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「このノート、持ってると寒気がするんですけど……デルドアさん、持ってくれませんか?」
「嫌だ」
そんな会話を続けながら、かつて聖騎士であった家をまわる。
といっても遠方の家もあればそれこそ爵位を返還して消息を断った家もあり、中には聖騎士団こそ抜けられたがその後うまくいかず没落……なんて家もある。なにせ聖騎士団の全盛期から千年近く経っているのだ、情勢は幾度と変わってきた。――聖騎士団のこの落ちぶれようがまさにではないか――
それでもまわれるところだけはと的を絞って訪問し、聖武器とそこに掘られている文面、うろ覚えの言い伝えを調べてまわった。それどころか、一部では他家の情報まで貰えたのだ。
殆どの家が最初こそアランとデルドアに怪訝な表情を浮かべていたのだが、思った以上にジャルダンの一筆が効果を発揮してくれたようだ。
――ちなみに一筆の内容に関してだが、目を通したデルドアが「人間の男は大変だな」とクツクツと笑っていた。そのままコートのポケットに仕舞いこんで以降彼の管理下になってしまったため、アランは最後まで読めずじまいだった――
そうしていくつかの家を周り、日が暮れ始めるころ。アランとデルドアはコートレス家の玄関口にいた。
あれこれ調べてまわっていたが、自分の持つ聖武器の文面をアランは言い伝えられていないのだ。
だからそれを調べに来た……のだが、決意した割にアランの表情は青ざめ、視線も退路を探すように彷徨う。小さく震えるのは恐怖と、この棘の城は居るだけで刺さるような圧迫感を感じてしまうからだ。
とうてい家族のもとを訪れたとは言い難いその弱りぶりに、デルドアが顔を覗きこんで「大丈夫か?」と窺ってきた。
「だ、大丈夫です……すぐ帰れば……。二時間いると鼻血出しますけど」
「まったく大丈夫じゃないな。体の中から拒否してる」
「団長はロブスワーク家に二時間いると翌朝になってるらしいです」
「それは気を失うっていうんだ。辛いなら無理するな、代わりに俺が……」
言いかけ、デルドアが顔を上げた。
いったいどうしたのかとアランが視線を追えば、こちらに向かって歩いてくる男が一人。
コートレス家当主、アランの父親。
素人目でも分かる質の良い衣服を纏いそれに負けぬオーラを放つその姿に、アランが更に表情を青ざめさせた。リコットとクロードの結婚以来この家に足を踏み入れることも、ましてや彼と顔を合わせることもなかった。だが相手はコートレス家の当主、聖騎士団が魔物と親しくしていることなどとうに耳に入れているだろう。
咎められ否定されるのは目に見えて明らか。もっとも、いくらコートレス家当主に否定されようがデルドアとロッカとの交流を断つ気はない。
それでも……と実の父親からの拒絶を想像してアランが痛む胸をギュウと押さえつければ、道の先を睨みつけていたデルドアが「あれか」とだけ呟いた。主語のないその問いかけに、アランが察して頷いて返す。
……その瞬間、まるで氷水を頭からぶちまけられたような寒気が全身を伝った。
大蛇に睨まれているような、いやそれすらも温く、例えるならば大蛇の牙が喉に触れているような、冷気とも言える寒気。
それを放っているのは他でもなく隣に立つデルドア。彼の赤い瞳が燃え盛る炎のように赤く、それでいて冷ややかに道の先の男を睨みつけている。
今まで見たことのない敵意のみを宿したその瞳に、アランが体を震わせながら彼の腕を引いた。
「……デルドアさん?」
「ん? どうした」
視線をこちらに向ける彼の瞳は普段通りの色合いで、まるで一瞬にして切り替わったかのようなその温度差にアランが思わず数度瞬き繰り返した。先程の彼の獰猛な瞳は見間違いだったのかもしれない……と、自分自身を疑ってしまう程なのだ。
そんな普段通りのデルドアの瞳に安堵を漏らした瞬間「アルネリア」と声が響いて再び体を硬直させた。
「お、お久しぶりですお父様……」
「話は聞いた。聖武器の文面だな」
「は……はい」
視線を泳がせるも退路はなく、それを自覚すると緊張で喉が引きつる。父親の言葉一つ一つがまるで棘のようで、聞いているのか体を引き裂かれているのか分からなくなってくる。
「……アルネリア」
「アラン」
深く威厳放つ声にかぶさるようにデルドアに名を呼ばれ、アランが顔を上げた。
