最期の葉巻
俺は今日、死ぬ。
確実に。
かつては龍殺しの英雄と呼ばれたこともある。
いくつもの修羅場を潜り抜け、そのたびに生き延びてきた。
だが、今回だけは違った。
眼前に立つそれは、強者などという言葉では到底足りない。
漆黒の巨体に、深淵みたいな四つの目。
こちらを見下ろす視線には、俺への哀れみすらあった。
仲間はみな倒れた。
残る敵はこいつ一体だけ。
それなのに――生きて帰れる未来が見えなかった。
「みんな、すまない。俺はここまでだ」
悔いは、ある。
故郷で待つ娘の成長を、この目で見届けられないことだ。
最後まで、立派な父親にはなれなかった。
覚悟を決め、剣を握る。
だが死ぬ前に、どうしてもやっておきたいことがあった。
「話が通じるとは思えないが……少しだけ、時間をくれ」
四つの目が、青と緑に明滅する。
了承、と受け取った。
俺は懐から葉巻を取り出し、手際よく火をつけた。
ゆっくり吸い込み、煙を吐く。
胸の奥にこびりついていた恐怖が、少しずつ薄れていく。
すると、唐突に奴が低く唸った。
「お……それ……な、んだ」
思わず目を見開いた。
こいつはわずかな情報だけで、俺たちの言葉を理解し始めているらしい。
「……これが気になるのか?」
四つの目が、また青と緑に明滅した。
俺は苦笑して、懐に残っていた最後の一本を取り出す。
「やれやれ。ほら、こうやって咥える。火をつけて……ゆっくり吸うんだ」
牙が並ぶ裂け目に葉巻を挟ませ、身振りで吸い方を教える。
そいつはぎこちなく煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
「……ありが、と」
これから俺を殺す相手に礼を言われるとは。
なんとも奇妙な気分だった。
しばらく二人で煙をくゆらせる。
敵同士だということさえ、一瞬忘れそうになる。
どうせ終わるなら、こういう最期も悪くないか。
「さて、そろそろ——」
立ち上がろうとした、その時だった。
奴の全身が、ふいに光り始めた。
まばゆいほどの白い光。
「お、おい、どうした!?」
徐々に輪郭を失い、粒子のように崩れていく。
奴は四つの目を静かに細めた。
そして今度は、はっきりと、言った。
「ありがとう」
まもなくそいつは穏やかな光となって、跡形もなく消えた。
その言葉の残響だけを残して。
しばらく俺は動けなかった。
剣を握ったまま、ただ奴のいた空間を見つめる。
「……助かった、のか?」
そう口にした途端、全身から力が抜けた。
その場に膝をつく。
何が起きたのかは分からない。
だが、生きている。
それだけは確かだった。
「また……生き残ってしまった」
倒れた仲間たちに祈りを捧げる。
感謝と鎮魂を込めて、ただ、静かに。
それでも頭から離れなかったのは、あいつの最後の言葉だった。
あの「ありがとう」には、どんな想いがあったのか。
今となっては、もう知る術はない。
「もし生まれ変わりがあるのなら……次は友として会いたいものだ」
ふと空を見上げる。
いつの間にか、雲の切れ間から青空が覗いていた。
無事に帰れたなら、俺にも伝えなければならないことがある。
旅に出る朝。
禁煙中の俺が、こっそり持って行こうとしていた葉巻を、娘に見つかった。
全部取り上げられると思った。
だが娘は、その中から二本だけ俺の手に戻した。
『これで最後だからね。ちゃんと帰ってきてよ』
呆れながらも、笑っていた。
結局、二本とも吸ってしまった。
一本は俺。
そしてもう一本は、あいつが。
だからこそ――伝えなきゃならない。
ただいまと、そして――
ありがとう、と。
***************
「――っていうストーリーだったんじゃないかな? どう?」
「いや、長いわ!!」
テーブルを挟んだ向かいで、友人が盛大にツッコんだ。
僕らの前には、対戦を終えたばかりのカードゲームが広がっている。
【paradox flip】――通称パラフリ。
友人は一枚のカードをつまみ上げた。
「俺はこの装備アイテム《葉巻》って何なん、って聞いただけやで?」
「だから説明したじゃん」
「ほとんどお前の妄想やろ!」
「世界観は大事だって」
「壮大過ぎるわ」
友人はさらにカードを叩く。
「しかも装備させたら《深淵の虚神》が浄化昇天って……意味わからん」
「あいつ、スペックのわりに召喚コスト軽すぎるからね」
僕はあえて冷静に分析する。
「こういう変な制約が必要なんじゃないかな」
「……もっと他にあったやろ」
「そういうもんじゃん。深く考えたら負けだよ」
「お前が一番考えてるやん」
友人は呆れながら笑い、カードを整理していく。
やがて一つにまとめた山札を、自陣の位置に置いた。
「で? もちろんやるやろ?」
友人の言葉に、僕は思わず笑った。
「もちろん」
「次は妄想禁止やで」
「そりゃ無理な話やで」
「下手くそな関西弁やめぇや
」
くだらない会話をしながら、再びカードを配る。
窓の外には青空が広がっていた。
テーブルの向こうには、今日もこいつがいる。
「俺が先攻や。《深淵の虚神》いくで!」
「嘘でしょ!?」
友人が笑う。
僕も笑う。
そして今日も――
パラフリは意味がわからない。




