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【完結】ふたりぼっちの聖騎士団  作者: さき
第三章『小さくて可愛くて強いの!』
39/90

 

 柔らかく微笑んで心配ないと告げ、持っていた鞄から取り出しすのは一通の手紙。差出人の名前を見て黒髪の学友が頬を緩ませた。

 クロード・ラグダル。アルネリアの想い人……。

 どうしてボーっとしていたのか、彼からの手紙をお気に入りの庭園で読もうと、そう考えていたではないか。


「嫌だわ私ったら、クロード様の便りに浮かれていたのかしら」


 そうアルネリアが照れくさそうに自分を笑う。

 学友達のように他の騎士や貴族の子息に焦がれて黄色い声をあげることこそしないが、クロードが相手ではこの通りなのだ。まったく彼女達と同じではないか。

 きっと彼に話したら、


「そうやってボーッとして変な男についていくなよ。危なっかしい」


 と、苦笑されてしまう……。


「……え?」


 自分の想像の中で聞き覚えのない声を聞き、アルネリアが小さく声をあげた。

 まるで目の前で言われたかのように鮮明に想像できた声、だがあんな声の人を自分は知らない。あんな喋り方の知人はいない。父親でも兄達でもクロードでも、学校の教師達でもない……知らないはずの鮮明に思い出せる声。

 今の声は誰のものなのか。


「違うわ、クロード様はあんなこと仰らない」


 微笑んでくれるか、それとも顔を赤くさせるか。どちらにせよクロードは先程のような発言をする男ではなく、なによりあんな口調ではない。

 だというのに、クロードではないと分かっているのに、あの声が鮮明に浮かんで消えてくれない。呆れたと言いたげで、それでいてどこか悪戯気で、そうしてなによりこちらの気持ちなどお構いなしに真っ直ぐ向けられる、この……。


「アルネリア様?」

 ――アラン――


 クイと袖を引っ張られて名を呼ばれ、アルネリアが慌てて顔を上げた。

 黒い瞳が心配そうにこちらを覗きこんでくる。赤ではない、黒い瞳。人間の黒い瞳……。


「あ、私……」

「アルネリア様、体調が優れないのでしょうか? 私、誰か呼んでまいります」

「私、ここで何を……」

「アルネリア様、すぐ戻ってまいりますから」


 そう優しく肩をさすってくれる手は、『まるで少女のよう』ではなく正真正銘少女の手。節も細く、しなやかで柔らかい。そうしてそっと手が離れて黒髪の学友が小走りで駆け出せば、女学校の制服である濃紺のスカートが翻る。

 青と白を基調とした騎士の服ではなく、ましてや茶色のロングコートでもない。


 ――アラン――


 頭の中で自分を呼ぶ声がする。だがその名前はアルネリアのものではなく、まったく別の名前。

 聞いたことのないものだ、なのにどうしてか自分が呼ばれているかのように胸がざわつく。この声を、親しみを込めて呼んでくれるこの名前を、自分は知っている……。


「誰のこと、誰の声……わけが分からない。怖い、誰かっ……」


 誰か、と。そうアルネリアが小さく助けを求める。

 次いで出た名前は学友の名でも敬愛する父や兄達でもなく、愛しいクロードですらない……。


「デルドアさん」


 アルネリアがその名前を呼んだ瞬間、視界が一瞬にして揺らぎ足下が崩れ……ピチャンと音を立てて水の中へと落ちた。




「ごふっ、がふっ……ごぼぼぼぼ!」


 突然世界が一転して水の中へと沈みアラン(・・・)が息苦しさにもがけば、それを合図にしたかのように首根っこがグイと引っ張られた。水の中から出たのだと感覚で察して慌てて息を吸えば肺に空気が戻ってくる。

