10
そうして案内役は場違いなほど長閑に、そしてその後ろを歩く第一騎士団達は規律のとれた足並みと真剣味を帯びた空気を纏い、風邪を引きそうなほどの温度の違いを漂わせて洞窟の中を進んでいく。
それも休憩無しの歩き続けである。それでも隊列一つ乱すことないのだからさすが第一騎士団。誰人一人として不平を漏らさずついてきている。
そう広いわけでもない洞窟、そのうえ亜種の居場所は大体だが掴んでいるのだ。となれば時間を掛ける必要もなく一気に片づけてしまおうと考えたのだろう。
「ちょっとくらい休んだっていいじゃんねぇ」
とは、白靄のライオンの上で寝そべるロッカ。
歩きはじめてしばらく、飽きたのか暇になったのかライオンを呼び出して以降ずっとこの体勢である。ダランと四肢ごと体を預けウトウトと船をこぎ始めているあたり、あと少しすれば寝入ってしまうだろう。
そんな緊張感の欠片もないロッカに対し、デルドアとヴィグは飽きる様子も汗一つかく様子もなく一定のペースで歩いていた。時折は地図を確認したり雑談したりと余裕を感じさせる。
さすが片や魔銃の魔物、片や聖騎士である。といっても、もう一人の聖騎士であるアランは慣れぬ地形の行軍で既にヘトヘトになっていた。聖武器の加護が働いているには働いてはいるのだが、それでも限度がある。元々の体力が年頃の少女相応でしかないアランは早々に加護で割増された体力を使い切り限界を迎えていた。
もちろん、ジャルダンにあれほどの大口を叩いた手前、弱音を吐くわけにもいかず気丈に振る舞っている。もはや足を動かしているのは体力ではなく意地だ。
「アラン、大丈夫か?」
「だ、大丈夫です!」
数歩だが遅れをとったことを悟られ、アランが慌てて小走りにヴィグ達へと駆け寄る。
正直なところ体力も足の疲労も大丈夫などといえる余裕はない。ヴィグ達の歩幅に合わせて歩くだけでも辛く、かといって合わせて貰っても後続の第一騎士団に文句を言われる。大きめの岩を乗り越えるだけで膝が休息を訴え力が抜けそうになるのだ。
それでも……と奮い立たせるように小さく握った拳で足を叩けば、ふわりとした柔らかな感触が腕に伝った。まるで動物の毛のように肌触りの良いこれは……。
熊。
純白の靄かかった熊がアランの右腕に体を擦り付けている。
「うわっ!」
思わずアランが声をあげて庇うように手を引く。
誰だっていつの間にか熊に擦り寄られていればこうなるだろう。聖武器の加護が働いていなければ逃げ出すか失神していてもおかしくないほどだ。
「ロッカちゃん、これ……」
「あ、クマさん出てきてたんだ。アランちゃん乗りなよ」
「乗りなって言われても……」
「アランちゃんが辛そうだから出てきたんだって。大丈夫だよ、メスだし」
「いや、雌雄は気にしてないけど」
いったいどうしたものか……とアランが恐る恐る右手を伸ばす。靄の熊はそれに気を良くし、瞳を細めると鼻先を擦り寄せてきた。
猫のような仕草で、それでいて猫とは比べ物にならない重量感。親指ほどありそうな鼻をスンと鳴らしながら右腕にはめたブレスレットを揺らしてくる。
その豪快な動きに、大きさに、なにより安全と分かっていても感じる威圧感に、これに乗るのかと躊躇ってしまう。
たが足が疲れているのも事実。
ビリビリと痺れるような疲労が募り、一度でも立ち止まれば二度と歩き出せなくなるだろう。
あくび交じりに微睡みライオンの背上でリラックスしているロッカを何度羨んだことか。それでも「アランちゃんも乗る?」という誘いに意地を貫いて断ってきた。
だからこそどうするべきか……と、フンフンと急かすように鼻を押し付けてくる熊を一瞥する。断るにも、それはそれで勇気のいる迫力なのだ。
