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レリウスは何かしら考えがあって自分に近付いてきたに違いない、もちろんそれが色恋沙汰ではないのは明白。彼は誰もが焦がれる騎士で、なおかつスタルス家の三男なのだから、聖騎士を相手になどするわけがない……。
それに、あの時に香った甘い匂い……。
「どうしてレリウス様からあの匂いがしたのか分からないんです、私に声をかけた理由も……」
いったいどうして、とオレンジジュースを飲みながら呟くアランに、向かいに座っていたデルドアが先を促すように軽く頷いた。
ちなみに現在地は昨日と同じ大衆食堂。
今日も今日とて人使いの荒い店長にこき使われている聖騎士団なのだが、それに文句を言うのも今更な話。幾度となく店内に響くアランの「これは聖騎士の仕事じゃない! もう嫌だ、この店の裏手にある店長の家庭菜園の土に還って自家栽培のサラダを水々しく育てたい!」という台詞も賑やかな店内のBGMにすぎない。
そんな店内にデルドアとロッカが遊びに――デルドアは冷やかしが目的かもしれないが――来たのだ。「やってるかー」だの「こんにちは!」だのと入店してくる魔物コンビの姿に「店長の言うとおり確かにこの店は魔物の出没率が高いのかもしれない」とアランが考えつつ、何も知らない店長に説明するのも手間だと出かけた言葉を飲み込んだ。
そして今に至る。
正確に言うのであれば、昼の混雑を乗り越えて遅めの休憩に入ったアランがデルドアの向かいに座り、なぜかエプロンを受け取ったロッカが店内を走り回るという、不思議な状態の今である。
――ちなみにヴィグは案の定昨日の酒が抜けていないようで、ウツラウツラと船を漕いではロッカが吹き鳴らすプァー! というラッパの音に悲鳴をあげている。このパッションピンク、身内にも容赦がない。まぁ、ラッパを渡したのはアランなのだが――
そんな店内で顔をつきあわせて昨夜のレリウスとの話を伝えれば、聞いていたデルドアが怪訝そうに眉をしかめた。
といっても、説明したのは大まかな部分だけだ。レリウスに言われた言葉は詳細には伝えてはいないし、何よりあの瞬間……寸でのところで離れたものの、まるで口付けするかのように彼が顔を寄せてきたことは伝えていない。未遂だったし、もしかしたら勘違いだったのかも知れないし……なにより、なぜかデルドアには伝えたくないという気持ちがアランにはあった。
「そういうわけで、絶対とは言えないんですがレリウス様は何か考えがあって私に近付いてるのかな……って思うんです」
「そのレリウスってやつの家も以前は聖騎士だったんだろ?」
「はい、二百年前に聖騎士の称号を返還して聖騎士団を抜けています」
「となると無関係とも言えないよな。用心しとけよ」
迂闊にそいつに近付くな、と忠告してくるデルドアに、アランが目を丸くさせた。
「……なんだ、その顔」
「いや、なんか……意外にも普通に心配されたので」
「そりゃお前が一番危なっかしいからな。なんか美味しいもんやるからって言われたら簡単についていきそうだし」
「デルドアさんの中の私、頭悪そう!」
「ちなみに、俺はこれで誘拐されかけたロッカを引き取りに何度も呼び出されてる……」
思い出したのか遠い目をして盛大に溜息をつくデルドアに、アランが思わず顔を背ける。
彼とロッカは別に保護者だの被保護者だのといった関係ではないのだが、どうしてもロッカの見た目が愛らしい少女なだけに――それも通常の少女より言動がふわふわしている――彼が何かしらの事件に巻き込まれるとデルドアが保護者として呼び出されるのだ。
貧乏くじを引くタイプか……と、アランが同情の視線でデルドアを見れば、それを察したのか罰の悪そうな表情で「そんな目で見るな」と睨まれてしまった。
だが次いでニヤリと笑うあたり、彼なりになにか楽しいことを思いついたのだろう。まさに爽やかな王子様といったレリウスの微笑みと違い、デルドアの笑みは随分と悪どい。
「……なんですか、嫌な表情」
「いや、確かに迂闊に近付くなとは言ったが、仮にそのレリウスってやつが純粋にお前に好意を抱いているなら」
「あ、それはあり得ないんで」
「……なんだ、妙にはっきりと断言するな」
あっさりと、それどころかデルドアの発言を遮るようにアランが一刀両断する。そこに謙遜や自虐的なものはなく、それどころか当然とでも言いたげな表情に、デルドアが首を傾げつつ先を促すように視線を向けた。
「そのレリウスってやつが女に人気があるから、見向きもされないってことか?」
「何言ってるんですか、ドレスアップした私の美しさといったら、社交界に出れば誰もが見惚れる程ですよ。他の令嬢には負けません」
「それじゃ家柄とかか?」
「コートレス家は騎士の名家、スタルス家に遅れはとりません!」
ドヤ!と胸を張るアランに、デルドアが更にわけが分からないと首を傾げた。
社交界だの家柄だの人間の柵に疎い彼には、なぜアランがここまで誇っていてレリウスからの好意を否定するのかが分からないのだ。
「見た目がよくて家柄も良い、そういうのを人間は好むんだろう?」
と、だがその問いに対してアランは小さく肩を竦めて答えた。
「確かに普通はそうです。コートレス家は騎士の名家、その令嬢と言えば引く手数多。とりわけ私はお父様似の赤く艶のある髪にお母様似の品のある愛らしい顔つき。紫色の瞳は宝石にひけをとらぬ美しさで、長いまつげはまるで人形のよう。女学校時代は学年でも選ばれた者しか名乗れない薔薇姫の称号を授かり、下級生からは深紅のお姉さまと慕われ」
「それ、まだ続くのか?」
「あと半分」
「ロッカ、こっちに酒もってきてくれ」
プァー!