赤い瞳が案じるようにこちらを見つめている。そうして念を押すように「アラン」と再び名を呼ばれ、アランがゆっくりと深く息を吐いた。
大丈夫、デルドアさんが隣にいてくれる。
彼にとって自分はアルネリアでも代替騎でもない。コートレス家も何も関係ない。
だからこんな棘の城、怖くなんかない。
「お忙しいところ申し訳ありません。聖武器の文面を教えていただきたく参りました」
「……そうか」
深々とアランが頭を下げる。それに対してポツリと返されるコートレス家当主の言葉からは彼の気持ちは読み取れない。
だがそれで良いと割り切り、告げられる言葉に意識を向けた。
『対の剣は力無き者を守り悪しきものを断つ』
それがコートレス家に伝わる聖武器に彫り込まれていた文面だという。
それを聞くや逃げるように屋敷を後にし、アランとデルドアはノートを捲りつつ――デルドアはいつの間にか調達していたサンドイッチを食べつつ――街中を歩いていた。
日は既に落ちきり周囲は暗く、酒場から喧騒が聞こえてくる。等間隔に設けられた街頭だけが手物のノートを照らし、目を凝らしてようやくといったところだ。
「しかし、本当に全部の聖武器に彫り込まれてるんだな。……あ、これ美味い」
「でも何かおかしいですよね……」
言葉の終わりにアランが「あ」と口を開ける。それに対してデルドアが口にサンドイッチを入れてくれるのは、二人共ノートに視線を向けつつも「一口ください」「どうぞ」というやりとりが無言ながらに交わされたからである。
そうしてアランがサンドイッチを咀嚼しつつノートを捲る。
確かにデルドアの言うとおりサンドイッチは美味しい。適度な塩加減と野菜の新鮮さが……ではなく、どの聖武器にも似たような文面が彫り込まれている。
『戦場にて弱き者を導き拳をふるう』
『放つ矢は民を抜け悪しき者だけを討つ』
『対の剣は力無き者を守り悪しきものを断つ』
それらを書き写したノートを眺めつつ、アランが「変なの」と呟いた。
「変って何がだ?」
「だって弱き者とか民とか、聖騎士以外も戦ってるみたいで変な話じゃないですか」
「そうか? 群で戦ってたんだろ」
そう答えるデルドアに、アランがオウム返しのように「群」とだけ返した。
時折デルドアやロッカが口にする言葉だ。今までは家族のような意味合いなのかと考えていたが、どうにも違うようである。
幸い時間もあるしと改めて尋ねてみることにしたのは、彼等のことをもっと詳しく知りたいと思うし、なによりこの僅かな認識の食い違いが妙に引っかかるからだ。
「その群っていうのは家族とか親族ですか?」
「いや、そういうのじゃない」
「なら所属とか? 親しい人?」
「それに近い気もするが、大きな群だと知らない奴も居るしなぁ」
的確な表現が思い浮かばないのか、どうしたものかと言いたげに眉間に皺を寄せつつデルドアが二つ目のサンドイッチを食べ始める。
元々デルドアとロッカは同じ群にいて、移動中にこの地を気に入って二人だけが残った……と以前に聞いたことがある。それを聞いたときは二人の間に何かしらの繋がりがあるのかと思っていたが、改めて聞けば偶然同じ群にいただけで、二人で暮らし始めるまではあまり話もしなかったらしい。
「元いた群は規模が大きかったし、互いに珍しい魔物だから記憶にあっただけで親しいわけじゃなかった。だからロッカがここに残るってのも本人と顔合わせて知ったぐらいだ」
『あれ、デルドアじゃん。ここに残ったの?』
『あぁ、ここなら銃の仕入れもしやすいしな』
『僕はね美味しいお店があるから残ったの! ねぇ、僕こっちの部屋でいい? あとパンツと靴下とタオル一緒に洗って平気なタイプ?』
と、そんな会話の果てに暮らし始めたという。――ちなみに当時のデルドアは「出来れば分けて洗いたい」と答えたらしい――
その話にアランが目を丸くさせたのは言うまでもない。あまりにも人間の感覚とかけ離れていて、それでいて話すデルドアはまるで普通だと言いたげなのだ。
家族や親族のような繋がりもなく、寮のように所属が同じだから生活を共にしているわけでもない。
それどころか一つの群に居続ける者もいれば、偶々接した群が気に入って移り変わる者もいる。二人のように、群から離れて永住を決め込む者だって少なくないという。
それでいて関係は希薄というわけではなく、
