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そうして一応午前の仕事も無事終わらせ――跡地に関しては適当に埋めておいた――午後の仕事であるハイキングコースの下見に向かったのだが、当然やることなどあるわけがない。
そもそも子供会のハイキングに選ばれる場所なのだから、いったいなにを下見すればいいのやら。それでもアランもヴィグも聖騎士である以上――聖騎士の仕事とはとうてい思えないが――仕事を疎かにすることができず、危険はないかとハイキングコースを見て回った。
やれ触るとしばらく手に嫌な匂いがつくリスがいるだの、やれ触ると被れる草が生えているだの。そのうえ子供達が転びそうな太い幹が生えていたら地図に書き留めたり、手や足を引っかけて怪我しないようにと棘のある草花を刈りとってやったり。さらには昼食や休憩をとれそうな場所を見つけてやったり……。
話題こそ終始先程のデルドアの行動ではあったが、二人ともしっかりとハイキングコースの下見をしていた。
……この仕事を疎かにできない損な性格が、聖騎士を雑用係としている最たる要因だなどと到底気付きもせず。
そうして二人が下見を終えたのは陽が落ちてしばらく。既に城下に人の姿は少なく、王宮の門をくぐれば夜警が二人の帰還に対して「ご苦労さん」と適当な言葉をかけてくる。
それに対して片手で応えつつ向かった先は、王宮や各施設が並ぶ区域の隅にある小屋。聖騎士団の詰め所。
木造の古びれたまさにボロ小屋といった外観、築年数はかなり経過しており、あちこちにつぎはぎの後が見られる。古く汚れの残る壁面に目新しい木の板が打ち付けられている様がさらに悲壮感を誘う。――あれは確か、去年の大雪の日に壁に穴があき「冬将軍が殺しにかかってくる!」とアランが悲鳴を上げながら打ち付けたのだ――
夏は暑く、冬は寒い。
建物の陰に建てられているため陽の光はいっさい差し込まず、干したクッションが湿気を帯びて戻ってくることもざらではない。
そんな外観なのだから中もお察し。座るたびにギシギシと音が鳴る椅子に、あちこちガタがきて一部が開かずの引き出しと化した机。水場はあるにはあるのだが、冬は冷たく夏はぬるい水が出てくる。それどころかたまに水が出なくなる。
人が働く場所ではない、というのがアランとヴィグの総意である。
そんな詰め所に戻り、アランが椅子に座って深く息を吐いた。ギシと大きな悲鳴があがり椅子が傾くが、やはり詰め所に戻ると落ち着くというもの。
寮にある自室よりコートレス家の屋敷より、人目から遠ざかり建物の陰に隠れて無いもの扱いされているこのボロ小屋こそアランにとって一番、そして唯一心が落ち着く場所なのだ。
聖騎士を押しつけられ、聖騎士であるために周囲から冷ややかな視線を受け、家族と溝まで作り、その果てにこの『聖騎士の詰め所』が心落ち着く場所なのだから皮肉なものだ……とアランが溜息をつきつつ、机に置いた聖武器を睨みつける。
コートレス家の聖武器。二本の短剣。
柄には細やかな細工が施され、刃には古の文字が刻まれている。誰が見ても上質な短剣と分かるだろう。
もっとも、聖騎士の末裔が手にすれば魔物と対峙している時のみ加護を授かる……つまり魔物相手に強くなれるという、上質どころではない未知の代物である。だが今のアランにしてみれば、まったく微塵も有り難くない。そもそも戦うような魔物がいないし、幾度となくデルドアに言い負かされているあたり、口喧嘩には加勢してくれないときた。
役立たず。こんなものなければ良かった。
もっと早くに力を失っていれば……
代替騎にならずにすんだのに……。
と、そこまで考え、アランが小さく溜息をついた。今更どうにかなるわけでもない、いくら聖武器を睨みつけたところで自分は聖騎士なのだ。
