5
貴族の令嬢がドレスを作るとなれば、お抱えのデザイナーを屋敷に呼びつけ頭の先から爪先まで仕立てさせるのが普通である。とりわけコートレス家は貴族の中でも名家なのだ、財力もあり、そのうえ身内の祝い事となればなおのこと金を惜しむわけがない。
だがアランだけはデザイナーを呼ぶ気はなく、城下にある質の良い仕立屋を訪れていた。高価ではあるが、それでもお抱えのデザイナーには劣る。はっきり言ってしまえば『裕福な庶民の一張羅』といった店である。
そんな店の扉を開けば、設置されていたベルがカランと高い音をたてて来客を知らせた。
「いらっしゃいませ」
「あの、ドレスを……」
「おじゃましまーす! ドレスくーださい!」
「へぇ、仕立屋ってのは初めて入るな」
控え目に店内の様子を窺いつつ入店するアランに比べ、楽しそうに飛び込むロッカと物珍しそうに周囲を見回すデルドアの場違いぶりといったらない。店員が思わず目を丸くさせ、談笑中の婦人すらも不思議そうに視線を送っている。
城下といえど、ここはそれ相応の店なのだ。いつもの大衆食堂とは客層も勝手も違う。
あぁデルドアさんのロングコートが浮いている。ロッカちゃん、ショーウィンドウのドレスのスカートをめくらないで……。
「あ、あの、本日は……」
好き勝手する異様な二人を横目で警戒しながら声をかけてくる店員に、アランがはたと我に返り「ドレスを仕立ててほしくて」と本来の用件を伝えた。
「はい、かしこまりました。パーティー用でしょうか? お色や布はお決まりですか?」
「いえ、色も何も特には……あぁもうデルドアさんもロッカちゃんも、大人しくしててください! 二人してスカートを覗かない!」
もう!と怒りつつ手早く二人を回収する。興味津々でドレスをめくるロッカは無邪気な子供の悪戯で済まされるかもしれないが、流石に「履いてるのか?」とつられて覗き込もうとするデルドアはアウトだろう。危なかった。
そんな二人に対して「先に詰め所に戻っててください」と伝えれば、揃えたように頷いて返してきた。
「シチューが冷めちゃうし、先に行ってるね」
「ロッカ、俺も」
「デルドアは駄目! お店に残ってて!」
「なんで。俺も別に店に用はないから」
「野ウサギさんの」
「分かった」
渋々どころか言い終わらぬうちに即答し、デルドアがロッカを見送る。
「強く出れないんですね」
「越冬近くの動物達は必死だからな。一昨年だったか、猪の親子に部屋の一角を占拠されて散々だった」
溜息混じりにとんでもない話をされ、アランの頭上に疑問符が浮かぶ。猪の親子と同室とは彼なりの冗談なのだろうか。野ウサギと言い猪と言い、いったいどうして動物が絡んでくるのか。
そう疑問を視線に乗せて彼を見上げるも返答はなく、それを見ていた店員が恐る恐ると言った様子で「あの……」と声をかけてきた。
話しかけていいのか分からない、と言いたげなその困惑の表情にアランが申し訳なくなって店員に視線を戻す。なんて扱いにくい客だろう、と我ながら思えるのだ。
「……ド、ドレスのお色や形はいかがいたしましょうか」
「色とかそういうのは決めてないんで、適当に……あまり目立たない色で」
「色は赤だ」
「目立たない色って言いましたよね」
割って入るように答えるデルドアを睨みつければ、彼はさもアランの言い分を理解したと言いたげに頷き
「真っ赤だ」
と言い直した。
目立たない色どころではない。ただでさえ人目を引きつける赤髪なのだ、そこに真っ赤なドレスを着れば……。
慌ててアランが訂正しようとするも、デルドアの大きな手が掴むように口を塞いできた。思わず「ムグ」と変な声をあげてしまう。
「赤で、こいつの髪に負けないくらい真っ赤で」
「ムグ」
「形や刺繍の流行はよく分からないが、とにかく派手に」
「ムグゥ!」
「髪飾りは銀で」
「ムググ!」
「あと胸は出来るだけ寄せてあげて」
「ガブリ」
「いってぇ! やめろ、噛むな!」
口元を押さえる手の隙をついて盛大に指に噛みついてやれば、流石にデルドアの手が離れる。それと同時に睨みつければ「なんだよ」と文句を言う彼の声のなんと不服そうなことか。
もっとも、アランからしてみればこちらの方こそ「なんですか!」と訴えたいところだ。
目立たない色が良いという意見を無視してドレスも髪飾りも勝手に派手な色合いに決めて、しかもよりにもよって胸を寄せてあげて……。
