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思い出しながらポツリポツリと語り、最後に一度アランが足首に視線を落とした。
相変わらず聖武器の加護は適当で、痕一つ無いのに足の違和感はいまだに残っている。もっとも、それもあと数日すれば元に戻るだろうし、いまだって痛みというほどのものでもないのだ。負傷というより肌が溶け落ちる不快感が消えないと言ったほうが正しく、もしかしたら訴えているのは足ではなく心なのかもしれない。
それを話せばロッカが心配そうに「大丈夫?」と眉尻を下げてアランの顔を覗きこんだ。他意も何もなく純粋に心配しているのが伝わり、大丈夫だと苦笑を浮かべて返す。それを見た彼が次いでヴーと唸り声をあげるのは、言うまでもなく獣王の末裔が第一騎士団にご立腹だからである。
そんなやりとりを眺めていたデルドアが、どういうわけか改めてアランに「それで、大丈夫なのか?」と視線を向けてきた。
「足ですか? だから大丈夫ですよ」
「いや、そうじゃない」
「あぁ、目ですか? そっちも大丈夫ですよ。顔に痕も残ってないし」
「それでもない」
「……それなら、他に何が?」
「化け物なんて言われたんだろ、大丈夫なのか?」
そう心配そうに窺ってくるデルドアの言葉を最後に、詰め所内がシンと静まった。
そうして一番に声を上げたのが
「デルドアが! あのデルドアが人を気遣ってる!」
という、ロッカの驚愕の声だった。
「……失礼にもほどがある」
「だってあのデルドアが! 怖いっ、何が降るの!」
「……おい」
「いやだっておまえ、ロッカちゃんがパニックになるのも仕方ないだろ。空気読まない、人の気持ち読まない、ないない尽くしのおまえがよりによって……」
なぁ、とヴィグがロッカに同意を求めれば、「傘持ってきてないよ、むしろ傘で防げるのかも定かじゃないよ」と不安げに窓から空を見上げていたロッカがコクコクと頷く。
そのあんまりな態度に言葉もないとデルドアが無言で瞳を細める。対して気遣われたアランはどうしていいものか分からず、それでもチラと彼を見上げた。普段通りの赤い色合いの瞳だが、今は切なげに見える。
「あの、二人とも冗談で言ってるのであって、本気では……」
「珍しく気を使ったらこのざまだ。俺が気遣われてどうする」
「あ、珍しくって自覚はあるんですね」
「一応は」
そんなやりとりを交わせばデルドアの気も晴れたのか、改めてアランの顔を覗き込み「大丈夫か?」と尋ねてきた。
赤い瞳に見つめられ、思わずアランが苦笑を浮かべる。
確かに化け物と言われた時は酷く傷ついた。泣きたいような、怒鳴りつけたいような、それでいて何も言い返せずにいる自分への不甲斐なさも募り、混濁する感情に胸が潰れそうだった。
それでも涙は流れず、今では不満と共に愚痴へと消化できる。
「化け物だのなんだの、所詮は人間が作った括り。大事なのはその後……でしょ?」
「ん?」
「その後、デルドアさんとロッカちゃんがこうやって心配してくれるから大丈夫です」
「あぁ、そうか」
デルドアがふっと小さく笑みをこぼせば、アランも同じように笑んで彼を見上げる。と、そんな二人に割って入ってきたのが「そう!大事なのはその後だ!」という楽しげなヴィグである。
柔らかなデルドアの笑みとは違い、彼の笑みのなんと悪どいことか。思わずアランが「悪い顔」と何かしらの予感を感じてしまうほどである。
この表情を浮かべている時、決まって彼は良からぬことを企んでいるのだ。
「……どうしました、ヴィグ団長。何をしました?」
「人聞きの悪いことを言うな。……ただ」
「ただ?」
「やっぱり腹の虫がおさまらないから、第一騎士団が出払ってる隙に奴らの詰め所に例の臭いリスを忍び込ませた!」
「……え、えげつない」
「戻ってきた時の阿鼻叫喚絵図を見られないのが残念だ」
クツクツと悪どく笑うヴィグに、アランが思わず溜息をついた。だが咎めることはせず第一騎士団に教えに行くこともしないのは、溜息をつけどもアランだってあの態度と言葉には腹をたてているからだ。