ならば今は仕事をしよう、そう諦めに似た考えで机の中から資料を取り出す。ひとまず今日の報告書を作成して、あとさっきからギシギシ言いっぱなしの椅子を買い換えるための費用申請をしなくては。前者は面倒くさがって一日さぼれば最後、山のように増えていくし、後者はいいかげん年頃の少女としてのプライドが傷ついて泣きそうになってくる。
――けっして重くてギシギシいっているわけではないのだが、それでも気にするぐらいにはアランも年頃の少女なのだ――
そうしてチラと背合わせに座るヴィグに視線を向ければ、彼はハイキングコース表になにやら書き込みをしていた。
幼い子供にも分かるようにとイラスト付きで書き込んでやる彼の優しさと言ったらない。どう考えたって聖騎士の仕事ではないが、それでも子供を想う気持ちは国を守る騎士そのもの……
「うわっ! ヴィグ団長、絵へったくそですね!」
「なんだよ失礼だな! ていうか見るなよ!」
「うわ、なにこれ! 怖い! 団長の目にはこの化け物が映って……花!? これ花ぁ!?」
前衛的を通り越して精神を病んでいるのではないかと疑いたくなるイラストに、どうしてかヴィグが誇らしげに「うまく描けてるだろ」と胸を張る。
いったいその自信がどこからくるものなのか、地獄巡回図と化したハイキングコースマップを眺め、アランが仕方ないと言いたげに肩を竦めた。
「私が描いてあげますよ」
「いいのか?」
「子供達をトラウマから守るのも聖騎士の仕事ですからね!」
「なにさり気無く人の絵心を馬鹿にしてるんだよ! 見ろ、この可愛いリスを!」
「リス!? それリスだったんですか!? 私、いつ団長は火の玉を見たんだろうってさっきから不思議だったんですけど!」
ヴィグの目にはリスがどう映っているのか、赤い色鉛筆で塗りたくられたそれはまさに火の玉である。妙に弾けるように盛んに燃えているなと思っていたが、あの飛び散る火の粉の部分はもしやリスの髭や尻尾なのだろうか。
これは絵心どころではない……とアランが上官の美的感覚に不安を覚えつつ地獄巡回図を受け取れば、他の仕事をするためかヴィグがガタガタと盛大な音をたてて机の引き出しを開けた。
――開いた瞬間、ガキン!と何かがはずれるような音がしたが今更な話。大丈夫、開いたならこっちのもの。この詰め所において開かないのは問題だが、閉まらないのはさして問題視すべきではないのだ――
そうして互いに仕事を進める。
時刻は既に遅く、朝から勤務の騎士であれば既に寮に戻って寝ていてもおかしくない時間。
それでもアランもヴィグもペンを置く様子なく、時に雑談を交えながら仕事をこなしていった。
といっても、アランとヴィグが仕事熱心なわけでも、かといって夜更けまで働かなければならないほど仕事が多くも遅いわけでもない。それでも二人が詰め所を出たのは、月がてっぺんに登り日付が変わりかけた頃。
もちろん周囲は暗く、月明かりと外灯しか周囲を照らすものはない。若い女性であれば一人で歩くのは怖いと感じられるかもしれない。
もっとも、自らこの時間まで残り、それも毎日のことであるアランにとっては今更不安などあるわけもなく、男子寮へと向かうヴィグと別れ、一人とぼとぼと女子寮へと向かっていた。
そんなアランに声がかかる。
「アルネリア嬢」
と、聞き覚えのない声。それもよりによってな名前で呼ばれ、アランがビクリと肩を震わせた。
慌てて振り返れば、そこに居たのは夜闇の中でも美しさを感じさせる一人の騎士。
金糸の美しい髪に緑かかった青い瞳、完璧とさえいえる甘いマスク。しなやかな体つきはまるで芸術品のような絶妙なバランスを見せ、見る者の言葉を失わせる。さらにその魅力を引き立たせるのが、青と白を基調とした騎士の制服。
同じものを着ているはずが、なぜか彼の着ているものだけが一級品のように見え、そんなまさに理想の騎士と言わんばかりの青年にアランが見惚れるように吐息をもらし……はたと我に返るや慌てて頭を下げた。
「レリウス様……!」
そう名を呼べば、目の前の青年が近付いてくる。
