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それから更に数日後、アランは市街地のタルト屋で並ぶタルトを眺めていた。
「ロッカちゃんはオレンジで、デルドアさんはベリー。どうせ団長も来るだろうからチョコレートと……私はどうしようかなぁ」
これも食べたいがあれも捨てがたい……とまさに目移りである。
スカートの中に仕込んである聖武器はこの強敵相手には加護を発動してくれず、アランの決意は揺れに揺れているのだ。
オレンジも美味しそうだし、でもこの間デルドアさんがベリーが美味しいって言ってた。チョコレートに関してはヴィグ団長が一口くれるだろうし……。
いや待てよ。冷静に考えてみろアラン・コートレス。そもそもタルトでいいのか? ケーキはどうだ?
と、こんなところである。聖騎士といえどアランも所詮は年頃の少女、甘いものの魅力には逆らえないのだ。
そうして目の前で『私を食べて』とアピールしてくるタルトに頭を悩ませていると、ふいに日差しが途切れて影がかかった。振り返れば、ジャルダン・スタルスの姿。
騎士の服ではなく、それでもスタルス家らしい畏まった服装。隣には誰も居らず、杖を着いているが彼らしい背筋の良さで佇んでいる。
「……アラン・コートレスか?」
「……そうですけど」
わざわざ人の顔をまじまじと見たうえで名前を確認してくるジャルダンに、アランが怪訝そうに返す。驚いたと言いたげな表情のなんと失礼なことか。
だがこの驚きようも仕方あるまい。アランのことを『コートレス家の代替騎』としてしか知らないジャルダンにとって、白いスカートに赤い上着を羽織り小柄なリボンのついた髪留めを飾るまさに少女といったアランの姿が理解できないのだ。もっとも、アランからしてみればそれも踏まえて失礼な話なのだが。
「そうしていると女のように見えるな」
「多重人格者扱いの次は女装癖ですか。私、今タルトを選ぶのに忙しいのでどっか行ってもらえませんか」
「いや違う、そういう意味じゃない。怒るな。それに用があって声をかけた」
「……用?」
「獣王の末裔に会いたい」
そう告げられ、アランが目を丸くさせた。
いったいどうして第一騎士団の団長がロッカに……と、そこまで考えてアランがハッと息を呑む。もしかして、彼もまた……。
「あ、あんな見た目ですけどロッカちゃんは男ですよ!」
「はぁ?」
「そりゃ愛らしくてプリプリしてますけど、中身は結構えげつなかったりしますからね!? 男というよりむしろ雄の領域ですよ!」
「おい、何を言ってる」
「それにジャルダン様は結婚されているじゃありませんか。不倫で男同士でそのうえ種族の違いなんて、ちょっとハードルが高すぎるんじゃっ……」
言い掛けたアランの言葉が途中で止まったのは、ジャルダンが鬼のような形相でこちらを睨みつけ、腰から下げている長剣に手を添えているからだ。これはまずい……と思わずアランの頬がひきつる。
冷ややかを通り越したそのオーラは、当てられているだけで死にかねない。
「ふざけたことをぬかすな、俺は妻一筋だ」
「わ、わぁーそれは素敵ぃー。で、どうして妻一筋なジャルダン様がロッカちゃんに会いたいんですか?」
これ以上逆鱗に触れないよう気を使いながら尋ねれば――なにせいまだジャルダンの手は剣の柄にかかっており、それどころかちょっと引きぬかれて刃がチラと覗いているのだ――ジャルダンが不服そうにしつつもそっと柄から手を引いた。
それを見て、アランが思わずホッと胸を撫で下ろす。といっても、ギリギリ指一本掛けているあたり未だ恐ろしいのだが。
「狼に囲まれた時、俺達を救ったのは獣王の末裔なんだろう。例え魔物といえど、その恩を返さないのは騎士の精神に反する」
「つまりお礼がしたいと」
そうアランが結論づければ、ジャルダンが頷いて返す。
つまりそういうことなのだろう、なんとも騎士道に徹した男である。となればアランも無碍にはできず、イチゴのタルトを注文すると同時に会計を彼に押しつけた。
デルドアとロッカの住まいは森の中にある。
群で移動している中であの家で一冬越し、気に入ったデルドアとロッカだけが住み着く形で残ったという。以前に聞いた話だ。
