13
「貴方は、なにを言ってるんですか……!」
声色に怒気を含めレリウスを睨みつける。だが彼は自分のしでかしたことを詫びるでもなく、まるで同意を求めるようにアランの腕を掴んだ。
彼の色濃い瞳がジッと見据えてくる。迷いの無いその瞳を魅力的だと思ったのがまるで嘘のように、今はただ嫌悪感だけしか沸いてこない。
「アラン嬢……いいえ、アルネリア嬢。私達で聖騎士団を作り直しましょう!」
「……勝手なことを言わないでください」
「勝手なこと?」
「貴方は聖騎士じゃない。私とヴィグ団長が聖騎士です、私達だけが聖騎士です!」
掴まれた手を払い、アランが訴える。
その瞬間に歪むレリウスの表情は憎悪と嫌悪を綯い交ぜにしたような熱にも似た負の感情を露わにしており、元が美しいだけありその歪みようにアランが寒気を感じて後ずさった。
「レリウス様……」
「お前達も二人で……なんだよ、どうして……」
「あの、と、とりあえず……ここから離れて」
「だから全部壊して、一から作ればいいって! そう言ったのに!」
怒鳴るように声をあげ、レリウスが髪を振り乱すように振り返った。
「黒騎士! こいつも殺せ!」
と、そう叫ぶ彼の言葉にアランが息をのむ。
視線をやれば、今まさに大剣でヴィグを薙払った黒騎士がその赤い瞳をギロリとこちらに向けてきた。
距離があってもなお射抜かれるようなその眼光の鋭さに、足下に絡みついていた恐怖が一瞬にして這いずり上がり背筋を凍らせる。怖い、等という感覚すら甘い。死を鼻先に突きつけられたような寒気。
そうして次の瞬間、離れた場所にいたはずの黒騎士が目の前に現れ、「距離を詰められた」と判断するより先に、黒騎士がそばにいたレリウスの体を軽く手で払いのけた。もっとも、相手は黒騎士である。その動作こそまるで虫を退けるかのように軽いものだが、生身の人間には大木で薙ぎ倒されるのと同等だろう。「ぎゃっ」と短い悲鳴があがり、まるでボールを投げるかのような軽さでレリウスの体が地面を跳ねて転がっていく。
それを横目で見やり、ついでアランが体を引くように仰け反り短剣を振り上げた。
ガキン!
と、甲高い鉄の音が響く。
手に伝わる痺れに眉をしかめるが、この痺れこそ一撃を防いだ証でもある。見切った、というよりは聖武器の加護で底上げされた反射神経が体を動かしたと言う方が正しいか。
だが黒騎士の攻撃は一撃では止まず、その剣の大きさがまるで嘘のような早さで今度は右からの一撃が繰り出される。
それに対して両の短剣を十字にして防ぎ……きれず、衝撃で足が浮き上がる。アランの軽い体重では通常の騎士の攻撃でも耐えきれず足を浮かすことがあるのだ、相手が黒騎士ならば吹き飛ばされて当然だろう。
だが幸いこれで距離がとれた……と、一瞬の攻防で荒れた息を整えながら体制を整える。
だが次の瞬間、アランの足下がヌチャと滑った。
いったい何だと慌てて視線を落とせば、右足に絡まる赤いツタ……いや、これは手だ。赤い血濡れの手が、まるで地の底から這い上がってきたかのように、否、まるで地の底に引きずりこもうとしているかのように、アランの右足首を掴んでいる。
「ひっ……」
その光景に思わず小さく声をあげた。
それとほぼ同時に、過去に読んだ文献の記憶が思い出される。黒騎士は確かに驚異的な戦力を持つが、本当に厄介なのはその特異な能力。黒騎士を只の魔物ではなく驚異として記録させるに至った最大の要因。
魔物の中でもごく一部の、それこそ片手に数えるくらいの種類しか使えない……
「死者の魂を呼び起こす……」
ポツリと呟いたアランの言葉に、被さるようにレリウスの悲鳴が響いた。
地より生えた手が彼の四肢を掴み、足掻こうとする体を押さえつけ締め上げているのだ。それを見たアランが立ち上がり、聖武器を構えて駆け出す。
視界の隅ではヴィグが黒騎士に殴りかかっているのが見える。だがこの状況、そちらまで気遣っている余裕はない。
「ヴィグ団長、今のところ足元のは気にするほどではありません! 黒騎士だけを狙ってください!」