柔らかく微笑む姿は美しく、片手を軽くあげる仕草のなんと優雅なことか。
女性ならば誰もが焦がれる眉目秀麗の騎士、レリウス・スタルス。
過去聖騎士として戦い、その称号を返還したスタルス家の三男、アランからしてみれば一人の騎士としても、そして取り残された聖騎士としても二重の意味で憧れる存在である。
「アルネリア嬢、仕事は終わりましたか?」
「は、はい……」
「こんな遅くまで、それに若く美しい貴女を一人で帰らせるなんて信じられませんね。いったい他の騎士達はなにをしているのか」
「いえ、そんな。自分で残ってるだけですから」
女性に優しく紳士的という評判の通りアランを気遣うレリウスに、逆にアランが戸惑ってしまう。
こんなふうに一人の女性として扱われていたのはとうの昔、なにより今の自分を「アルネリア」と呼ばれることが落ち着かなさに拍車をかける。
「どうしました、アルネリア嬢」
「あ、あのレリウス様……その、アルネリア嬢というのはやめて頂けないでしょうか」
「なぜですか? せっかく貴女に似合った美しい名前なのに」
「私はアランです。コートレス家の代替騎、聖騎士のアラン・コートレスですから……」
そうアランが俯きつつ呟けば、レリウスが僅かに目を丸くさせつつ「そうですか」と小さく返した。
そうして手を差し出してくるので、今度はアランが目を丸くさせる。まるで夢物語のワンシーンのようでいて、自分には――少なくともアランには――あり得ない光景なのだ。どうすれば良いのか分からず首を傾げれば、その反応が面白かったのかレリウスが小さく笑みをこぼした。
「こんな時間に食事もなんですが、どうでしょう、少しお茶でも」
「……私と?」
「えぇ、貴女と話がしたかったんです」
そう誘うように片手を取られ、アランの頬が一瞬にして熱くなった。
相手はあのレリウス。誰もが焦がれる騎士様。見た目も性格も家柄も才能も称号も、なにもかもが完璧な理想の具現体。彼に焦がれる令嬢は数知れず、そんな相手に手を取られたのだからアランが真っ赤になるのも仕方あるまい。ふわりと甘い香りが鼻をくすぐり、それが彼から香っているのだと分かれば更に頬に熱がともる。
「あ、あの、手を……手を、離してください」
真っ赤になったままアランが訴えれば、しなやかな指がそっと離れていく。
「失礼しました」と口調こそ非礼を詫びてはいるものの、指は名残惜しそうにゆっくりと離れていくのだから、これに胸を焦がさない女性はいないだろう。
アランの心臓が跳ね上がり、同時に締め付けられる。だがそんなアランに対しレリウスは優雅に微笑み、それどころか「行きましょう」と声をかけるや返答も聞かずに歩き出した。その甘い強引さに僅かに戸惑いつつ、それでも後を追うしかなかった。
レリウスに案内されたのはお茶のできる店……ではなく、妙に大がかりな服屋。
この時間であれば当然営業終了のはずが光々と明かりがついており、店内から人の気配がする。いったいどうして?とアランが首を傾げ……
グイと店内に押し込まれ、あれよと言う間にドレスアップさせられた。
そうして服屋から出てきたアランは美しく着飾っており、手がけた者達も、それどころか待っていたレリウスさえも見惚れるほどであった。
といっても化けたわけではない。仕立てのいいドレスを纏い、三つ編みにしていた髪を解いただけだ。
もとよりアランは見目が良い。幼さと愛らしさの感じさせる顔つきに、騎士として鍛えているだけあってスタイルもなかなかのもの。日頃色気もなにもなく一本の三つ編み縛りでまとめている髪も解けば緩やかなウェーブを描き、その艶めく赤髪は見るものの目を奪う。色濃い紫の瞳と長い睫が麗しさを感じさせ、ほんのりと化粧を添えられた頬がまるで人形のような気品を感じさせる。
そのうえアランはコートレス家の令嬢なのだ。本来であればアランだって誰もが憧れるような存在で、社交界では引手数多だったはず。
