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聖騎士団の詰所には資料室という部屋がある。といっても古くて狭いボロ小屋なのだから王宮にあるような資料室とは比べ物にならず、お世辞にも国に仕える騎士団の一室とは言い難い。
そのうえ詰所の主であるヴィグはその性格からまったく寄り付かず、もっぱらもう片方の主が出入りしていることから『アランの巣』とまで呼ぶほどだ。
「で、あいつは休みの日まで巣にいるのか」
「あぁ、なんか調べたいことがあるからって朝から巣籠もりしてる」
そう話すのはデルドアとヴィグ。
新調したばかりのソファーに腰を下ろし高級茶葉の深い味わいを堪能する、先日導入された三時のおやつ制度である。ちなみにデルドアの隣では、モコモコのクッションに顔を埋めたロッカが「寝てないよー、起きてるよー……」と寝言を繰り返していた。
普段であれば、この面子が揃えばアランも巣から出てくるのだ。だが今日に限ってはその様子もなく、待てどもいっこうに開かぬ扉に二人が視線を向けた。
「静かだな」
「雪崩が起きたら悲鳴があがるはずだし、寝てるのかもな」
そう話しながらヴィグが腰をあげ、次いでタオルケットを取り出すと「かけてやってきてくれ」とデルドアに差し出した。
赤い瞳が丸くなるのは「俺が?」と言いたいからである。
「ヴィグ、お前が行けば良いだろ」
「俺は資料に囲まれると頭が痛くなってくる」
「そんなのが団長だと団員が泣くぞ」
「泣くどころか喚いてる。おまえ巣に入ったことないだろ、ちょうど良いじゃん。中見てこいよ」
だから、と押し付けてくるヴィグに、デルドアが溜息をつきつつもタオルケットを受け取った。
そうして資料室ことアランの巣へと足を踏み込み……部屋のあちこちに積まれた本の山に赤い瞳を丸くさせた。
詰め込めるだけ詰め込んだという、とにかく尋常ではない量である。それらが高く積み上げられ、絶妙なバランスで保たれている。
そんな本の山の中央には、数冊を広げていかにも調べ物の途中と言った様子でうずくまるアランの姿。スゥ…と軽い息が漏れ背がゆっくりと上下しているあたり寝入っているのだろう。
休日とあってか赤いワンピースにオフホワイトのカーディガンを羽織り無防備に眠る姿は只の一人の少女。騎士とはとうてい思えない。
そんなアランにデルドアが近付き、そっとタオルケットをかけた。
「……ん……デルドア、さん?」
「悪い、起こしたか」
「んぅ……あれ、わたし調べ物してて……」
ボンヤリとした意識と口調でアランが周囲を伺う。
そうしてタオルケットを抱きしめつつ「そうだ、資料……」とモゾモゾ動き出す様に、デルドアが「まさに巣だ」と呟いた。
今のアランの緩慢な動きは、巣の中で親鳥を待つ雛そのものなのだ。
「……いま、なんだか聞き捨てならない言葉が」
「寝ぼけてても聞き逃さないか。しかし、凄い量だな」
「一時の聖騎士は英雄でしたから、伝記から子供向けのお話まで幅広く本が残されているんです。それに魔物の文献、あと聖騎士だった家の歴史書と……」
これとかかなり古いんですよ、とアランが掲げる一冊の本は確かに見た目からして年期を訴えており、そっと開いただけでペリペリと乾いた音がする。
「そんな古い本をこの部屋に詰め込んでるのか? 人間にとって古い本ってのは貴重なんだろ?」
「もちろん価値のあるものは王宮や王立図書館にしまわれてます。ここにあるのは写しだったり古いだけで価値のない本です。あと……本当だったら処分されてるはずの本」
そうアランが呟きつつ本を撫でて回る。
聖騎士か廃れその存在が嘲笑の的となったいま、かつての彼等の英雄譚を読む者はいない。
なにより、聖騎士の名に影がかかりはじめて以降、聖騎士団を抜けた家がこぞって伝記や戦記として残すことを拒否しているのだ。それどころか、既存の書物さえ処分しようとする動きも見せている。
まるで聖騎士としてあった事実を揉み消すようなその動きが必死だからこそ、冷ややかな視線はよりいっそう強まり残された聖騎士達へと向かう。
「この本達もずっと王立図書館の奥で眠ってたんです。それをフィアーナさんに頼み込んで、ヴィグ団長とここに運び込んだ」