そう説明しながら森の中を進み、ふとアランが足を止めた。
「あの、彼らの家に案内しますけど、他言とかそういうのやめてくださいね」
「どういうことだ」
「よくよく考えてみたら、あの家って魔物の住処だって気付いたんです」
「安心しろ、俺が個人的に訪ねるだけだ」
そう断言するジャルダンに偽っているような様子はなく、なによりこんな手で住処を探るなど彼の騎士精神が許すはずがない。
ならばとアランも頷いて返し、再び歩き出した。
そうしてしばらく森の中を進めば、見慣れた一軒家が見えてくる。
デルドアとロッカの家、魔物の住処である。質朴ながらに暖かみのある、アランにとっては数少ない心休まる場所。
「あれがそうですよ」
「……あれが?」
え?と言いたげにジャルダンが目を丸くさせた。
数分前までは騎士らしく警戒の色を見せていたのに、今は警戒どころか間の抜けた表情である。パチパチと瞬きを繰り返しているあたり、よっぽど信じられないのだろう。
「あれが本当にそうなのか?」
「表札は出してませんけど、間違いなくそうですよ」
「布団が干してあるが」
「今日は天気がいいですもんね」
「煙突から煙が出てるが」
「煙突から煙が出て何が不満ですか。サンタクロース逆噴射でもしろって言うんですか?」
「……いい匂いがするが」
そうブツブツと呟くジャルダンに、アランが痺れを切らして「ほら行きましょう」と促すように歩き出した。
そうして扉を数度ノックすれば「あいてまぁーす!」と元気のいい声が返ってくる。
「おじゃましまーす」
「あ、アランちゃん! あのね!今ね!パンが焼けたよ!」
出迎えてくれたのは、ピンクのエプロンを身に纏い花柄のミトンでパンの乗ったトレーを運ぶロッカ。
急な訪問でもキャッキャと嬉しそうに迎えてくれるその愛らしさといったらない。
「ロッカちゃんこんにちは、美味しそうな匂いだね」
「イースト菌は僕の色気にメロメロでフカフカなの!」
「色仕掛けかぁ」
嬉しそうに「今用意するね!」とロッカが笑う……が、開かれた扉からジャルダンが姿を表すや途端に表情をしかめてヴーと唸りを上げた。
全身で警戒を示している。ピンクのエプロンと花柄のミトンは変わらず愛らしいが。
「どうしてその人がいるのー!」
「……ま、魔物がパンを焼いてるだと…」
「魔物がパンを焼いて何が悪いか!」
フッカフカのモチモチなんだから! と威嚇するロッカに対してジャルダンは言葉も出ないと佇むだけだ。
見兼ねたアランが彼らの間に立ち、ヒョイとジャルダンの腕を上げさせた。もちろん、タルトの箱を見えるように。
「ジャルダン様がタルト買ってくれたよ」
「紅茶にお砂糖とミルクは要りますか!」
「良かったですねジャルダン様、お客様認定されましたよ」
そう説明しながらアランが家の中へと入っていけば、いまだ唖然としたジャルダンがそれでも後に続く。唖然としながらコクコクと頷いて返し従う様を見るに、どうやらそうとう彼の中の『魔物の住処』とこの家がかけ離れているのだろう。
そうして二人が通されるままリビングへと向かえば、そこには先客の姿。勿論ヴィグである。
私服のアランと違い騎士服を纏った彼は、ソファーに腰を下ろして寛ぎつつこちらに気付くと
「よぉアラン、やっぱりお前も来た……か……」
と、陽気に手を上げかけて言葉の途中で硬直した。
彼の表情が一瞬にして青ざめたのは、アランの隣に居るはずのない人物が立っているからである。
言わずもがなジャルダンのことであり、数分前まで唖然としていた彼はヴィグの姿を見るや再び鬼の形相に戻り、腰の長剣に手をかけた。というより、半身ほど抜いた。
キラリと光る刃は日々の手入れが伺える。さすがジャルダン・スタルス、刃こぼれどころか汚れ一つないその輝きに比例してヴィグが青ざめていく。
「ヴィグ・ロブスワーク、貴様いまの時間は詰め所で勤務しているはずじゃないのか……」
「そ、それは……ちょっと待て、やべぇ……これは、その……!」
サボりの現場をよりにもよってジャルダンに見られ、ヴィグが見てわかるほどに慌てだす。