「簡単に言うな!」
剣と拳では明らかに不利であろうが、ヴィグの声に臆する色はない。だからこそアランは振り返ることなくレリウスのもとへと駆け寄ると、彼の四肢を絡め取る血濡れの手を聖武器で切り払った。
「レリウス様、早く立ち上がってください」
「あ、これは……なんであいつが……」
頭を打ったか、それとも黒騎士の裏切りに混乱しているのか、考えが追いつかないと言いたげなレリウスにアランが舌打ちをして彼の腕を掴んだ。
見たところ彼の両の足に目立った負傷はない。片腕をダラリと伸ばしているあたり腕の骨はやられたのかもしれないが、それでも足が動くのならば歩けるはず。誰もが見惚れる美しい顔は半分が鼻と口からの血で覆われて見るに耐えない有り様だが、それだって今気にすべきではない。
そう考えて引きずるように急かせばゆっくりと歩き出すが、その歩みのなんと遅いことか……。それでも彼を安全な場所まで逃がさなければならないのだ、そうしてすぐに戻ってヴィグの加勢に……と、そこまで考えた瞬間、アランの耳に自分の名前を叫ぶヴィグの声が届いた。
次いで脇腹に激痛と圧迫感が走る。見れば、黒く巨大な手が脇腹を鷲掴み、太い指が肉に食い込んでいる……。
「がっ……げぅ…」
と、ひしゃげた声が喉から漏れ出る。
そのまま薙払われれば、体が真横へ吹っ飛び、背を、頭を、体全てを打ち付けて地面へと転がり落ちた。
肺の空気が一瞬にして全て吐き出され、息苦しさに喉がひきつる。一拍遅れて激痛が体を襲い、最早痛みを訴えない箇所が無いほどだ。
それでも立ち上がれるのは、ひとえに聖武器の加護があるから。見れば掴まれた脇腹も痺れるような痛みこそ訴えているが、それでもちゃんと肉体の一部として残っている。黒騎士の戦力を考えれば、人間の体――それもアランのような少女の脇腹――ならば鷲掴みにして骨ごと肉を抉りとることも出来ただろう。
それに、レリウスの腕を掴んでいたことで彼を巻きこむことができた。
仮に攻撃されたのが逆であれば今頃レリウスは黒騎士の手の中で肉塊となっていただろうし、彼だけを置いて吹き飛ばされても同様だ。聖武器の加護がないレリウスは、黒騎士に再び小突かれれば命を落としかねない。
もっとも、今の一撃を耐えられたからといって数分寿命が延びただけにすぎないのだが……。
「レリウス様、ご無事ですか?」
「……ア、アラン嬢」
「私も時間稼ぎにまわります。だから、あれが来たら直ぐに走ってください。振り返らないで、真っ直ぐに走って、すぐにこのことを騎士団と元聖騎士の家に伝えてください」
「ですが、貴女が……」
「黒騎士は遊んでいます。当分は私達を時間かけていたぶってくれるでしょう……だから早く!」
走って! とアランが声をあげれば、レリウスがおぼつかない足取りでそれでも走り出す。
それを見た黒騎士が今の今まで相手をしていたヴィグを横払いで木に叩きつけると、今度はアランへと視線を向けた。
交互に相手をしているのは間違いなく遊んでいるからだ。聖騎士の加護である回復力と打たれ強さを知っていて、逃がさず殺さず、苦痛だけを与えて足掻く様を楽しんでいる。反吐が出そうな残虐性だが、逆に言えば楽しんでいる最中はまだ殺しにはこないということだ。
それに、加護のないレリウスは黒騎士にとって簡単に死ぬ只の人間にすぎない。どちらが玩具として面白いかは一目瞭然。
そんなことを考えつつ遠ざかるレリウスの背を横目で見届け、改めて黒騎士に向き直った。
ゆったりとした歩みは余裕すら感じさせ、まるで死への秒読みを悪戯に延ばして楽しんでいるようにさえ思える。赤い瞳がギラギラと輝き、黒一色の中でよけいに色濃く見える。まるで捕らえられたかのようにその赤い瞳から目が離せなくなり、恐怖が全身を絡め取っていく。
ヴィグが呻きながらこちらに近付いてくるのが見えるのに、それでもどこか別世界のようで、黒騎士と二人だけ薄ら寒い世界に取り残されたように思える。
怖い。
聖武器を握る手が震える。