 わけが分からない、女学校には滝なんてなかったはずなのに……と、咳込みながら目の前で流れ落ちていく水を見る。ここに顔を突っ込んだのか、そりゃ苦しいはずだ。


「おい、大丈夫か?」

「……あなたは? あれ、ここは女学校じゃ……制服は……」

「ちっ、まだ錯乱してるな。もう一回いくか」

「女学校にいたはずなのに……え、もう一回って、がぼっ!ごぼぼぼ!」


 再び滝に顔を突っ込まされ、アランがガボガボと喚く。

 水が冷たい、呼吸が出来ない、いや最早そういう次元ではない。

 そうして再び引き戻され、プハッと音がしそうなほど勢いよく空気を吸い込んだ。割と本気で死を予感しそうな苦しさだったが、水の冷たさと生存本能からか幾分思考がクリアになった。少なくとも、自分を水責めにしてくれているのが誰かは分かる。


「デルドアさん、なにするんですか!」

「なにって、お前の意識が無かったから水につけて戻した」

「水につけて戻すって、乾燥ワカメみたいに扱わないでください! 荒療治にも程がある!」

「すぐに洗い落とす必要があったんだから仕方ないだろ」

「……洗い落とす?」


 なにをですか? と首を傾げつつ、アランがヒョイと自分の体を見下ろし……ボロボロに溶けた騎士の制服と、破れ落ちた隙間から見える自分の肌に慌てて体を覆ってしゃがみ込んだ。

 かろうじて裸という程ではないが、それでもあられもない姿だ。ズボンは腿のあたりから布が溶けてなくなっているし、胸元も大分大きく開かれている。かなり際どい。


「な、なんっ、なんでっ……!」

「溶かされたんだろ。肌は平気か?」

「と、とくには……平気、です……」

「そうか、ならこれを着てろ」


 そう告げてデルドアが投げて寄越すのは彼のロングコート。

 礼を言って羽織ればフワと硝煙の香りが漂い、試しにと腕を伸ばせばダランと余った布が垂れた。だいぶ大きい。引きずってしまいそうで、まるでスカートを持ち上げて階段を上る令嬢のように端を持ち上げて歩かなければならない。

 それでも服を借りれることは有り難く、水に漬けられたことで冷え切った体が彼のコートから僅かな熱を感じ取る。仄かな暖かさが先程まで着ていたことを訴え、その生々しさにアランの頬が自然と赤くなっていった。


 ……抱きしめられているようだ。なんて、そんなことを考えてしまう。


 だがもちろんデルドアに他意などあるわけがなく、アランがコートを羽織ったのを見届けるとさっさと適当な場所を見つけて腰を下ろしてしまった。

 それどころか「ボーっとしてどうした、もう一度水に浸けるか?」とまで言ってくるのだ。優しいと思ったらすぐこれだ、とアランが溜息をつきつつ彼の隣に腰を下ろす。


「ヴィク団長とロッカちゃんは?」

「後から来るだろ」


 そう告げてデルドアが傍らに置いておいた鞄から野営用の道具を取り出す。といってもさほどの準備も無いようで、お世辞にも十分とは言い難い道具を手に「これで火を点けられるか?」と尋ねてきた。

 燃料とも言えない代物、これが野営の素人であれば首を振っていただろう。

 だがアランは野営のプロ。国立図書館で責任者として働く多忙なフィアーナが寮に帰れない日は寮の庭でビバークして過ごしていたプロ。もちろん食事は庭で自炊である。寮の食堂なんて恐ろしくて足を踏み込めない。