「あいつ、ついにラッパで返事を……」
「そういうわけで、女学校時代の私はそれはもう麗しく、学年問わず慕われていたんですよ。コートレス家主催のパーティーでは殿方からダンスに誘われて、それにちゃんと……とにかく、今でこそ色気も何もない格好をしていますが、私の真の姿は美しく愛らしい天使のような美少女なんです。レリウス様だって一撃ですよ!」
ドヤ!と胸を張って言い切るアランの長い台詞に対し、その九割九分九厘プラス一厘を聞き流していたデルドアが「で?」とたった一言で片付けた。
「それなら尚更、レリウスって奴が好意を寄せてるかも知れないだろ」
「だから、それはあり得ないんですよ。だって私は聖騎士なんですから」
ふん、とアランが不満げに言い切る。
その言葉にデルドアが意味が分からないと眉間に皺を寄せ、一口グラスをあおった。琥珀色の酒が揺れ、彼の喉がコクリと揺れる。酒が回り始めたのだろう赤い瞳が色を強め、そのなんとも言えない雰囲気にアランが慌てて視線を逸らして説明し始めた。
コートレス家は騎士の名家、そこの令嬢とあれば誰もが嫁に迎えたいと思うほど。現にアランの姉は山のような縁談を持ちかけられ、その中で最上の相手を選んで嫁いでいる。妹も毎日花や手紙を受け取っていると聞いた。
だがアランだけは別だ。現状、彼女への縁談の話は一切無く、花も手紙も届いていない。それどころか他家の男達から鼻で笑われているくらいだ。
なにせ聖騎士。廃れたその称号がアランの価値を地に落としている。
「それに、スタルス家は二百年前に聖騎士団を抜けた家。聖騎士の肩身の狭さを知っているからこそ、不用意に私に近付くわけがないんです」
「家だの何だの、人間は面倒くさいな。そもそもだな、個人的にお前に好意があるってことは考えないのか? 聖騎士でも良いとか、そういうこと考える可能性だってあるだろ」
「……それなら、私をアルネリアなんて呼びませんよ」
そっぽを向いて呟くアランに、デルドアが首を傾げる。アルネリアって誰だ? と、だがそれを口にするより先に、ドン! と二人のテーブルに一枚の皿が置かれた。
肉も野菜も何もかもぶった切って炒めたそれは、食材殺しヴィグのお手製まかないである。
それを見たアランがパァと表情を明るくさせた。一転したその態度にデルドアも出かけた言葉を飲み込み、場の空気をぶち壊した賄い飯に視線とフォークを向ける。
「わーい、ヴィグ団長のまかないだー。今日も今日とて寸分変わらぬクオリティ、二日目にして早くも飽きがくる!」
「ごちゃごちゃ言ってないでさっさと食え。それで俺と休憩代われ」
「ヴィグ、お前まったく尊敬はしないが凄いな。何一つ変わらぬ料理を作れるって、ある意味で才能だぞ」
「馬鹿言うな、昨日とは食材がぜんぜん違う」
「嘘だろ、俺は食ってから今の発言したんだぞ……おぉ、なるほど確かに、昨日にはない人参が入ってる。味は全く変わりないけど」
「流石、我らの食材殺し! 人参も迷い無く殺す!」
なぜか誇らしげなヴィグとアランに、対して心底呆れたと言わんばかりにデルドアが溜息をつく。
そうしてアランが食べ終われば休憩時間も終わり、店内が慌ただしくなるにつれ、レリウスのことを深く考える余裕もなくしていった。
「いやー……出なかったなぁ、魔物」
とは、詰め所に戻って椅子に座ったヴィグのしみじみとした台詞である。
魔物とつけば何でも仕事を受ける困った上官ではあるが、彼とて自分の立場に不満を抱いているのだ。深い溜息には疲労と、そして聖騎士の称号が邪魔して騎士として成り上がれない男の憤りを感じさせ、アランが肩を竦めるとお茶を淹れてやった。そうして、ドヤと胸を張る。
「魔物は出なくても、ネズミは出ましたよ」
「倒したのか?」
「もちろんです! なんていったって聖騎士ですから!」
そう誇らしげにアランが報告すれば、ヴィグが「でかした」と褒めながらクツクツと苦笑をもらす。
――正確に言うのなら捕まえたネズミを前にアランがどうしたものかと困っていたところ、ロッカが「お店に入っちゃだめ!」とネズミに説教しながら外に放り出してくれたのだ。まぁ、共闘ということでアランの功績にカウントしても良いだろう――
「しかし、亜種にレリウス・スタルスか……なんか色々と胡散臭くなってきたな。アラン、気をつけろよ」
迂闊にレリウスに近付くなよ、と、デルドアとまったく同じことを言われ、アランがキョトンと目を丸くさせた。そうして悪戯気に笑いながら「私は危なっかしいですか」と問えば、ヴィグがその通りだと頷く。
そんなヴィグの反応にアランが更に笑みを強めるのは、心配されたことが嬉しくもありそれでいて少し照れくさいからだ。
「団長も気をつけてくださいね」
「ん、俺もか?」
「良いお酒を飲ませてやるって言われたらフラフラついて行っちゃいそうですから」
「お前の中の俺、頭悪いなぁ」
楽しそうに笑って返すヴィグに、アランもまた苦笑を浮かべつつ、互いに背を向けあって報告書へと向かい合った。