「アランちゃん乗りなよー。それともクマさん怖い? ダチョウさんがスタンバってるけど、ダチョウさんの方がいい?」
「アラン、乗れっ!」
「はいっ!」
ヴィグの悲鳴じみた声を聞きつつ――相当根深いトラウマになっているようだ――アランもまたダチョウは御免だと熊の背に飛び乗る。
ふん、と鼻をならすのはやれやれとでも言いたいのだろうか。だが跨ったアランはそんな熊の機微に気をやっている余裕はなく、馬とも違う乗り心地にどんな体勢を取るべきか分からずあぐねいていた。
仮にも聖騎士である、馬なら乗れる。だがそれも馬具があってのことで、馬具も何も無い熊が相手では乗馬の経験など何の役にもたってくれない。
どこに手を置けば良いのか分からず、足の置き場もないのだ。ロッカのように四肢を投げ出して全身を預けるのも気が引ける。
グラグラと揺れる乗り心地にアランが戸惑っていると、それを感じ取ったのか白靄の熊からグルルル……と小さな声が響いた。
「もっと全身預けて、寝ちゃっていいって言ってるよ」
「いや、でもさすがにそれは……」
「そのクマさん二足歩行苦手だから抱っこできないんだって。ゴリラさんならお姫様抱っこ余裕だってスタンバってるけど」
「「アラン! 乗りかかれ!」」
「失礼しまーす!」
ヴィグとデルドアの声に後押しされ、アランがポフと音を立てて熊の背に体を預けた。
動物の毛特有の柔らかさが全身を包み、それでいて衝撃を受けた靄が一部フワリと浮き上がるのだから不思議なものだ。
試しにと手を伸ばして頭に振れれば柔らかさが手に伝い、まさに熊と言った丸みのある肉厚な耳がピンと跳ねた。
暖かくは……ない。かといってヒヤリとした冷たさがあるわけでもなく、触れている感覚はあれども温度は何一つ伝ってこないのだ。
魂のみの獣。とうの昔に命を失い、それでも今再び自分を運ぶために姿を現してくれた。
獣なのに、今はもう生きていないのに、なんて優しい。
そうアランが呟きつつ、毛で覆われた背を撫でた。
ジャルダンが睨みつけてくるのが横目で見える。同じ人間で生きているのに、なんて冷たい視線たろうか。そんなことを考えつつ、アランがゆっくりと瞳を閉じた。
歩く熊の背上でグッスリと就寝……とはさすがにいかないが、それでもウトウトと微睡んで体を休めることはできる。
――と、アランは思っているのだが、実際のところちょくちょく数十分程度意識を手放して熊の背上で寝入っていた。だがそれを指摘すると意地を張って熊から降りかねないと判断し、誰も何も言わず、時折むにゃむにゃと寝言を呟くアランを微笑ましく眺めていた――
だがさすがに周囲に甘い香りが漂えば休ませているわけにもいかず、ロッカがピョンとライオンから降りると共にヴーと警戒の唸りをあげ、デルドアとヴィグが各々の武器を構えつつ揃ってアランの肩を叩いた。
「ん……んぅ……」
肩を揺すられアランが意識を戻し、ハッと我に返るや熊から飛び降りた。
「これは亜種の匂い!」
「アラン、おはよう」
「皆さん気を付けてください、近くに亜種がいます!」
「アランちゃん、おはよう!」
「私は第一騎士団に伝えてきます、みなさんは警戒しつつ周囲を探ってください!」
「伝えに行くのは構わないが、ヨダレを拭いてからにしておけよ」
「……むぐぅ」
なんとか上手いことやり過ごそうとしたもののデルドアにとどめを刺され、アランが顔を赤くさせつつ口元を拭う。
そうして開き直って元気よく「おはようございます!」と三人に答えて返せば、向けられる視線のなんと生暖かいことか。
その気恥ずかしさに耐えられないと踵を返し、異変を感じてこちらの様子を窺っている第一騎士団の元へと駆け寄っていった。
