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それから数日後、あの騒動のあった会場にアランとヴィグは呼び出されていた。
先日の一件での功績を認められての表彰? 違う。
なにがあったのかを知るための現場検証? それも違う。
ならば何の用かと言えば、あの騒動の後片付けである。
そう、言ってしまえば掃除である。
「さすがにこれはどうかと思いますけどねぇ……」
とは、左腕を布で吊りながら右手で箒を操るアラン。ガチャガチャと小さなガラスや破片が箒の毛先に絡まるその効率の悪さと言ったらないが、一つ一つ拾うのも途方がなさすぎる。
そんなアランに対して、ヴィグは転がっている瓦礫に対して蹴るという豪快な撤去法をとっていた。
聖騎士団、掃除はまったくやる気がない。
むしろどうして自分達が掃除をしなければいけないのかと不満だらけである。
ちなみに、今回もまた「魔物がでるかもしれない」という魔物絡みの理由で押しつけられたのは言うまでもないのだが、その件を当の魔物達に掃除用具片手に話したところ「俺達は人目につくところに出たらいけない」だの「悲しいけど、人間とは距離を取るべきだよね」だのといった白々しい返答が返ってきた。初耳の設定であり、その時の二人から漂う面倒くさいオーラと言ったらない。
――なにせ、それを聞いたヴィグが「先日の礼に飯でも奢ってやろうと思ったのに」と言い出した途端、数秒前の発言もどこへやら「じゃ、いつもの店で」だの「わーい、なに食べようかな!」とはしゃぎだしたのだ。光の早さで設定放棄である――
そんな人間くさい態度が更にアランとヴィグのやる気を削ぎ、そしてこの非効率を極めた掃除に繋がっていた。思わずアランがため息をもらし、足下に転がっていたガラスの破片を爪先で塵取りの中へと追いやる。
その瞬間、カタンと音がして扉がゆっくりと開かれた。
アランとヴィグが揃えたように音のする方へと向けば……。
「フィアーナさん」
そこに居たのは、今の時間ならば王立図書館で働いているはずのフィアーナ。
それに背後には数人の令嬢達、散乱したこの場に似合わぬ煌びやかな服を纏い、ガラスの散らばる足下を不安げに見下ろしている。その中にはアランの妹であるリコットの姿まであり、そんな彼女に寄り添うのは先日夫になったばかりのクロード。
まったく予想外な来訪者達に、アランもヴィグも思わず顔を見合わせて首を傾げ合った。
手伝い、ではないだろう。先日の件で怖い目にあった彼女達が好き好んで跡地を訪れるとも思えない。
ならばいったい何だと不思議がるも、そんなアランの態度も気にせず数人の令嬢達が駆け寄ってきた。同年代、それどころか女学校時代の知り合いもおり、アランが思わず視線を逸らし……ガシ! と左腕を強く掴まれて悲鳴をあげた。
「アルネリアさん、あの方はどなたなの!?」
「いたぁい! 待って、何!? 離して!痛いぃい!」
「あの方よ、あの方! ご存じなんでしょう!」
「やめ、揺すらないでっ! だんちょ、だんちょぉ!」
痛みに悲鳴を上げながらアランが助けを求めれば、慌てて駆け寄ったヴィグが令嬢を引きはがした。……が、代わりに「怪我してるんだ、こっちにしておけ」と右腕を差し出すので完璧に逃げれたというわけではない。
それでも痛みから解放されたとアランが安堵の息をつけば、次いで浮かぶのはしきりに言われた「あの方」という言葉。
「あの方とは?」
「あの方です! パーティー会場にいらした方!」
「会場にはたくさん人がいましたよ」
さっぱり見当がつかないと言いたげなアランに、見かねたのかフィアーナが割って入る。興奮するあまり鼻息の荒くなっている令嬢達と違い彼女は冷静なようで、アランが説明と助けを求めるように視線を向けた。
「年頃の令嬢達の間で『あのパーティー会場に正体不明の王子様がいた』って噂になっているのよ」