むしろ「よくぞやってくれた!」とヴィグに賛辞を送りたいところである。
「というか、本当によくそんなこと出来ましたね。あのリスを上手いこと忍び込ませるなんて……」
言い掛け、アランがハッと言葉を飲み込んだ。
通常、魔物のリスを人間が操るなど不可能。一から育てて仕込むならまだしも、野生となれば懐かせることすら難しいだろう。……人間には。
そう考え、アランがロッカに視線を向ける。愛らしい風貌で今までのやりとりをニコニコと眺めている……獣王の末裔。彼はアランの視線に気付くと、うんと一度深く頷き、
「ドーナッツ2つ!」
と、買収されたことを高らかに告げた。
「ロッカちゃん! そこにプライドはないの!?」
「美味しかった」
ドーナッツを思い出したのかロッカが恍惚とした表情で「チョコレートとイチゴのやつだった」と詳細を告げれば、その傍らでヴィグが勝ち誇ったように高笑いをする。
なんて恐ろしいコンビだ……と思わずアランが表情を渋めれば、デルドアの盛大な溜息が聞こえてきた。
それでいいのか獣王の末裔、それでいいのか聖騎士団。もっともそれでも咎めないあたり、やはりアランの腹の内は「ざまぁ見ろ」の一言なのだが。
そうして改めて四人で席につけば、話は再び却下された費用申請に戻る。
なにせ今回で二桁を超えるのだ。思わずアランが先ほどのやりとりを思いだし、うっかりとロッカに「オレンジとベリーのドーナッツも食べたくない?」と声をかけてしまうほどである。
「聞きたいんだが、おまえ達いつもあれこれ雑用してるだろ。あれで金もらってないのか?」
「私たち聖騎士団は他の騎士達と同じ給与制です。どんなに雑用を押しつけられても一律なんです」
「かと言って自分たちの財布から備品買うのも負けた気がするしなぁ」
「捻くれてるな。まぁそれを考えると働いた分だけ金が貰えるギルドの方が割が良いかもな」
「ねぇー、おいしい仕事も多いし」
互いに顔を見あわせて頷きあうデルドアとロッカに、聖騎士二人は溜息をつきつつ「転職したい」と声を揃えた。
そんなことがあった数日後、アランとヴィグは市街地の中央にあるギルドにいた。
晴れて転職……ではない。立派な聖騎士団の仕事である。
といっても流石に騎士服を着るのは躊躇われ、二人とも私服。アランは白いシャツにカーキのズボン、ヴィグは薄水色のシャツに色の濃いズボンと黒いブーツという、二人ともラフながらに品の良さを感じさせる格好である。
そしてその出で立ちゆえ、ギルド内で浮きまくっていた。結局のところ、二人は騎士、それもコードレス家とロブスワーク家の出なのだ。ゴロツキ同然の輩が居つくギルドに馴染む服など持ち合わせていないし分かりもしない。
「な、なんか場違いな感じがしますけど……」
「しまった、もう少し崩してくれば良かった」
「男の人ばっかで私なんか特に浮いてて……やだなぁ」
身を隠すようにヴィグに寄りつつ周囲を見回せば「なんでこんなところに」と言わんばかりの視線が注がれる。
ギルドは騎士以外の戦力自慢が集う場所。ゴロツキと言われるものから体躯のよい流れの傭兵まで様々だが、アランのような少女はいない。いるわけがないのだ。
……この、
「アランちゃーん、ヴィグさーん、おまたせぇー!」
と、愛らしい声で駆け寄ってくる花柄ワンピースのロッカを除けば。
「……ロッカちゃん、今日も愛らしくていらっしゃる」
「えへへ、待った?」
キャッキャと可愛らしくはしゃぐロッカに、先ほどまで怪訝そうな視線を向けてきた者達も流石に唖然としている。
まぁ、こんな男臭くいかつい輩ばかりのギルドに美少女が花を振りまきながら現れたのだから仕方あるまい。もっとも、こんなことは日常茶飯事なのかデルドアは平然としたものだ。
「おー、悪いな。待たせた」
「言うべきことはそれだけですか?」
「……本日はご足労いただき誠にありがとうございます」
「なんでそんな挨拶を今更求めるんですか! ロッカちゃんの格好ですよ!」
浮きまくってますよ! とアランがロッカを指さして訴えれば、ロッカも、それどころかデルドアまでも不思議そうに目を丸くさせた。
「アランちゃんどうしたの? 僕の格好おかしいかな、可愛くない?」