「群の誰かが危機にあれば命を懸けて助ける」
と躊躇いなく言い切るではないか。
「例えば、群のなかにどうしても好きになれない人がいたとして、その人が危ない目にあっても助けるんですか?」
「俺達の場合『人』じゃないけど、それでも助ける」
「なんで? どうしても好きになれないんですよ?」
「そいつが好かない奴だとしても、そいつは『俺が命を懸けて助けたい誰か』の『命を懸けてでも助けたい奴』だろ。だから同じ群なら助ける」
そうデルドアが話せば、アランが瞬きをしながら彼を見上げた。
そんな簡単な理屈で誰かを助けるのだ。そしてそれが出来てしまうほど、彼等のなかで『群』は大事なこと。
血の繋がりも所属も種族も素性すらも関係なく、そばにいる相手を何より大事に思う。
その人間には理解しがたい在り方をそれでも羨ましいと思うのは、コートレス家に自分の居場所が無いのを自覚しているからだ。血の繋がった家族であり、父や兄とは同じ騎士であり、共に過ごした時間がありながら、それでもこのざまである。
それを考えれば惨めさが募り、揺らぎはじめる視界を誤魔化すように小さく頭をふった。
「あ、あの、デルドアさんの家族は? ここに暮らすまで同じ群にいたんですか? というか、親から産まれたんですよね……?」
「最後のはどういう意味だ」
「いえ、あの、魔物の誕生については詳しい文献が残ってなくて……もしかしたらパンを重ねるとその隙間に誕生するのかな……と」
「俺程の魔物になるとそこいらのパンじゃ産まれないからな。耳を切ってバターを塗っておけ」
そんな冗談を言いつつ、デルドアがサンドイッチを半分寄越してくれる。
豪快な食べっぷりを見るに、どうやらサンドイッチからは産まれていないようだ。もちろんアランも冗談で言っただけでありフォローを入れるでもなくサンドイッチを口に運んで彼の続く言葉を待った。
「親とは最初に群を出た時に別れてる。そのあとは知らん」
「知らんって……一緒にいようとか、そういう考えはないんですか?」
「俺が群を出ようと思った、そして親もそれを認めてくれた、それ以上に何がある」
「でも、それじゃ寂しくありませんか? もしかしたら二度と会えないかもしれないし、心配とか……」
「群を出る以上、俺は自分を成体だと判断し送り出す側もそれを認めたことになる。そもそも、親だろうが子供だろうが無理に手元に残しておくほうが酷だろ。生涯そばにいると決めるのは番だけで充分だ」
そう話しながらサンドイッチの最後の一欠片を口に放り込む。そんなデルドアを見上げつつ、アランがまさに『目から鱗』と言わんばかりに目を丸くさせていた。
彼の話はどの文献にも書いておらず、学者や研究者が残した考察にも載っていなかった。それどころか今まで誰一人として想像すらつかなかったのは、人間の家族や所属と言った括りとはまったく別次元にあるからだ。
なんの繋がりも関係もない相手と、同じ群というだけで守りあう。
互いに認め合っているからこそ、遠く別れることも厭わない。
その自由で柔軟な包容力は確かにデルドアとロッカをよく表している。
「羨ましい……」
とは、胸のうちに湧いた感情がとうとう漏れ出たアランの言葉。
互いを認め合い、だからこそ自由でいられる彼等の姿がどうしようもなく羨ましいのだ。
自分もそうであったならどんなに良かったか。
例え不名誉なこの称号を継がされたとしても、家族が変わらず接してくれたならそれで良かったのだ。
「ここに居ろ」と言ってくれればどんなに安堵したか、「守ってやるから」と言ってくれたらどれほど救われたか……。家族が変わらずにいてくれたなら、アランはアルネリアのままこの不名誉な称号を全うしただろう。
それが出来ないのならせめて一人の騎士として巣立たせて欲しかった。コートレス家も何も関係ないただ一人の騎士として接して欲しかった。
触れることも離れることも許されないこの距離のなんと心苦しいことか。
「同じ人間の家族だっていうのにこのざまですよ……デルドアさん達が羨ましい」
そう瞳に涙をためながら自虐的に笑うアランに、三つ目のサンドイッチを――それにしてもこの魔物はよく食べる――取り出しながらデルドアが眉間に皺を寄せた。
そうしてさも平然と、当然のように、むしろ当然のことだからこそアランを訝しがるように
「羨ましいもなにも、お前は俺の群だろ」
と言ってのけた。