「王子様? そんな、それこそ私に言われても……」
「本当の王族関係者じゃないわ。名前も分からないから皆が勝手に呼んでいるの『硝煙の王子』ってね」
「硝煙の王子?」
俗称を言われてもピンとくることもなく、アランがオウム返しで尋ねる。
硝煙と王子とはまったくおかしな組み合わせではないか。そもそも、どうして正体不明の人物に対して問いつめられなくてはいけないのか。
相変わらずわけが分からないと首を傾げれば、リコットが瞳を輝かせながら近寄ってきた。可愛らしい妹はまさにコートレス家らしい質のよいワンピースをまとい、その美しい姿に騎士服のアランの胸が痛む……が、今はどちらかと言うと先程の左腕の方が痛む。現実的な痛みである。
「リコット、これは?」
「アルネリアお姉様、あんな素敵な方とどこでお会いしたんですか?」
「……うん?」
キラキラと瞳を輝かせ、それどころか頬を上気させ「教えてくださっても良かったのに!」と告げるリコットに、いよいよをもってアランの頭上に疑問符が浮かぶ。
どうやら彼女の……というより彼女達の中で、自分はその『硝煙の王子』とやらと随分と親しい仲らしい。さっぱり分からないが。
説明を求めようにも何をどう説明して貰っていいのかすら分からずアランが首を傾げていると、それを休憩がてら眺めていたヴィグが飲み物片手に「硝煙の……」と呟き、ブハ! と盛大に吹き出した。次いで涙目になりながらも笑いだす。
「あ、あいつが! あいつが硝煙の、お、おうじ!」
咳込み、笑い、それにより更に咳込み、一人で悪循環に陥りながら大騒ぎしているヴィグに誰もが視線を向けた。
「あいつが王子!」
「ヴィグ団長、その人を知ってるんですか?」
目尻を拭いつつ笑い続けるヴィグにアランが怪訝そうに尋ねる。
どうやらヴィグは『硝煙の王子』の正体が分かったようで、それを察した令嬢達が今度は彼へと詰め寄っていった。アランとしては解放されて一安心というところだが、やはり疑問は残る。
「ヴィグ・ロブスワーク様! あの方のことを知っているんですか!」
「あ、あの方って……」
「硝煙の王子様です!」
「くっ、やめ……その名前を言うな、また笑いが」
「あの事件のなか颯爽と現れ、マントのようにコートをたなびかせて戦う姿はまさに王子のよう……!」
「や、やめてくれお嬢さん方。俺の腹筋が……マント、あれが!」
うっとりと頬を染めながら語る令嬢達に、対してケラケラと笑うヴィグの態度と言ったらない。
その熱量の差からよっぽどの相手なのかとアランが考えていると、令嬢達に詰め寄られていたヴィグがヒョイと腕を伸ばした。そうしてアランを指さすのは、まるで「あいつに聞け」と言っているようなものだ。
その動きに思わずアランが目を丸くさせる。ようやく解放されたのに……。
「アルネリアさん、やっぱり貴女知ってるのね!」
「えぇ!? そんな、分かりませんよ……」
「俺よりもアランの方が詳しいからな」
「そんなぁ、団長いい加減にしてください」
「いやいや、謙遜するな。お前の方が詳しいだろ」
「そんなこと言われても、コートを着て戦った王子なんて……」
知りませんよ、と言い掛けてアランが言葉を飲み込んだ。
硝煙、と言うからにはその人物は銃を持っていたのだろう。あの状況下、銃を所持していた人数は多いが味方側に絞れば人数はぐっと減ってくる。なにせ我が国の銃の普及率は低く、あの場にいた殆どの騎士が剣を携えていたのだ。
その中でもコートを羽織っていたとなれば、該当する人物は数えるほど……いや、アランには一人しか思い浮かばない。
「そ、それはもしや……背が高い?」
「えぇ、そうです!」
「スタイルがよくて、無駄にかっこよくて、銀色の髪で……」
「そう! その方です!」
「それでいて空気を読まない」
「そこまでは知りませんが、やっぱりアルネリアさんのお知り合いなのね!」
再び詰め寄られ、思わずアランがムグと口を噤む。
