14
弾けるような音が響き、首をしめていた手が離れた。
一瞬にして肺に空気が流れ込みその場に崩れ落ちながら盛大に咳込めば、吹き出る汗にいかに一歩手前だったかを自覚する。
「おい、大丈夫か?」
「デル……ドア、さん」
座り込んだまま咳込みつつ顔を上げれば、見慣れたデルドアの姿。
両手に構えた二丁の銃は吹き飛んでいった黒騎士に向けられたまま、それでも横目でこちらに視線を向けている。
赤い瞳。黒騎士と同じ魔物の瞳なのに彼の赤は不思議と安堵を呼び起こす。魔物に殺されそうになり、それを助けてくれた魔物の姿に落ち着くなど、まったくもって聖騎士として褒められたものではない。他の騎士に、それこそコートレス家やかつて聖騎士だった家系の者に話せば叱咤されかねないことだ。
それでも胸の内は正直で、デルドアに再度「平気か?」と問われればその声に恐怖心が和らいでいった。見ればロッカの姿もあり、恐れることなく黒騎士に飛びかかっていく彼の姿に手足の震えが止まる。
「だ、大丈夫です……」
ゼェと息をつきつつアランがゆっくりと立ち上がり、答えるようにデルドアの瞳を見つめて頷いた。体中が悲鳴をあげて意識が朦朧とするが、数秒あれば聖武器の加護が動ける程度には回復してくれるだろう。
立てる、動ける、ならばまだ戦える。
「デルドアさん、気をつけてください。あれは黒騎士です」
「だろうな。まったく銃が効かない」
「それに、足元の手も強くなってきてる……」
チラと足元を見れば、血に染まった手が足首を掴んでいる。
先程まではさして気にかけるほどではないと考えていたが、今は掴まれた足首が痛むほどに力が強まっている。次第に力が……と考えれば、この血濡れの手が足首を引き千切るのもそう遅くはないだろう。
黒騎士と連動しているのだろうか。たとえば黒騎士が殺すと決めたり興が冷めて終いにしよう考えれば、この手も止めをささんと威力を強めるのかもしれない……。と、そこまで考えた瞬間銃声が響きわたり、アランの足首を掴んでいた手が四方に弾け飛んだ。
微かに硝煙が漂う。言わずもがな、デルドアが撃ち抜いたのだ。
「聖武器はどうした?」
「二本とも黒騎士に刺さってます」
ほら、と訴えるようにアランが両の手を開いて見せつければ、デルドアが小さく溜息をついた。危なっかしい、と呟かれた言葉に反論しようとするも上手く言葉が見つからない。
なにせ今の自分は丸腰なのだ。なんて無防備なのだろう……そんなことを考えれば再び足元が爆ぜた。
「聖武器が戻ってくるまで俺から離れるな」
視線は銃口と共に黒騎士に向けたままデルドアに告げられ、アランがコクと一度頷いて彼のロングコートを掴んだ。
ここで「武器が無くても戦えます!」などと言い出すほどバカではない。無茶と無謀は違う、バカな意地は足手まといにしかならない。
「ロッカ、ヴィグ! まずは聖武器を取り戻せ。どっかに刺さってるはずだ」
「そんな、簡単にっ……!」
「はーい、了解!」
黒騎士の一撃を避けつつ文句を言うヴィグに、対してロッカが暢気に答える。
見た目だけならばこの場において誰より弱そうなまるで美少女といった風貌の彼は、それでもピョコピョコと跳ね回っては巧みに黒騎士の攻撃を避け、そのうえ時には噛みつき時にはバスケットで殴りつけてと見事な応戦をしているのだ。さらにはヴィグをサポートするような動きすら見せている。
バスケットを振り回す様は愛らしく、それでいて動きは俊敏。殴打する勢いに迷いも容赦もなく、それでも時折は「イチゴジャムが垂れた!」と間の抜けたことを訴えている。
いったい彼は何なのか……。
そう問うようにデルドアを見上げれば、彼もまたこちらをチラと一瞥し、次いでアランの足元が爆ぜた。
慌てて視線を落とせば、血で塗れた指の欠片が足首に乗っている。骨と薄い肉がのった指の欠片がカサと音立てて崩れていく様はなかなかにグロテスクで、思わず眉間に皺を寄せれば、次の瞬間には再び銃声と、ヴィグの「アラン! 受け取れ!」という声が響いた。
次いで空に弧を描くのは言わずもがなコートレス家の聖武器。それを受け取れば、続くように「もう一個いくよー!」とロッカが声をあげて短剣を投げて寄越してきた。
