15
魔銃の魔物。
遠距離最強の武器を手に、聖騎士団すらも恐怖に陥れた狙撃手。
「一度狙われたら最後、世界の果てにいても撃ち殺される」とまで言われ、その絶対的な能力に誰もが絶望感を抱いたと記録に残っている。
なにせ魔銃の魔物にとって遮蔽物や距離などあってないようなもの。どこに居ようが、その間に何があろうが、引き金を引けば確実に銃弾は獲物を撃ち抜くのだ。
狙われたならば逃げようもなく、避けようもなく、そして絶対的な距離から放たれる故に倒しようもない。ゆえに摩銃は遠距離最強の武器であり、姿の見えない狙撃手は最恐である。それが魔銃の魔物。
よりによって、デルドアさんが……。
目の当たりにしてもいまだ信じられず、アランが呆然としながら彼を見上げた。
色濃い赤い瞳。茶色のロングコートがたなびく、普段通りの彼の姿。だがその両の手に握られた二丁の銃のなんと禍々しいことか……。
フルリ、と思わず体が震える。だがそれと同時にアランの脳内に僅かな可能性が浮かび上がった。
デルドアが本当に魔銃の魔物だとする。もちろん彼が文献にある当時の魔物なわけではなく、”今の摩銃の魔物”である。そして彼はこちら側だ。つまり遠距離最強の魔銃が加勢するということになる。
黒騎士と魔銃の魔物、戦い方が真逆故にどちらに勝敗があがるかは定かではないが、聖騎士二人とロッカがいるぶん人数の利はこちらにある。なんとかして自分達が黒騎士を押さえつけ、その隙にデルドアが摩銃で狙い撃てば……。
勝てるかもしれない。
これなら、黒騎士を倒せるかもしれない……!
そうアランが勝利の可能性を感じ取った瞬間、デルドアが魔銃を手にしたまま黒騎士へと駆け寄っていった。
「……え?」
アランが数度瞬きを繰り返し、遅れてデルドアのあとを視線で追う。
どういうわけか、遠距離最強の魔銃の魔物は黒騎士に真っ向勝負を挑み、隙あらば銃口を額に押しつけようとしているのだ。
「……何やってるの、あの人」
と思わずアランが呟いたのも仕方あるまい。正しくはデルドアは「あの人」ではなく「あの魔物」なのだが、今はそんな些細なことを気にする余裕もない。
なにせ魔銃の魔物が、遠距離最強と言われた魔銃の魔物が、ナックルが武器のヴィグと一緒に黒騎士に掴みかかるように挑んでいるのだ。つまり、遠距離武器のくせに距離を詰めようとしている、メリット完全放棄である。
これを無駄と言わずに何を無駄と言うのか。
確かに接射の方が外す可能性は低いのかもしれないが、だからといって何でそこまで近くに……と、そう唖然とするアランの視界の先で、近付きすぎたためにデルドアが黒騎士に薙ぎ払われるのが見えた。ほら言わんこっちゃない、思わず心の中で呟く。
それとほぼ同時に、ズザァ! と豪快な音をたててロッカが滑り込んできた。それも今回もまた見事に顔面からである。
「ロ、ロッカちゃん……」
「やつめ! 今度は下投げか!」
ピョン! と勢いよく起きあがり、怒りの声を――怒りの矛先が下投げに関してなあたり理解しがたいが――あげ、再び黒騎士へと向かおうとするロッカを慌ててアランが呼び止めた。
彼の持つバスケットがボコボコに変形し何かよく分からない汁を滴らせていることや、「よりにもよって下投げ! 許せない!」と分けの分からない怒り方をしていることはこの際だから気にするまい。今聞きたいのは……
「ロッカちゃん、デルドアさんは……彼は、魔銃の魔物なの?」
「え、そうだよ?」
何を今更、とでも言いたげなロッカの返答に、思わずアランが目を丸くする。前から知っていたにしても、魔銃の魔物に対してあんまりにもあっさりとした対応ではないか。
だがそれでも、とアランが再度ロッカを見据えた。
「それで、なんで魔銃の魔物なのにあんな直球勝負を挑んでるの?」
「そっちのが楽しいからって」
「楽しい!?」
「それにね、あの魔銃、武器と言うよりデルドアの本能みたいなものでね、あれ出すと気分がハイになるんだって」
「気分が……確かに、近年稀に見る楽しそうな表情してるけど」
「つまりね、魔銃を出したときのデルドアは……」
あのね、と勿体ぶるようなロッカの口調に、思わずアランも聞き入るように彼に視線を向ける。
銃が本能という理屈はうまく理解できないが、所謂「本性をあらわす」というようなものなのだろう。となれば楽しいという感情のままに戦うのも理解できる。……たぶん、きっと。なにせ生憎とアランは只の人間で、聖騎士と言えど聖武器を押しつけられたにすぎない。背中から銃を取り出すことなど出来やしないのだ。
