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「あのね、もう気付いていると思うけど、今の君は女の子になってる。女の子、っていうか、女性形の人形に入っている状態なんだよ」
言われている意味がさっぱりわからない。人形に、入っている?
「ああ、きみのいた国じゃ、人形は見かけないかもね。あの国、魔術はごく一部の人間が占有してたから。でも他の国じゃ魔術は生活の中に溶け込んでるし、人形もあちこちに居るよ。人形ってわからないかな」
目を見開いたまま頷けば、魔術師は腕組みをして答えてくれた。
「外見も体内構造も人間そっくりの、造りものの事だよ。見た目は人間そっくりだから、人形の“印”を見なきゃ区別がつかない。性格もあらかじめ設定できるから、まるで普通の人間に見えるよ。違いは成長しないこと、そして汗をかかないことかな」
初めて聞く話にシエナはただ驚くばかりだ。
その人形の中に、自分が入っているとはどういう事なんだろう。
「それで、ね。きみの体は、眼球ひとつを残して飛散した。体をもとに戻してあげる事は出来なかった。その代わり……と言ったらヘンだけど、眼球を核に、きみの魂を人形に依りつかせてみたんだよ。うまくいくかは賭けだったけど、なんとか定着したみたいだね」
よかったと魔術師は目を細めるが、シエナはそれのどこが“よかったのか”さっぱりわからなかった。
もう終わったと思ったのに。
その呟きは小さすぎて魔術師に聞こえなかったのか。
何か言ったと怪訝そうな顔で顔を覗きこんでくる。
シエナはきゅ、と膝の上で両手を握りしめる。
たよりない細い手だと笑いたくなった。
触覚もある、温かさもわかる。自由に動く自分の手。痛みも不快感もない体。これが、もとの体なら嬉しかったかもしれない。でも……不具合なく動く身体でも、これが自分のものとは思えなかった。
何より、さっき見た魔術師の目が嫌なものを思い出させた。
「……そう。そりゃ面倒かけたな。お陰さまで体も動くし、どうもありがとう。で、俺もう出てっても大丈夫?
それとも、あんたに礼がいるかな?」
平淡な口調で吐き出すと、魔術師は不快そうに眉を潜めた。
「お礼はいらないよ。そもそも、私にも多少の責任はあるからね。行きたい所があるなら出て行けばいいよ。でも今すぐは駄目だ」
「なんで?」
責任、と聞いてあの苦しさを思い出す。
目の前の魔術師を“吐き出した”時のことを。どんな方法を使ってか、この男は自分を利用したのだ。魔術師はシエナの手をとり、そして頬を撫でながら言ったのだ。
「もう少し観察する必要がある。だからまだ駄目だ」
やっぱりな、とシエナは呟いた。すっと心のどこかが凍りつく気がする。
魔術師はみんな同じ。だから大嫌いだ。
男の手を振り払い、鏡の前に立った。
儚げな顔に、青い目が嵌まっている。よく見ると両の眼は僅かに色が違った。同じ青でも、左目は……空の青とも海の青ともつかない、色。自分を弟のように可愛がってくれた、娼婦のお姐さんが、よく褒めてくれた色だった。
“残った眼球を核にして”そう魔術師は言った。
なら、この左目を抉って握りつぶしてしまえばどうだろう。
今度こそ、終われるんだろうか。
左手で顔に触れる。
痛いのはいやだなあとちらりと考えたけど。
でもこれで本当に最後にするんだから、いいか。
躊躇うことなく指を目に突きたてようとした時。後ろから手首を掴まれ、そのままぐるりと体の向きを変えられた。目の前に険しい顔をした魔術師がいる。
「何してるの。何を考えてるの」
「なにも。手、離せって。痛いんだよ」
左手だけでなく、右手首まで掴まれ身動き出来ない。
「何しようとしてたか、答えてくれたら放してあげる。ねえ、今のは何故?」
静かに光る紫の目で、魔術師はいっそ穏やかに問いただす。シエナは笑いだしたくなった。何故、とそれを問うのか、おかしくて。
底冷えのするような魔術師の声も視線も、少しも恐ろしいと思わなかった。
くす、と笑い声がこぼれる。ひとつこぼれると後から後から零れだして、止まらなくなった。顔を俯け肩を揺らしてシエナは笑い続けた。
「どうしたの、何がおかしいの」
苛立たしげに魔術師が手首を掴んだまま、力任せに揺さぶる。
がくがくと身体が跳ねても、尚も笑い続けていると、魔術師は舌うちをして、細い顎を掴み、無理矢理シエナの顔を上げさせる。片腕でシエナの腕ごと体を拘束してしまった。
