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かつてこの世界は魔物が蔓延る混沌の世界だった。
人々は圧倒的な魔物の力に抗う術もなく、恐怖の中に生まれ屈辱と共に生き、そして絶望の果てに死んでいく……。
そんな長く暗い時代を経て、ついに人々に一筋の光が射し込んだ。
聖騎士団。
魔物を退ける聖武器を手にした彼等の姿に人々は希望を見いだし、暗く濁った瞳に光を宿し始めた。
そうして長く激しい戦いの末、ついに聖騎士団は魔物を統べる王を打ち倒す。
この世界の闇が払われ、平穏が取り戻されたのだ。
聖騎士団は平和と正義の象徴とされ、聖騎士の称号は聖武器と共に代々受け継がれていった。
もう千年以上昔の話だ。
アラン・コートレスは騎士である。
それも、かつて世界を救った聖騎士の末裔である。つまり今代の聖騎士。
例え十六という若さで、そのうえ少女であったとしても、アランは騎士の名家コートレス家から聖武器を引き継いだ、正真正銘立派な聖騎士である。
ちなみにそんなアランの今日の任務は、森の中での害虫駆除である。
「これは聖騎士の仕事、これは聖騎士の仕事……」
鬱蒼と茂った森の中、ブツブツと呟きながらアランが土を掘る。
連日の晴天で乾燥気味の土はシャベルで掘るには容易く、ザクザクと軽快な音をたてては次々と抉られていく。掘った土を脇に放って、更に深くへとシャベルを土に突き刺す。ひたすらこれの繰り返し。
目指すはこの土の下、そこに埋まっているであろう害虫の巣。
なにが悲しくて年頃の乙女が虫の巣探しに土を掘らなければならないのかと考えれば涙がでそうになるが、それを押し止めるのが「これは聖騎士の仕事」という言葉である。
前向きに考えるのだ。これは聖騎士の仕事、立派な仕事。泣くなんておかしい、胸を張れアラン・コートレス……と、こんな具合である。
つまるところ自己暗示。
いや、これはもう病んでいるに近いレベルなのだが、生憎とそれを指摘してやれる者はいない。
「これは聖騎士の仕事……虫型の魔物を討ち滅ぼす聖騎士の仕事……」
死んだ魚のような目で、それでもひたすら土を掘るアランの姿は哀れみすら誘う。いや、哀れみどころか異質とさえ言えるだろう。
仮にここに事情の知らぬ者が居れば
「ママー、あのお姉ちゃんこわーい」
「しっ、見ちゃいけません」
等といった会話が交わされそうな程である。なにせそれほど異質なのだ。
青と白を基調とした騎士服も今は土汚れが目立ち、騎士の誇りであるはずの長剣に至っては邪魔なので近場に転がしている。本来であれば綺麗に磨かれカツカツと小気味よく王宮を歩くはずの皮のブーツも、今は泥と先ほど盛大に踏み抜いた害虫のよくわからない汁で前衛的なデザインに仕上がっている。これで王宮を歩こうものならビチャビチャと土と汁の足跡を残すだろう、いや、そのまえに王宮関係者に叩き出されるか。
とにかく、綺麗なままならいかにも騎士らしいアランの服装も、今は汚れが目立ってただの土掘り職人である。
もっとも、背中にまで垂らされた長く真っ赤な三つ編みと、まだ幼さの残る少女らしい顔つきは到底騎士とは言えないのだが、それはアランが少女でありながら聖騎士なのだから仕方あるまい。騎士の服を纏っても、流石に顔までは変えようがない。
事情を知らぬ者が見れば「なんでこんな少女が?」とでも思いそうなものだが、次いで『コートレス家の代替騎』と聞けば納得するだろう。そんなものだ。
「これは聖騎士の仕事、立派な立派な聖騎士の仕事、魔物から民を守る聖騎士の……仕事なわけがない! もう嫌だ!掘った穴に埋まりたい!」
土に還る!と我慢の限界を迎えたアランが喚くように叫べば、近くの草葉がガサリと揺れた。
そこから出てきたのはアランより年上、二十代半前半ほどであろう青年。端正な顔つきと短く切られた濃紺の髪、そして切れ長の青い瞳が勇ましさと凛々しさを感じさせる、百人の女性が要れば百人が胸を高鳴らせる美丈夫である。おまけに背が高く、筋肉質でありながらしなやかな体つき。