 だからこそ「任せてください!」と自信たっぷりに受け取り手早く火をつければ、だいぶ引いた「うわぁ、臨機応変」という声が返ってきた。


 そうして「おまえはこの仕事が終わったら医者に行け」と言われつつ、時折パチンッと音をたてる火を眺める。


「それで、あれはどんな亜種だったんだ? 無地だったのになにがあった?」

「見た目が無地だったんで油断してました。あれは人に毒を注入する時だけ模様を出すようです」

「毒? おい、大丈夫なのか?」


 心配そうに窺ってくるデルドアにアランが問題はないと頷いて返す。

 毒といっても感覚を麻痺させる程度の物だ。文献の通りであれば後遺症もなく、意識を戻せば時間とともに効果も薄まっていく。

 やっかいなのは毒よりも……。


「……夢を、見るんです」

「夢?」

「幸せだった時の夢を。その間に獲物を溶かして取り込むんです」


 ゆえに捕まったものは苦痛も恐怖もなく、それどころか幸せな夢の中で命を落とす。

 中には魔物から逃げることが出来ても、その時に見せられた夢が忘れられず再び魔物の元へと向かってしまう者も居るという。それほどまでに鮮明に、そして獲物が一番幸せだった時間を意識に植え付けるのだ。

 例えば、魔物に家族を殺されたった一人残された子供が、恋人を失い絶望の縁にたたされた者が、この魔物に取り込まれ夢を見させられたとする。幸せだった時間、もう二度と戻らない時間……。仮に意識を取り戻して逃げられたとして、その後を普通に生きていけるだろうか?

 失ったものを再び与えられ、そして再び取り上げられるのだから喪失感は尋常ではないはずだ。その果てに彼等は再び魔物のもとを訪れる。……殺されると分かっていても、幸せな夢にひたるため。


「だから魔物自体は大したことはないんです、逃げ出せた者も多かったはず。でも、そのあとに……」

「なるほど、先発したギルドの奴らも一部はそうなってるかもな」

「……でも、あれ自体は摂取量がそんなに多いわけでもないんです。一人二人取り込めば一年くらいは大人しくなるはずなのに」

「ほかにも何かあるってことか、面倒だな。ところでアラン」

「……はい?」

「もう泣くな」


 そう真っ直ぐに告げられ、アランがいったい何のことかと尋ねようとし、ふと指先で触れた頬が濡れていることに気付いた。

 先程の水ではない。既に手足は乾きはじめている。

 それでも頬を伝うこれは……涙。

 そう自覚した瞬間、胸が一瞬にして締め付けられ、伝っていた涙があふれ出す。


 幸せだった夢を見た。

 平和な女学校で親しい友人と微笑みあい、家族と愛しい人に想いを馳せる、優しくて暖かな時間。思い出せば思い出すほど、そしてあの時間がもう戻らないのだと自覚すればするほど、覚めたくなかったという気持ちが沸き上がる。

 そして何より、あの時を夢に見る自分の惨めさが募り、恨み言にも似た自分への罵倒が胸に沸き上がって涙がこぼれていく。


「も、もう……あきらめたはずなのに。もう、大丈夫だって、そう、思ったのに……なんて、なんて女々しい……」

「アルネリアの時の夢か」


 呟くように尋ねてくるデルドアの言葉に頷いて返せば、更に涙がボロボロと落ちていく。吹っ切れたと気丈に振る舞っていても、心はまだあの時間にあったのだ。

 なによりアランの惨めさに拍車をかけるのが、亜種の触手に胸を突かれた瞬間、捕らわれ流れていく景色に連れて行かれるのだと察した瞬間。本来であれば絶望すら感じるはずなのに、アランの胸にわいたのは……


「あ、あなたがっ、助けてくれるから大丈夫だって……そう考えてしまったんです」


 いったいどこの世界に、魔物の亜種にさらわれても「助けてもらえる」などと考える騎士がいるというのか。それも、いかに親しくしているといえどデルドアもまた魔物なのだ。魔物を頼る聖騎士など今まで一人たりとも居たためしがない。

