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「へぇ、結構深く掘ったな」
とはミチミチのツブツブでウネウネな巣を眺めつつ、悲鳴をあげることも逃げることもしないデルドア。それどころかアランの功績を感心する余裕すらあるようだ。
だが現にアランの掘った穴は見事の一言。一カ所とはいえシャベルの限界を考慮し段差になるように計算されて掘られ、それでいて崩れることなく外壁もしっかりと固定されている。この穴は素人目にも見事であり、プロですら感嘆の声を漏らすだろう……もっとも、聖騎士としても少女としても穴掘りなど不要なスキルであり、誉められたアランはまったくもって嬉しくないのだが。
だがそんなデルドアの感嘆の言葉に対し、アランは僅かだが気分が晴れて胸を張った。日頃ひとをポンコツだの何だのと言ってくる彼が素直にほめてくれたのだ、たとえそれが穴掘りだろうが害虫の巣探しだろうが、おおよそ今後の人生に必要であってほしくないスキルだとしても、ここは大人しく誉められておこう……と。
だからこそ、ドヤ!と胸を張ってみせた。
「自分が埋まるのならもっと深く、より埋まりやすく、そして地表から少しでも離れたいという思いから掘り進んでましたからね! 個人的にはまだ浅い方ですよ!」
「……お前は一度医者に診てもらったほうがいいんじゃないか?」
「大丈夫です、今はもう土に還りたいなんて思ってませんから。……だって」
チラ、とアランが横目で穴を見る。といっても少し離れたこの場所からは穴の中までは伺えず、もちろんそこにある物はとうてい見えやしない。
……なのだが、どういうわけか寒気がする。あの中にはミッチミチのツブツブがあって、今もその粒を個々にうねらせているのだ。先程までは喚いていて気付かなかったが、プチプチと聞こえてくるこの小さな音は間違いなく……。それも巣の一部しか見えていなかったため、全体がどれほどあるか定かではないときた。
虫の繁殖力から考えれば見えたのなど巣のほんの一部、全体は下手すればアランの身の丈……いや、既にここいらいったいの地中には全部巣が埋まっているのかもしれない。
「……もうやだ! 地表に居たくない、浮きたい!」
「アランちゃん浮くの!?」
「鳥になる!私は鳥になる! 鳥肌の限界を突破してニワトリになって天高く羽ばたく!」
「アランちゃん! ニワトリは飛べないよ!」
「ニワトリ界初のフライに成功する!」
「なんだか美味しそうだよ!」
わぁわぁきゃぁきゃぁと喚くアランとロッカに、デルドアが盛大に溜息をついた。
ちなみにヴィグはアランほど騒ぐこともなく隣に立ち、聖騎士らしく真剣な様子で穴を覗きこんでいる……と見せかけて堅く目を瞑っていた。
「蹴り落としてやろうか」
「やめろ、恐ろしいこと言うな」
「そもそもだな、どうするんだこれ。人間が壊すなら聖武器じゃないと無理な代物だぞ」
と、暗に「とっとと壊してしまえ」とデルドアが告げれば、男女二人分の悲鳴があがる。もちろん、アランとヴィグである。
「冗談じゃありませんよ! そんな気色悪い物に近付いて壊すなんて出来ません! 私の聖武器、近距離武器なんですからね!」
そう叫びつつアランが自分の腰元をおさえる。
騎士に授けられる長剣とは別に、交差するように構えられている二本の短剣。これこそまさにコートレス家に代々受け継がれている聖武器である。長さを言うならばアランの手首から肘程度、鞘の中に収まっている刀身にはとある文字が刻まれている。
だが今はこの文字は関係ない、古のなんたら文字だの文面がどうのは一切どうでもいいことである。今問題視すべきはアランの持つ聖武器が短剣ということだ。
二本あれども短剣。
何かを討つにはある程度目標物に近付く必要がある。
今で言うならば刃がふれる距離までミチミチのツブツブに近付いて……と、そこまで考えてアランが悲鳴をあげた。