一目見ればどんな女性も虜になり、黄色い悲鳴をあげそうなものだ。……もっとも、その片手に大人の拳サイズの虫を鷲掴んでいるあたり、別の意味でも女性の悲鳴があがりそうなものだが。
「もうやだ、還る!土に還る! この壮大な土に還って害虫繁栄に一役かってやる!」
「お、またアランが切れたな。よし昼飯にするか」
「人の限界を時計代わりにしないでください!」
「いやだってさ、お前ピッタリ二時間おきに喚くから」
便利なんだ、とまったく悪びれることなく言われ、アランが溜息をつきつつも持っていたシャベルを放って傍らに置いておいた鞄に手を伸ばした。
お昼にしよう。食べれば少しは気分も晴れるはず。それでも無理なら午後は土に還ろう……。
そう考え、鞄の中からシートを引っ張りだした。
さすがに害虫の巣があるであろう場所の近くで食事をとる気にはなれず、ならばどこか別の場所に移動しようと提案してしばらく。鬱蒼とした森の中を他愛もない会話をしながら歩く。
アランの隣を歩くこの青年、名前はヴィグ。ヴィグ・ロブスワーク。騎士の名家ロブスワーク家の三男であり、アランの上官、聖騎士団の団長である。
……もっとも、聖騎士団はアランとヴィグの二人しかいないので団長もなにもないのだが。
「ところでアラン、午後からもう一件仕事が入ったから、詰め所に戻らずこのまま行くぞ」
「どんな仕事ですか?」
「……子供達の未来を守る聖騎士の仕事だ」
「もっと詳しく」
「…………未来ある子供達が危険な目にあわないよう魔物に襲われないよう、彼等の盾となり安全を確保する崇高な仕事だ」
「つまるところ?」
「明日おこなわれる子供会ハイキングのコース下見」
「騎士の仕事じゃない!」
悲鳴のごとく声をあげ、アランが両手で顔を覆ってしゃがみ込む。それに合わせてブンと揺れる赤い三つ編みに、ヴィグがうんざりとした表情を浮かべ、こうなると分かっていて話をした自分の迂闊さに心の中で舌打ちをした。
ちっ、飯を食いながら話せばよかった……。と、もちろん嘆くアランを放って食事をすすめられるからである。びぃびぃと喚くアランの泣き声は食事のバッグミュージックには些か気分が悪いが、森の中でしゃがみ込まれるよりはマシである。
そんな慰める気が皆無なヴィグを余所に、アランが更に泣きわめく。
聖騎士を押しつけられて早数年、日々溜まりに溜まっていく鬱憤は限界をとうに越え、そのうえ今日の仕事は午前害虫駆除に午後ハイキングコースの下見ときた。これを嘆かずに何を嘆くというのか。
「もうやだ、聖騎士なんて嫌だ! 家に帰り……たくない!家にも帰りたくない! 土にー!土に還りたいー!」
「はいはい」
「ミミズがたくさんいる土に還って、その道のプロに『これはいい土ですね』って言われたいー!」
「お前は害虫の繁栄に一役買いたいのか豊作にしたいのかどっちなんだ」
「昨日は昨日でドブさらい、その前は畑の収穫……これは聖騎士の仕事じゃない!」
「そうだな、よし飯を食おうか」
さっさと切り上げたいと言わんばかりにヴィグがアランの頭を撫でれば、アランもグスンと一度鼻をすすって立ち上がる。
嘆いたところで何も変わらないのはこの数年で嫌と言うほど思い知ったし、彼に訴えたところで心の傷が深まるだけなのだ。あと、土を掘って喚いてそろそろアランもお腹が空いてきた。
「そうですね、お昼にしましょう。で、また土を掘り始めたら二時間おきに喚きます」
「仕事の区切り的に一時間半おきに喚いてもらえると助かる」
「はい、了解」
と、そんな会話を交わしつつ、ひらけた場所に出ると持っていたシートを広げて昼食にした。
アランとヴィグは聖騎士である。
かつて魔物がはびこる混沌の中にあったこの世界に突如現れ、魔物を倒す力をもつ聖武器を片手に戦った、そんな英雄の末裔であり代々受け継がれている聖武器の保持者。
正真正銘の聖騎士である。もちろん、聖武器も肌身離さず身につけている。