それでもデルドアの本性を知ることが出来るとアランがロッカの続く言葉を待てば、彼はジッとアランの視線を見つめて返し「あのね」と再度念を押すように口にした。
「デルドアはね、魔銃を出した時は接射至上主義なの」
「……接射至上主義」
あまりの説明にアランがオウム返しのように言われた言葉を復唱する。
『接射至上主義』世の中にはそういう趣向の人が居るとは聞いたことがある。もっとも、銃自体がそう出回っていないので噂に聞いた程度だが、それでも戦い方は人それぞれ、否定する気はない。アランとて、聖武器にとらわれていなければ別の武器で、それこそ他人が聞けば「なんでそんなこと」と思われる戦法を好んでいたかもしれない。
――もっとも、聖武器にとらわれていなければアランは只の令嬢で、社交界を戦場にドレスと愛嬌を武器にしていたかもしれないが――
とにかく、つまるところデルドアは本能である魔銃を出したときに限って、魔銃の性能もその威力も効果も恐ろしさもメリットも何もかも擲って「楽しい」という理由を元に敵に真っ向から突っ込んでいく接射至上主義状態に陥る、と。
そういうことだ、なるほど理解できた。
理解できた……のだが、これはあまりにも勿体なさすやしないだろうか。
「魔銃……遠距離最強の魔銃なのに……」
ブツブツと呟きつつアランが両の手に聖武器を構える。流石に今は嘆いている場合ではなく、もちろんデルドアの事情を惜しんでいる場合ではないのだ。戦況的にはかなり惜しみたいところだが。
それを見たロッカがヴーと獣のように唸り「下投げのお返しだ!」とバスケットを振りかぶって黒騎士へと向かっていく。その姿のなんと愛らしく、逞しく、そして間の抜けたことか……。
そんな背を見送りつつ、アランもまた駆けだした。
「なんでこうも接戦タイプしかいないの!」
と嘆きながら……。もちろん、アランも人のことを言えず、近付かなければ攻撃できないのだが。
はっきりと言えば、アランは弱い。
聖武器の加護で戦力こそ上がっているが、それでも基礎的な部分はここ数年で培った付け焼き刃、経験に至ってはゼロと言える。いってしまえば急拵え、聖武器の加護で底上げされても本人の容量に限界がある。とりわけ、体が出来ていないのだ。
ゆえに黒騎士の攻撃を受けきれず、
「うわ、わっ!」
と足元をよろつかせて間の抜けた声を出すのも仕方あるまい。
普通であれば骨を折るか、下手をすれば体の一部とおさらばしているような一撃なのだから、情けなかろうと声を上げられるだけましである。
「アランちゃん! 危ない!」
そんなアランを背後に回ったロッカが支えた。
やはり彼も魔物だけあり、人知を越えた反射神経である。転倒を免れたアランが荒く息をつきつつ、抱き留めるように自分を支えるロッカの腕を掴んだ。
「ロッカちゃん、ありがとう」
「大丈夫?」
「う、うん……なんとか食らいついてる感じかな」
「まだ動けそう?」
「それも、なんとか」
「サンドイッチ食べる?」
「それは断固として食べない」
いらない! とこの件に関しては一刀両断して断れば、ロッカが口をムグムグと動かしながら「そっかぁ」と間延びした声を上げた。
そんな二人が揃って同じ方向へと視線を向けたのは、黒騎士に腕を押さえられていたヴィグがそのまま放り投げられ、その先にいたデルドアにぶつかり……はせず、見事に蹴り返されたからである。哀れヴィグが呻き声をあげ、黒騎士へと戻される。
もっとも、黒騎士が受け止めるわけもなく、それすらも避けられてこちらへと転がってきた。なんとも無惨である。
「……ヴィグ団長、だ、大丈夫ですか?」
「あのやろう、俺の扱いおかしくないか?」
「ヴィグさん大丈夫? サンドイッチ食べる?」
「うーん、食べちゃおっかなぁ」
どうしよかなぁ、と現実逃避なのか悩みだすヴィグに、ロッカが楽しげに笑う。そうしてデルドアに呼ばれるや「後で作り直してあげる!」と元気よく走り出すのだ。そして迷いもなく黒騎士に飛びかかる。
――その際、「下投げの恨み!」と叫んでいるのだが、彼の中でいったい下投げはどういう扱いなのだろうか。いや、投げられること自体が屈辱なのだが――