もっとも、それもここ数年のこと。聖騎士団のこの境遇を考えるに、ここにある倍以上の本が灰と化したのだろう。
そう話すアランの声色にどこか切なさが混ざる。今まで山のように処分され無かった事にされた書物達と同様に、自分達の勤めもまた終わったところで何一つ残らず、ましてや残すことを望まれていないのだ。
ならばいったいこの人生は何だというのか……。
この先に続く長く途方もない時間を思ってアランが小さく溜息をつけば、それを見たデルドアが何か話しかけようと名を呼びかける。が、その直前に
ドザァァ……
と豪快に本の山が三つ四つほど崩れ、アランの姿が消えた。というか巻き込まれた。
「……おい」とは、シンと静まった部屋の中、まき上がる埃に口元を押さえつつ呆れながらのデルドア。
だが彼の呼びかけに対して返事はなく、代わりに雪崩の形跡として出来上がった新たな本の山がモゾモゾと動く。これはアランが無事な証である。
もっとも、動き出して数分たつと山から「タスケテー」とか細い声が上がり、これには流石のデルドアも慌てて本の山を掻き崩した。
「少しは整理したらどうだ」
呆れたと言いたげにデルドアが資料室から出てくる。その隣ではアランが体中に出来た小さな傷を確認しながら「そのうち」という、言ってしまえば『永遠に片付けません』と同義語の返事を返した。
「よぉアラン、凄い音がしたけど大丈夫だったか?」
「デルドアさんが掘り当ててくれました」
「そりゃ良かった。だけど気をつけろよ」
「はーい」
「……慣れきった会話だなぁ」
アランとヴィグの暢気な会話に、デルドアが盛大に溜息をつきつつ再びソファーに腰を下ろす。アランもまたそれに続こうとし……ふと思い立ってパタパタと腰元を叩きだした。次いで「ない、手帳がない」と慌てだす。
調べ物について書き込んでいた手帳が見当たらないのだ。持ち歩くときは必ず鞄かポケットに入れているし、他所で使うものでもない、他に心当たりは……と、探るように自分の行動を振り返れば、すぐさま先ほどの雪崩が思い出される。
巻き込まれる前までは資料と共に手にしていたのだ。つまり、あの雪崩で紛失した。
「探してこなきゃ」
と再び資料室へと戻るアランを、デルドアとヴィグが「気をつけろよ」と見送る。それに対するアランの「いったい何を気をつけろって言うんですか」という苦笑は、とうてい先ほどSOSを出した者の発言とは思えない。
そうしてアランが資料室に向かうと、デルドアと、ヴィグが顔を見合わせて肩をすくめあった。
ちなみにロッカはいまだ夢の中で「寝てないよー、寝てなんかないんだからー」と寝言で意地を張っている。
「で、あいつは何を調べてるんだ?」
「聖武器に彫り込まれてる文面。気になるんだと」
「ふぅん」
聞いたはいいが然程の興味もないのか、デルドアが「勤勉なやつだ」とだけ返す。対してヴィグは自分の聖武器であるナックルをとりだすと、表面を光に当てるように掲げた。
銀色のナックル。ロブスワーク家の家紋と、その横には現在では使われていない過去の文字が彫り込まれている。
といっても、言われなければ気付かないほどの薄さだ。彫りの溝も劣化して、なによりナックルに傷がついて文字との見分けがつきにくくなっている。こうやって光に晒して目を凝らしてようやく文面を確認できる程だ。
千年以上経過しているのだから当然といえば当然、むしろ文面どころかよく物が残っていたと――恨みを込めて――言いたくなる代物である。
「この文面を調べてるらしい。俺のは確か……『戦場にて弱き者を導き拳を振るう』とか、なんかそんなだった気がしないでもない」
「朧気にもほどがあるだろ」
「今はもう誰も読めない文字なんだぞ、仕方ないだろ」
そう言い返しつつヴィグがナックルをしまう。
聖武器に書かれている文面はどれも古代文字という過去の遺物で、今それを扱える者は一人としていない。ヴィグが口にした文面もロブスワーク家に代々言い伝えられているもので、聖武器から直接読み取ったものではないのだ。
「こう書いてある」と言い聞かされただけに過ぎず、なんの役にもたたず押し付けられたその言葉を一字一句違えず記憶に留めておくほどヴィグは出来た男ではない。むしろ口にするだけで忌々しさが募り、アランやデルドアが相手でなければ話題にすることも無かっただろう。