そんな二人がどうして害虫駆除にハイキングコースの下見なのかと言えば、ひとえに聖騎士が廃れたからである。
千年前の戦いで聖騎士団は魔を統べる者を倒し、世界に平和の光をもたらした。その後各地に残った魔物達を退治し、確かな平穏を確立させ……
そして、やることがなくなった。
魔物を倒す聖騎士が、倒すべき魔物を全て倒しきってしまったのだ。
残ったのは敵意のない小動物のような魔物や、かつての混沌とした時代を知らず人間に対して友好的な魔物のみ。これを倒せば逆に聖騎士が悪に回ると言うもの。
そしてそんな栄光の終わりを感じ取ったのか、聖武器も一つまた一つと力を失い、それに併せて各家も聖騎士の称号を返還し聖騎士団を去っていった。
その結果、現在残されたのがコートレス家とロブスワーク家である。
両家とも歴史ある称号を勝手に返還することもできず、かといって『時代遅れ』『過去の栄光』とまで言われている聖騎士の名を誇れることもできず、アランとヴィグに押しつけて今に至る。
「まぁでも今回の仕事はちゃんと魔物関係だし、聖騎士らしいと言えば聖騎士らしいんじゃないか?」
「……その言葉、去年も聞きました」
「だろうな。俺も言った気がする」
「だから巣を壊さなきゃ駄目って言ったんです。あの虫は繁殖力がすごくて巣に固執するから、何百匹倒しても巣があれば翌年また大フィーバーなんですよ」
ふんとそっぽを向きながらランチボックスを開けるアランに、ヴィグが面倒くさそうに肩を竦めた。
それでも自分のランチボックスからフルーツを一つとってアランに差し出すのは、日々嘆き「聖騎士なんてもう嫌だ、土に還りたい!誰か埋めて!」と喚きながらも案外に仕事熱心な部下への褒美である。
正直なところ、今回の件についてヴィグは巣の仕組みを考えることも、ましてや巣を見つけようとも考えなかった。湧いて出る虫をひたすら倒せばいいと、そう考えていたのだ。アランがいなければヴィグは来年も再来年も大フィーバーする害虫駆除に駆り出されていただろう。
そういう点では、暇さえあれば魔物関係の文献を読みあさるアランと行動主義の脳筋タイプであるヴィグはバランスがとれていた。
「それで、巣ってのはどういうのなんだ?」
「それが資料を漁ってもどこにも書いてないんですよね。ただ、地中に巣を張るうえに聖武器じゃないと壊せないみたいで、過去の聖騎士達も手を焼いていたみたいです」
「やったなアラン、聖武器の出番だ! これぞ聖騎士の仕事じゃないか!」
「うるさいですよ」
恨めしげに睨んでくるアランに思わずヴィグが視線を逸らす。流石に無理があったか……と。なにせ巣こそ聖武器でないと壊せないが、虫自体は聖騎士以外の一般人でも退治出来るのだ。噛みつくわけでもなければ針を刺すわけでもない、ただ潰した時に変な汁を出すだけである。巣だって、掘り出すまでは誰にだって出来る。
それでも立ち入り禁止区域を設けて聖騎士二人が駆り出されたのは、「こっちでも対処出来るかもしれないが、聖騎士二人でどうにかしてくれ」ということ。つまり押しつけられたということだ。
そうしてどちらともなく溜息をつくのは、言わずもがな、せっかくの聖武器の出番がよりにもよって害虫の巣を壊すことだからである。そして嘆かず訴えず溜息で済ませるのは、この扱いに慣れてしまい、そしてそれを口にするのがあまりにも情けなさすぎるからである。
そんな二人が揃えたように同じ方向に視線を向けたのは、立ち入り禁止区域のはずが自分たち以外の話し声が聞こえてきたからだ。
いったい誰がこんなところに……と、思わず顔を見合わせれば、ついでガサリと草葉が揺れ、そこから出てきたのは
「ねぇねぇ! ここでご飯を食べようよ!」
と嬉しそうにバスケットを振り回す美少女と
「その中味がまだ食べられる状態だったらな」
と随分と落ち着いた態度の男。
そんな二人の登場にヴィグとアランが顔を見合わせ、これもまた慣れたものだと肩を竦め合った。