両の手に聖武器が揃う。
何度いらないと、こんなもの無ければと、そう憎むように思ったことか。
だが今だけは戻ってきたことに安堵を覚え、自分も大概薄情なものだと構えなおしてアランが苦笑を浮かべた。
「デルドアさん、ありがとうございました。私もあっちに加勢します」
「おう……あ、やべ」
「……え?」
話の途中に呟くように遮られ、アランが思わず首を傾げた。
先程まで黒騎士と、そして足元に這い寄る手に対して弾丸をお見舞いしていたはずのデルドアが、どういうわけか手をとめて銃を眺めている。
次いでパタパタと自分のロングコートを叩きだした。胸元や、腰元のポケット周辺……まるで何かを探すようなその仕草に、アランがヒクと頬をひきつらせる。
「デルドアさん、まさか……」
「弾切れした」
ちっ、と軽く舌打ちをしつつデルドアが銃をホルダーに戻せば、アランが悲鳴をあげる。
ようやく自分が戦力になれたのに、まさかそのタイミングで今度はデルドアが抜けるなんて……と。これでは戦力的にマイナスではないか。
「そ、そんな、予備の銃は!?」
「撃ちつくした」
「予備の弾とか、そういうのないんですか!」
「予備って、お前さっきから……」
急かすように尋ねるアランに、対してデルドアが落ち着いた様子で「いったい何を言ってるんだ」と言いたげに溜息をつく。
そうしてアランを諭すようにポンと肩に手を置き、視線を合わせるように僅かに屈むとジッと瞳を見据えた。
「予備なんて持ってるわけないだろ。俺とロッカはピクニックの途中だったんだ」
「……またピクニックですか」
「最近天気がいいからな」
「なるほど、だからロッカちゃんの武器がバスケット……」
「あの中には昼飯になるはずだったものが入ってる」
「相変わらずいっさいの迷いもなく振り回しますね……いや、今はそうじゃなくて、デルドアさんは私から離れないようにしてください!」
はたと我に返ったアランが庇うようにデルドアの前に出る。
銃がなくなった以上、彼は丸腰。いくら男の、それも魔物と言えど力を増した血濡れの手に掴まれれば動きも止まるし、黒騎士がこちらに狙いを定めれば抗う術はないだろう。
だからこそ今度は自分が彼を守らなくては、と、そうアランが決意をすると同時に、その背後でデルドアが小さく肩を竦めた。仕方ないと言いたげで、それでいてどこか嬉しそうに……だが彼を庇うつもりのアランには当然だがその表情はうかがえず、黒騎士が投げ払い吹き飛んでくるものから庇うようにデルドアに抱きついた。
――アラン的には「危ない!」と叫ぶと同時に彼を押して避けさせたつもりなのだが、いかんせんかなりの体格差がある。おかげでアランが抱きついただけに終わった……この魔物、ビクともしない――
「どうした?」
「どうしたも何も、何かが飛んでき……だ、団長!?」
いったい何が飛んできたのかと視線を向ければ、奥にある木にぶつかったのかひっくり返っているヴィグの姿……。
「お前達、楽しいお話は後にしてとっとと加勢してくれないなぁ……?」
冷ややかに唸るヴィグの声のなんと恨みがましそうなことか。
思わずアランが心の中で「あ、やべ」と呟くほどである。あれは眼光で殺されかねない。
「アラン! 聖武器が戻ってきたならさっさと戦え!」
「はいっ!」
「デルドア! お前なんで援護やめたんだ!」
「弾切れした」
「はぁ!? 予備は!」
「予備って、だからな俺達は……」
と、再びデルドアが説明しようとした瞬間、ズザァ! と勢いよくロッカが滑り込んできた。それも顔面から豪快に。
どうやら黒騎士に投げ飛ばされたらしいのだが、本人は「いたーい!」と訴えつつも直ぐに跳ねるように立ち上がり、黒騎士を睨みつけた。相変わらず勇ましい。
――そんな彼を眺めていたアランが、ふとどこかから「グルルル」と低く唸るような音を聞いた。どこかに動物でも居るのだろうか、そんな音だ。だがあいにくとそれを気にかけている余裕はない――
「ロッカちゃん、随分と派手に滑り込んできたけど……大丈夫?」
「鼻うった!」
「ロッカ、弾切れした。予備持ってないか?」
「えー、持ってないよ。あ、でも!」
