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そうして。
センセイとシエナの生活が始まったのだ。
体の特性は相変わらずで、エネルギーが切れかかるたび、嫌と言うほど受け入れる羽目になった。
ふらふらになる前に言えばいいのにとセンセイは呆れ顔だが、仕方ないとはいえ、何が悲しくてこちらから誘うような真似をしなきゃいけないのか。 最近ではそれすら見越されて、ちょっと今日はつきあってよねとにっこり微笑まれ、あれこれされることも多くなった。
どのみち、されるあれこれについては思い出したくない。
寝室にしても、いまはセンセイのベッドで二人寝ている。
朝起きるといつも抱きこまれているのが不思議でならない。
眠る時はいつも背を向けて寝ているのだが。
この部屋以外にベッドないから、ここで寝ればいいのに。
はじめ、そうセンセイは言ったが、男の硬い胸はごめんだと言い捨て、毛布とクッションを貰って大きなソファで眠ることにしていた。
人は殆ど来ない家だと言いながら、それなりに部屋数はある家のこと。居間もそれなりに広いもので、家具も立派なものだった。埃まみれになっていなければ、という注釈がつくが。
取りあえず寝られればいいと、埃をはたき掃除をして、居間のソファで眠ったはずなのに。
朝目が覚めると体が動かなかった。その理由はすぐにわかった。背後から回された腕が、体を抱え込んでいたからだ。
センセイ、なんで俺ここで寝てるんだよ。センセイが連れてきたのか?
ん~やっぱりあったかいのがいいよね。
ちょ、答えになってない!起きろ!っていうか、この手を放せっ。
ソファで寝ていたはずなのに、朝目覚めると決まってセンセイの腕の中。 がっちり抱きこまれているという状況が何度も何度も続けば、さすがに諦めてしまうというものだ。
仕方ない。そう思うのも、もう何度目だろう。
最近では初めからセンセイのベッドで寝る事にしている。
これからどうするかな。どうなるのかな。
食器を洗う手を止めて、シエナはふと思う。
人形の体の、設定を変えること。センセイはそう約束してくれたけど、まだそれが出来る状態じゃないと言う。
いつか、その設定を変えられたとして。そうしたらシエナはここから出てゆくのだけど。
誰にも言わない、当のセンセイにだって。
抱きしめられるのが、ほんの少し安心すること。温かさが心地いいこと。
その時が来たら、センセイに憎まれ口を叩いて好き勝手してくれた恨み事を言って、そして礼を言って。
笑ってここを出て行こうと決めていた。
いつまでここに居られるかなあ。
声にならない呟きをこぼし、シエナは食器洗いを再開したのだった。
ああ、やっぱりまた泣いてる。
ナギが居間のソファを覗きこむと、毛布に包まって眠るシエナがいる。
その白い頬は涙で濡れていた。
胎児のように体を丸めて、小さくなって眠っている。それを目にするたびに、なんともいえない気分になる。
「だから一緒に寝ようって言ってるのに……」
ちゃんとしたベッドは一つしかないからと言って、一緒に寝ようと誘っても、シエナは頑として一人で寝ると言い張った。さっさと居間のソファを掃除して、毛布とクッションを抱えてそこで眠るからと言う。
仕方ないと自由にさせたものの。気になって寝顔を見にいけば、シエナは泣きながら眠っていた。
本人も気付いていないのだろう、ただ静かに涙だけを零しながら眠っているのだ。
一人で泣かせたくなくて、細い体を抱きかかえて自分の寝室に連れて行く。体をすっぽりと抱き込んで横になると、細い腕が何かを確かめるように体に触れてくる。ぺたぺたと腕や胸に触れ、わずかに眉間に皺が寄る。
「……ひょっとして、腕硬いし胸がないしとか、思ってる……?」
まさかねえと思いながら、体の向きを変えてやった。正面から抱きこむのでなくて、後ろから細い体を抱きかかえるようにしてみると、しばらくもぞもぞしたあと、ふうと息を吐いて、静かになった。
「……きみって意外に女の人好きだったんだねえ……」
どうせ私には胸もないし腕も硬いよ、抱き心地わるくてごめんねと耳元にささやく。
まだほろほろと涙は零れおちている。何故涙を零しているのかナギにはわからないけれど、せめて温かさが伝わればいいのにと腕の中の体を抱きしめていた。
「よいしょ、と。きみも強情だね、ほんと。いい加減諦めて最初から一緒に寝ればいいのに」
泣きながら眠るシエナを、何度抱きかかえて運んだだろう。
朝起きると案の定、シエナは何も覚えていなかった。
ただ、ナギが勝手に抱きかかえて眠っていた事に驚いて怒っていた。
泣かれるよりはその方がずっといい。
ナギは、一緒に寝た方があったかいからと笑って答えてやる。
シエナもなかなかに頑固で、必ずソファで眠りにつくのだけど。
眠った頃、寝顔を見れば。いつも涙をこぼしている。
「泣いて欲しくはないけどね、どうせ泣くんだったら私の所においでよね」
いつものように後ろから抱き込み、横になった。温かい体が気持ち良くて、自分もすぐに眠ってしまいそうだった。
腕の中に抱いて眠るようになって、気付いた事がある。ほろほろと零れていた涙も、腕の中に抱いていると次第に止まり、ほのかに笑みさえ浮かべるようになったのだ。
少しはこの腕の中で安心してくれているのだろうか。
そうだったらいいなあと思う。
ナギはシエナの涙のわけを考えてみた。
昼間はくるくると働いて自分には遠慮のない言葉を吐いている。
一度だけだ、辛かった苦しかったと泣きながら叫んだのは。
どれほど言えない言葉を飲みこんできたのだろう。それがいま、涙となって溢れているのではないかとナギは思う。
そういう涙なら、枯れるまで泣けばいい。
でも……けして一人で泣くことかないように。
泣くなら自分の傍で泣いて欲しいと思うから。
「なんだか、きみも厄介なのに目、つけられちゃったよねえ。ごめんね、泣かれても放してあげられそうにないや」
抱きこんだ体に囁いて、目を閉じる。
明日になれば、驚いて怒って、呆れたような顔をするきみが見られるかなと思いながら。
「おやすみ」
END