十九章:「……私なら喜劇にするかな?」
シェイクスピアの“オセロ”は簡単に言うと裏切った夫と夫を奪った父娘に復讐する妻の話。
どこの昼ドラかと思うぐらい少しドロドロしている説明だが内容はシェイクスピアの作品の中でも僕は読みやすいと思う。
それをもととして僕がアレンジしたのが“ヒヤシンス”。
時は明治時代。
ようやく天皇に政権が返ってきて武士政権が終わりを告げた怒濤の時代に起こった哀しい物語。
主人公の女性は華族所謂貴族のお嬢様だったが別の華族の男性と恋に落ち全ての反対を押しきって駆け落ちした。
数年後には子供二人に恵まれ貧しいながらも二人は幸せだった。
しかし、とある皇族の血筋である男が男性を娘婿にしたいと考え彼にすりよる。
男性は家族が大事でその件には頷かないがとうとう男に家族を人質に取られ苦渋の決断で女性と別れ、男の娘婿になる。
女性も夫の決断に涙ながら別れを受け入れ彼を見送る。
女性は実家に出戻り子供たちと共に離れで静かに暮らし始める。
ある日、元夫と現在の妻と舞踏会ですれ違い彼の言動や性格が変わったことを知り絶望する。
自分を躊躇いなくなぶる元夫に絶望と深い憎しみに包まれた女性は元夫を変えた父娘を恨み、元夫の目を醒ますことを選択する。
と言うのが大まかな流れ。
結末は二通り決めている。
“オセロ”に沿うなら主人公は死ぬ、だけど沿わないなら主人公は生きることになる。
文化祭という点を考慮するならハッピーエンドにするべきだと思うけどそうすれば“オセロ”ではなくなってしまう。
「んー……困ったなぁ」
「何が?」
「劇の最後をどうするか考えているんだけど文化祭重視でいくかそれとも“オセロ”重視でいくか……」
思わず悩みを梢さんに相談してしまう。
真面目な梢さんは僕の悩みに真剣に考えてくれる。
その悩んでいる姿も可愛らしいと思う僕は重症なのかもしれない。
「……私なら喜劇にするかな?」
「え?何で??」
「だって“オセロ”はシェイクスピアが書いてこその悲劇だよ?
私が書いたのは“オセロ”にはならない
だったら文化祭重視の喜劇にするかな」
「成る程」
素直に頷く。
確かに僕が書いても“オセロ”のような悲劇にはならない。
シェイクスピアが書いてこその悲劇だ。
的を射てる意見を聞いて僕は躊躇いもなく喜劇にすることを決断した。
なら敵の父娘は殺してはならないし主人公が死んでしまうのはもってのほか。
だったら警察とかの出てきてもらって逮捕してもらいのもいい。
それとも少しだけギャグに走るか!
そんなことを考えることに必死になっている僕に梢さんは微笑ましそうに哀しげな視線を向けていた。
僕は気づくこともなかった。