知り合いかと聞かれればまさに知り合い。むしろしょっちゅう合っているし、今日だって本音を言えば手伝わせたかった人物……。
そう、デルドアのことである。
アランが真相に気付いたと察したのか、ヴィグがよりいっそう笑い出す。もはや視線を向ける気にもならないとアランが溜息をつけば、リコットが嬉しそうに右腕に抱きついてきた。
「アルネリアお姉様! あんな素敵な方とお付き合いされていたんですね!」
「いや、素敵というかあの人は……お、お付き合い!?」
どういうこと!? とアランが声を荒らげれば、いよいよをもってヴィグが笑い転げる。というか、本当に床に突っ伏してケラケラと笑っているのだ。
それを忌々しげに睨みつけ、次いで興奮するリコットを宥めるように彼女の名を呼んだ。
「リコット、彼とはそういう仲じゃないよ」
「そうなんですか? お姉様にはそういったお話がないから、てっきり私は……」
よっぽど期待していたのだろう、しゅんとうなだれるリコットに思わず苦笑が漏れる。
そんな彼女の隣には、妻を宥めるようにその肩をさするクロード。ふとアランと目が合うと気まずそうに視線をそらすのは、彼の中で多少なり後ろ暗い気持ちがあるからだろうか。
昔々の愛しい人。
過去に差し伸べてくれた手は、今は妹の肩を撫でている。
その光景にアランの胸が僅かに痛む。はたしてそれを未練と思えばいいのか、それともこの程度にしか痛まなくなったと思えばいいのか……。
「クロード様」
「……アルネリア」
「アランとお呼びください」
ピシャリと言い切れば、クロードが僅かに目を丸くした。
そうして一度小さく息を吐き、今度はそらすことなく真っ直ぐに視線を向けてくる。
「それなら俺もクロードでいい。敬語もいらない」
そう告げてクロードが手を差し伸べてくる。その意図を察し、アランが頷いて返した。
互いに明確な言葉にこそしないが、アルネリア・コートレスとクロード・ラグダルの関係の終わりである。その先にアランとしての友情が築けるのなら良いじゃないか、そう自分に言い聞かせて右手を差し出した。
「リコット、クロード。結婚おめでとう」
そう口から出たのは、アランの心からの言葉である。まだ胸が僅かに痛むが、ようやく心の底から妹と友人の結婚を祝うことが出来たのだ。
まるで憑き物が落ちたとでも言いたげなそのアランの声色に、やりとりを見守っていたフィアーナが僅かに安堵の息をつくと共に「さ、帰るわよ!」とパンと手を叩いた。
「フィアーナ様、私達まだ硝煙の王子様について何も分かっていません!」
「休憩時間の間だけって言うから連れてきたのよ。ほら、みんな早くなさい」
まったく、と呆れたように呟きつつ令嬢達を促して会場を後にする。その姿は相変わらず姉のようで、それでいて去り際にパチンとウィンクする悪戯気な仕草が見ているこちらに苦笑を浮かべさせる。
そうして残されたのはアランとヴィグ、元々いた二人。
いったい何だったんだ……とまるで台風のように過ぎ去っていった騒がしさに呆れていると、ヴィグがアランの肩に腕を回してきた。
「よし! 切り上げていつもの店行くか!」
「今からですか? まだ一時間以上残ってますよ」
「大丈夫だって、一時間さぼったってばれねぇよ。……誰も俺達のことなんか気にかけてないし」
「行きましょう!」
掃除はまた明日! と二人揃って帰り支度に取りかかる。どうせ明日も掃除を押しつけられるのだから、一時間や二時間早く切り上げたところでバチは当たらない。
そもそも、この荒れ狂った会場を二人で掃除しろと言うのが無理な話なのだ。むしろこれを逆手にとって「二年くらいかけようか」「良いですね、二年ダラダラ掃除しましょう」と給料泥棒計画をたてるほどである。
そうして早々に会場を後にし、馴染みの大衆食堂へと向かい……
「よぉポンコツ聖騎士団、掃除は終わったか?」
と酒を片手に嫌みったらしく聞いてくるデルドアに、二人揃って
「これが王子様!」
と吹き出した。