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シンと静まった空気は、言わずもがな場違いな挨拶をしたロッカのせいである。
元気よく愛らしく場所が違えば百点満点な挨拶も、腕に自信のある者達が次の獲物を狙うこの張り詰めたギルドないでは欠片の清涼剤にもなりはしない。もっとも当の本人がそれに気付くわけがなく、背伸びして受付台に張り付きながらキャッキャと楽しげな声をあげている。
「お仕事しにきました!」
「わぁ、偉いね! お父さんはどこかなー?」
「いないよ! ずっと前に別れてるから、どこにいるか分からない!」
「そっかぁ、それならお姉さんと一緒に迷子預かり所に行こうか」
聖母のような微笑みを崩すことなく受付嬢が立ち上がる。
もちろんこれにはアランとヴィグが慌てて待ったをかけた。対してデルドアだけがのんびりとしているあたり、毎度のやりとりなのかもしれないが
「あ、あのすいません。彼はちゃんと仕事をしに来たんです」
「あら、そうなんですか? ごめんね、お姉さん勘違いしちゃった。クッキーあげるから許してね」
はい、と小さなクッキーを二枚手渡され、ロッカが「気にしてないよ!」と嬉しそうに頷く。どうやら今回の勘違いは獣王の末裔のプライドには一切接触しなかったようである。
それでいいのか獣王の末裔……と、そう思いつつ眺めていると、見かねたのかデルドアが受付台に肘をかけて話し出した。
「仕事を探してる。魔物の亜種の討伐依頼が入ってるはずだ」
「……え、あ、はい。ですがあの仕事は特定の登録者にしか紹介出来ない決まりになっています」
言い難そうにチラと向けられる視線に、誰からともなく顔を見合わせた。
見るからに少女のアランと、先ほどのやりとりで貰ったクッキーをサクサクと食べるこれまた少女のロッカ。一枚貰って租借しているヴィグも含めて、全体から間の抜けたオーラしか漂っていない。仲良し四人組で遊びに来ました感が満載である。
それを察したのかデルドアが小さくため息をつき、ロングコートの内ポケットから一枚のカードを取り出した。それを差し出すや受付嬢の顔色が一瞬にして変わり「失礼いたしました!」と慌てて頭を下げだす。
「何を見せたんですか?」
「登録カード」
元よりギルドの仕組みが分からないアランにとって『登録カード』とだけ返されても理解が追いつかない。思わず頭上に疑問符を浮かべて首を傾げれば、ロッカが「僕も持ってるよ!」と得意げに一枚のカードを渡してきた。
曰く、ギルドに登録する際に必ず作るらしく、これがないと仕事を斡旋して貰えないらしい。
つまるところ、ギルド内の身分証明書。そう考えてアランがヴィグと共に登録カードを覗き込めば、なにより最初に『特S』と大きく押された判子の字が目に飛び込んできた。名前や所属といった細かな文字が霞んで見えるほどのインパクトであり、一目でただ事ではないと分かる。
なにより、受付内で「特Sランクが」とざわつきがあがり、それを聞いたギルド内の空気が一瞬にして変わったのだ。場違いな四人組に向けられていた嘲笑の視線が消えうせ、肌に刺さるような警戒の視線へと変わる。
「ロ、ロッカちゃん、この特Sってなに?」
「特別すっごい! だと思うよ」
「と、特別すっごい……」
いやいやまさか、と否定はしておくも、とたんに畏まった対応に切り替わる受付を見るに相当のものだというのは分かる。だがこれはこれで居心地が悪く、周囲を見回せば先ほどまであざ笑っていた男達が小声で何か話し込み、筋肉質なまさに戦士といった風貌の男が凝視してくる。
思わずアランがヴィグの影に隠れれば、彼は部下の小心ぶりに溜息をつきつつも「どこか話が出来る部屋は?」と移動をほのめかしてくれた。
そうして案内されたのはギルド内にある応接室。
といってもさほど豪華というわけではなく、無難な質のソファーと机が置かれた一室と言った方が適している。だがそれで十分だと判断し、ヴィグがソファーに腰掛けると早速話しだした。
