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そうして迎えたクロードとリコットのパーティーは、それはもう華やかの一言である。
子供達の晴れの日だとあってかラグダル家もコートレス家も財を惜しむことなくまさに絢爛豪華、貸し切られた会場では軽やかな音楽が奏でられ、並ぶ食事も顔触れも何もかもが一等品であった。
そんな中、正装をまとったヴィグは不満そうに壁によりかかって周囲を睨みつけていた。怒気さえ感じさせるその冷ややかな空気と眼光の鋭さと言ったらなく、普段ならば聖騎士を小馬鹿にする者達もそそくさと前を通りすぎるほどだ。
このパーティーが華やかであればあるほど、皆に祝われコートレス家の者達が幸せそうであればあるほど、彼の腹の内では煮え切らないものが渦めいていく。アランを思えば思うほど苛立たしさが増していき、ついには小さく舌打ちまでした。
「やめなさいよ」
と、そんなヴィグに声がかかる。
「なんだ、フィアーナ嬢か」
「せっかくの祝いの場なのよ」
「コートレス家の三女の祝いだろ。俺には関係ない」
冷ややかに言い切るヴィグの言葉に、フィアーナがまったくと言いたげに肩を竦めた。だが彼女の表情にもさほども祝いの場と言った明るさがなく、それどころかヴィグに並ぶように壁に背を預けてしまうのだ。
当然、フィアーナもこの場において取り残された少女に肩入れしているからである。ヴィグのように露骨に不満そうな表情を浮かべて舌打ちする気もないが、かといって祝ったり愛嬌を振りまく気にはならない。
呼ばれたから来ただけの事、それだってアランの顔を立ててだ。
「壁の花だな。婚期を逃すぞフィアーナ嬢」
「いいのよ、生涯を本に捧げると誓ったんだもの。それに将来はアランと二人で静かにゆったりと過ごすの」
「はぁ!? 何勝手に俺の可愛いアランを人生設計に組み込んでるんだ!」
「なにが『俺の可愛いアラン』よ! アランは私のよ!」
ギッ!と音がしそうなほどフィアーナがヴィグを睨みつければ、ヴィグも負けじと睨み返す。
両者の眼光の鋭さと言えば、バチバチと火花が散りそうな程である。二人とも見目が優れているだけに余計にだ。
もっとも、互いにアランを自分のものだと主張しているが、そこに恋愛感情は一切ない。まったく、微塵も、これっぽっちも、ましてやアランを恋愛対象などと一度たりとも考えたことがない程なのだ。
ならばこの独占欲は何かと言えば、例えるならば、定時に餌をやり、庭先で遊び、勝手につけた名前で呼んでもちゃんと返事をして寄ってくる。それどころかゴロンと転がって腹を撫でさせてくれる、そんな「これはもう、うちの猫だ!」と思っていた野良猫が、よりにもよって向かいの家で同じ扱いを受けていたのを見てしまった、そんな心境である。
おまけに、その野良猫が人見知りなだけに余計にである。
「アランはね、私が帰省して寮を空けると知ったときに『フィアーナさんがいない寮には入れない』って寮の庭でテント張って生活してたほど私を頼ってるのよ!」
「それがどうした! アランはな、俺が三日遠方の仕事に行くことになった時、四日前から自分が埋まる用の穴掘ってたんだからな! 依存度なら俺の方が高い!」
「張り合う前に、誰かあいつを医者にみせてやれ」
割って入ってきた声に、ヴィグとフィアーナが「新たな参戦者か!」と声の方へと視線を向ける。
そこに居たのは呆れたと言わんばかりのデルドアと、「お医者様の中でお客様はいらっしゃいませんかー! おいしゃ……おきゃ?」と素っ頓狂なことを言いつつ自分で自分の発言に首を傾げるロッカ。
