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「ごめんね」

 血の赤に濡れた床に、青年の眼球が転がっている。

 青年の居た痕跡を残すものは、その赤い色と一つの眼球のみだった。

 体は既に無い。ナギの予想以上に青年の体は脆くなっていて、ナギの媒介となり、また身のうちに封じられていた“毒”を吐き出した後、もう姿を保つ事が出来なかった。

 王と魔術師は、自分たちが差し向けたはずの“毒”に呑まれ、姿を消していた。どくどくと蠢くモノは対象が消えるとたちまち何処かへ消え失せてしまった。残されたのは空の玉座と魔術師の杖だけ。

 

 青い眼球を拾い上げる。このまま、ここで終わった方が、彼にとっていいのだろうか。

 痛くて苦しいのは嫌だと言っていた。

 このまま終われば……もう二度と痛みとも苦しさとも無縁でいられる。

 ナギには、青年がまだそこに居ることに気が付いていた。肉体が飛散したあとも、気配が漂い続けていたから。

 彼に決めてもらおう。そう思ってナギは彼に問いかける。


『もし君が今後を望むなら、手助けしてあげる……どうする?』


 その問いかけに返されたのは。


 とても小さな呟き。ずっと彼が心の底に閉じ込めていた、願いだった。




 

 ふっと意識がはっきりしてくる。深い水底から水面へと浮上するように。まだ眠っていたいと思いながら寝がえりを打ち、さらりと頬をすべる感触に眉をしかめた。何だろ、これ。長くてさらさらする。

 顔や首筋に纏わりつく感触が気持ち悪くて、手で払いのけようとして……あれ、何これ長い……って、髪の毛?

 誰の?

 そこでシエナはがばりと飛び起きた。そして目に映ったものに首を傾げる。

「ここ、どこだよ……」

 大きな窓がある広い部屋だった。

 床には温かそうな絨毯が敷かれ、窓にはカーテンがかかっている。

 そこから光があわく差し込んでいた。近くにサイドテーブルがあるほかは、何もない部屋だった。

 きちんと掃除されているのだろう、埃ひとつないし、何だかいい匂いがする。狭苦しくて古くて、黴の匂いがする自分の部屋とは大違いだった。

 シエナは大きな寝台に一人寝かされていたらしい。シエナが普段使う事のない、ふかふかの寝具は沈み込むようで、うっかりまた眠ってしまいそうになる。

 でも、とシエナは頬に両手をあてて考え込んだ。

 何かおかしい、だって自分はあの時もう駄目だと思って……そうだ、体がなくなって、それで目玉だけになって。

 それを、見ていたはずじゃ、なかったか。

 その、目玉、を。

 そこまで考えた時、どくりと心臓が跳ね上がる気がした。頭を振りながら、シエナは取りあえず寝台から降りることにする。ここがどこなのか知りたかった。上掛けを捲ろうとして、ぎくりと硬直した。荒れた所のない、なめらかな白い手が目に入る。

 痩せていても、骨ばった男の……自分の手とは明らかに違う。

「何これ……」

 呟いてみて、その高い声にぎょっとする。

 自分の声じゃあ、ない。掠れたとか風邪をひいたとかじゃなくて、明らかに別人の……若い女の声、だった。

 何が起きたのか、さっぱりわからないけど。

「確かめてみなきゃ……」

 恐る恐る上掛けを捲り、そろそろと寝台から降りる。白っぽい袖のないワンピースみたいな服を着せられていたようで、腕は剥きだしだし、膝下あたりで裾が揺れている。

 いつも付きまとっていた吐き気も痛みも、だるさも綺麗に消え失せ、驚くほど体は軽かった。

 両腕を体の前に突き出して、じっくりと眺める。

 染み一つ、傷跡一つ、ない。切り傷の痕や火傷に似た痕が沢山ついていたはずなのに。

 そしてワンピースの裾を捲りあげ、酷く変色していたはずの腹を見ると。

 そこは陶器のように滑らかな肌があるばかりで。

 ついで、目に入ったものにシエナは今度こそ目を疑った。

 こわごわ胸に手をやり、すぐに手を引っ込める。

 確かに、柔らかなふたつの膨らみがあったのだ。

「え、ちょっとなんでだよ、やっぱりこれって夢?」

 そうだよな、何で俺が女になってんだ。でも感触あるし。

 えええと呻いて頭を抱えてしゃがみこんでしまうが、シエナは部屋の隅に立てかけられたものに気が付いた。

 布が掛けられたままだが、あれはきっと。

 ふらふらとその前に立ち、思い切っていっきに布を引き剥がす。

 そうして目に映ったものに、今度こそ声を失くして立ち竦んだ。


 卵型の白い顔を縁取るのは、腰まで届く艶やかな黒髪。

 鏡の中からこちらを見返す瞳は深い青。

 そっけない白いワンピースに包まれている華奢な体。

 裾や袖から覗く手足には染み一つ、傷跡一つない。

 おずおずと頬に手をやれば、鏡の中の儚げな少女も全く同じ仕草をする。

 自分の動きを真似するように。いや。

「うそ」

 鏡の中の少女も、うそ、と唇を動かしている。ずるずると絨毯が敷かれた床にへたりこんでしまった。

 そこへふいに扉が開き、シエナはびくりと肩を震わせた。

「ああ、目が覚めたんだ。気分はどう?」

 響きのいい低い声と、近寄ってくる足音。背を向けているシエナには、それが誰だかわからない。どこかで聞いた声のようなと思いながら、恐る恐る振り返り、ぽかんと目を見開いた。

 そこにいたのは、“契約の魔術師”……ナギ、だったから。


「ねえ、起きてる?まだちゃんと回路繋がってないのかな……それともどこか不具合が?」

 目の前で何度も手を振られて、シエナは我に返る。

「起きてるっ、なあこれって一体どういうことなんだよっ。俺は確かに……」

 最後に見た光景と、最後に感じた痛みを思い出して背筋を震わせた。

 思い出すだけでぞくぞくと寒気がしてきた。そこへナギはぱんぱんと手を打ちならしシエナの思考を遮ってしまう。

 はっと顔をあげると、ナギは紫の目を細めてしげしげとこちらを見おろしている。

 その視線は、シエナに嫌なものを思い出させ、自然と眉が寄る。

「まあ説明するから、とりあえずそこ座ってね」

 寝台を示され、シエナは渋々腰を下ろす。その隣にナギも腰を下ろし、シエナの顔を覗きこむようにして口を開いた。

「何が何だかわからないって顔だね」

「わかんねえよ。さっぱりわからない。なあ、これって夢?」

「残念ながら夢じゃない。というか、きみ、前に会った時は猫でも被ってたのかな?前はもう少し丁寧な口聞いてくれたよね」

「別にいいだろ。これが地なんだよ。今更取り繕った口きいても仕方がないし。で、なんであんたは俺の前にいるんだ。俺に何をした?」

 飄々とした口調で喋る魔術師に、苛々してくる。魔術師はうう~んと唸った後、はっきり言っちゃおうかなと一人ごとを言ってから、あのねと切り出した。




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