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番外編 ある女性の話 3

 うん、この調子だと大丈夫そうだよ。

 ちょっとお腹の中の子がびっくりしただけみたい。

 

 わたしを食堂まで運んで行き、体の具合を見てくれたのは、銀の髪に紫の目の男性だった。薬師ですかと問うたわたしに、似たようなものと肩を竦めて答えてくる。昼時を過ぎていたので、食堂には人がいなかった。

 男性が店主に事情を説明し隅のテーブルと椅子を借りる。椅子にそっと座らせてくれ、ほっと息をついていると、ちょっと触るよと声がかけられて、手や額を触られる。

 どうなんだ、と彼の隣に居る少女が彼に尋ねる。

 大丈夫かと問いかけてくれた少女は、背の半ばをこえる黒髪を結わずに流し、青い目には心配そうな色が浮かんでいた。

 う~ん、大丈夫そうだよとしばらくして男性が言うと、わたしも勿論ほっとしたのだが、少女も不安そうだった顔に笑みを浮かべ、よかったねと言ってくれた。ありがとうと礼を言いながら、見た目と話し方の間に、随分落差がある子なのねと内心思った。

 そして取りあえずは安心したものの、これからあの重い荷物を持って帰るのかと困っていたところ、男性が申し出てくれた。

 家はお近くでしょう?送りがてら荷物も運びますよと。

 流石にそこまで甘えるのはと遠慮したものの、押しの強い笑顔で押し切られてしまった。

 いわく、このまま一人で帰して、何かあったら寝ざめが悪いと。

 そこまで言ってくれるのだから、もう甘えてしまおう、とお願いする事にした。


 家まではさほど離れていない。

 街外れの、森へと続く道べりにあるのがわたしたちの家だ。

 街道からは外れている道だから、あたりは静かで夜は獣の鳴き声や風の音、森のざわめきしか聞こえない。

 森の緑に溶け込むように、ひっそりと建つのが我が家だ。


「あ、見えてきました、あの家です」

 家を指し、ここまでで大丈夫と言ったものの、男性はここまできたら同じだよと取り合わない。

 少女も、そうそう、運ばせとけばいいんだよと言う。

 ありがとうございますと再び礼を言って、家までの道のりをゆっくりと歩く。

 ここまでの道のりで、他愛ない話をした。彼らが通って来た街の事や、これから行く街の事。

 彼らは旅をしているそうだ。

 彼と少女は、外見や顔立ちが異なるから予想はしていたけれど、血縁関係はないという。

 さりとて、一緒に旅をするどんな関係か見当もつかず、内心首を傾げてしまった。

 若い男女であるから……男性の年齢に対し、いささか、いやかなり少女が年若であるとは思うけれど……安直に“恋人”という単語が浮かんだものの、どうもしっくりこない気がする。とはいえ、助けてくれた人たちに、そこまで詮索する気はないので、疑問は胸のうちに留めていた。