とにかく、そんな楽しげにバスケットを振り回すロッカと接射に持ち込もうするこちらも楽しげなデルドアを呆然としながら眺め、アランが思わず小さく笑った。ヴィグが不思議そうにこちらを見るが、一度ゆるんだ頬はなかなか元には戻ってくれない。
「どうしたアラン」
「だって、こんな変な話ないじゃないですか」
「変な話?」
「私達は聖騎士なのに、魔物の彼等が居てくれてこんなに気が楽になるなんて。よりにもよって聖騎士と魔物ですよ」
ねぇ、とアランが笑みをかみ殺しながら同意を求めれば、ヴィグも僅かに目を丸くさせ……同感だと柔らかく微笑んだ。
二人きりで戦っていた時は死すら覚悟のうえで、せめて差し違えてでもとそれだけを考えていた。だというのにデルドアとロッカが来てからは間の抜けた――そして普段通りの――会話を交わしつつ、四人で入れ替わり立ち替わり応戦している。苦戦こそしているが、今のアランには死の覚悟はなく、先程まで思考を占めていた絶望感もない。
「確かに、あいつらが居ると気分が楽だな。馬鹿馬鹿しいとも言うけど」
「それは同感」
「といっても、俺達には体力の限界がある。ずっと続けてるわけにはいかないし……そういや、デルドアが『頭を撃てれば倒せる』って言ってたな」
「頭、ですか?」
「あぁ、他の部分は撃っても直ぐに回復されるけど、頭なら仕留められるらしい」
「よりによって、頭かぁ。そう簡単に撃たせてはくれませんよね」
どうしよう、とアランが呟けば、ヴィグがガシと肩を掴んできた。見れば彼の表情はまるで「俺に良い考えがある!」とでも言いたげで、それどころか若干目が据わりつつある。
覚悟を決めた、どころじゃない、一線越えかけている表情。その表情に嫌な予感を感じつつ、アランもまた同様に彼を見据えて返した。
「アラン、いくか!」
「……どこに、と聞くまでもなく分かってしまう自分が恨めしい」
うぅ…とわざとらしく嘆くふりをしてみせ、二人同時に走り出し、そして聖武器も何も関係なく黒騎士へと飛びついた。
いかに黒騎士と言えど、突然二人に抱きつかれれば動きを止める。それもアランもヴィグも聖武器など手にせず、攻撃などいっさい考えず体ごとぶつかっていったのだ。
戦闘の経験もなく、長刀はおろか短剣でさえ素人に毛が生えた程度のアランでもぶつかりしがみつくことなら全力を出せる。おまけに、事態を察したか――それともその場の勢いか――ロッカまでもが「僕もやる!」と黒騎士の片腕にしがみついたのだ。
流石に三人に、足元、腰、腕としがみつかれては黒騎士にも動揺が見られる。赤い瞳が揺らぎ、しがみつく三人を振りほどこうともがきだす。
それに合わせて、振り回されるようにアランの足が浮く。押しのけようとする手が強引に頭を押さえ、それでもと両の腕にだけ意識をやってしがみついた。足が浮こうが、太い指が食い込もうが、しがみつけば良いのだ。痛みなど全て無視して、それだけを考えれば良い。
と、その瞬間アランの背後に人影が映った。
振り向くまでもない。気配で分かる背の高さ、視界の隅、そして黒騎士の額に銃口を突きつけるこの威圧感のある銃。なにより、満足げに「よくやった」と告げるこの聞き覚えのある声……。
それら全てがたった一人を脳裏に浮かび上がらせる。
なにより、次いで響きわたるこの尋常ではない轟音が、彼が魔銃の魔物デルドアだと振り返って確認するまでもなく物語っていた。
アランの頭上で黒騎士の頭部が爆ぜる。
嗅覚が硝煙を嗅ぎつけるのと同時に頭を押さえていた黒騎士の腕から力が抜け、ズルと滑るように離れていく。見上げれば黒騎士の赤い瞳、だがそれは先程までのこちらを燃やし尽くすような色ではなく、どこか濁って見える。
そして額には、黒一色の中でもとりわけ深く色濃く空く黒い穴。まるでこちらまで吸い込まれかねないほどポッカリとあいたその穴から、コポッ…と赤い血が見え……
あ、またこれか。
と、そう考えると同時に、血生臭くて甘ったるくてそしてどこか腐ったような、とにかく不快としか言いようのない匂いの血と何か――今回も考えたくない――が頭上から降り注いだ。
「ぎゃぁぁ!」だの「フレーメン反応が!」だのと言った悲鳴が聞こえてくるあたり、ヴィグもロッカも同じ目にあっているのだろう……。
確認できなかったのは頭上から噴水のように降り注ぐ血のおかげで目が開けられないからである。……ただ
「うわ、きたねぇ……」
という、まるで自分は無事だったかのようなデルドアの声だけは、なぜか少し離れた場所から聞こえてきた気がした。