side;南凪空也①
鶴切紗希。
何て読むのだろうと、黒板に書かれた名前を南凪空也はぼんやりとみていた。
季節は梅雨。しとしとと降りしきる雨がうっとおしい。
しかしそんな嫌な湿気も、今日のこの時には関係ないようだった。
転校生である。
決められた時間割をひたすらにこなすような高校生活において、イレギュラーなイベントは最大の娯楽である。それも転校生が、超のつくくらいの美少女ともなれば。
「えーそれじゃあ、何か一言お願いできるかしら」
「鶴切 紗希です。よろしくお願いします」
つるぎ。空也はあたまのなかでつぶやく。教壇でかわいらしくお辞儀をする彼女は、けれどその表情は無表情で読み取れない。整った目鼻立ちやすらっとした体型から思わず人形を思い浮かべてしまった。そして沈黙が訪れる。……一言何か、と促した教師もまさか本当に一言で終わらせるとは思わなかったらしい。目をぱちくりさせて、急に思い出したかのように言った。
「そ、それじゃあ、みんな仲良くしてね? あ、えーっと鶴切さんの席は――」
「先生! 俺の隣があいてるぜ」
下心丸見えのクラスメイトが手を上げる。
「へ? そ、其れじゃあ鶴切さんあそこでいいかしら?」
新任教師まるだしだなぁ。
空也はもどりつつある日常の空気を感じ取って窓の外に目をやった。
隣ではお調子者の男子が早速、鶴切と話そうと声をかけている。
雨が降っていた。
空也が住む霧雨町は海の香りと山の風がふきこむ町だ。
と、言えばすこしは様になるだろうか?
空也自身は、何も面白いことのない町だと認識していた。人口も町の発展度もそこそこ。田舎というには自然がなく、都会というにはたかいビルもない。何かして遊ぼうとなったときは必ずとなり町にまで出て行くことになるだろう。そんな町だ。
しかし空也はこの町が好きだった。父親の都合で何回も転校を繰り返してきた空也にとって、物心ついて以来唯一三年以上暮らした町であることも大きいだろう。猫と老人が多くて自転車のさびやすい町。
「鶴切さんってまえどこに住んでいたの?」
昼休みになるや否や、彼女はすぐ好奇心旺盛な学生の群れに囲まれた。男子だけでなく女子も結構多い。というか男子が少ない。やっぱり草食系が増えているって本当なんだな。となぜか他人事に空也はつぶやいて立ち上がった。学校最大の楽しみといっても過言ではない昼食をとりあえず確保するためにだ。
「空也! めしいこうぜ」
立ち上がったばかりの空也を呼ぶ声がした。振り返ったらそこには坊主頭の悪友が立っていた。
「水谷、お前がわざわざこっち来るなんて珍しいな」
すると水谷は器用に片方の眉をあげて後ろの人だかりを指さした。
「転校生が美人だと聞いてな。しかし大人気だなぁおい。……そんなに美人だったのか?」
「ああ、美少女ってああいう人を言うんだろうな」
「けっこうはっきり言うんだな」
あきれた様子で水谷がこめかみを指でかく。
「どうかしたのか?」
「うしろ」
空也は言われたままに振り返る。そして鶴切さんと目があった。
いつの間にかがやがやとした雰囲気はどこにもなく皆温かく見守るような視線でこちらを見ている。
「……どいてもらってもいい?」
「へ?」
空也が立っているのは彼女と廊下へ続く道の真ん中。
「あ、ごめん」
そして彼女は颯爽と教室を出て行ってしまった。
「残念だったな」
脈はなさそうだな、とそう言って水谷が空也の肩に手を置いた。
やかましい。
見渡すと周りのクラスメイトも憐みの目で見てきている。
……さっさと散ってくれ。
半ば本気で空也は泣きたくなっていた。
これが鶴切紗希と南凪空也の出会い。
良くも悪くも波風ひとつたたないような、そんな出会いだった。