side:鶴切紗希①
「霧雨市にも非常に高密度の魔力が渦巻いている。おそらく、霞坂の一件が影響しているのだとは思うのだが」
くらい円筒状の室内に数人の男女が立っていた。彼ら彼女らはこの建物の中央にたつ一人の老人に向かって立っているようだった。幽かに足元を青白い光が照らしてる以外、光はない。外光も当然入ってこない。だから彼らの顔はみな闇に隠れて見えない。
老人が、だれともなくつぶやいた言葉はやはり誰もこたえない。老人自身答えを求めてはいなかったようで、すぐにとうとうと語りだす。
「問題はその影響がどう出ているか、だ。あちらのように『扉』が開かんとも限らん」
扉。その単語が出た途端動揺が走った。その場にいた人物にとってその言葉はずいぶんと重みをもっているものだったのかもしれない。
思わず、黙っていた男の一人が身を乗り出して言った。
「さ、さすがにそれはないのではないでしょうか。いくら高密度の魔力が、魔力層からやってきたものなのだとしても、いえむこうからきたものだからこそある意味純粋なエネルギー体に他ならないのでは?」
老人は、すぐには答えない。それはまるで不用心な男の発言にイラついているようにも、なにか恐ろしいことを言葉にする怯えにも見えた。やがて訪れる沈黙を破ったのは外からの乱入者だった。
暗い室内にスリットが入りまばゆい光が差し込む。そうして入ってきた男は簡略化した礼をする。
「失礼します!」
「貴様ぁ! われら評議会の議会中に入ってくるとはっ……」
「まぁまて。わたしが調べていたことだ」
老人が思いのほか優しい口調でそういう。
「さて、ほか二点の観測結果はどうじゃった?」
「はっ! 今現在わかっているのは霧雨市に匹敵する汚染は霞坂以外にはありません」
ふむ。
老人は何かを思案するような顔で周りの人々を見回す。
そして手をたたいた。
「魔女をよべ!」
「魔女?! まさか月箱機関を動かす気ですか?!」
「ふん。あやつらがあの事件の発端みたいなものじゃ。まさかここで関わらせるわけにもいくまい。使うのはもっと手軽に使えるやつよ」
しばらくして現れたのはいまだ幼さの残る、高校生としか言えないような美しい少女だった。髪は肩ほどまでで切りそろえられていて、強い意志を感じさせる瞳を持っている。いかにも魔法使いといった出で立ちでローブを羽織った少女は、室内に入ってくるとすぐに跪いた。それだけであたりの雰囲気が凛としたものに変わった。
「よい。頭をあげい」
老人は彼女に立つように促した。失礼します。とさきにいってから彼女は老人に目をやる。
そうして顔を上げた人物は、鶴切紗希である。
紗希は知っていた。この部屋に自分のような人間が呼ばれるときは決まって面倒事がやってくるのだ。
「霞坂で実験中だった魔導兵器が暴走した件は知っておるな?」
「はっ。存じております」
「実はその件で流れ出した魔力が隣に流れてしまってな。ある種の魔力溜まりになっているようだ」
そこまできいて紗希はようやく想像が付いた。つまり私にやれと言おうとしているのは……。
「そこの調査をしてきてほしいのだ」
……『門』が開いた影響を戦闘魔術師にはからせようというわけだ。
霞坂で起きた一件。それが実は魔導兵器の実験が失敗したのではなく、どこかのバカが『門』を開こうとしたことであるというのはある程度以上の魔術師界隈では有名な話だった。まあ政府は必死に隠そうとしているみたいだが。
そしておそらくこの老人は、紗希が裏の事情を知っていると踏んだうえでこの任務を与えてきている。
形だけは依頼だが、その実ほぼ強制のようなものだ。
「調査、でよろしいのですか?」
だがにべもなく頷いていては老人のいいなりと変わらない。紗希は言外に批難の色を帯びた質問を返す。
老人は十分に皺の刻まれたその顔の額をさらにくしゃくしゃにしたが特に何かを言うことはなかった。
(仕方がない……)
紗希の方もこれ以上無駄なことをするわけにもいかず、詳しい事情は追って使わされる連絡員に頼ることにして立ち上がる。そのまま彼女が立ち上がり部屋を出ていくまで目を皿のようにして男たちは視線をやり、扉が完全に閉まったところでようやく声に出した。
「一体、何様のつもりなんだ」
「まったく。わが国の魔術師の質がずいぶん落ちているようね」
「小生意気な娘ですな。父親を哀れと思って使ってやっているということを彼女はきちんと理解しているのかね」
方々にしゃべだす男たちを短い咳払いで老人が遮った。
「だがあれもあれでなかなか役に立つ。とりあえずの調査ぐらいなら間違いなくこなせるだろう。仮に失敗しても
痛くとも何ともないからな」
その老人の口元には下卑た笑みがあった。
「……聞こえてるわよ」
部屋を出た扉の外に立つ紗希はとうとう我慢できず小声でつぶやく。むろんその声が彼らに聞かれるようなへまはしない。しかし、何と言ったらいいのだろうか。
彼女はどちらかといえばかなり賢い部類に入るだろう。だからこそ自身の立場や弱さというものを真に理解している。だからこそ無茶なことは決してしない。
「これが日本の最高魔術師顧問だっていうんだから、救われない話」
ため息を吐いて彼女は廊下の先へと歩を進めた。
しばらくの仕事場となる、懐かしの霧雨町へ向かうために。