「ヴィグ・ロブスワークだ。聖騎士団に属している」
「…………スケープゴート」
言い掛け、受付嬢がはたと口を噤む。
本人を前に失礼だと判断したのだろう。それでも好奇の視線をアランに向けるのだから、これにはアランも溜息をつくと共に期待に応えるべく
「アラン・コートレスともうします」
と自ら代替騎だと名乗った。それを聞いた受付嬢の唇が僅かに動く。
「やっぱり」と小さく漏れたその声にアランが悔しげに唇を掻むが、それを察したのか当人も不快だったのかヴィグが半ば強引に「それで」と話を切り替えた。
「最近ここいらに亜種が増えていると聞く。だが聖騎士団にはいっこうに話がこなくてな、そちらで片付けていると考えたんだが」
「は、はい。そうですね。確かに亜種の出没報告が増えており、ギルドへの討伐依頼も増えています」
「だろうなぁ……だから見栄なんて捨てて連絡とりあえって言ってるのに」
ヴィグが盛大に溜息をつくのは、騎士団の体たらくを嘆いてのことである。
仲違いをするのは勝手だが、それで魔物関連の情報がギルドに流れていては聖騎士団としては堪ったものではない。そんなヴィグを慰めるようにロッカが肩を叩き「それで、仕事がしたいの!」と話を切りだした。
「なんかね、どっかの洞窟にすっごい亜種がいて、それが大変で、ギルドの人達も倒せないって聞いたよ!」
「はい、それなら討伐の依頼を出しています。確か洞窟の奥に生息する亜種で、討伐に出た半数近くの登録者が帰ってきておりません。確か軟体の……」
「軟体?」
受付嬢の言葉にアランが小さく呟いた。今の彼女の言葉を切欠に、記憶の中に積み上げていた文献が音をたてて捲られていく。
この際、ヴィグが発した「よろしく魔物図鑑」という言葉は聞こえなかったことにしよう。
「洞窟の、軟体……それって斑点模様のやつですか?」
「斑点ですか? いえ、そういった報告は無かったはずです」
「模様がない……それならそんなに強くないはずだけど。大きいからかな、それか剣だから……」
ブツブツと呟きつつ思考を巡らせるアランをよそに、今度はヴィグが変わって話の舵を取る。
いわゆる脳筋、行動あるのみが信条の彼にとって亜種に模様があろうがなかろうが関係なく、とりあえずは対面すべきなのだ。
「そういうわけだから、この討伐依頼は俺達が受ける。さすがに騎士の身分でギルドに登録は出来ないから、こいつらの同行ってことで話を通してくれないかな」
よろしく、と悪戯気にヴィグが笑えば、話を聞くに徹していたデルドアが胸ポケットから登録カードを取り出す。
「特S」と判子の押されたそのカードがどれだけのものか未だ分からないが、それでも二つ返事で頷かせるほどの威力はあるようだ。
その顕著すぎる効果に「さすが特別すっごい……」とアランが小さく呟けば、それを聞いたデルドアが真剣な表情で「たぶん違うからな」と念を押すように訂正してきた。
そうして数日後、ギルドの依頼で亜種討伐に出たのはいいのだが……
「洞窟に泊まるなんて聞いてません!」
と、アランが声を荒らげた。
現在地はもちろん亜種がでるという洞窟。それも大分奥深く。
「アランおまえなぁ、流石に日帰りで帰れるわけないだろ」
「そりゃそうですけど、せめてどっか宿とか……」
「おいおい何言ってるんだ、俺はちゃんとお泊まりセットもってこいって言ったはずだぞ」
「その言い方からこんな本格的な野営を想像しろって方が無理ですよ!」
そうアランが喚けば洞窟内に声が響く。それが妙にアランの怒気を削ぎ、盛大な溜息に変えさせると共に「もう良いです」と諦めにまで昇華させた。
「薄々分かってましたよ。ただちょっと、年頃の女の子として文句を言いたかっただけです」
「難しい年頃だな。父さんはハラハラだ」
「誰がお父さんか。というか団長が主に地雷原ですからね」
クツクツと笑うヴィグをアランが恨めしそうに睨みつける。
例え彼に、ましてや彼ら全員にまったく微塵もその気がないとしても、それでもアランは女なのだ。男三人と一つ屋根のしたどころか屋根も壁もない洞窟内で一泊するとなれば身の危険を感じてしまうのも無理はない。