そうだ!と何か思いついたようにロッカがバスケットを漁る。そうして取り出したのは……ピーナッツである。ごく普通の、若干バスケットの揺れによりジャムが付着しているが、それでもピーナッツである。
彼の言わんとしていることが分からず、アランはもちろん誰もが疑問符を頭上に浮かべる中、ロッカだけが場違いなほど自信たっぷりに胸を張った。
「これを銃に込めて撃てばいいよ!」
「バカ言うな、そんなことしたら銃がジャムる」
「これがほんとの!」
「「ピーナッツジャム」」
シンと静かな空気が漂う。
それを破ったのはこちらに近付いてくる黒騎士の足音と、アランの「こんなバカな流れで死ぬなんていやぁー!」という悲鳴だった。
「最後の光景がこんなバカバカしいなんて嫌だ! 死にたくない! 生きる! 生き残る! 生きる気力にあふれてきた!」
「お、珍しく前向きだな」
「後ろ向きに走りすぎて壁にぶち当たった反動です!」
キィキィと喚きながら、アランが足元に湧く血濡れの手を薙払っていく。
馬鹿丸だしな会話のおかげで冷静になったのか――それとも脱力とでも言うのか――血濡れの手に足首を掴まれても恐怖も湧かないし、薙払い粉砕させて血の固まりが四散しても嫌悪感すらない。
そもそも、この程度の血肉がなんだというのか。こちとら熊の絶命シャワーを顔面に浴びたのだ、地から生えてくる手など恐るるに足らず。
「もう何も怖くない! 黒騎士でも何でもかかってこい、土に還すと見せかけて鉢植えに還してやりますよ!」
「おぉ、ふっきれたか」
「おかげさまでね!」
「……そうか、なら良いか」
ポツリとデルドアが呟く。それを聞いたアランが言葉を止め、いったい何が良いのかと彼を見上げた。
相変わらず飄々とした彼の態度に変化はなく、僅かに赤い瞳を細めると「怖がるなよ」と念を押してきた。そうしてゆっくりと己のコートの中に手を差し込む。まるで何かを取り出すように……腰か背中か、そのあたりに隠していたものを取るように。
そんなデルドアの動作を眺めつつ、この期に及んでいったい何を怖がるというのかと尋ねようとし……目の前の光景に息を呑んだ。
彼の背が歪んでいる。
まるで何かが蠢いているように、コートの下になにか別の生き物がいて暴れているかのように、ボコボコと浮き上がっては歪み、骨が削れるような不快音が周囲に響く。
それでもとデルドアが更に自分の背を探るようにコートの奥へと伸ばせば、よりいっそう彼の背が歪み、ギチギチとおおよそ生き物からはしないであろう音が伝う。
最早何一つ事態が分からず、それでいて目をそらすことが出来ぬ光景に、アランが呆然としながらデルドアの名前を呼んだ。
「デルドアさん、それ、は……」
はっきりと喋ったつもりが、無意識に声が震える。
だがそれに対してデルドアからの返事はなく、代わりにズルリと己のロングコートから二丁の銃を取り出した。
深い赤色、黒の絡みつくような模様が描かれた銃。グリップには見たことのない文字が描かれ、おおよそアランの知る銃とは似て非なる作りをしている。なにより、それを異質なものとしているのはその大きさ。
アランの腕半分ほどありそうな巨大さ、見るからに伝わる重量感、手渡されても両手で二丁抱えられるか定かではない。もちろん、とうていロングコートの下に隠し持てる代物ではない。
どうやって持っていたのか。
そう疑問を抱いたアランの脳内で、とある文献に書かれたある魔物の記述が雪崩のように蘇った。
持っていたのではない、きっとあれは彼の一部で……。
そうアランが呆然とするように眺め、銃から放たれる圧倒的な威圧感にゴクリと生唾を飲んだ。
「……魔銃」
「ほぉ、知ってたか。相変わらず勉強熱心だな」
両手に銃を構えてデルドアが笑う。やんわりと細まる瞳は普段より色合いを増しており、まるで燃えさかる炎のようではないか。
そうしておもむろに両手の銃を軽く振れば、ガゴン! と激しい音が響き、ついで細かなパーツが動いて展開し始める。まるで意志を持っているかのような、デルドアに呼応して動くような、生きているようなパーツの動き……いや、生きているからこその動きか。
「魔銃の魔物……」
そうアランがポツリと呟けば、デルドアがニヤリと楽しげに笑った。