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その瞬間、一気に獣の咆哮が響きわたり、同時に人間の悲鳴があがる。
白い獣達が賊達に襲いかかれば銃声がそれに応え、窓が割れて照明が落ち、無力な者達が混乱の声をあげる。
まさに阿鼻叫喚絵図、一瞬にして混沌と化している。
果敢にも賊と戦い、そして逃げまどう者達を助けようとする騎士も居るには居るのだが、事が事なだけに動けているのはほんの一握りである。
そんな状況に、幸い冷静を保てていたアランは慌てて周囲で呆然としている騎士に駆け寄ると意識を戻すようにその背を叩いた。
「退路の確保と、隠れている人を探して避難の誘導を!」
「な、なんで魔物が」
「なにを言ってるんですか、早く……」
急かすように声をあげたアランの頭上で、ガキン!と大きな音が響いた。
風が吹き抜ける。ハッと顔をあげればいつの間にか距離を詰めていた賊が頭上で剣を交わし、険しい顔をしていた。
……危ない、危うく真っ二つにされるところだった。
目と鼻の距離に迫っていた死を実感すれば、ヒヤリと冷たいものが背を伝う。それと同時にいったい誰が助けてくれたのかと振り返り……
「……クロード様」
と、その逞しく勇敢な騎士の名を呼んだ。
「アルネリア嬢、大丈夫か?」
「は、はい」
交わされる剣の下から身を引けば、アランが安全な場所へと引いたのを確認してクロードが巧みな剣裁きで相手のバランスを崩し、防具の横腹に鋭い一撃を喰らわせた。留め具の隙間、ほんの僅かに開いたそこに剣先を通し、慈悲もなく切りつける。
見事と言わんばかりの一撃である。更に苦痛の悲鳴をあげて地に伏せる賊の背にとどめを刺し、しとめたことを確かめると改めてクロードがアランの名を呼んだ。
「アルネリア嬢、これはどういうことですか?」
「これは、その……」
「なぜ魔物がこの場にいるんですか? 貴女とどんな関係が?」
矢継ぎ早に問われ、アランがどう答えたものかと悩みつつチラとデルドア達に視線をやった。
楽しそうに一人一人真向かいから銃口を突きつけるデルドアは相変わらずの接射至上主義状態だ。彼に対して向けられるヴィグの「魔銃の魔物のくせに!」という言葉のなんと尤もなことか。
その隣では獣に指示を出しながらロッカがスカートを押さえては尻尾でめくりあげられ、再びスカートでおさえ……と不毛な繰り返しをしている。
「えーん、どうやってもパンツが見えるー」
「ロッカちゃん、今はとりあえず戦おうな! あとデルドア! お前魔銃の魔物なら距離とって撃てよ、もったいないお化けが出るぞ!」
「もったいないお化けも接射で撃ち殺す!」
……と、この場においてなんとも緊張感のないやりとりである。
それを見たアランが小さく笑みをこぼした。なんて馬鹿馬鹿しくて、なんていつも通り。
「クロード様、私あの日からヴィグ団長と二人だけで聖騎士団をやってきました。これからも私と団長しかいないんだって、もう貴方と居たあの輝かしくて優しい世界には戻れないんだって、ずっとそう考えていました」
「……アルネリア嬢」
「だけど、もう良いんです。あそこが私のいる場所、彼らと居たい。ふたりぼっちの聖騎士団に、たった二人だけど仲間ができたんです」
だから大丈夫、そうアランが心の中で言い聞かす。この状況下であんな馬鹿馬鹿しい会話を交わす場違いな三人の輪の中に自分の居場所がある。
コートレス家の令嬢としては遠慮したいところなのかもしれないが、代替騎からしてみればこれ以上の居場所はない。
「クロード様、これからは私をアランと呼んでください。共に騎士として、この場で戦いましょう」
「アルネリア嬢……いや、アラン。分かった、共に戦おう」
真っ直ぐに瞳を見つめ返してくれるクロードに、アランが表情をそのままに僅かに胸の痛みを感じ……盛大に吹っ飛んできたデルドアに目を丸くさせた。
相変わらず空気を読まない、どころではない。
「デ、デルドアさん、大丈夫ですか!?」
「くそ、ゴリラだ。ゴリラに気をつけろ」
「なんで貴方が獣にやられてるんですか!」
仲間割れしないで! とアランが訴えれば、パタパタと服についた埃を払いながらデルドアが立ち上がる。そうして改めてアランを見下ろし、次いで向かいに立つクロードに視線を向けた。
「クロード・ラグダルか」
「そうだが、なにか……?」
クロードの声色に警戒の色が見えるが、この状況下なのだから当然である。とりわけ、デルドアは騎士に警戒される理由がある。いくら味方側として戦っていても彼は魔物なのだ、それを考えればアランの腹の底で言いようのない感情が募るが、今はそれを解消している場合ではない。
それほどまでに二人の間を冷ややかな空気が漂う。もしやここで二人が……と最悪な展開を案じるも、ふとデルドアがクロードから視線を外してアランに視線を落とした。
彼の赤い瞳とパチリと目が合ってしまったアランが、いったいどうしたのかと首を傾げ……
「大丈夫か?」
と掛けられた声と、そして彼の手に柔らかく頬を撫でられて一瞬にして顔を真っ赤にさせた。
「な、デ、デルドアさん!?」
彼の指が、しなやかだが節が太く男らしさを感じさせる指が、そっと目元を撫でる。
そのくすぐったさと何よりこの行動の意味が分からず、アランが混乱状態で彼の名を呼んだ。
おかしい、聖武器の加護が働いているはずなのにてんで頭が回らない。心臓が痛いほどに乱れる。
「な、なん……!」
「なんでって、クロード・ラグダルだろ?」
「そう、でっ、ですけどっ!」
「だからお前が泣いて……」
そう言い掛け、デルドアがアランから手を離す。
そうして数歩、まるで何かに場を譲るように下がれば……
ドゴン!