自意識過剰と言うなかれ、紅一点としてのギリギリのプライドである。
もっとも、言ってみたもののアラン自身「男と一泊する」などという俗物的な意識はなく、さっさと気分を切り替えるや「火をつけるなら私に任せてください!」と集めた薪に火をつけようとするデルドアへと近寄った。
「なんだ、得意なのか?」
「えぇ、なんたってフィアーナさんが寮に帰らない時は寮の庭でビバークしてますからね! 野営もお手の物ですよ!」
「おまえは洞窟に来る前に医者に行け」
呆れたと言わんばかりのデルドアが溜息をつきつつ、それでも野営用の道具を渡してくる。それを器用に使いこなして手早く火をつければ、誉められるどころか本気で「うわぁ、手慣れてる」と引かれた。あんまりだ。
そんな二人に対して、後方では料理担当のロッカとヴィグがあれこれと手配していた。
「ヴィグさん、お料理お願いね。僕お皿とか準備するから」
「おう、任しときな」
「ロッカ、だめだ! ヴィグに料理は……!」
と、慌てて止めようとしたデルドアの目の前で、ドザァ…と低い音をたてて調味料がフライパンへと投下された。それはもう分量も何もかも無視した豪快さであり、火にかけた瞬間周囲一帯に馴染みのある匂いを漂わせた。
言わずもがな、食材殺しの賄の匂いである。
「凄いな食材殺し、場所が変われど寸分違わぬクオリティ。誉め言葉じゃないからな」
「なんだろう、いつもの食堂の光景がボンヤリと見えてきた……あそこに居るのは店長さん?」
「まずくはない、と考えると一定の食べ物を提供できるってある意味で才能ですよね。褒めてるわけじゃありませんけど」
相変わらず好き放題言いつつ食材殺しの野営食を頬張る。
洞窟の中とは言え食材殺しの腕は衰えることなく、相変わらずぶった切って炒めるだけの究極的な男の料理である。
その味の毎度お馴染み感と言えば、ここが魔物の住む洞窟と分かっていてもホームに居るような安らぎを覚えてしまうほどである。ロッカに至っては馴染みの味と匂いに幻覚すら見始めている。
もっとも、ヴィグ本人は怪訝そうな表情で「冗談を言うな」と三人を窘めた。
「何言ってるんだ。今日は有り合わせの材料と持ち運べる程度の調味料しか使ってないぞ」
と、これである。この無自覚さこそ、まさに食材殺し。
そんな食事も終わり、することもなければもう寝るだけである。
明日は早くから行動に移すし、なにより洞窟の中ではいくら寝られるとはいえ、完璧に疲労を回復できるわけではない。休める時には休み、睡眠時間を少しでも確保する、これが野営の基本である。ゆえに、ロッカの「枕投げしよう」だの「怖い話しよう」だのといった提案は悉く却下された。
そうしていざ休むとなれば、決めるべきは休憩の順番である。
食材殺しのおかげでアウェーにいる感じが欠片もしないとはいえ、ここは洞窟の中。魔物の亜種が潜んでいるし、行方のしれない者が彷徨っている可能性もある。なにより、火の番が必要なのだ。
だからこそ、ここは平等に順番で……とアランが提案するも、デルドアが「俺が起きてる」と名乗り出た。
「おい、無理するなよ。寝ないと明日もたないぞ」
「人間とは必要な睡眠時間が違う。一日二日は寝なくても変わらない」
そう返すデルドアに、それを聞いたアランとヴィグが顔を見合わせた。
「そういうものなのか?」「そういうものなんでしょうか?」と。だがいくら疑問を抱いたとしてもアランが過去読みあさった文献のどこにも魔物の睡眠時間に関しての記載などなく、本人がそう言っているのだから頷くしかない。
人間と魔物の違いだろうか? だがそう話すデルドアの後ろでロッカがウツラウツラと船をこいでいるあたり、一概に魔物だからとも結論付けられない。
「いいんですか?」
「あぁ、別に構わない」
「……それなら」
何かあったら起こしてくださいね、と念を押して横になる。
そうしてしばらくは火の番を押しつけてしまう申し訳なさを感じてはいたものの、遠出の疲労もあってかゆっくりと意識が微睡んでいった。