「亜種が近づいている?」
怪訝そうなジャルダンの言葉に、アランが頷いて返す。
「甘い匂いがしませんか? こう、鼻にまとわりつくような甘ったるい匂い」
「……言われてみれば確かにするな」
眉間に皺を寄せつつ、それでもジャルダンがスンと鼻を鳴らして周囲を窺った。
隊長のその行動を見たからか、後ろに控えている騎士たちも倣うように周囲を嗅ぎだし、「変な匂いがする」だの「分からない」だのと口々に言っている。
聖武器の加護が働き、そして何度も嗅いだことのあるアランとヴィグたからこそ気付けた程度なのだ。匂いが強まってきているとはいえ、気付けない者がいても仕方ない。嗅覚の差だ。
「これは亜種の匂いです。近くにいるはず……すぐに陣形をとってください」
命じる、とまではいかずともアランが強めの口調で伝えれば、ジャルダンが不快そうに表情を歪めた。
年若い女相手でもそれに見合えばきちんと敬意を払う彼のこの露骨な態度は、他でもなくアランが聖騎士だからである。
本来の在り方を忘れ、魔物と親しくする聖騎士。人間側からしたら裏切り者と映るのかもしれない。同じ戦場に立つのも嫌なのだろう。
それでも舌打ち一つで場を済ませ、踵を返すと部下に命じ始めた。そんなジャルダンと入れ替わるようにこちらに近付いて来るのはクロード。
「アラン、亜種が近くにいるのか?」
「匂いが強まってきてるから、こっちに近づいて来てるんだと思う」
「そうか……俺はその匂いがわからないんだが、きみがそう言うなら間違いないんだろう。俺達第一騎士団はこれから討伐の態勢に入る。……それで」
「聖騎士団と魔物は隅っこで大人しくしてろ、でしょ?」
そうアランが肩を竦めつつ尋ねれば、クロードがすまなさそうに眉尻を下げた。
「一切関わるな、大人しく道案内だけしていろ」と
事前に釘をさすように言われていたのだ。それこそ、デルドアとロッカが加わる前から。
「すまない、アラン」
「別にクロードのせいじゃないよ。それに、四人一緒だから」
そうアランが苦笑を浮かべつつ「頑張ってね」とクロードの肩を叩いて仲間の元へと戻っていった。
「そもそも、今回ギルトから受けた依頼は『討伐を見届けること』だ。お前達ならまだしも、他の騎士団の手伝いなんてする気にならん。契約業務外だ」
「まぁ、変に手を出して文句言われるくらいなら、大人しくしてろって言われてることだし傍観に徹するのが一番だよな」
「サンドイッチ美味しい」
「そりゃそうかもしれないけど、レジャーシートはどうかと思いますよ」
と、そんな場違いな会話が洞窟の隅でかわされた。
元々、亜種といえど弱い分類のものである。
討伐方法を踏まえて万全の準備がされている今、たとえ聖騎士でなくても討伐は難しいものではない。
とりわけ、騎士の中でも精鋭部隊と呼ばれる第一騎士団なら尚の事、規律のとれた動きで首尾よく亜種を追い詰めていった。
「……でも、何か引っかかるんですよね」
とは、そんな第一騎士団の活躍をレジャーシートに座りながら眺めるアランの一言。
彼等の動きは流石の一言で、これならばそう時間もかからずに討伐は終わるだろう。
負傷者も片手の人数と少なく、亜種の触手に刺されはしたようだか素早く後陣と入れ代わり避難したことで実質的な被害者はゼロと言ってもいい。触手から注入される毒はたいしたものではない、数時間幻覚を見るが後遺症はなく、荒療治だが無理やり意識を取り戻させる術も実証済みである。
だからこのまま全て順調にいくはず……。
そうアランが自分に言い聞かせ、サンドイッチを頬張る。それでも胸のうちに言い様のない不安がつきまとうのだ。