 情けない、女々しい、聖騎士の面汚し。そう心の中で自分を罵ればアランの瞳が更に揺らぐ。

 だがそんなアランに対し、デルドアは不思議そうに「それがどうした」とだけ返した。


「……どうしたって」

「現にこうやって助けてるし、だから別におまえがそれを考えるのも当然だろ」

「でも、私は聖騎士です。守る側なのに、私が守らなきゃいけないのに……」


 それなのに、とハラハラと涙をこぼしながら訴えるアランに、デルドアが小さく溜息をついた。


「まだ意識が朦朧としてるのか? 泣くと体力が減るぞ、ロッカ達が来るまで寝てろ」

「でも、私は聖騎士なんですよ! それなのに貴方が助けに来てくれるなんて、(おご)って……」

「傲り? 違うだろ」

「……違う?」


 グズと洟をすすりながらアランがデルドアを見つめる。

 涙でぼやけた視界の中、それでも彼がじっとこちらを見ているのが分かる。

 赤い炎を映す、赤い瞳。それに見据えられ、アランが再び彼の名を呼ぼうとし……


「アラン」


 と、呼ばれた声の低さに心の中で小さく呟いた。

 あぁ、この声だ……と。


「確かに聖騎士は人間を守るのが仕事だ」

「そ、そうです。だから私は……!」

「だが俺は魔物だ。お前が守らなきゃいけない人間じゃない」

「デルドアさん……」


 彼のこの言葉を聞くのは二度目だ。二回も彼の前で弱音を吐いてしまったのだと考えれば惨めさと恥ずかしさが募る。

 だがそんなアランの気持ちなど欠片も気付いていないのだろう、デルドアが平然と、さも当然と言いたげに


「だから俺が守ってやる」


 と告げた。


「……え?」

「おまえが聖騎士として人間を守るというなら好きにすればいい。人間じゃない俺には関係ないことだ」

「関係ないって、確かにそうですけど……」

「聖騎士の役目も代替騎もコートレス家も俺には関係ない。俺はお前を守る、なにがあろうとそれは変わらない。だからそれを踏まえてお前は好きに人間を守るなりすればいい」


 そうあっさりとデルドアが言い切り、消えかかった火に視線を向けてしまう。対してアランは瞬きを数度繰り返し、言い掛けた言葉をムグと呑み込んだ。

 涙が止まらない。先程とは違う、暖かな涙が溢れて頬を伝う。

 それを誤魔化すように「寝ます」とだけ告げて横になれば、返される「おう、そうしとけ」という言葉のなんと雑なことか。こちらの気持ちも、さっきの発言も、空気も、なにもかも読んでない言葉である。

 だがそんな彼らしい態度がどうしようもなくアランの胸を暖めていく。


 聖騎士にすがりつく代替騎も、そんな代替騎が殺そうとしたアルネリアも、なにも関係ないという彼の言葉のなんと愛しいことか……。


 もやのように胸のうちに残っていた幸せだった頃の光景が解けていくのを感じ、アランがゆっくりと眠りにつこうと意識を微睡みに預け……



 ベチャン



 と、顔面にかかった布の感覚に「ひぁああ!」と悲鳴をあげて跳ね起きた。

 それと同時に顔から落ちたのは……布。濡れた布。それと、おおかたアランの顔面に布を落とした犯人なのだろう、中途半端な姿勢のまま目を丸くさせ動きを止めているデルドア。どうやら流石の彼もビックリしたらしい。

 だが顔面に濡れた布をくらったアランの驚愕は彼の比ではなく、跳ね上がる心臓を押さえつけるように胸元を押さえた。ビックリした。先程までデルドアの言葉に暖かく落ち着いていた胸の鼓動が、今は彼のせいで大暴れである。


「なっ、なっ、なんですか!」

「……目が、腫れるなと思った」

「なるほど、冷やそうとしてくれたんですね! お気遣いありがとうございます! でもあと一歩、一声かける気遣いもお願いします!」

「……考慮しておく」


 うんと頷きつつデルドアが落ちた布を拾って手渡してくる。

 それを受け取って目元をおさえればヒンヤリとした冷たさが伝う。複雑なところだが、案外に気持ちいい。

 あだれけ泣いたのだから目元が熱を帯びていたのだろう。それが一気に冷やされる感覚に、アランがホゥと小さく息を漏らしつつ再び横になった。


「おやすみなさい」


 と告げれば、ぶっきらぼうに返ってくる


「ん」


 という小さな返事のなんと心地よいことか。



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