無理だ、生理的に無理だ。鳥肌でニワトリになる。
「イヤです、私は断固拒否します! ヴィグ団長!」
お願いします!とアランがヴィグを呼べば、真っ青になったヴィグが「ふざけるな!」と声を荒げた。
その手にあるのは二つのナックル。
「俺の方が接近だろ、無茶言うな!」
「バランス悪く残ったなぁ、聖騎士」
「うるせぇ!」
喚くヴィグの手の中にあるナックル、これがロブスワーク家の聖武器なのは言うまでもない。もちろん指にはめて拳で戦うのだ。つまり、超近距離。
現在、聖騎士団はもっぱら前線主義である。
「あと二百年……あと二百年早ければ弓の聖武器も残ってたのにぃ……」
「嘆くなアラン、俺まで泣けてくる!」
両手で顔を覆い悲痛な声をあげるアランに、ヴィグも切なげながら声を荒げる。そんな二人のなんと切ないことか、そしてなにより二人ぼっちの聖騎士団らしい会話である。
だが嘆いていても始まらないのが現実、今も巣は元気にミチミチツブツブしているし、どれだけ嘆いたところで聖騎士を抜けた家が戻ってきてくれるわけでもない。そもそもアランとヴィグの聖武器以外はすべて力を失ったのだ。
だからこそ二人は互いに視線を交わし、覚悟を決めたと言わんばかりの真剣な表情で頷きあい……
「よし埋めよう」
「はい、了解しました」
と、見なかったことにすべくシャベルに手をかけた。
「おい、それでいいのか聖騎士団」
「これで良いんです、聖騎士団!」
「デルドア、確かにお前が疑問に思うのも無理はない。確かに聖騎士として誉められたことではないかもしれない、だけどな……」
ヴィグが真剣な表情でデルドアの肩をポンと叩き、赤い瞳を見つめた。
「いいか、俺とアランは聖騎士だ」
「そうだな。・・・・聖騎士だな」
「今の間は気付かなかったことにしよう。とにかく、俺とアランは立派な聖騎士なわけで、つまり」
「つまり?」
「来年もどうせ俺たちが害虫駆除させられるんだ! よしアラン埋めろ! 俺たちは何も見ていない!」
「サー! イェッサー!」
開き直ったヴィグが指示を出せば、アランが元気よく返事をして埋める手を早める。掘ることに関して見事な腕前を見せていたが埋める腕前もなかなかに見事なもので、ザクザクと軽快な音を立てては近場の土を抉って穴へと放り投げている。もっとも、相変わらずアランにとっては要らんスキルで誉められても嬉しくないのだが。
そんな二人に対してデルドアが盛大に溜息をつき、ロッカの名を呼んだ。
「ロッカ、このポンコツ聖騎士達をつれて少し離れてろ」
と、その言葉にロッカが「はーい」と手をあげ、アランとヴィグの背を押しながら歩き出した。
そうしてロッカに背を押されるまま巣のある穴を離れて、デルドアの姿も見えなくなってしばらく。
いったいどうして自分達が遠ざけられたのか分からずアランが首を傾げ、ロッカに説明を求めようとした瞬間……。
耳をつんざくような轟音が周囲に響きわたった。
周囲の木々から一瞬にして鳥が飛び立ち、それを受けた草木の揺れが更に音を掻き鳴らす。そのうえあちこちから動物達の鳴き声が聞こえ、先程まで長閑だったはずの森が一瞬にして異常事態を訴えだす。アランの足下では野ネズミが一匹走り抜けていったが、互いにそれを気にかけている場合ではない。
それほどまでに異常な音だったのだ。地割れのように荒々しく、腹の底に響くような轟音。空気の振動で肌が痺れる。
「な、なんですか今の!?」
「銃声か……だがあれほどの音、聞いたことないぞ」
「銃声!?」
周囲を伺いつつ投げかけられたヴィグの言葉、その物騒さにアランが声をあげた。
未だ騎士が長剣を象徴とし腰から下げているとおり、現状この国において銃の普及率は低い。騎士団でも射撃に特化した一部の者しか所持しておらず、それも演習や催事でパフォーマンスに使う程度だ。平和に生きる民間人であれば生涯触ることも、ましてや近くで見ることもないだろう。