「良いでしょう、その喧嘩買いましょう!」
「なんだよ、どうした」
「胸を寄せてあげるなんて、喧嘩を売る以外にありますか! それに人のドレスを勝手に決めないでください!」
「適当にって言ってたんだから俺が決めてもいいだろ。それにお前は赤が一番似合う」
「だからって勝手に話を……えっ?」
「人間の男は胸の大きい女が好きだってヴィグが前に言ってたし、お前がちゃんと着飾って寄せてあげれば誰だって見惚れるだろ」
「いや、別に世の中には小さい胸が好きな人も……えっ!」
「そういうわけで真っ赤なドレスな。髪もちゃんと下ろしておけよ。その三つ編みも良いけど、ドレスには下ろした方が似合うはずだ」
「え、あの!? えっ……」
矢継ぎ早にあれこれと言われ、アランが答えきれず理解も追いつかずに呆然とする。
似合う、とか。誰だって見惚れる、とか。それをよりにもよってデルドアに言われたのだ、考えれば考えるほどアランの中で熱がこみ上げ顔が赤くなる。
もっとも、そんなアランの反応に微塵も気付く様子のないデルドアは好き勝手注文した挙げ句、真っ赤になって湯気を放ちかけているアランにチラと視線を向けた。
店員の書いたメモ書きと交互に視線をやるのは完成したドレスを纏うアランの姿を想像しているのか。そうして一度うんと頷くと、店員にゴーサインをだした。
おまけに
「楽しみにしてろよ、これがきっと一番お前に似合う」
と笑うのだ。その格好良さが、柔らかく悪戯気でどこか甘い笑みが、直球の言葉が、それら全てがアランの心臓を跳ね上がらせ……
「あ、でも変な男に菓子をやるって言われてもついていくなよ? 着飾ればそういう奴も増えるからな」
という、心の底から心配してそうなデルドアの言葉に今回もまた「吊り橋!」と叫んだ。
「なんだ、今日も三途の川が見えたのか」
「違いますよ!」
キィ! と喚くアランに対してデルドアの不思議そうな表情といったらない。
彼は自分の言った言葉も、行動も、そして微笑んだ表情の破壊力も、なにもかも分かっていないのだ。もちろんそれを受けたアランがどう思うかも。いわゆる無自覚、罪作りなんてレベルではない。
それにあてられて堪るかと記憶の中から先程のデルドアを追い出すように頭を振り、熱を持つ頬をペチペチと叩く。
落ち着け、アラン・コートレス。
彼はとくに何も考えていないのだ。無自覚ゆえの発言。
久しぶりの仕立屋だからといって緊張して勘違いしてはいけない。この胸の高鳴りは勘違い、そうだ、数年ぶりのドレスが嬉しくてわくわくしているだけだ……。
「私は騙されませんからね!」
ドヤ!と胸を張ってデルドアに宣言すれば、彼は僅かに目を丸くさせ、いったい何のことだと首を傾げた。
「騙すも何も、お前が他の人間の女より見た目が優れてるのなんて誰が見たって分かるし、自分で言ってただろ」
「う、うぐっ……」
再度直球の言葉を浴びせられ、思わずアランが少女らしからぬ声を漏らす。
確かに以前デルドアを前にして「自分は着飾ればそれはもう綺麗で美しく、たとえスタルス家の三男だろうと一撃!」と熱く語ったことがある。他にも、酒の席ではヴィグと自画自賛合戦――後半は泣けてくる――や、華やかに着飾り歩く同年代の少女達を見て「私だって」と訴えたこともある。
だが全てはその場のノリと勢い、そして自虐すらも含んでいるのだ。それをこうも直球で受け止められ、そのうえ直球で返されては一溜まりもない。
落ち着かせたはずの心臓が早鐘と化し、頬が熱くなる。何を言っていいのか分からず、あわあわと要領を得ない言葉だけが口をついてでる。
「どうした?」
「ど、どうもしません。吊り橋が思ったより長くて困ってるだけです」
人の気も知らないで、とアランがデルドアを睨みつける。
頭一つどころか二つ三つほど背の高い彼はやはり見目がよく、店内にいる女性達がうっとりと熱い視線を送っている。
最初こそ怪訝そうにしていた店員も今ではその表情も穏やかで、デルドアが何か選ぶと悉く「まったくその通りです!」と猫なで声で返すだけだ。――もっとも、この店員に関して言えば商魂からくる猫なで声なのかもしれないが。というか、なぜ二人で勝手にドレスを決めているのか――
そうして当人が蚊帳の外で話は進み、最終的に決定されたデザイン案を見たアランが一言、
「わ、私の給料ジャスト!」
という悲鳴をあげた。