そんなアランに気付いたのか、食後のデザートを堪能していたヴィグが「どうした?」と顔を覗きこんできた。
「まだ気にしてるのか?」
「えぇ……そもそも、あの亜種の元になっている魔物はそこまで人数を捕食するタイプじゃないんです。数人取り込めば一年は巣にこもってるって文献に書いてあったんですが……」
だがギルトから報告された行方不明者数は優に二桁を超えていた。それどころか、数十のチームに依頼をして帰って来たのは片手の人数と言うではないか。
「食いだめの時期とか、もしくは複数いるか……」
「そういうことなんでしょうか。まぁ、複数いても第一騎士団なら大丈夫だとは思いますけど」
文献には獲物を貯蓄するような記載もなければ、群れるとも書かれていなかった。
だが過去の文献がそのまま現在でも通じるわけがなく、今目の前で紅茶を注いでくれる獣王の末裔と暢気にあくびしている魔銃の魔物がいい見本である。
だから今の亜種も文献とは違う。それはわかっている、分かっていても言い様のない不安が募るのだ。
「少しは落ち着け、考えすぎると無駄に疲れるぞ」
「デルドアさん」
「何があっても俺が守ってやるから、あんまり心配するな」
そうサラッと言いのけ、デルドアがデザートのイチゴを口に放り込んでくる。
その仕草はいたって平然としており、照れる様子もなくかといって冗談めいて誤魔化す様子もない。
もっとも、言われたアランは堪ったものではなく、一瞬にしてイチゴより顔を赤くさせた。
――ちなみに、アランが赤くなるのと同時にヴィグがナックルをはめ、ロッカが「きゃー!」と黄色い声を上げた――
「な……デルドアさん……」
「うん? どうした」
「いえ、べつに……そ、そうですね……」
ハタハタと自分の頬を扇ぎながら、アランが逃げるように視線をそらす。
彼の声色にも様子にもまったく恋愛めいたものはないのだ。勘違いしちゃダメだ……と自分に言い聞かせ、熱を持ちだす頬をペチペチ叩く。
仲間を守るとか、群れを守るとか、きっとそういった意味合いのはず。この中で一番弱いのが私だから、彼は守ると言ってくれる。ただそれだけだ。
期待するな、アラン・コートレス。
赤くなったり胸を高鳴らせるのは間違えている……。
そう胸のうちにフツフツと咲き始める感情を押さえつけ、せめてと話題を変えようとした瞬間、討伐を続けていた第一騎士団から声が上がった。
慌てて視線を向ければ、誰もがみな緊張した面持ちで足元を見ている。
撤退するでもなく攻撃を続けるでもない、その困惑の様子にアランとヴィグが立ち上がり、ジャルダンの元へと駆け寄った。
「どうしました!」
「走るな! くそ、地面が崩れ始めている。いいか、不用意に動くな!」
ジャルダンが声を荒らげて部下に命じる。
その瞬間、まるで彼の声に呼応するかのように亜種が甲高い鳴き声をあげ、軟体を大きく唸らせるや轟音を響かせて自らの体を地面に叩き付けた。
グラリと一度地面が揺れる。雷鳴のような激しい音を立てて岩肌が崩れ、欠片が転がっていく。シンと静まった気持ちの悪い静寂の中、岩の跳ねる音だけが高く長く響く。
それが更に緊張を募らせ、アランがジンワリと汗が伝うのを感じつつ周囲を見回し、ココ……と小さな音を響かせながら小刻みに揺れだす足元に慌てて身を引いた。
その瞬間、数秒前まで足を置いていた場所がガラと音を立てて崩れだした。
……眼の前に立っていたジャルダンを巻き込んで。
「ジャルダン様!!」
咄嗟に名を呼び、彼に手を伸ばして腕を掴む。たがアランとジャルダンの体格差は明確で、腕を掴んだ程度で支えられるわけがない。
彼の重さに引きずられるように足を滑らせ、その重さで崩れ始める足場と共に落ちていった。