だけど……とアランが緊張で痺れだす手をギュウと握りしめた。先程の轟音は確かに銃声に似ている、だがその反面、聞こえてきたあの音は通常のそれの非ではなかった。獣の砲口、そう言われても納得してしまうほどの恐怖と荒々しさ……。
「今の音、俺たちが来た方向から聞こえてこなかったか!?」
慌てて振り返るヴィグに、アランも小さく声をあげて彼の視線を追った。
自分達の来た方向……つまり、デルドアのいる方向だ。日頃さんざん茶化されポンコツ騎士だの何だのと言われていようが、結局のところ親しい仲。彼に危険が迫っているのかもと考えれば、思わずアランの心臓が跳ねる。
だからこそ慌てて来た道を戻ろうとし……
再び、それどころか二度、三度と鳴り響く轟音にビクリと肩を震わせた。
音を辿るように振り返るヴィグに、アランも小さく声をあげて彼の視線を追う。
間違いない、音は今来た道から聞こえてくる。それも近く、それこそ先程までいた、あの巣のある場所が音の発生地だとしてもおかしくないほど近く。
「……いくぞ、アラン!」
「はい!」
長剣に手をかけヴィグが走り出せば、アランもそれに倣って腰元の短剣を引き抜く。
刃が鞘を滑る小気味良い音が響き、それと同時に駆け出し……
「もう次の仕事に行くのか。跡地荒れてるから気をつけて行ってこいよ」
と、まさに他人事と言わんばかりのデルドアにビシと固まったように足を止めた。
絶妙なタイミングである。そして先程までの張りつめた空気を壊すだけの威力がある。
「……お前」
「どうした、行かないのか?」
そもそもどこに行くんだ?と首を傾げながら尋ねてくるデルドアに、ヴィグが盛大に肩を落として冷ややかな視線を向けた。
「お前にはガッカリだ!」
「なんだよ失礼だな。せっかく巣を壊してやったのに」
「それにしたって、こんなタイミングで出てくることないだろ。心配して損した……ん、巣を壊した?」
デルドアの言葉にヴィグが目を丸くさせる。
巣を壊した、とはつまりそういうことなのだろう。アランも同様にその言葉に目を丸くさせ、慌てて二人で音のした方向……穴のある場所へと戻っていった。
そうして三度戻ってきたその場所は、先程までとはまるで別世界のように荒れ果てていた。
土が抉れ、地中に張っていたはずの木の根が露見し削がれているのが見える。何かが爆発したような光景。周囲には硝煙の匂いが立ちこめ、長閑だった森の中に妙な薄気味悪さを感じさせる。
「……これ」
「巣を壊した」
呆然とするアランをよそに、どうだ、と言いたげにデルドアが笑う。誇らしげで、どこか悪戯気な笑み。もとより魅力的な風貌がよりその色味を増し、アランが慌てて顔を逸らした。
そうして改めて目の前の光景に向き直る。どうやらあのミチミチの巣はだいぶ大きかったようで、それを壊すためにあたり一帯に『なにか』をしたのだろう。巣の残骸であろうものが散らばっているが、どれも焼け焦げたり変色しているあたり機能している様子はない。
巨大な巣を、彼は容赦なく徹底的に『なにか』をして壊した。
それがあの銃声なのだろうか?だがこの巣は魔物の巣、人間が壊すのであれば聖武器が必要。たとえ彼が魔物であったとしても、使うのが人間の作る武器ならば壊すのは無理なはず。そもそも、この惨状は銃で成しえられるものではない。
「デルドアさん、これどうやって……」
どうやって壊したんですか、と、そう尋ねようとアランがデルドアを見上げる。
だが彼は赤い瞳をニンマリと細めるだけで「ちょっとな」としか答えなかった。次いでロングコートを翻してその場を去ってしまうのだ。果たしてこれは茶化されたのか、隠されたのか……。
そのどちらか分からず、おまけに彼の意地悪気な笑みが心臓に悪く、アランがはたと我に返って首を横に振った。そうして抉られた土を眺め、その圧倒的な光景に眉間に皺を寄せる。
やっぱり魔物だ、油断はできない。
と、そう自分に言い聞かせる。勿論、色々な意味で。