もっとも、本人は自分の華やかな姿を誇るでも驚くでもなく、むしろ今の状況についていけないと呆然としているのだが。
「……あの、レリウス様、これはいったい」
「驚いた……美しい」
「……あの、え?」
レリウスがポツリと呟いた言葉に、アランがさらにわけがわからないと唖然とする。
それでも次の瞬間にボっと音がしそうなほど顔を赤くさせるのは、聖騎士になってから異性に誉められることなど皆無だったからだ。
――たまにヴィグが「うちの子が一番可愛い!」と吼えているが、あれはノーカウントである。なにせあれは「可愛い」と書いて「使い勝手が良い」と読むのだ――
「そんな、美しいなんて……!」
「謙遜しないでください。貴女はとても美しい……どうか今夜、少しで構わないので僕に時間をください」
レリウスの青い瞳に見つめられ、アランがしばらく唖然とした後コクリと一度頷いた。
あぁ、いったいどうして彼の誘いを断れるというのか……。
そうしてレリウスに連れて行かれたのは、今度こそ正真正銘の飲食店。
といっても普段アランがヴィグと食事に行くような――たいてい一時間に一回は誰かが殴り合いの喧嘩をするようなやかましい食堂であり、男女が向かい合って酒を飲んでもまったくその気にならない。それどころかたまにアランもヴィグも働かされる――店ではなく、外観からも庶民はお断りといった空気の漂う一級の店である。店内は華美にならない程度に品良く飾り付けされ、緩やかな音楽がさらに格調高さを感じさせる。
まさに別世界……いや、コートレス家の令嬢なのだから元いた世界というべきか。
そんなムード満点の店でレリウスと話をするのだから、アランが緊張しないわけがない。アランのコートレス家とレリウスのスタルス家に格差はなく互いに騎士の名家として名を馳せているとはいえ、彼はそんな家の将来有望な三男、対してアランは押し付けられた聖騎士なのだ。元は同じだとしても現状は天と地といえるほどの差があり、気負うなと言う方が無理な話。
だがそんなアランの心境を察したのか、レリウスは緊張を解すように穏やかな口調と話術で、社交界から退場したアランでも分かるように話を進めてくれた。このさり気無いスマートさもまた彼がモテる理由なのだろう。
そんな会話の中、
「聖騎士をどう思いますか?」
と問われ、アランが一瞬だが瞳を細めた。
「どう、とは?」
「今の聖騎士です。貴女とヴィグ・ロブスワーク、二人でこれからどう進めていくのか、そういった考えはあるんですか?」
麗しいほどの笑顔を浮かべたまま、ほかの話とさして変わらないと言いたげな軽い口調で尋ねてくるレリウスに、アランが僅かに眉間に皺を寄せた。
スタルス家の聖武器が力を失い、聖騎士の称号を返還したのは二百年程前のこと。その末裔なのだから話題にのぼってもおかしくはない。とりわけ社交界を去った聖騎士アランと騎士レリウスの共通点など数えるほどもなく、その中でも色濃いものが聖騎士なのだ。
だけど……とアランが視線をそらした。どうするか、だって?そんな……。
「聖騎士にこれからもなにもありません」
「どうしてそう思うんですか?」
「聖騎士はもう終わるべきです。叶うなら、コートレス家もロブスワーク家も、私たちの代で」
そうアランが告げれば、レリウスがポツリと「そうですか」と呟いた。
逃げるようにそらされたアランの視線で何かを察してくれたのか、その後は直ぐに話題を変えてしまう。
そのスマートさや、なにより先程の空気を変える話術にアランもまた肩の力を抜き、一人の女性として彼との時間を楽しむことにした。彼の話も、この店の雰囲気も、用意された紅茶も、そしてふわりと鼻をくすぐるこの甘い香りも、何もかもが夢のようで、楽しまなければ損だと思えたのだ。
もっとも、「もったいない」と呟かれたレリウスの声だけは、さすがに聞き流すことは出来なかったけれど。
※次話から更新間隔が一日置きになります※