 家の前に着き、ありがとうございましたともう一度礼を言い、よかったら中でお茶でもと言いかけたとき。

 中から扉が開き、顔に焦りの色を浮かべた夫が飛び出してきたのだ。

 そのままわたしの方を見ずに街の方へ駆けて行こうとしたから、慌てて背中に声をかける。

「あなた、どこに行くの?」

 すると途端に立ち止まり、凄い勢いで戻って来る。

 私の前まで戻って来て肩を掴むなり、安心したように呟いた。

「家に居ないからどこに行ったのかと……心配したよ」

「ごめんなさい、ちょっとお散歩ついでに買い物してて……」

 買い物、と夫は低く呟くと、そこで初めて男性と少女に気付いたらしい。

 そして男性が運んできたわたしの買い物にも。

 しぼんでしまった言葉にかぶせるように、男性が言う。

「いえ、街で難儀をしている所に行き合いまして。僕たちも丁度こちらの方へ行く所でしたから、ついでにお送りしただけですよ」

 一体何がと眉間に皺をよせる夫に構わず、男性はこれをどうぞと荷物を押しつけている。

 荷物を受け取った途端、夫は口の端を引きつらせ、じろりとわたしを睨んできた。

 重いものを持つなとあれほど言っておいたのにと、その目は語っていた。

 バツの悪さを誤魔化すように、わたしは彼らに、中でお茶でも飲んでいきませんかと誘ってみた。

 せめてそれくらいのお礼はさせて欲しいと。

 だが男性はにこやかに笑いながら首を横に振る。

「お気づかいなく、お気持ちだけで十分ですよ。この道の先まで進んでしまいたいので、僕たちはこれで失礼します」

 そう言われてしまえば、もう引き止める事も出来ない。

 夫が礼を言うのに頷いたあと、男性はそれでは、とわたしたちに背を向けて森の方へと歩き出し。青い目の少女は。


「お姉さん、さよなら。元気でね」

 ひらりと手を振ると、くるりと身を翻し駆けて行ったのだ。



『お姐さん、さよなら。元気でね』


 同じ言葉と、振り返らず駆けて行く背中と……同じ色の瞳。

 それがわたしに、再び彼の事を思い出させた。

 彼は別れ際、いつもまたねと言っていた。

 その“また”が一月後かはたまた二月後かはまちまちだったが、それでも必ず次の機会はあった。

 けれど最後に会った時、彼はこう言ったのだ。


“お姐さん、さよなら。元気でね”


 初めは何とも思わなかった。

 ひと月たってもふた月たっても彼は訪れず、気付けば半年以上が過ぎた頃、あれは別れの挨拶だったのだろうと気付いた。

 わたしの他に誰か別の人でも出来ていたのなら、まだいい。

 きっとそう、と思いこもうとして……涙が零れた。

 何故ならわたしは知っていた。訪れる彼が、いつも疲れきっていた事。

 わたしを抱いて眠りながら、時折うなされていた事。

 そして酷く具合が悪そうにしていた事。

 知りながら、彼が何も話そうとしないのをいい事に、目を逸らしていたのだ。

 知ってもわたしには何も出来ない。自分一人を支えるのが精一杯で、他の誰かを抱え込む余裕はなかった。

 彼は時々やって来る、客未満であり友人未満。

 それでいいと……思いこもうとしていたのだ。

 ただ抱きしめられて、ぬくもりに包まれて眠る、そんな優しい夜をくれる彼が……彼との時間が本当はとても大切だったから。

 わたしは二度と彼には会えない。

 もうあの空の青とも海の青ともつかない、綺麗な目を見る事もない。

 わたしに差しのべてくれた手を、失くしてしまったのだと思った。


 それから。わたしのいた国は酷い混乱が起きた。

 国を治めていた王が急死したのだ。あまりに突然のことに王宮内では対応が遅れたらしい。気付けば誰が実権を握るかで揉め、その間に他国から侵攻され……わたしのように他国へ逃れる者が大勢出た。

 今もあの国は混乱の真っ最中らしい。


「本当に心配した。帰ってみればきみは居ない」

 まだ怖い顔をしたままの夫に、素直に謝る。

「ごめんなさい」


 あの国を出てこちらへと来る途中、夫と出会い結婚し、子どもが出来た。 あの国に居た頃、予想もしなかったような未来にわたしは生きている。  時々、これが夢じゃないか、わたしの見ている都合のいい夢で、本当のわたしは冷たい寝台で体を縮こまらせて眠っているんじゃないかって。

 だから……夫の怒る顔は怖いけど。

 怖くは、ない。これが夢じゃないって思えるから。

 まったく、と夫はため息をついて、わたしの頬を撫でた。

「これだから、きみが何処かに行ってしまうんじゃないかと、不安になる」

 頼むから、ちゃんと此処に居てくれと……低い囁きとともに口づけが一つ、額に落ち。

 頷いたわたしは、夫に抱きついて、そして背伸びをし、触れるだけの口づけをした。



 温かくて優しい夜をくれた彼の、最後の時。

 どうか、彼が一人きりでなく、そばに誰かが居てくれていたらいいのに。

 そうであればいいのにと思った。




                                                               END




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