この場に合わせた彼等なりの正装なのだろう。デルドアは濃紺を地に金ボタンと刺繍が飾られた質の良い服装と、普段より上質そうなロングコートを羽織り、通常時でさえ見目の良い外観を更にランクアップさせている。対してロッカはオレンジを基調とした柔らかなシルエットのドレスをまとい、その愛らしさと言ったら。
まるで絵画のような二人に、彼等の正体を知らぬフィアーナが「あら」と小さく声をあげた。周囲も同様、この美男美少女に老若男女問わず釘付けである。……サァと音をたてて青ざめるヴィグ以外は。
「なっ! なんで、なんでお前達がここに!」
信じられない、と言わんばかりに青ざめるヴィグに対し、デルドアとロッカが不思議そうに首を傾げた。
「なんでって、仕事だから」
「仕事!?」
「ヴィグさんにも言えない、秘密の潜入捜査だよ!」
ロッカの得意げな暴露にデルドアが額を押さえて溜息をつく。いったいどこの世界に、潜入先で潜入捜査を高らかに宣言するものがいるというのか……。
これにはヴィグはもちろんフィアーナも目を丸くし、思わず「とりあえずロッカちゃんは秘密の意味を調べ直そうか」と諭した。
だが幸い周囲を見回しても先ほどのロッカの危うげな発言を気にかけている者はおらず、誰もがデルドアとロッカに見惚れ……次の瞬間、小さくあがった声とざわつきに視線を変えて再び唖然とした。
「ん?」
と、取り残されたようにデルドア達が首を傾げ、揃えたように周囲の視線を追った。
そこに居たのは、そして周囲の視線を一身に集めていたのは、真っ赤なドレスに身を包み、艶のある赤い髪を柔らかく揺らすアランの姿。愛らしい顔つきはうっすらと載せられた化粧でどことなく大人の色香を感じさせ、キョロキョロと周囲を窺うたびに髪に載せられた銀の髪飾りが光を受けて輝く。
長い睫と深い紫の瞳は不安げに行き交い、それでいて誰にも留まらないもどかしさを与える。美しいだの綺麗だのといった賛辞では語り尽くせないほどの魅力。誰もが見惚れる中、それでも注がれる熱い視線を好奇と勘違いしてとったのか、居心地悪そうにアランが会場内を見回す。
そうして一点を、自分の見知った者達が集まっている一角を見つけ、パァとその表情を綻ばせた。
その愛らしさといったらない。周囲の男達がホゥと吐息を漏らし、女達も嫉妬を忘れて見惚れる。小さく「赤ずきん」という単語がいくつかあがるが、あいにくとアランはそれに気付くことなくパタパタと見知った顔の並ぶ場所へと駆け寄った。
そんなアランに対してフィアーナが
「なんて可愛い! さすが私のアラン!」
と満足気に頷き、ヴィグが
「やっぱり俺のアランが一番可愛い!」
と誇る。ロッカも興奮気味にキャー!と黄色い声をあげ、デルドアが得意げに
「ほらみろ」
と笑みを浮かべた。
そんな三者三様と言った反応に、思わずアランが照れくささで苦笑を浮かべる。誉められるのは嬉しい、彼等の賛辞に皮肉も社交辞令の色も一切ないと分かる。だからこそ恥ずかしいのだ。
「あの、みんなとりあえずそのへんで……って、デルドアさんにロッカちゃん、どうして二人がここに?」
「秘密の潜入捜査だよ!」
「仕事だ」
「あ、ちゃんと仕事してたんで……いえ、嘘です、なんでもございません」
ギロリとデルドアに睨みつけられ、アランが慌てて視線をそらす。
朝っぱらから詰め所に遊びにきたり、時には日も高いうちから大衆食堂で酒を飲んでいる時もあり、てっきり働いていないのかと思っていたのだ。だが考えてみれば食堂での食事だって人間の金が必要なわけで、なにかしら手段で得ているはずだ。
食堂の店主が「あの二人はよく食ってよく飲んで、それでもツケにしない良い客だ」と嬉しそうに話していたのも覚えているし、アランもたまに奢って貰っている。むしろ羽振りは良い方で、そもそもデルドアが普段使っている銃だって人間の店で買っているはずだ。