「いや、別に変とかじゃなくて……この可愛さ、確信犯か!」
おっかない、と思わずアランが心の中で呟きつつ、それでもコホンと咳払いをした。そうして周囲を見回せば、注がれるのは好奇の視線と小さな嘲笑。
見るからに良いところ出のアランとヴィグに、どう見ても幼い少女のロッカ。デルドアだってその見目の良さはこの場の男臭さにそぐわない。
明らかに浮いている四人組。内二人が――実際は一人なのだが――年若い少女とあれば舐められて当然である。だがそれをアランが訴えてもデルドアとロッカは今一つ理解できないと言いたげで、顔を見合わせて首を傾げている。
「見た目に何の関係がある?」
「そりゃ、見た目で弱く思われたり……」
「弱く思われたところで実際の強さには関係ないだろ。ロッカはこのギルドで一番小さいかもしれないが本気を出せば……俺の次だな」
「魔銃の魔物が、この僕に勝てると?」
ニンマリと悪戯気に笑うロッカに、デルドアが「条件によるな」とだけ返した。
そんな二人のやりとりを見てアランが口を噤んでしまうのは、言われたことがもっともだからである。ロッカは小柄で見た目こそまるで幼い少女だが、実際は獣を統べる王の末裔。彼が一度吠えれば魂のみの獣が集い、このギルドなど瞬き一つの間で潰すことができるのだ。
魔銃の魔物であるデルドアだって、条件によっては魔銃を放つより先に獣に食い殺される可能性がある。
それを考えれば……とアランが納得しかけていると、ロッカがポンと優しく肩を叩いてきた。
愛らしい顔つき、栗色の髪がふわりと揺れ、形良い唇が柔らかく弧を描く。
「僕たち魔物はね、見た目と中身の強さが一致しないって知ってるんだよ」
「そうだね、ロッカちゃんなんてまさにだもんね」
「それに、この間デルドアが軍隊アリと激闘してたし、大きさって本当に関係ないんだよ」
「うん、本当に…………え、待ってなんでそんな事態に」
「最近、異種間採用に力を入れてるの」
だから、と分けの分からないことを言うロッカに、アランが数度瞬きをしつつそれでも一度頷いた。
どういった経緯でデルドアと軍隊アリが戦うことになったのか皆目検討がつかないが、それでも強さに大きさが関係ないということはわかる。
――ちなみに、そんな二人のやりとりを眺めていたヴィグとデルドアが「それで、次は獣の他に虫もくるのか?」「いや、確かに軍隊アリは強かったが、ゴリラが片っ端から潰していくからまともに戦えなくて却下した」「またあのゴリラ!」と暢気な会話をしていた――
「ありがとうロッカちゃん。そうだね、見た目や大きさは強さには関係ないよね」
苦笑を浮かべてアランが返せば、ロッカが柔らかく微笑む。
見ているこちらの胸が暖かくなってくる笑顔。そうしてアランの手をギュっと握り、身を寄せて、まるで動物のように頬を擦り寄せてきた。ふわりと太陽のような柔らかな匂いがする。
「大きくてかっこよくて強いのはいっぱいいるけど、僕たちは小さくて可愛くて強いんだよ。それって凄いことだよ」
「強い……私も?」
「うん!」
キラキラと輝いて見えそうなほど明るい笑顔で頷かれ、アランが思わず俯いてしまう。
今まで強いなどと言われたことがないのだ。他の騎士に比べたら……どころか比べるまでもなく弱く、先日の訓練がまさにである。
だが不思議とロッカの言葉は真っ直ぐ胸にとけ込み、アランが思わず小さく笑みをこぼした。彼に評価されることが純粋に嬉しい。
と、そんな二人の間に入ってきたのがヴィグである。
アランの気が晴れたと察したのか「そろそろ行くぞ」と声をかけ、ギルドの受付へと向かう。
活発そうな女性が机に向かういかにも窓口といったそこは、周囲の柄の悪さがなければ役所とでも間違えてしまいそうなほどだ。
そんな受付へとロッカが駆け寄り、少し高さのある机に背伸びして体を預けた。そうして開口一番、
「こんにちは! お仕事くーださいっ!」
と元気の良い挨拶である。その場違いさといったらないが、対して受付嬢は驚くこともなくニッコリと、
「はい、こんにちは」
と柔らかな笑みを崩すことなく返した。これこそまさにプロのなせる技である。