そのしどろもどろな態度がサボりを肯定しているようなものなのだが、本人は気付いていないのだろうか。
「答えろ、なぜこの時間に貴様がここにいる。返答によっては……」
「ま、待て、待て! これは、その……!」
「魔物の調査だ」
そう割って入ってきたのはデルドア。室内着なのか普段より少しラフな服装で、もちろんロングコートも羽織っていない。
そんなデルドアの言葉を聞き、ヴィグがパッと表情を明るくさせた。これ以上ないほどのタイミング出された助け船である。むしろジャルダンがゆっくりと剣を抜いているあたり、船どころか助け戦艦である。乗っからないわけがない。
「そう、魔物の調査! それでここに来てたんだ!」
「バレバレの誤魔化しを……」
乾いた笑いを浮かべて説明するヴィグに、ジャルダンが眼光鋭く睨んで返す。
だがジャルダンにとってここはアウェー、おまけに確かに魔物の調査が出来る場所なのだ。深追いはするまいと判断したのか、仕方ないと言いたげに長剣から手を離した。
そんなやりとりを眺めていたアランが、はたと我に返ってロッカに話しかけた。名を呼ばれてクルと振り返る彼からは焼きたてパン独特の甘くて暖かな香りが漂う。
「ロッカちゃん、これ……」
そう話しかけアランが右腕のブレスレットを撫でれば、中央に嵌められた赤い石がキラリと光る。
それを眺めながら狼達のことを離せば、ロッカがさも当然と言いたげに「だってそういう石だから」と答えた。
アランの頭上に疑問符が浮かぶ。あの光景を見たジャルダンも同様に「そういう石」では片付けられないとアランとロッカに視線を向けてくる。
「そういうって……だいぶ凄いことになってたよ」
「うん。その石ね、獣王の護石って言うの」
「獣王の護石……?」
アランが記憶の中の文献を引っくり返す。だが思い当たるものがなく首を傾げて訴えれば、ロッカが嬉しそうに笑った。
曰く、獣王にしか扱えない石。獣王がそれに値すると決めた者にしか送らない護石。
「この石にはね『僕の大事なひとに手をだすな!』って意味があるの」
「大事なひとに……」
それを嗅ぎつけたからこそ、あのとき獣達は頭を下げたのだろう。アランの背後に獣王の姿を見て、その威厳に従い一切手出しをしないと忠誠を示したのだ。
ブレスレットに嵌められているこの赤い石がそこまでのものだったとは……と思わずアランがまじまじと右腕に視線を向ければ、その反応が楽しいとロッカが笑う。人間の残した文献に獣王の護石についての記録がなかったのは、この柔らかな笑みを引き出させる者しか石を与えられないからだ。長い人間の歴史で初めて触れる、獣王のその包容力。
そんな二人の会話を聞いていたヴィグが「それって……」と入ってきた。胸元を抑えているのはそこにお守りがあるからなのだろう。
「ロッカちゃん、まさかさっきくれたこれも……」
「うん! 獣王の護石! ヴィグさんにはネックレスにしたの!」
「他の獣達に知らせる……それってつまりマーキングってことか?」
「んー、そういうものかなぁ」
「マーキングっていうと……尿!」
「違うよ! 石!護石!」
「尿結石!」
「没収! ヴィグさんの返して!」
キィ! と喚いてロッカがヴィグに掴みかかる。
もちろん双方ともに冗談なのは言うまでもなく、ロッカが豪快にヴィグの服を捲りあげれば、ヴィグもまたケラケラと笑いながら謝罪の言葉を口にする。まるで子供のじゃれ合いのようで、更にはデルドアまでもが「劣勢の方についてやろう」と楽しげに話を悪化させる宣言をしているのだ。
そんな普段通りのやりとりをアランが笑いながら見守っていると、隣に立つジャルダンが信じられないと言いたげに溜息をついた。
「これが聖騎士と魔物の在り方か……」
と、そう呆れ混じりのジャルダンに、アランは右腕のブレスレットをそっと撫でながら
「これが聖騎士と魔物の在り方です」
とハッキリと答えてやった。
…第三章 end…
第三章『小さくて可愛くて強いの!』はこれにて終わりです。
お付き合いいただきありがとうございました。
次話から第四章『聖騎士団の本当の話』が始まりますので、引き続きお付きあい頂ければ幸いです。
相変わらず、ゆるめな感じで奇数日9時〜9時半くらいの更新です。