と盛大な音をたててヴィグが落っこちてきた。
「だ、団長!」
「デルドア……お前、ひとを受け止めるってことを覚えような……」
「断る」
「団長、大丈夫ですか!? 誰にやられたんですか!」
「アラン、気をつけろ……凶暴なゴリラがいる」
「またゴリラ! ロッカちゃん、そのゴリラ止めて!」
そうロッカに訴えつつアランが聖武器を構えて駆け寄り……サッ!とどこからともなく現れたゴリラに見事なまでにぶん投げられた。
思わず「見境ないな!」と声を荒らげながらも綺麗な弧を描き、元居た場所に着地、ではなく落下する。
ちなみに、男が三人居たというのに誰一人として受け止めてくれなかったのは、デルドアとヴィグはただ平然と一連の流れを眺めており、クロードはこの展開に思考がついていけなかったからである。それでも慌てて手をさしのべてくれるクロードはやはり紳士であり、それに対して二人のしれっとした態度といったらない。
「ア、アラン大丈夫か……」
「大丈夫ですクロード様。聖騎士ですから、これくらい……」
「ヴィグ、同時にしかけてあのゴリラを止めるぞ」
「なぁ、俺達はなんだってゴリラを相手に戦ってるんだ」
ヴィグとデルドアが対ゴリラの為に作戦を練り始める。
ひとまずこの場は彼らに任せて大丈夫だろう、そう判断し、アランが逃げ遅れた人の救助に行くと告げて走り出した。
会場にいた殆どの者は騎士や動物の靄によって逃がされたとは言え、まだ建物内に人がいる可能性がある。逃げ惑い取り残された者や、どこかに身を隠して出るに出られない者もいるかもしれない。
クロードもそれを考えたのか、「俺も行こう」とアランに声をかけて走りだした。
会場内を走れば、所々で靄かかった小動物の姿が見える。情報を交わしているのかふんふんと鼻をすり合わせる猫の姿や、中には小動物ながら群れを成して賊に襲いかかっているものもいる。
逃げ遅れた者を誘導する霧の鹿には流石に目を丸くさせつつ、それでも便利なものだとアランが関心するように足下を走り抜けていく子狐に視線をやった。
獣王の咆哮に集った亡き同胞達は、王から離れても動けるらしい。もっとも、先程のゴリラといい厨房へと群をなしていく鼠といい、統率の改善に余地ありのようだが。
「アラン、俺は真っ直ぐに進むから、君はこのまま逃げてくれ」
安全な場所へと向かうよう告げるクロードに、アランが首を横に振った
。
彼の瞳が丸くなる。騎士として女性を逃がそうと考えたのだろう。
「私は上にあがります、確か会場の二階と中を繋ぐバルコニーがあったはず」
「だが、アラン……」
「私はコートレス家の聖騎士です。貴方は同じ騎士に逃げろと仰るんですか」
キッときつく彼を睨みつける。
逃がそうとする彼を勇ましいと思う心も、共に居たいと願う健気な心も、ましてや背を合わせて戦おうとする勇ましさも、どれも聖騎士は持ち合わせてはいけないのだ。考えるべきは、彼ではない誰かを守ること。
だからこそ、この場で逃げろと言われて沸き上がる感情は怒りであるべきなのだ。騎士にかけられる言葉として、これ以上の侮辱はない。
それを察したのか、クロードが僅かに困惑の色を浮かべつつ、「すまない」と告げた。
「分かった、なら上の階は任せる。アラン、気をつけて」
「はい、クロード様もお気をつけて」
そう互いに頷きあい、走り去っていくクロードを見送るとアランもまた別の道へと走り出した。