だがそれでも、とアランが正面の黒騎士を睨みつけた。
ここで逃げるわけにはいかない。ヴィグと二人で応戦し続ければ、聞きつけた騎士達が来てくれるだろう。彼等に聖騎士の加護がないとは言え、人数で押すことはできるはず。だからこそ、ここで時間を稼ぐのだ。
なにより、ここで逃げるのはアランの意地が許さなかった。
国への忠誠心でもなく、騎士の誇りでもなく、聖騎士を押しつけられた哀れな少女の意地。それだけがアランを今日まで聖騎士として生かし、そしてこの場においても『逃げる』という選択肢を許さずこの場に立たせているのだ。
「本当、損な役割……!」
そう誰にでもなく文句を言いながらアランが立ち上がり黒騎士に短剣を振れば、背後に迫っていたヴィグがそのタイミングに合わせるようにナックルをはめた拳を振り下ろす。
流石に黒騎士と言えど挟まれるように攻撃されては……そうアランが僅かに考えを巡らせるのと、眼前に迫った剣の鞘にこめかみを殴打され地面に叩きつけられるのは皮肉なほどに同じタイミングだった。
「あっ……ぐぅ…!」
脳味噌を直接叩かれるような感覚。世界が回り、自分すらも揺さぶられているようで平衡感覚が機能を放棄する。焦点が合わず、まるで視界全てが万華鏡のように目まぐるしく輝いては回るなか、少し離れた先で木にもたれ掛かるように倒れ込むヴィグの姿が見えた。
弾き飛ばされたのだ。あの瞬間、前後からの攻撃に黒騎士は動じることなく二人共に攻撃を喰らわせた。そのうえでいまだ呼吸一つ乱すことなく平然としている。
それが何を意味するか。言わずとも訴えるように沸き上がる絶望感を心の中で押さえ込み、アランがゼェと荒く息をつきつつ上半身を起こして黒騎士に視線を向けた。
いまだ回り続ける視界では立ち上がることは不可能。まるで尻餅を着くかのような無様な体制で、それでもと両の手に聖武器を構えようとし……左手が宙を掻いた。
見れば右手用の短剣はあるが、左手は空。もしやとアランが顔を上げれば、黒一色の騎士の脇腹に深々と刺さる見覚えのある柄。
一矢報いるとはまさにこのことか。と、グルグルとまわる世界でアランが小さく笑みをこぼした。
あの黒騎士に一太刀入れた。
満身創痍だが、それでも傷を負わせることができた。
たとえ、今目の前で黒騎士が剣を振りかぶっていたとしても、太刀打ちできると分かったのなら……
「差し違えてでもっ!」
声を荒げ、振り下ろされる剣を交わすでもなく受け止めるでもなく、右手の短剣を構えて体ごと黒騎士の懐へと飛び込む。剣先が黒に染まった体に突き刺さるのが見え、ブツリと皮を突き破る不快な感触が伝ってきた。
それでも少しでも深くと体ごと押し込むように力をこめれば、グイと横から割り込んできた手が喉元を締め付けるように掴んできた。
「うぐっ…」
喉仏を指の付け根で潰すように押さえられ、指が首の左右に食い込む。
一瞬にして呼吸を止められ、あまりの息苦しさに自然と空気を求めて口が開く。軽々と持ち上げられれば足が宙を掻き、苦しさに息を吸おうとするが喉が動かない。痺れるような熱に似た感覚が沸き上がり、視界が揺らぎ始める。苦しい、痛い、熱い、それらを一緒くたにした痺れが思考を歪ませる。
足をやられたのか這うようにしてヴィグが近付いてくるが、まさに満身創痍の状態では手を伸ばして黒衣の端を掴むのが精一杯なのだろう。
「アラン、くそっ……はなせ」
ゲホと血の固まりを吐きながらヴィグが黒衣を引っ張り、ナックルで騎士の足元を殴る。さいさんの応戦で彼の手はいつのまにか痛々しいほどに血で染まり、アランは薄れつつある意識の中それをボンヤリと眺め「あぁ、しばらくは私が水仕事を代わってあげなくちゃ……」と、そんなことを考えた。
思考がまとまらない。場違いな考えばかりが浮かぶ。次第に苦しさが薄れ、むしろ雲の上を歩くような浮遊感すら感じられる。
その感覚のまま、ゆっくりと意識が遠のき……
「訂正する、お前達二人とも危なっかしい」
という、覚えのある声を聞いた。