そんな考えてみれば当然すぎることに、改めて二人のことを何も知らないのだと思い知らされる。
「仕事って、何をしてるんですか?」
「潜入捜査してる先で教えるわけないだろ」
「潜入捜査してる先で堂々とそれを言い放っていることは問題ではないんですか?」
「……俺はあいつが「おじゃまします!」と大声をあげた時点で諦めた」
「デルドアさんも苦労しますねぇ」
苦笑を浮かべながらアランが労えば、デルドアが小さく溜息をもらし……そしてふと視線を向けてきた。赤い瞳にジッと見つめられ、アランが僅かに胸を高鳴らせた。
今日のデルドアは初めてみる正装姿。いつものラフな茶色のロングコートではなく、刺繍や飾りが施された一目で質の良さが分かるコート。さらには濃紺を基調とした正装をまとい、その出で立ちはまるで王子。
そんな彼に見つめられ、アランが逃げるように視線をそらした。心臓が痛い、格好良すぎて直視できない。
「ど、どうしました、私なにかおかしいですか?」
「いや、俺の目に狂いはなかったと思って」
「……ん?」
「似合ってるってことだ。聖騎士だからってオドオドするなよ、この会場の中でお前が一番綺麗だ」
「はっ……!?」
さらっと、それでいてとんでもないことを言ってくるデルドアに、アランが一瞬にして顔を真っ赤にさせた。確かにこのドレスは彼が仕立屋の店員と――勝手に――話して決めてくれたものだ。纏った自分の姿を見たアランも、これが自分かと疑いたくなるほど綺麗に見えた。
自画自賛ではあるが、他の令嬢にひけをとらないとすら思えたほどだ。が、それをこうもハッキリと、目を見られて言われては心臓に悪い。
とりわけ今日のデルドアは普段より格好良く、そのギャップがよりアランの心臓を締め付ける。
それでもなんとか冷静を取り繕い「ありがとうございます」と返した。ほんの少し声が揺らぐのは仕方あるまい。
この場の空気と、そして今日という特別な日、そして普段と違う装いのせいだ。……きっと、多分。それだけだ。
そうアランが自分に言い聞かせる。と、それとほぼ同時に会場内がワァと沸き立った。
見れば麗しい男女が手を取り合って広間の扉から出てくる。かたや精悍で実直そうな、そしてかたや愛らしく麗しい、まさにお似合いの男女。
もちろんクロードとリコットである。
それを見たアランがそのあまりの輝かしさと、そして幸せそうに微笑みあう様に僅かに目を見開き……そして俯いた。
可愛い妹の晴れ姿。誰より近くで、誰より先に声をかけて祝ってやるべきなのに、それが分かっていても醜い妬みが沸いて二人の姿を直視できない。
逃げるように視線をそらし作り笑いを浮かべるアランに、さらに追い打ちをかけるのがヒソヒソと聞こえてくるこの小さく、そして絶えることのない嘲笑。
最初こそ美しい深紅の令嬢に見惚れていた連中が、その正体がアランと知るや途端に手のひらを返したのだ。なんだ代替騎か、と。もっとも、その中にはアランに見惚れたことや、彼女の美しいドレス姿に対する嫉妬が含まれているのだが、とうてい聞いていて気分の良いものではない。
ヴィグとフィアーナが声のする方をギロリと睨みつけ、ロッカがヴーと唸ると同時に「見てろよ!」と彼等に歩み寄った。
アランが慌ててそれを止めようとする。が、僅かに届かず指先が宙をかすめた。
「ロッカちゃん、問題事は……!」
と、制止しかけたアランが言葉を飲み込んだのは、数秒前まで唸っていたロッカが一瞬にして表情を変えたからだ。愛らしいまるで美少女といった表情、そして会場の一角に飾られた花を――そして嘲笑を浮かべる者達を――前に立ち止まると「わぁ」と可愛らしい声をあげた。
次いで華やかに飾り付けられた花の一つを指先でチョンと突っつき、揺れる花びらに表情を綻ばせる。
