれば弾丸に彫り込まれている文様と魔銃のグリップに描かれている文様は似ており、人の道理から外れた魔銃であれば弾丸に彫り込みがされていても問題ないのかもしれない。
「初めて撃った弾丸だ。なんとなくで取っておいたんだが、やる」
「私に……? あ、もしかしてロッカちゃんの獣王の護石みたいな」
「残念だがそういう効果はないな。だが石を貰うよりはマジだろ、俺もどの石をやれば良いのか分からないし」
「い、石……?」
いったい何の話をしているのか。さっぱり分からないと視線で訴えつつも、促されるままに手を出せば弾丸がコロリと手のひらにおちてきた。
指先でなぞれば、細かな凹凸と掠れた跡、それに僅かな歪みが感じられる。
マジマジと眺め、時には手のひらでコロンと転がしてみたり街頭に晒して見てみたりすれば、それが面白かったのかデルドアが小さく笑った。その笑みでアランがはたと我に返り頬を染める。さっきまでアレほど泣いていたのに魔銃の弾丸を貰ったらこれなのだ、玩具で泣き止む子供のようではないか。
それを誤魔化すためにコホンと咳払いをし、礼を言うと弾丸を鞄にしまいこんだ。
「えぇっと……それで、なんで石の代わりに弾丸なんですか?」
つとめて冷静を取り繕う。
だがそんな虚勢もデルドアには丸わかりなのだろう苦笑で返されてしまった。
「ロッカの知合いから、こういう時は石を渡せば良いって聞いた」
「石……宝石とかですかね」
「いいや、普通の石で良いらしい。だけどここらへんは暖かいしお前は人間だろ、そこいらの石を渡しても喜ばないかもしれないと思ってソレにした」
「よく分からない話ですねぇ……」
「まぁ、お前が受け取ったならそれで良いさ」
そう話すデルドアはどこか晴れ晴れとして嬉しそうで表情で、それどころか向けてくる視線は普段より穏やかさを感じさせる。
その瞳に思わずアランの胸が弾む。
穏やかで暖かく、そして愛おしむような赤い瞳。見つめ返すことなど出来ず俯くも心臓が早鐘のように鼓動を鳴らし、胸の内に小さな熱が灯り始める。
石だの何だの、彼の話はさっぱり分からない。それでも自分が受け取ったことでデルドアがこれほど柔らかな表情をしているのだ、何かしらの意味があるのかもしれない。だが頭の中の文献をひっくり返しても該当する記憶はなく、むしろ彼の穏やかな表情を思えば記憶の中の文献が雪崩を起こして思い出すどころではない。
いったい石が何なのか……。
だがそれを尋ねる勇気もなく、熱を訴える頬を軽く叩きながらアランが深く息をついた。
いつかこの弾丸と、そして彼の穏やかな表情の意味を聞こう。
そしてその時には、胸の内に湧くこの気持ちも……。
そう決意すると共に歩き出せば、デルドアもまた茶色のロングコートを揺らすように歩き出した。
場所を変えて、森の中の一軒家。
「それで、デルドアにアドバイスしたんた」
とは、リビングにて紅茶とタルトを堪能するロッカ。
依頼された仕事を終えて――「この人いま僕のお尻触ったー!」と高い悲鳴をあげながら不埒な賊の足を掴んで振り回し、「キャー!そんなもの見せないでー!」と悲鳴をあげながら鎌を片手に露出狂を追いかけまわし……と大活躍である――そうして夕飯もシャワーも浴びて、サッパリした心地よさ。
ホカホカと湯気がのぼり、頬がほんのりと染まっていて愛らしさは普段の倍である。
もっとも、当人は自分の可愛さより目の前のタルトと話し相手に意識をむけており、頬にタルトの欠片がついているのも気付いていない。
「んぅ、それにしても遅いねぇ」
話しながらチラと見上げた時計は既に大分傾いている。
だというのに朝方共に家をでたデルドアは帰ってこないのだ。時間が掛かっているのだろうか、それとも……。
そんなことをロッカが考えた瞬間、ガウッと室内に獣の咆哮が響いた。
見れば白靄の狼が一匹、低い唸りをあげながらこちらを見つめている。まるで何かを訴えるようなその獰猛な瞳に、彼の王であるロッカがコクンと頷く。
「そうだね、男はみんな狼だもんね!」
そう狼に返せば、言いたいことが通じて満足したのかフワとその姿が揺らぎ、次第に形を朧気なものへと変えていくと靄に戻り風に溶けていった。
ふぅ、とロッカが一息つく。そうしてタルトを一口食べれば頬が緩む……これはタルトの嬉しさからか、それとも先程の狼の訴えからか。あいにくとこの場にそれを判断できる者はいない、目の前の話し相手もクェッと鳴いて返すだけだ。
「んふふ、それも良いと思うよ。ご祝儀がわりにヴィグパパを止めてあげよう」
ムニムニと口元を緩ませながらご機嫌で話すロッカに、向かいに座る話し相手がコクンと頷く。
「そのときはアデリーさんも協力してね。ヴィグさんって、ヴィグパパになると容赦なく聖武器使ってくるから、アデリーさんのその輝きの一切ない黒目で見つめて硬直させてね!」
頑張ろう!とロッカが興奮する。それに感化されたからかアデリーと呼ばれた話し相手もクェッ!クェッ!と高らかに鳴いて短い羽をばたつかせた。
そうしてロッカがタルトの最後の一口を食べ、紅茶を飲み干す。コクンコクンと飲み込むたびに動く白い喉や大きめのカップを両手で持つ様は愛らしいの一言である。だが唇に残った紅茶を舐めとるようにペロリと舌を出し「帰ってきたら話を聞かなきゃねぇ」と笑う表情はなかなかに悪どい。
そうして二人が――正確に言えば一人と一匹……もとい、ロッカも人ではないので二匹――ご機嫌に話をしていると、玄関からガチャリと音が響いた。
デルドアの帰宅である。その瞬間ロッカの瞳が輝き、目の前に座る一匹の瞳も輝き……はせず、相変わらず言い得ぬ漆黒の瞳でそれでもクェッ!と一度高らかに声を上げた。
ロッカがピョンと椅子から下り、パタパタとデルドアを出迎えに――もちろん部屋に逃さないためである。といっても逃げたところで問答無用で追いかけるのだが――玄関へと向かえば、向かいに座っていた白靄もユラリと揺らいで椅子から擦り落ちた。パタパタというよりはペタペタと歩く姿はとても愛らしく、ちょっとした段差も両足で飛んで乗り越える様はまさに………ペンギンである。