けほ、と息を吐き出して、シエナは間近で魔術師の顔を見上げた。
「ほんとあんたら最悪。あんたらにとっちゃ、俺はひとの数に入ってないんだろう?だから切り刻めるし利用できるんだな」
「何を言って……」
戸惑うような魔術師の声を遮って続けた。
一度零れ始めた言葉は、もう止められなかった。
言いたくて言えなかった、たくさんの言葉。
呑みこんできたものが一気に溢れ出てゆく。
「俺はやめてって言ったのに、誰も聞いてくれなかった。薬飲まされて息が苦しくてもう駄目だと思っても、じいっとただ観察してた。ナイフで切られるのも怖かったのに止めてくれなかった。どんどん体がおかしくなって、変な色になるのが怖かったのに!」
諦めたふりで、恐ろしいと思う気持ちから必死で目を逸らしていた。望まないことばかり強いられる場所は怖くてたまらなかった。それでも、そこに居るしかないと思っていた。
誰も自分の声を聞いてくれない場所に。
怖かったし痛かったし、苦しかった。何より寂しかった。
そしてここでも同じかと思う。
「あんたって同じだろう?ちょっと変わった実験したから気になるんだろ?俺はこんなこと全然望んでいなかったのに!だからあんたらなんか大嫌いだっ、離せよっ」
力いっぱいもがいても、拘束する腕は緩まない。己の非力さに泣きたくなる。
色んな感情が混ざり合い、もう頭の中はぐちゃぐちゃだった。
「……もう、いい。この体も、あんたが好きにすれば。実験でも何でもすればいい」
ほんと最悪。だいっきらい。用が済んだらそう言って。あとは自分の好きにするから。
ただ目は逸らしたくなくて、紫の目を睨みつける。
その目は困ったように揺れていた。
何であんたがそんな顔をするの。
顎にかけられていた手が頬に伸び、何かを拭うような仕草をする。その意味がわからなくて目を瞬かせると、ほろほろ頬を伝うモノに気が付いた。
ぽたり、と魔術師の腕に落ちた雫。なに、人形って涙も流せるの。
「ごめんね」
頬を伝う涙を、そっと拭われる。
「あんたが出てくる時だって、苦しくて仕方なかった。このまま体の中のもの、全部吐き出したいと思ったくらい。もう、あんなのは嫌なんだよ」
「ほんと、ごめんね。きみの体、まだ不安定だからさ、ちゃんと安定するまで経過が心配って意味で言ったつもりなんだけど、ね。もしかしたら、自分でも気付かないうちに“観察”する目になってたかも」
魔術師の悪癖だねと彼はため息をついた。
そして拘束する腕を抱き寄せる腕に変えた。
気付くと広い胸の中に抱き込まれていた。
背中に回された手が、宥めるように優しくたたき、撫でる。
「私はきみに痛い事も苦しい事もしないよ。今の状態は確かに君の望んだ事じゃあないよね。私が勝手にした事だから、幾らでも罵って構わないよ。でもね、まだ心配だから、もう少し私の傍に居てくれたら嬉しいな」
意外な言葉にシエナは顔をあげる。心配って、嬉しいって、なんで。
すると魔術師は嬉しそうに笑った。
「ああ、その目はやっぱり綺麗だね。この前会った時から、そう思ってたんだよ」
「……あんた、変な奴だな。この目が気にいったのか?」
「まあ、その目もね」
ふうんと呟き、いつの間にか怒りも諦めも自分の中から消えかけていることに気付く。
それは抱きしめる腕のせいだろうか。
こんなふうに、きつく抱きしめられたことなんて、記憶にないから。
広い胸や、綺麗に筋肉のついた腕に、少し面白くないものを感じるけれど。
「……どうせ抱きしめられるなら、女の人の方がいいな。男の硬い胸なんていやだ。ちっとも嬉しくない」
顔を埋めているのは、まさに男の硬い胸板で。これがお姐さんのやわらかな胸だったら至福なのにと考える。
魔術師はよく響く低い声で囁いてくる。ちょっとそれはやめて欲しい。寒気がしてくるような、変な気持になるから。
「おや、私は楽しいね。きみは抱き心地もいいし」
「何莫迦なこと言ってんだか……」
温かな腕に包まれているうちに、だんだんと眠くなってきた。
さっき起きたばかりなのにと思っていると、低い声でささやかれる。
「まだ体が完全じゃないからね、睡眠が要るんだよ。このままお休み」
男の腕の中なんて願い下げだと呟いた声は、さて聞こえたかどうか。
……温かさだけは、心地いいと思ったのは内緒だった。