「ふふ、とっても可愛い」
そう花に囁きかけるロッカのなんと可愛らしいことか。栗色の髪にオレンジのドレスがよく映え、背中に留められた飾りのリボンがまるで尻尾のようにふわりと揺れる。
『可愛く・愛らしく・愛おしい』を突き詰めたようなロッカの姿に、それを見た男達が自分の隣に立つエスコート相手も忘れ鼻の下をのばした。その情けない顔に令嬢達が反対に表情をきつくしかめる。
もちろん、エスコート相手が別の女――それも社交界では見たことのない女――に現を抜かすなどプライドに関わるからだ。
だがそんな女のプライドなどロッカは微塵も歯牙にかけず、キョロキョロとわざとらしく周囲を見回した後、そっと白い花を一輪抜き取ると自分の髪にさし嬉しそうに笑みをこぼした。
愛らしい少女の、無垢なワンシーン。花瓶から抜かれた一輪の花は、それでもロッカの髪に留められれば最高級の髪飾りのように輝きだす。栗色の髪と白い花びらがなんとも素朴で、そしてその素朴さこそがこの目映い会場で他にない魅力を放っていた。
おまけに、最後の仕上げなのかロッカは自分を見つめる男達に視線を向けると、「いけない、見られちゃった!」と言いたげに頬を赤くさせて小走りにアラン達のもとへと戻ってきたのだ。
完璧とさえ言えるその一連の流れに、見ていた男達の瞳にハートが浮かぶ。いかに隣の令嬢が腕を引っ張り、足を踏み、怒りを含んで名前を呼んでも心ここにあらずである。
もっとも、いかに怒っていようとこのパーティーに呼ばれるほどの身分のある身。さすがにここで喧嘩勃発とまではいかないが、パーティーの後は悲惨の一言だろう。
もちろん後のことなどロッカの預かり知らぬところ。ゆえに彼は罪悪感など微塵もないと、むしろ晴れ晴れとした表情を浮かべ
「5~6人は骨抜きにしてやったよ!」
と勝利宣言である。このパッションピンク、なんと恐ろしい……。
「大漁旗を振り回したい気分!」
「ロッカちゃん、なんてエグいことを……」
「気分は晴れたでしょ?」
「まぁ、ちょっとは……」
チラとアランが横目で見れば、嘲笑を浮かべていた令嬢達が悔しそうな表情を浮かべている。「なんだ代替騎か」と鼻で笑っていた男に至っては、ロッカが抜き取ったのと同じ白い花を手にしてボンヤリとしているではないか。
あれは完璧に骨抜きにされたな……と同情と哀れみを感じるが、それより勝るのが「ざまぁみろ」という何とも意地の悪い爽快感。
アランとて純粋無垢ではない、むしろ聖騎士を押しつけられて以降歪みに歪んだ性格は、この展開に思わずニンマリと頬を緩ませてしまうのだ。おっと、と慌てて頬を押さえて取り繕う。
「もう、ロッカちゃんってば、ひとのことからかっちゃダメだよ!」
「……お前、いま心の底から清々したって顔してたぞ」
「なんのことか分かりません」
「白々しい」
デルドアが盛大に溜息をつく。どうやら取り繕っていたつもりがバレバレだったらしく、アランが小さく舌をだした。
ちなみにヴィグとフィアーナはと言えば、ロッカに対して「よくやった!」「やるわね、あなた!」と大絶賛である。なにせ二人にとってアランは”俺の・私の、可愛いアラン”なのだ。それを馬鹿にした相手がどうなろうと知ったことではない。むしろ痛い目に会うのなら喜ばしいことこのうえないのだ。
ドヤ顔で誇るロッカ、その功績を称えるヴィグとフィアーナ。デルドアはまったく仕方ないと言いたげな表情こそしているもののロッカを咎める様子はない。それどころか、いまだ骨抜きで一輪の花に口づけしている色ボケ男を見て、ほんの一瞬だが誰より意地の悪い笑みを浮かべていた。
そんな大人気ない光景を眺めつつアランが苦笑を浮かべ、注がれる好奇の視線を感じながらも堂々とあるべく胸を張った。