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 けれど。体中を締め付けていた糸が急に緩んだ。

 一気に入り込んできた空気を貪るように吸い、途端噎せ返る。咳き込みながら魔術師を見上げると、不満も露わにしてシエナを見おろしている。

「王がお前の話を聞きたいそうだ。ついて来い」

 よろよろと立ち上がる。腕は胴体に縫い付けられたように動かせないが、足はなんとか動く。窒息しかけたせいでまだ視界は薄暗く、ちかちかと光が点滅していた。打ちつけた体も痛いし、吐き気もますます酷くなる。

 もう魔術師の言うことなど、従いたくなかった。それでも……まわりを兵に囲まれ力で縛られていては、どこにも逃げ場はなかった。

「逃げ出そうなどと思わないことだな。逃げ出せばその瞬間、お前の首に巻きついた糸を締め上げてくれるわ」

 その方が面倒がなくてよいがなと魔術師は吐き捨てるように言い、先に立って歩き出した。



 王は玉座に億劫そうに座り、肘かけに肘をついて、畏まる魔術師と床に這い蹲ったシエナを見おろしていた。

 扉の出口には兵が控え、王の背後にも両脇にも控えている。そしてシエナの後ろにも。

 こんなにがんじがらめにされていては、何にも出来やしないのにとシエナは心の中で笑った。

 王の前に来るやいなや、魔術師は再び糸をぎりぎりと引き絞った上で、シエナを床に這いつくばらせた。

 そして何やら短い呪文を唱える。するとシエナの周りを覆うように現れたモノがあった。ふわふわと宙を漂い、シエナの体に幾重にも纏わりつく。ずん、と背中に重いものを乗せられた気分だった。

「これは防護膜。お前がなにをしたところで、陛下や私に傷一つつけられぬ。さて、陛下、これに何やら聞きたいことがおありとか」

 シエナを恫喝しておいて、魔術師は玉座の王を振り仰いだ。王は肘かけに頬杖をついて、無様に床に這い蹲ったシエナを表情のない目で見おろしている。まるでそこにいるのが、とてもつまらない“モノ”であるかのように。

 王はゆっくりと身を起こし、尋ねた。

「そこのお前、“契約の魔術師”に書簡を渡したそうじゃが。してあやつと何を話したのじゃ」

「……別になにも。陛下の書簡を渡して、すぐに戻ってきましたから」

 その筈だ。遠い遠い地までゆき、人里はなれた場所にいた“契約の魔術師”に書簡を渡した。ただそれだけで。

 特に何もしゃべる間はなかった……筈だ。

「それが嘘だと言うのだ!あれに会って書簡を渡したなら、お前が生きている筈がない!」

 魔術師が激高して叫ぶ。それをとりなすように王は続けた。

「そうか。ならあやつの容姿はどんなふうじゃったか?年老いていたか?」

「いいえ。まだ若い事に驚きました」

「髪の色は?金じゃったか」

「いいえ、銀でした。銀の髪に紫の目でした」

「そうか……ならば、おまえの会ったのはまこと、“契約の魔術師”じゃろう。して、あやつは契約については何ぞ言っておらなんだか」

「いいえ、何も。何も聞いておりません」

 シエナは同じ答えを繰り返した。けれど王はどん、と肘かけを叩くと低い声で恫喝する。

「たばかるでないぞ。書簡を渡しておればお前はいま此処に居れる筈がない。なれどお前から聞いた姿は確かにあやつのものじゃ。ならばお前はあやつに会いはしたが、書簡を手渡さず此処へ戻ってきたという事になる。言え、あやつから何を吹き込まれたのじゃ!」

 知らないとシエナは首を横に振る。本当に何も知らないのだ。

「陛下、やはり危険です。あれが何をしかけているとも限りませぬ、ここは私にお任せを」

「そなたに任せた結果がこれであろう!」

「陛下、どうかお気をお静め下さい」

 顔を赤くして激昂する王を魔術師が必死に宥めている。

 床に顔をつけたまま、シエナは彼らは一体何を言っているのだろうかと、ただ困惑するしかなかった。

 そこへ、ふいに魔術師がシエナに目を向ける。

「陛下、やはりこれはいかにも危険です。もう処分してよろしいですか」

「そうじゃの、もうそれは要らん。お前のよいようにしろ。後の事については早急に手だてを考えよ、いいな」

「かしこまりました」

 魔術師は王に頭を下げる。処分、という言葉を聞いても、ああそうかとシエナは無感動に思うばかりだ。

 時間がただ引き延ばされただけ。早いか遅いかの違い、それだけだったから。

 

『名を呼べ』

 ふいにどこからか声が聞こえて、シエナは首を傾げる。

 王の声でも魔術師の声でもない。

 それに、シエナに名を呼ばれることを、ここに居るもので喜ぶものはいなかった。

 シエナの名を呼ぶものも。

『名を呼べ』

 繰り返すその声に、どくりと心臓が跳ねた。腹の底から何かがせり上がってくる感覚がする。

 確かに聞いたことがある声。どこでと思った時、突然頭に蘇る光景があった。

 “契約の魔術師”に書簡を手渡す前に、書簡は炎に包まれ燃え尽きたこと。

 そして。なにやら紡がれた言葉のあと、体の奥深くへ入り込んできたものがあったこと。

 私の名を呼べ。そうしたら……。“契約の魔術師”は確かそう言って、笑った。目隠しを取り払ったように、不意に思い出しだ記憶に戸惑う。

 名を呼んだら何が起こるのだろう。不安と恐れが心をよぎったけれど、それらをまとめて放り投げる。

 どうせ終わりになるなら、何が起きても、かまわない。

 シエナは小さな、けれどはっきりした声で、その名を呼んだ。


「……ナギ?」

 シエナが知る由もなかったが、それはこの王宮ではけして呼んではならない名前だった。


「何故その名前をっ」

 青ざめる王と魔術師を怪訝そうに見たのち。シエナは体の中から急にせり上がってくるものを感じて、目を見開いた。

「え、何これ……っ、やだ、っ……」

 喉の奥が何かで埋められたように苦しい。吐き気にも似たそれは、体の奥から沸きあがり、出口を求めて暴れているようだった。

 苦しくてなんとか吐き出そうとえずいても何も吐き出せず苦しさが増すばかり。

「やだあっ、誰かっ……」

 誰かなどいないのに。苦しさの中、それを思い出してシエナは薄く笑った。しかしすぐに酷い嘔吐感がこみあげてきて、何度も何度もえずいた。

 そして。ごぽり、と濁った音が聞こえたあと。

「あ……?あ、ああああっ」

 喉の奥を塞いでいたモノが、あとからあとから溢れてきたのだ。狭い出口を無理矢理抉じ開け、それらはシエナの中から外へと出てゆく。

 苦しかった。目を見開き涙を流しながら、叫び続けていた。腹の中を素手で掻きまわされているような気持ち悪さに、いっそ終わらせてくれと懇願したくさえ、なった。

 シエナの口から出てきたモノは、一か所に集まり何かの形を作りはじめ、そして。

 ひとりの男の姿になった。

 涙にまみれた顔をシエナは驚きに歪めた。その男は。

 シエナが書簡を渡しにいった、“契約の魔術師”だったから。




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