「今まで魔物についてばっかだったのに最近になって聖武器も調べだしててな、あれこれ引っ張りだしてるんだ」
いったい何が楽しいのか、そうヴィグが資料室へと視線を向ける。つられてデルドアも赤い瞳を向けるが、巣の主が出てくる様子はない。
紛失した手帳が見つからないのか、もしくは再び寝てしまったか。もっとも、出てこないからと言って呼びに行くこともしないのは、デルドアも用があって詰所を訪れたわけではないからだ。
――詰所を訪れるやモコモコのクッションを抱きかかえ、今では「寝てるなんてとんでもない」と寝言で訴えているロッカがまさにである――
それどころかデルドアとロッカに客という意識はなく、当時に聖騎士二人も客という対応はしていない。彼等の住処である小屋で立場が逆転しても同じである。
だからこそアランのことは放っておこうと二人で頷きあい、他愛もない雑談と高級茶葉を堪能することにした。
ドザァァ……と豪快な音が資料室から響き、次いで聞こえてきた「タスケテー」という声に慌てて腰を上げるまで。
「次の休みは調べ物じゃなくて巣の片付けをしろ」
と念を押すのは、アランの向かいに座るデルドア。
それを聞いたロッカがピンクのロングストローを酒樽に差し込みながら「お掃除なら手伝ってあげるよ!」と楽しげに笑う。
そんな二人に対してアランは居心地悪そうに「そんなにしょっちゅう雪崩が起きてるわけじゃありません」と言い訳をするも、厨房から現れたヴィグが「最高回数は一日に四回だったな」と止めをさしてきた。
ぐぬぬ……とアランが唸り声を上げたのは言うまでもない。だが幸いなのはヴィグが『注文したメニューと共に』席に来たことだ。手早くテーブルに並べられるそれは他でもなくヴィグの手作り……。
全く別のものを幾つか選んで頼んだのに、不思議とすべてが同じものに見える。
「……なんで俺達の注文はお前が作る流れになってるんだ」
「なんでって仕方ないだろ、今日の聖騎士団は夕方から『ベテランの店員がナイトウォーキングに誘われて休みをとってしまいその隙を魔物に襲われるかもしれない大衆食堂の警備』なんだから」
「相変わらずわけの分からない理由で扱き使われてるな」
「厨房の手伝いも仕事の内!」
そう話しながら席に着くヴィグに、アランが「これは聖騎士の仕事じゃありません!」と不満気に喚く。
といってもここまでがお決まりの流れであり、アランも喚きこそするがさっさと切り替えてフォークに手を伸ばした。ロッカがスンスンと鼻を鳴らし「変わらぬクオリティ!」と楽しげに声を上げる。
いつもの食堂、いつもの面子、相変わらずな会話と、そして発揮される食材殺しの手腕……。
余談だが、店側も無闇にヴィグを厨房に立たせているわけではない。だがやたらと調理を担当したがり、給仕役を押し付けても隙を見て厨房に潜り込むのだ。そして食材を殺す。
そういうわけで、気づけば賄いとこの卓だけはヴィグが担当して腕を振るうようになっていた。いつの間にか決まっている暗黙の了解というやつである。
――店長曰く「身内で処理しろ」とのこと。まったく飲食経営とはシビアなものだ――
そうして先程の掃除の話もどこへやら、目の前の見慣れた料理へとフォークを伸ばす。
「しかし聖武器についてだろ。残された本にも限りがあるなら、読みきったらお手上げじゃないか? ……おい待て、なんで俺の酒までいつもの味がするんだ!?」
「出来れば他の家に保管されている聖武器も見たいので、明日まわってみようかと……おぐぅ、オレンジジュースがっ……オレンジジュースのはずがっ……」
「アランちゃん、他の聖騎士のお家に行くの? 大丈夫?意地悪されない? ……樽で飲んでる僕の一人勝ち!」
ドヤッ! と胸を張るロッカに、オレンジジュースと酒を交換し「同じ味だ」と驚愕していたアランとデルドアが羨望の眼差しを向ける。
さすがは獣王の末裔、食材殺しの魔の手が食材に飽きたらず飲み物にまで及んでいたことを本能で感じ取ったのか。その鋭さ、危機回避能力、どんなに見た目が美少女といえどやはり獣を統べるものである。
もっとも、当のヴィグはといえば三人のやりとりを横目に箸を進めて酒をあおり、
「酒もジュースも同じ味って……お前たち、味覚がおかしいんじゃないか?」
と、さも自分は正常だと言いたげに眉をしかめていた。